群青

 質の悪い悪戯は嫌いだ。小学生の時に同じ学年内で流行ったズボンを引き下げられる悪戯は嫌いだった。大抵はズボンを下げられパンツが見えるくらいの少し恥ずかしい程度の悪戯だが、一度同級生が加減を間違えて同じクラスの男子のズボンを下げたところ、ズボンを引かれた男子の臀部が露わになってしまい泣き出してしまった事があった。その後は学級会議が開かれ他人のズボンに触れることを禁じられてしまった。

 まぁそんないたずらも今となってはそれも楽しい思い出だ。しかし今僕が受けている悪戯はそんな物よりも質が悪くて、不快だ。

 真っ白な紙に書かれた「真桜原 ユイ様がお亡くなりになられました。」という文字。筆のような質感で書かれたその字はとても綺麗な字で、まるで機械で印刷したのかと思う程だった。習字でも習っていたのか、そしてそんな教養のありそうな人間がこんな質の悪いことをしてしまうのかと少し怖くなった。

 この手紙の差出人について考えてみる。と言っても心当たり何か一つもない。でもこの手紙は僕の家の郵便受けに入っていた。そしてこの封筒には消印も住所も載っていない。と言う事は誰かが直接僕の家に出向いてその手で封筒を僕の家の郵便受けに入れたはずなのだ。

 僕は友達がいないので家に呼んだことのある人間なんて僕の両親とカノジョである真桜原ユイさん以外にはいない。僕を知っていて、カノジョの事、そして僕たち二人が付き合っていることを知っているのは僕の親も含めて誰一人としていないはずだった。

 ユイさんがカノジョの親に言った可能性も考えたが、それはそれとしてカノジョの親御さんが僕にこんな手紙を書いてくる理由が分からない。恨まれるような事はしていないし、そもそも会った事すらない。僕はユイさんのお願いでユイさんの親御さんと会うのを控えていた。詳しい事情は聴かなかったが、恐らく仲が良くないのだろうと勝手に思っていた。

 今になって連絡先の一つも聞いておけばよかったと思う。手紙の内容を直接親御さんに言うのは気が引けるので、ユイさんの行方だけでも聞くことが出来たのにと悔いてしまう。

 「何かご飯作るの面倒くさくなっちゃったな」首を上げて少し遠くを見つめてこの短時間で素早く回した頭を休めようとした。

 僕はとりあえず手紙を封筒の中に仕舞い背中に背負っていたバックパックの中のポケットに入れ込んだ。

 「今日は外食にしようっと」小さく独り言を呟いた僕は先ほど棚の上に置いていたドアのカギを再び手に取り玄関の扉を開いた。

 精神的にはとても長い時間を過ごしたと感じたが開いた扉の先の空は僕が家に入った時の空と同じ色をしていて、精々数分程度しか経っていないと悟った。

 手紙一枚に滑稽な程取り乱されていると感じ、苛立ちに任せて少し強めに扉を閉める。手に持っていた鍵で扉の鍵を閉めてから、僕はアパートを後にした。


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 街はもうすぐ来るクリスマスに合わせてイルミネーションとカップルと商品のセールを知らせる幟で賑わっていた。

 「ケーキ、チキン、チョコレートこの時期の買い物はお得だね」手を繋ぎ楽しそうに買い物しているカップル達を遠くに眺め独り言を呟く。

  普段は気にならないカップル達もクリスマスの所為、もしくはカノジョの事を思い出してからか良く目に止まってしまう。一緒にクリスマスをカノジョと過ごす妄想を脳みそが勝手に夢見てしまう。雪降る街で一緒にイルミネーションを見たり、街を歩いた後は家に二人きりでチキンとケーキを食べながら映画を見たりしたかったと男のくせに女々しくも夢見てしまう。

 でも実際にはカノジョは寒いからと冬の外はあまり好きでは無かったり、イルミネーションをただの装飾だと言ったり、鳥より牛の方が好きで、そして何より甘いものが苦手だったりしてそんなロマンチックなことは起きなかったと思う。

