第19話 幽霊現象

 19.幽霊現象


「見えちゃうんだよ。うらめしや」

 望は胸の前に手を垂らして言った

「何よ、”うらめしや”って」

「“や”は感嘆語だから、”うらめしいったらありゃしない”って意味かな

 閑さや

 岩にしみ入る

 蝉の聲

 の“や”と同じだね。

 そういえば、蝉の聲ってお経に似ているって、いつだったか誰かと話したな」

「話を逸らすな!」

 

 望は薄ら笑いを浮かべて

「菫さんの服に幽霊が憑いている。早く脱がないと・・・・・・」

「嫌!」

 私は騙された振りをして服に手を掛けると、油断した望の顔におしぼりを投げた

「そんな訳あるか!」

 望は笑って

「本当に脱ぎだしたらどうしようかと思った。次は除霊と言って口では言えないことしちゃうところだったよ」

「最低! からかわないでよ。でも見えるのは本当?」

「ははは、どうかな?」

 望はこの話を続けるかどうか判断を私に委ねているのだと思った

 

「嘘でしょう」

 私は続きの話を聞く好奇心に駆られてしまった

「子供の頃、10日程神社で住み込み生活したことがあって、4日目だったかな、特殊能力が身についちゃった」

「怪しいな。胡散臭い話ね」

 と言いつつも、私も特殊聴力の持ち主なので、半信半疑だった。折角なのでもう少しこの話題に付き合うことにした

 

「僕の秘密を話したからもういいよね、こういう能力は、菫さんの知能と一緒で他人に知られると厄介だ」

「厄介って?」

 また私は、話を変える機会を潰してしまった

 

「こういう話をすると、霊視してくれとか、除霊してとか言われるから」

 私は声を裏返して

「除霊できるの?」

 望は涼しい顔で

「弱い奴ならいけるかな、でも除霊はしない」

「なんで?」

「大変だから。でも菫さんの頼みならば断らない」

「なんで、私の頼みなら断らないの?」

「僕の秘密に係わってしまったから、口にした僕の責任であり、義務でもある」

 

 望は私を口説いているのだと思った反面、得体の知れない恐怖にも襲われていた。私は、望の立ち入ってはいけない領域に入ってしまったのかもしれない。でも、私の望む未来には、いつか、この話は聞かなければならない運命のようなものを感じている。それが予定より早く来ただけで、同様に私の特殊聴覚も未来には望に話す必要が生じる筈である。

 しかし、どうして目の前にいる男との未来を考えているのだろうか?きっと今朝の夢のせいに違いない

 

「どこまで本当なのかしら?」

「幽霊ってさ、利己主義の塊みたいな状態だから、人に係わってくるの」

 寒気が走った。ただ”状態”という言葉が望らしくて安心した

「どういうこと?」

「大丈夫だよ、基本的に何もできない人には、何もできないことに気付いてあきらめて去って行くから。積極的にかかわらなければ面倒なことにはならない。

 蜂に出くわして下手に動くと刺されちゃうのと同じだね」

「聞くんじゃなかった。それっておとなしくしてても刺される確率が減るだけで、刺されることもあるってことよね……

 ねえ望。幽霊が見えるなんて、私をからかっているだけだよね。嘘だと言ってよ」

「嘘だ。

 多分ディラックのような天才じゃないと今起きていることの原理には到達しないだろう。顕在化させるには空孔理論のような画期的な理論が必要だ。

 ニュートリノのように観測する前は質量が存在しない。僕は質量も電荷も無いものを、あたかも実体があるような幻覚を白黒テレビで見ているだけなんだよ」

 望の言葉に少しだけ気が紛れた。望はこの幽霊現象に科学的な解釈を与えて顕在化させようとしているようだった


「ねえ、幽霊が見えると色々と生活に支障がでないの?」

「もう慣れたよ、夕方になって青かった空が赤くなったことを驚かないようにね」

 私も、超・聴覚能力を持っているので、望の答えに不思議な共有感を覚えた

「幽霊と会話することあるの?」

「あるよ」

 平然と答える望に声が裏返った

「怖くないの?」

「空の色が青から茜色に変わる方が怖い」

「私のこと、からかっているでしょう?」

 

「心外だな、菫さんに嘘は吐いていないんだけどな」

「本当?」

 望は2回首を縦に振った


「嘘を吐かないならば、小夜のことどう思っている?」

 話題を変えるにはうってつけの言葉だと自画自賛した。さすがに、もうこの話題から解放されたい


「本音を言うと、もう小夜さんとは関わりたくない」

 望はあっさりと口にした。全く動揺の気配がなかった

「いつも小夜ばかり見ていた人がどうしてかな」

 望が動揺していないことに動揺した

 

