五月蠅い心

 僕が初めて誰かとまぐわったのは愛していたカノジョ、真桜原ユイさんとではなく高校生時代に付き合っていた女性、菅田アカネだった。と言っても高校生時代に絡み合った訳ではない。僕らはとても誠実に交際していた。同じ部活の仲で、放課後にアカネから声を掛けられたことから始まった。

「タケルって何か不思議なオーラしとるよね」若くて高い声そして頭の悪そうな感じでアカネが話しかけてくる。

「何急に、美輪さん?」

「誰それ」

 僕の高校生時代のセンスから放たれた渾身のギャグを往なすアカネは首元までの長さで整えられた黒くてきれいなショートカットの女子だった。性格は明るくて、強気なクラスの女子の中心的存在だった。同姓には慕われていたが、その勝気な性格から異性からは煩い奴という評価だった。

「占い師的な人」

「へぇ、占い良く分からん」

「あっそ。で何、オーラって」

「雰囲気的な?何かおっさんと話しとるみたい」

「誰がおっさんだよ」

「いや、褒め言葉。ほら、他の男子はガキばっかだけどタケルは何か静かやし」

「大人びてるってことか」

「それ。大人びてる」

「じゃあ褒めてんな」

「やろ」

 僕らはこんな会話ばっかりしていた。当時は中身のない会話だと思っていたけど、今思えば青春だったのかなと思う。

 そんな楽しい日常を送って数週間後、放課後で僕が受験に向けて図書室で勉強していた頃。

「あ、いた」アカネが僕の後ろに置いてある本棚の端から顔を出して言った。

「アカネも勉強とかちゃんとしてんだな」

「いや、アタシがするわけないじゃん。」

「確かに。じゃあ何してんの」

「放課後に遊ぶ約束してた友達がドタキャンしたから暇になった」

「じゃあ帰れよ」

「冷てぇな。遊べよ、アカネ様が話しかけてんだから」

「勉強してんだよ。お前も他のやつと遊んだほうがいいだろ。」

 当時の僕はザ思春期の男の子の様で女の子に冷たく接してしまっていた。当時は自覚していなかったが。今思えば僕はあの頃アカネの事が気になっていたかもしれない。

「タケルの方が何か落ち着いて遊べるんよ」こういうアカネの言動一つ一つに一喜一憂してしまっていた。

「タケルは?恋バナとか無いの?」

「ないね。友達もそんな居ないし」

「悲し。泣くなよ」

「うぜぇ。早く帰れよ」

 あの時の僕はアカネの事が気になっていることは死んでも知られたくなかった。別に恋人に成りたいわけじゃなかった。ただ一緒にこうやって話せればそれでよかった。この関係が終わるのが怖かったから僕から告白することは絶対にないと思っていた。

「じゃあさ、付き合ってよ」アカネは言った。

 突然の発言に僕は一瞬固まってしまって慌ててアカネの顔を見た。アカネと目が合う。普段から真顔で冗談を言う様な女だったから本気なのか分からなかった。

「付き合うって何に」僕は声が震えない様必死に抑えながら言った。

 恋愛漫画の主人公みたいに「(遊びに)付き合ってほしい」って発言を勘違いしてしまう場面を思い出したから。勘違いしないように必死に内心で自分に言い聞かせていた。

「いや、付き合うって言ったらそれしかないじゃん」アカネは相変わらず真っすぐに僕の目を見ていた。僕も動揺を悟られないように真っすぐ見つめようと思うが実際は目が泳ぎまくっていたと思う。

「まじ?」

「まじ。冗談で言うわけないじゃん」

「お前は言うだろ」

「まぁね。でも今回はマジだよ」

 勘違いしないように必死に否定する僕をアカネは真っすぐな目で見てくる。彼女の視線かそれとも僕の顔か、とても熱かった。勘違いしないように守りを固めてもその熱で段々溶かされていく。