 そんなカノジョの事を考えてしまうと自然と先ほどの手紙の事を思い出してしまう。

「真桜原 ユイ様がお亡くなりになられました。」

 もし、今カノジョの行方が分からないのは「カノジョがどこかで死んでしまったから」だったら。手紙の内容が本当なのだとしたら。なんて考えてしまう。

 でも確かに悪戯かもしれないけど、カノジョの行方を知る唯一の手掛かりがこの手紙だ。一度警察に言った方がいいのだろうか。指紋とか調べてもらったりとか出来ないだろうか。

 そんなことを考えながら歩いていると左肩に強い衝撃が走る。恐らく何かにぶつかったのだろう、痛いくらいの衝撃に少しふらついた。

「すいません、ボーっとしてて」僕が一瞬怯んでるうちに左から野太い声に話しかけられた。

「いえ、こちらも考え事してて。申し訳ないです。」謝罪の言葉を返しながら声のする方を見た。

 相手は三十代半ばの黒色でパーマのかかっている長い髪の男だった。所謂ロン毛と呼ばれる髪型の男の人は続けて話しかけてくる。

「いやぁ、大丈夫?結構派手にぶつかったよね、怪我とかはない?」ロン毛の男は野太い声には似合わなそうな優しい口調で話しかけてくる。

 「はい、大丈夫です。ありがとうございます。そちらもお怪我はありませんか?」

「俺は大丈夫、こう見えても普段から筋トレとかしてるから。ほら」男はそう言ってきていた上着の袖をめくり自らの二の腕を見せてくる。確かに平均的な三十代の腕と比べると少しがっちりしている。

「それならよかったです。結構がっちりしてますね。」

 ロン毛の男は少し照れながらありがとうと言った。見た目は少し怪しいが気さくで中身は少し若くまるで同年代と喋っている感覚だった。

「君大学生?見た感じ若そうだけど。」ロン毛の男は上着の袖を戻りながら聞いてきた。

「そうですよ。中山門です」僕は自分の通っている大学がある地名を出した。

「え、中山門。ほんとに?俺もだよ。」男は心の底から驚いたのか一瞬息を飲むような動作をした。

「おぉ、奇遇ですね。あそこの大学駅から近いんで便利ですよね」

「ね、俺もよく授業サボって海とかに遊び行ってたよ」

「大学生だとあるあるですよね。」

「青春だったなぁ。」

 ロン毛の男は僕らの隣にあるハンバーガー屋を見つめながら思い出に浸っていた。すると男はハッとしたように訪ねてきた。

「俺の名前は垣日ナツです。同じ大学に通うよしみで仲良くしたいんだけどさ、名前とかって教えてくれる?」

「いいですよ。風邪麻タケルです、よろしくお願いしますねナツさん。」

「お、名前呼び良いねぇ。でもタケル君見た目によらず結構外交的なんだね。正直通りすがりで名前聞くと怪しいやつと勘違いされそうで躊躇ったんだよね。」

「まぁ多少は怪しいですけど疚しい事はしてないので名前くらいは全然気にしないですよ。」

「タケル君は好青年って感じでいいねぇ。おじさん泣いちゃいそうだよ。」

「ナツさんだって見た目と反して中身は若々しくて話しやすいです。」

「ありがとね。でもね、褒めてるのかディスってるのか半々くらいだよその言葉。京都の人じゃないよね?」

 ナツさんとは本当に気が合うようでこの後も二人で談笑しながらクリスマス間近のカップルが集う街の真ん中で過ごしてしまった。年齢は十個ほど離れているけど何でか話が合う。今まで同年代の友達がほとんどいなかった理由は僕の精神年齢が十年早まっていたからなのかもしれないと思ってしまう程に。

 それから僕らは好きだったマンガや映画について語ってお互いの趣味趣向が合うことを確認した。でも音楽の趣味は少し違った、僕は最近の邦楽が好きでナツさんは八十年代の洋楽が好きみたいだ。なんていうか、見た目通りだと思った。

