後編

 半年前、野口さんがある人の作品に、次のようなコメントを残していたのを、僕は偶然見かけてしまった。


――――――――――

 作品を投稿している人のレビューは、正直もらっても裏を感じてしまうんですよね。つい「読んで」って言われているみたいで。だから、読み専の人が作品について熱く語ってくれるのが一番有難いし、尊い存在ですよね。

――――――――――


 僕はそれを読んで、さーっと血の気が引くのを感じた。

 つまり、書き手である僕が、どんなに野口さんの作品の良さや面白さを語っても、素直に喜んでくれないということである。


 確かに書き手同士では、「読み合い」の雰囲気も無きにしもあらずだ。野口さんの言い分は、分からないでもない。


 でも、僕はいつだって、野口さんの作品はもちろん、どの作品にもきちんと向き合ってレビューも感想も書いているつもりだった。


 作品の内容とちぐはぐなことを書いたら大変なので、何度も、何度も作品を繰り返し読んで、書いた内容を時間をかけて推敲すいこうして、それでレビューとして出す。


 もちろん、こんなのは僕が勝手にやっていることだから、「時間をかけているお前が悪い」と言われればそれまでなのは分かっている。


 だが、「書き手が書いたレビューだから」という理由だけで、もやもやとした気持ちで受け取られた上に、心を込めて書いても、読み専の人たちが書いたように純粋に喜んではもらえないのだ。


 僕はその事実を知ったとき、「無意味」とか「無価値」という言葉が頭をよぎった。


 僕はほどなくして、もう一つのアカウントを手に入れた。「読み専」をよそおうためである。


 間違いだと分かっていても、自分が一所懸命に書いた感想を、ただ純粋に喜んでほしくて取得したのだった。


 アカウントを取得して、真っ先に野口さんの作品にレビューを書いた。Aのアカウントと評価が被ってしまうといけないから、これまで評価をしたことのない作品を読んで、感想とレビューを投稿したのである。


 野口さんはすごく喜んでいた。あなたのような人は読者の神様のようです、とお礼のコメントまでくれたのである。

 だけど、僕の心にはぽっかり穴が空いた。


 その影響か、以来Bのアカウントどころか、Aのアカウントでも感想もレビューも書かなくなってしまった。

 だから、「読み専」のように振舞って書いたのは、後にも先にも野口さんの作品だけということになる。


 しかし、それももうない。

 僕が読み専として書いたレビューは、野口さんの作品からきれいさっぱり消えていた。野口さんがそれを読んで喜んでいたことも、僕がレビューを書いて悩んだことも、まるでなかったかのように。


 僕がスマホから顔を上げると、住宅が密集する道に入ったタクシーが、ちょうどハザードを点けてとゆっくりと停まるとことだった。完全に車が止まると、運転手さんが僕のほうを振り返った。


「お客さん、着きましたよ。——あれ、目、大丈夫ですか?」


 僕はうなずいて、笑った。


「ああ、大丈夫です。ちょっとゴミが入って……」


 頬にぽたた、と数滴の涙がこぼれる。落ちたそれはグレーのスーツに染み込んで、僕の太ももに触れた。ただ、熱かった。

 その様子を見て、目が痛いのかと思ったのか、運転手の人が空いていないポケットティッシュを僕に渡してくれた。


「よかったら、これ使ってください」

「ありがとうございます」

 

 僕はありがたくティッシュをもらうと、頬を濡らした涙をさっとく。スーツの上はすでに乾いていて、拭く必要がなかった。

 僕はお金を払うと、にこやかな笑みを作り、お礼を言ってとタクシーを出る。


 だが、タクシーから降り、赤焼けの空を見ていたら、また涙がつーっと頬に落ちた。


「悔しかったんだなぁ」


 僕は周囲に誰もいないことをいいことに、ぽつりと呟いた。

 悔しかったのだ。

 野口さんの作品に、心を込めて書いた「作品が面白かったよ」という、ただそれだけの思いが、「書き手」という立場のせいで伝わらなかったことが。


 まだしばらくレビューを書いたり、感想を書いたりするのはできないかもしれない。

 でも、本当に感想を書きたいと思わせてくれるものと出合えたら、きっとまた書けるようになる。野口さんの作品に出合ったときと同じように。


 僕はずびっと鼻をすすると、夕陽に向かってゆっくり歩きだすのだった。


(完)

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