「ほら」

 アカネは自身と僕の唇を合わせた後そう言った。一瞬の事だ。その一瞬で僕は恋に落ちてしまった。

 彼女の唇はとても柔らかく温かかった。アカネの唇の奥に感じる前歯の存在を感じる程深く触れ合った。先ほどまでアカネの着けている香水のにおいを感じる程、すぐ隣にいたのに唇を重ねた瞬間香水とは違うとてもいい匂いがした。友達として接そうと思っていた僕はいつの間にか何処かへ消えていった。それはチャンスだと思ったから、もしくはここまで来たら友達にはなれないと振り切ったからか。どちらにせよこの瞬間に恋に落ちた僕は最低だった。

 その後、僕らは交際を始めた。勉強を疎かにすることは無かったが、作れる時間があったらアカネのために使った。週末はモールへデートに行ったり、流行りの恋愛映画を観たりした。

 壊れると思っていた元の僕らの関係は案外、付き合う前とそのままでらはとても相変わらずくだらない話をしていた。ベタな恋愛は好みじゃなかったけど、絶対とか永遠を誓ったりしていた。いつの間にかアカネとの交際関係が失いたくない関係へと変わった。

 ずっと続いてほしいと思っていた関係は付き合ってから数か月で終わってしまった。理由はアカネの浮気だ。

 僕は浮気についてそこまで否定的な意見は持たない。人間誰だって魔が差して悪いことをしてしまうことはある。それに浮気は罪には問われない、だから僕ら浮気された被害者は泣き寝入りして心が落ち着くのを待てばいい。だから僕はアカネとの連絡を絶った。彼女に関することは全て無視した。彼女の事を考えないように。

 アカネに新しい彼氏ができた、二股している、誰とでも寝ている、学校をやめたとか色んな噂が流れても僕は無関心を貫いた。それが真実でも捏造でも聞こえないふりをした。

 それから僕は受験期間へ入り元々少なかった交友関係すら断ち切って勉強していた。そのおかげで僕は希望していた大学を合格しそこで真桜原ユイさんとも出会い、アカネの事は吹っ切れたと思っていた。

 アカネと再会したのは垣日ナツさんと大学の近くのバーで飲んでいるときだった。たまたま一人で飲んでいたアカネは知り合いだったナツさんを見かけたようで声をかけたそうだ。初めはナツさんの横に静かに飲んでいるただの大学生だと思っていたらしい。そこでナツさんから紹介された僕を見てアカネは僕の事に気付いたようだった。

 僕はと言うと全く気付かなかった。正直高校生時代に浮気が原因で別れた元カノよりも今現在、失踪扱いされているカノジョの方がよっぽど気になっていたから。僕がアカネに気付いたのは恥ずかしながらアカネと寝た後に彼女自身から告げられたからだった。

 言い訳になるけどアカネと寝たのは酒が入っていたのと、カノジョが失踪したり、新たに届いた手紙の件でストレスがたまっていたのだろう。

「あのさ、あの時はごめんね」同じベットの上で背中合わせに横になりながら浮気者の常套句を垂れるアカネ。

「いや、別にいいよ。もう気にしてないし」

「何か色々噂とか聞いてるよね」

 あのころのアカネとは違って、か弱い女子の様に語尾に力がこもっていない。反省の表しだろうか。

「何も聞いてないし、正直興味なかった」

「そう」ホテルのエアコンの音にかき消されるほど小さくアカネは答える。

「なんかタケルは変わってないね。」

「変わったでしょ。ちょっと老けたし」

「見た目じゃなくて。なんて言うかオーラ?」

 あの頃と同じ様な事を口づさむ。あの頃を思い出して心が揺れそうな自分を自制する。

「アカネは変わんないね」

「私も変わったよ。汚れた」

 そういうアカネに僕は何も言わなかった。同情の言葉も叱責することも僕の仕事じゃないと思ったから。自分のストレスのせいにして知らずとはいえ元カノと寝てしまった僕だって汚れているから。