「いやぁ、タケル君面白いねぇ。すっかり話し込んじゃったよ。」

「僕も誰かとこんなに長い時間喋るのは初めてです。」

 恐らく前髪であろう首まで伸びている長いロン毛が喋っている間に目に入るのか右手でかき分けながらナツさんは話に夢中で時間を忘れていたことを話した。僕に軽く謝罪をしてから立ち去ろうと後ろを向き、歩き出そうとしたナツさんは思い出したように僕の方を振り向き連絡先が欲しいとお願いしてきた。

 如何やらナツさんも友達がさほど多くないようで気が合いそうな僕とまた会って話したいそうだ。最近ようやく一人目の友達が出来た僕は迷わずにナツさんのお願いを承諾した。 

 僕は上着のポケットから携帯を取り出し、通話アプリから電話帳を開き自分の電話番号を教えようとした。友達もいないし電話も普段こちらからしないので自分の番号を把握していなかったのだ。

 携帯を手に持ち電話番号を教えようと待っていた僕に対してナツさんは自身の携帯の画面を僕に向けて見せてきた。画面にはQRコードが映されていてその下に@KAKI_PEA_NATSUと書いてあった。

 「これは?」見せられた画面が何なのかナツさんに問う。

「インスタだよ、連絡先交換するって言ったじゃん」

 最近シクメ君に教えてもらったインスタが今の現代社会では主な連絡ツールなのだと僕はそこで感じた。

「どうやってやるんですか」

 僕はナツさんに教えてもらいながらお互いのインスタのアカウントをお互いにフォローした。

 「オッケー、じゃあまたね。暇だったらいつでも呼び出してくれちゃっていいから」

 そう言ったナツさんは握り拳を僕にゆっくり突き出してきた。僕はどうすればいいのか一瞬停止しながら考えた。するとナツさんはニヤッと口角を上げてこうするんだよと、僕の手を握りじゃんけんのグーの形にしてから自身のこぶしと優しくぶつけた。所謂グータッチというやつだ。

 グータッチを終えたナツさんは満足そうに笑いながらまたねと言い去っていった。歩いていくナツさんの後姿を眺めていた僕は少し寂しい気持ちになりながらも、また会えるのを信じて歩き出した。

 一週間くらい前から気になっていた家から近所にある小さな中華料理屋に向かいながら先ほどフォローしたナツさんのアカウントを見てみる。何も投稿をされていない、フォローしている人もいない寂しいアカウントだった。まぁ、僕のもシクメ君とナツさん以外にはいないので同じようなものだ。でもあの気さくで面白いナツさんのインスタにしては意外だと思った。もっと友達とか、おしゃれなバーとかフォローしているものだと思っていた。

 「掴めない人だな」僕はそう言うと不気味にも一人でニヤニヤしながら寒い中触れ合って温めあう恋人たちの間を歩いていった。でも何故だか、先ほどまで無意識に目に付いていた周りの恋人たちはもう僕の目には映らなくなっていた。

 いつもより軽く感じる足でお目当ての中華料理屋の前まで行くと店の前にはシャッターが降りており、中心には白い張り紙で祝日のため店を閉めると書いてあった。

 携帯を見てみると海の写真の壁紙と日付が表示され、クリスマス間近の日付と二十三時が太字で書いてあった。

 中華の口になっていた僕の口を宥めながら僕は家の近所にあるコンビニへ行き、冷凍のエビグラタンと安い発泡酒を買って帰った。

 その後は白いビニール袋がシャカシャカと鳴るのを聴きながら帰宅し扉を開けた瞬間に感じた外の騒がしさとは反対に静まり返って人の気配がない暗い群青色に染まっている自分の家の寂しさを隠すように部屋の電気を点けた。オレンジ色の電球が直に部屋を照らし白い壁と茶フローリングの色を現した。