「小夜さんは大きな力に支配されている。仮にそれを解こうとするならば僕の力ではうまくいっても半年以上かかる。それは小夜さんの為になるのかも分からない。

 でも、係わってしまった以上、逃げるのも違うような気がする

 ああ、折角・・・・・・」

 察すると、小夜には幽霊のようなものが取り憑いている解釈が一番しっくり来る。私は小夜から逃げようとする望の邪魔をしてしまったようだ

 

「ごめんね、3人で出かける提案なんかしちゃって」

 望は微笑んで

「菫さんがすることに僕が注文を付けることなんてないさ、小夜さんがああいう状態でなければ女性2人とのお出かけなんて生涯あり得ないことだから、感謝しかないよ」

 ここまで私に気を遣う望に言葉を失った。望はあのとき小夜を完全に見切る覚悟をしていたのに、私が余計なことをしてしまった。望に任せておけばきちんとカタをつけてくれた筈なのに。

 トイレで泣いていた小夜に情がでたのと、きちんと小夜にけりを付けたい心情からのことだった。もう、望の心は私に動いていると確信していたから。でも小夜に対して望が情にほだされたのは予想外だった。


「恐らく、小夜さんに頼られても、きっとどうすることもできないだろうな」

 望の呟いた独り言も、私の超・聴覚能力は聞き取った。

 突然望の目線が泳いだ


「どうしたの?」

「大丈夫、大した相手ではない」

 望みの目はなにかを追っている


「やばいのが来るけど無視してれば諦めるから」

 私は起こっている状況を呑み込めないでいた

 ”憎い、憎い、憎い”

 女の声がどんどん近づいてくる。そして隣に座った気がした

 ”私のことがわかるんだ”

 女性の低い声だった

 

「嫌!」

 思わず声が出てしまった

 望は誰もいない私の隣に目を向けると

「僕たちは何もできないよ」

 と優しい声で呟いた

”憎い、憎い、憎い”

 女は繰り返す。

 

 望は女を無視して、突然、中学時代の国語教師に侮辱された話を始めた

”あの女が取ったの、私の大好きな人を”

 女は望に語っているようだ、無視しろと言われたのに声を出してしまった私の代わりに能力を出して幽霊の矛先を自分に向けさせた。超・聴覚能力を持っているが、幽霊の声を聞いたのは初めてだ。とにかく、望の話に集中して幽霊の声をかき消さなければならない。


  望は歴史解釈で国語の先生と揉めたと言った。乃木希典の解釈を通して言い合いになり、望は

「先生の解釈は司馬遼太郎が作った歴史だ」

 と強い声で指摘したという。たかだか14歳のガキに意見された齢50を超えた先生は動揺して自分の立場を弁えず不適切な言葉を選んだ

「お前はそれを見たのか」

 教室は笑いに包まれた。先生は劣勢を感じて自分の地位を利用した卑怯なやり方でその場から逃げる手段を取ったのだ。望が他人を信じなくなったのはそこが起点だったという。特に”先生”と呼ばれる人に対して必要以上に警戒するようになり、人の言葉に対して懐疑的になった。

 

 言葉は人を騙す為に存在する。これは言い過ぎである

 ”物事を言葉に換えようとすると必ず誤差が出てくる”

 の方が事実に近い。その言葉を受ける側の能力に依存して誤差は拡大する。

 それは宗教的に禁じられた禁域でもあった。しかし、ゲーテという天才がファウストの中でその禁域を切り崩してくれた。実はゲーテほど科学者達に貢献した人はいないと言った。ゲーテがいなければ偉大な科学者達はガリレイと同じように潰されていた。


 中学の話に戻すと、その出来事から2日間睡眠さえ取れず、他人の恐怖に震えていた望に救いの手を差し延べたのが紫だったという。

 

 しかし望は、紫とは恋愛関係に発展せず、高校では違う人と交際していたと聞いた。恋愛関係に到らなかったのは自分が未熟だと評していた。紫は望の魅力に気付いていなかったのだろうか。あるいは望は紫に飼い慣らされて今の人間的な魅力を得たのだろうか。望の中にある紫の存在がどれだけの量なのか全く見当がつかない


 ”男はいつも浮気する。どんなに私が尽くしても”

 女の声が入って来た

 “ふふふ・・・聞こえているのでしょう私の話”

 私は紫に嫉妬している。だから望の会話から逃げたくなって、幽霊の付け入る隙を与えてしまった

 ”紫がかわいそうだ。お前はあの女と一緒だ”


