テレパシーと魚の切り身。

うみつき

テレパシーと魚の切り身

『この気持ちは、一体どうすればあなたに伝わるのだろうか。』

 ポツリと音を立てて、答えのない問いが頭の中を巡った。どうしたって確かめようのない問い。一生解決することのない、私達の違いを分からしめるだけの、自分を苦しめ続けている問い。

 世の中には、動物たちは自分のことを愛している人とそうでない人の見分けが付くだとか、愛してくれる人には愛を返すだとか、そんなことを唱える人たちがごまんといる。動物たちには、それを思わせるような何かがあるから。

 きっと、私だってその一人。


 なのに。


 頭のどこかで疑ってしまった。

 それは本当なんだろうか、と。


 だってそうだろう。言葉なんてものが使い物にならないあなたに、この感情を伝える手段が本当にあるとは言い切れない。むしろ、あるわけがないと考えるほうが妥当だろう。ましてや、そもそも生物学的な種自体が違うのだ。住む場所、食べ物、なんだって全部が違う。挙げ句の果てには間に分厚いガラス板だってある。

 これでどう伝わっていると信じることができるのか。

 好きだと、愛していると、世界で一番だと。今だって目の前にいるあなたに、一体どうすれば。

 こんなに愛していたとしても、わからない、わからないなんて。

 ぎゅう、と無意識に手に力が入る。妙な視線を感じて俯いていた顔を上げると、あの、優しい瞳と視線がかち合った。何かを察した彼女がこちらをのぞき込んでいる。


「大丈夫、何でもないよ。」


 そう呟いて一つ笑みを返す。

 あぁ今の、伝わってるのかな、伝わってないだろうな。どうしたって愛しているのに、伝え方がわからない私はどうすればいいのかわからない。日に日に増えていくものを抱えて生きていれば溜まっていくのは当たり前。気がつけば自分の言葉でさえも使えなくなってしまったような、重たすぎる感情に膨れ上がっていた。

 あまりにも重すぎるそれに耐えかねて、視界が歪む。

 その隅で、不意に、あなたが動き出すのが見えた。


「あ、まって、」


 そう無意識に伸ばした手は、触れることもなく空を切って行き場を無くす。

 今日は遊んでくれないと悟った彼女は、身を翻してどこかに行ってしまった。

 おもむろに空を切った自分の手を見つめる。掴むことはおろか、掠ることすらなかった事実。それはまるで目の前にいたところで手は届かないんだぞ、と言われているようで。

 じわり、じわり、名前のつけようのない感情が滲んでいく。


 くるしい、かなしい、すきなのに。


 頭の冷静な部分が当たり前だろうと嘲笑っている。そんなことは十二分にわかっている、わかっているのだ。どうしたって手は届きようもないことも、伝えようもないことも。きっと、言葉が通じない私達には、ガラス板以上の分厚い壁があるから。

 でも、それでも、愛してどうしようもなくて。溢れたって伝わらないのなら、私はどうすればいいのだろう。拾われることすらないその気持ちは、一体どこに。


「報われないなあ」


 ずっと一緒にいたいだとか、別にそんなのじゃなくて。

 私のことを愛してほしいとか、そういうわけじゃなくて。

 ただ伝えられたら、あいしてる、ってそれだけが伝わればそれでいいのに。


 ……ああ、でも。


 欲を言うならば抱きしめたいかもしれない。

 思考が、ゆっくりと鈍っていく。


 ことん、意識が抜け落ちる音がした。


 許されるならば、ぎゅう、って体をくっつけて擦り寄りたい。おでこをくっつけて笑っていたい。そのままだいすき、あいしてるよ、って言いたい。

 抱き締めて、擦り寄って、囁いて。

 一番近い距離で、自分の口で、好きだと言えたなら。そうやって伝わることのないものを伝えられたのなら。

遠い遠い貴方が、目の前にいてくれたのなら。

 一体どれだけ、幸せだろう。


 頭の端で、冷静な部分が警鐘を鳴らしている。叶うことのない夢の中に一度入ってしまえば、自力では浮上しきれなくなるぞ、と。もちろん、このままでは戻れなくなるのは、理解している。けれど、今尚求めるものは蓋を外したかのように溢れて止まらない。この状況で、引き上げれる相手がいるとするならば、それはきっと本物のあなただけ。

 早く戻れと頭の隅で誰かが叫んでいる。


 それでも、目の前にいるそれは当たり前にも愛おしくて。

 それはそれは、泣きたくなるほどに。

 欲求に抗えずに空想のあなたに手を伸ばした。

 触れるまで、あと数センチメートル。

 あぁ、もうなんでも、なんて言葉が思考を染める。

 ただ、あなたがそばにいてくれる、なら。

 それで、


「「「   」」」


「ッ」


 聞き慣れた爆発音に思考回路を打ち止めにされる。忘れかけていた生命維持行為を思い出すように再開させる。ああそっか、私、まだここにいる。そしてあなたもきっと、そこにいる。ゆっくり顔を上げて一番に飛び込んできたのは光を浴びて煌く泡。そしてその中で誇らしげな表情をするあなたの顔。

 口には何か咥えている。


「それ、何、」


 一体何をしているのか。グリグリとガラス板に得体の知れない“それ”を押し付けている。

 まるでそれは、私に渡そうとしているようで。

 そんなことあるはずがないのに、ほら、早く、わかるでしょ?なんて言うような目に浮かされて、そのまま受け取ってしまう。

 これも、あの夢の続きなんだろうか。キラリ、あなたの瞳に光が射した。

 どうやら伝わらないなんてのは私の思い違いだったらしい。最初からそんなこと、気にしなくて良かったのだ。

 今度は随分と違う意味で視界が歪む。


 ああ、やっぱり。


「あなたには敵わないなあ」


 体から気だるい空気が抜けていく。

 目標を達成したらしい彼女は、満足げな顔でそれを飲み込んだ。

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