 リモコンの赤い釦を押してテレビをつけて一人の静けさをかき消した。その後僕は冷凍のエビグラタンを電子レンジに入れて五分加熱させながら椅子に座り発泡酒を開けた。

 プルタブの先端を人差し指の爪で引き上げ、てこの働きで開かれた缶は炭酸の抜けるプシッという音が鳴った。僕はこの音が大好きだ。パチンコの電子音で作られた脳内物質を分泌させる音も好きだが、この炭酸ガスが抜ける半自然が鳴らすこの音は僕の自律感覚絶頂反応、所謂ASMRというやつだ。

 安い発泡酒を飲みながら一日の疲れを解消させていく。疲れたと言っても、今日はストレスとかそういう類の疲れは比較的感じていない。もしかしたら他人と親しく対話をするのもストレス解消になるのかなと考える。

 テレビで流れるバラエティー番組を観ていると電子レンジからチンっと高い音が鳴った。僕は椅子に置いていた重い腰を上げ電子レンジの扉を開けると台拭きを両手に持ちグツグツ煮えているエビグラタンを手に取った。

 ホワイトソースのとチーズの上に乗った数匹のエビは赤くて、グツグツ煮えているチーズの振動でまるでまだ生きているかのように動いている。器の周りに付いている濃いきつね色の少し焦げたチーズを見つけた僕は少しテンションが上がる。この器の周りに付いている焦げたチーズがグラタンで一番おいしい部位だと思っているから。

 お腹のすいた僕は我慢できなくなり、コンビニでもらったプラスチックの白いフォークを手に取りグラタンの底から掬い上げる。ホワイトソースをまとったマカロニは酸っぱい湯気が立ち込めている。糸を引いているチーズを、マカロニが落ちないようにフォークを並行に上下に優しく振ってチーズの糸を断ち切る。

 口に入れたマカロニは熱くて思わずはわっと声が出る。段々とホワイトソースの味がしてきてミルクの甘みとチーズの濃厚さを感じられる。エビは少し塩気をまとっていてホワイトソースの甘さと絶妙な愛称を感じさせる。アツアツのグラタンを食べ、寒い中外を歩いて冷えた自分の体が温まっていくのを仄かに感じる。

 世界で一番おいしいと名高いグラタンに惚れてしまったのか、火照ってしまった自分の体を発泡酒で冷やす。発泡酒の炭酸と冷たさで冷静を取り戻した僕の視界にテレビに出ているお笑い芸人が目に映った。

 僕が子供の頃からバラエティー番組に出ていた芸人だ。まだ言葉を知らなかった幼い僕は内容は理解していなかったが、周りの人間が笑っているので幼い僕も何故だか面白く感じていた。でも大人になった今ならなぜ面白いのか、何故長い間テレビに出ていられるか、多くの番組を持っているのか理解できる。

 周りの状況を瞬時に把握してその時に求められている答えを出せるその才能だ。ボケもツッコミも全てが正解。面白くない答えすら面白い。

 酒が入っているからかテレビに映る大人気な芸人と何もない自分を重ねてしまう。金の事とかモテるとか仕事の事とかいろいろと妄想してしまったけど、特に考えてしまうのが別れたカノジョの事だ。もし僕が彼の様な人間だったらカノジョの笑顔をもっと見れたり、カノジョの悩みを察して気の利いたことを言えたり出来たのだろうか。手紙の事も彼なら華麗に解決して見せるだろう。

 脆弱な僕の心は例の手紙の事を考えないようにしても些細なことで思い出してしまう。先ほどの中華料理屋の前に貼られていた張り紙を見て手紙がフラッシュバックしてやるせない気持ちになった。手紙には二日後と書いてあったし、ただの悪戯かどうかを確かめるには待つしかないと考える自分に苛立ちを覚える。

 気付けばグラタンの器にはエビが一匹だけ残っていて僕は手紙とカノジョに対しての怒りをぶつけるかのようにエビの腹にフォークを突き刺し口にした。先ほどまで塩気を放っていたはずのエビの味気無さに少し落胆して器を投げる様にごみ箱に捨てた。

 


 

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