「独り言だと思ってほしんだけど、正直後悔してた。タケルと付き合ってたあの時先輩に誘われて寝て、あの時は満たされてた。先輩、顔はイケメンで上手かったから。でもあの後先輩に家に連れ込まれて輪姦されてさ、写真撮られて脅されて、ずっとヤらされてた。先輩の家に行くたびに違う人がいて、また写真を撮られて。挙句には学校にばらされて辞めざるを得なくなっちゃって。その後地元から逃げて今此処でようやくまともな生活が出来てる。」

 アカネが話す内容は生々しくてピロートークにしては不快な内容だった。浮気した彼女に対して地獄に落ちろとか、痛い目を見ればいい、とかよく聞くけれど全く同感できない。こんなにも胸糞の悪い話を聞かされなきゃいけないのなら初めから出会わなければよかったと思う。

 「ナツさんと此処で出会って仕事も紹介してもらった。さっきバーで見かけて挨拶ついでにお礼も言おうと思って声を掛けたらまさかタケルといるなんて。最初は罪悪感ですぐに帰ろうとしたけど、タケル酔っているから私のこと気付いてないみたいで。駄目だと思ってたけどあの頃を思い出ちゃって、誘っちゃった。」アカネは警察に罪を自白する犯人の様に恐る恐るすべてを話した。

 僕は何も言えなかった。呆れとか怒りからじゃなく純粋に声の掛け方が分からなかった。哀れみも、罵倒も感謝もどれも掛けるべきでない気がした。

「ごめんね」アカネは言った。

「何で謝るの」

「私がタケルを裏切ったのに被害者面してこんなこと話して。反応に困るよね。」

 アカネは目に涙を浮かべ、鼻が詰まっているような声で言った。

「さっきも言ったけど気にしてないって。」

「でもほんとに申し訳なく思ってるし」アカネは女々しそうに言う。

 僕はその申し訳なさそうにしているアカネに腹が立った。

「あのさ、やめろよ。自分が罪悪感で辛くて忘れられなかったからって被害者の気持ちを無視して贖罪とか言いながら関わってくんなよ。被害者のこっちは加害者のお前らと関わりたくねぇんだよ。俺は謝って欲しいんじゃなかった、もう傷つきたくないから関わりたくなかったんだよ。今日誘ってきたのも贖罪のつもりか?お気遣いどうも、でももうお前の自己満足な贖罪に僕を巻き込むな。」

 声を荒げて人に物申すのは前回を覚えていない程久しぶりだ。僕はアカネに本心を話した。僕は人並みに出来た人間じゃない、裏切られたら傷ついてしまう。彼女にしてほしかったのは謝罪じゃなく、僕を裏切るくらい魅力的な方を選んだのだからその道を後悔してほしくなかった。ざまぁみろとかそんな感情は不思議と湧いてこない。僕は本当に彼女を愛していたのだろう。彼女の選択を尊重しての考えだと感じた。

 僕の言葉を聞いたアカネは背中を向けながら小刻みに揺れていた。時折アカネから聞こえる鼻をすする音と、息を激しく飲むような音を聞きながら三十分ほどたった。

 「ありがとう」それまで静かだったアカネが飲み込むように言った。

 僕は黙ったままアカネの方を振り向いた。

「あと勘違いしないで。今日誘ったのは別にお詫びじゃない。」

 アカネはそう言うと体を起こし服を着始めた。先ほどまで抱いていたアカネの肌は白く美しい程滑らかだった。腕を動かすたびに肩甲骨がうねるように動きとても官能的だった。高校時代とは違う、肩まで伸びた黒い髪はつやつやと揺らいでいた。

「もう会えないよね」アカネはTシャツに袖を通しながら言った。

 正直これ以上過去を思い出して同情を掛けたくないので断りたかったけど、アカネの横顔から移る光を失ったような眼を見ると断り切れない自分が出てきてしまった。

「まぁ連絡先だけなら、何かあった時だけ連絡するなら、いいよ。」

 そういって僕は携帯の電話番号を教えてホテルを出てアカネと別れた。別れるときにアカネの後姿を見ないように気を付けた。僕は別れ際に寂しくなってしまう癖があるかもだから。アカネは強い女性だ。彼女がこれからの人生を迷わないように、未練は断ち切らなきゃいけない。


 「今日は疲れた」

 何故か暖かく感じるホテル街を歩きながら呟く。空はまだ暗いが後二、三時間すれば明るくなる、そんな時間だ。今日もとい昨日はほんとに沢山の事が起こった。

 僕がナツさんとバーで話していたのは昨日また新たな手紙が届いていたから。最初の手紙に書いてあった「真桜原ユイ様がお亡くなりになられました。」その後に書いてあった「次回は二日後に参ります。」の文字。あの手紙を受け取ったあの日から二日後の昨日、また手紙が届いていた。差出人は前回と同じ僕と同じ名前の風邪麻タケルという者。

 迷った末僕はナツさんを呼び出し手紙の事を相談することにした。

「この前ぶりだねタケル君」ナツさんは相変わらず黒いロン毛におしゃれな服装で決めている、この日はデニムジャケットを中心にしたコーデだった。

「ご無沙汰してます。」

「このバー良いでしょ。俺の友達が経営してんだよ。」

「なんか落ち着かないです。身分不相応って感じで」

「そんなことないよ。もしそうだったら僕みたいなロン毛も駄目だろうし」

「いや、中身の問題です」

「そうかな?俺的に中身ってあんまり関係ないんだよね。だって人ってその日、その状況で性格も思想も変わってくるじゃん?そんなコロコロ変わるような物一々気にしてらんないよ。」

「そんなもんですかね」

「そんなもんよ」

 正しいかどうかはともかくナツさんの考え方はとても自由な感じがして面白いと思う。

「それで話って何?」

「あ、そうだった。実は、」

 僕は言い辛かったけどカノジョとの最後の別れ、連絡が取れない事、そして不気味な手紙の事を話した。

「何それこっわ。怪文書ってやつ?」

「差出人が僕と同じ名前で気味が悪いんですよ」

「うーん、悪戯っぽいけどね。タケル君を怖がらせたところで誰も得しないし。脅してるわけでもないしなぁ。」

「でも僕の家に直接届けたり、カノジョの事を知ってたりしてて身内の犯行なんじゃと思ってるんですけど。」

「身内ねぇ。それだと余計に意図が分かんないけどねぇ。何か不満があるなら直接言えばいいだろうし。」

「僕もそう思ってわかんなくなっちゃったんです」

 ナツさんはうーんっと顎を手に乗せ天井を見上げながら考えて言った。

「じゃあ防犯カメラつける?こんな手紙警察に行っても取り合ってもらえないだろうし、タケル君の家に直接届けてるならカメラで正体が分かるはずだしね。市販のカメラなら取り付け簡単にできると思うよ」

 そうかその手があった。届けられた手紙のみから手掛かりを探そうとしてたけど、こちらから準備して待ち受けていれば勝手に正体がつかめる。

「カメラか、良いですね。探して付けてみます」

「うん、それがいいと思うよ」

「ありがとうございます。ナツさんはホントに頼りになります。」

「頼ってもらう方も嬉しいもんだよ。こっちこそ力に慣れてよかった。あ、そうだタケル君。今日来た手紙の内容って何だったの?」

「あぁ、えっとそれが「ナツさんお久しぶりです」手紙の内容について触れようとした所、右後ろから声がした。髪が肩まで伸びている可愛らしい見た目の女性が間に入り込んでしまい、言うタイミングを逃してしまったんだ。

 まぁ、でも今思えばあそこで言わない方が良かったのかもしれない。だって本人に言ったらきっと嫌な思いするだろうし。

 僕は鞄の中のポケットにしまっていた白い二つの封筒のうち一枚を取り出した。封筒の開け口を開け中の手紙を取り出す。二つ折りになった紙を広げると中に筆の様な字でこう書いてあった。


「垣日 ナツ様がお亡くなりになられます。 次回は一日後に参ります。」


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