 身体が震えている。でも止めることができない。この幽霊は会話を理解しているだけでなく、自分の意見まで述べている。これでは実体が無いだけで人と違いは無い

「僕の大切な人に手を出したら許さない」

 望の冷静で鋭い口調が恐怖を切り裂く。望は鞄から黒い封筒を出した。実体のない奴の薄笑いが耳を襲う。封筒から白いものを取り出すと薄笑いが止まり、“ヒィ”と軽い悲鳴を上げて気配が消えた。

 

 目の前で色々な出来事が過ぎ去っていった。呼吸を整えてから望に何を問えばいいか考えたが、何を聞けばいいのか分からない。

 望は微笑んで、鞄から色とりどりの和紙封筒を出した

「御守だ、どの色がいい?」

「.......」

 呆気にとられて言葉が出ない

「菫さんなら、薄紫のこれかな、こいつはすごくて、自ずから薫衣草の香りをまとう」

 望は封筒を渡してくれた。確かにラベンダーの香りがする

「いいの?」

「ごめん、変な話したから、寄って来ちゃった。説明は後でするから、まずは御守りを鞄にしまって」

 

「もしかして・・・・・・いたの?」

 恐怖で主語が言えなかった

「いたよ。菫さんに“聞こえているのでしょう私の声”って言っていた」

「私も気配は感じた」

「菫さん、震えていたからね、申し訳なかった、下らない話をしてしまった」 


 望に本当のことが話せなかった

「この御守は?」

「神社に居候していたときに覚えた“形代”というもの、原理は雛人形と一緒。

菫さんの身代わりになって護ってくれる」

 先ほど、この中身を見たら声がしなくなった。相当の効果があるらしい

「いいの?こんな凄いもの貰っちゃって」

 

「菫さんって、こういう話を簡単に信じちゃうんだね」

 御守を渡しておいてこの台詞には違和感があったが、この場面では、望に正直に答えることが一番いいと思った

「望が形代を出したら、震えが止まったから、ちょっとだけ信じた」

「原理の分からないものを信じるのは勇気がいるけれどね。まあ、電卓の仕組みを知らなくても、電卓で出した答えは公に認められるからね」

「ありがとう。貴重なものを」

「貴重だなんて、所詮はただの紙だからね。むしろ、包んでいる和紙の封筒の方が少しだけ見栄を張っているかな。

 時々中身を見て、変化があったら僕に渡してね、新しいものと交換するから」

「交換が必要なの」

「憑いたら祓わないと。祓い方は簡単に説明できないから。そうだ、御守って長く持っていちゃいけないって聞いたことがない?古い御守りがあったら・・・・・・」


「恐ろしいことを簡単にいうわね」

「退学させられなければ、大学生のうちは近くにいるから要らなくなったら僕に返せばいい。

 憑いたものは弱ければ僕が祓えるし、手に負えなかったら神主にお願いするから安心して。菫さんは僕にとって大切な友達だから、いくらでも頼って」

 “友達”という言葉に距離を感じた。紫やみくりのことを聞かなければならない

「私の隣に幽霊がいたの」

 ここに来て勇気がなくなってしまった

「僕が見えるのは白黒画像だけど、20代後半で髪が長くて目の下に泣きぼくろがあったな。美人だけど菫さん程じゃないな」


「すいません」

 女性が声をかけてきた。20代中盤か後半かセミロングの髪をソバージュにした見栄えのいい女性である。

 望は女性の声に反応しなかった

「さっき話した女性のことを話してもらえないでしょうか」

 望は女性の手を取るように手のひらを動かし私を指して

「いま、彼女を全力で口説いているところなので、ご遠慮いただきたいのですが」

「お願いです。話を聞いて下さい」

 望はわざとらしく首を傾げて

「何か勘違いされていませんか?僕はあなたに何もできません。今は目の前にいる女性をデートに誘うことしか考えていないのです」

 女性が媚を売るような仕草が気に入らない。女性は私の方を見て

「お願いです。助けて下さい。彼女さんからも彼にお願いしてもらえないでしょうか」


 女性の声は震えて泣きそうな顔だった。女性は結構な美人だが望の興味はかなり薄い印象を受けた。むしろ冷淡で嫌悪に近い、大学では見せない望だ。

 

 先程の話を思い出した。望は人嫌いなのだ。多分大学の人達とは相性がいいだけで、中学の出来事以来、望の人嫌いは克服されていないのだ

「親切な人は嫌い?」

「人によるかな」

「明日の件、都合つけるから、この人の話を聞いてあげて」

 望が苦笑した

「君は親切な人だね」

 望が名前で呼ばないことが何を示唆しているのか分かった。


 望は女性に向かって

「結果として、明日の約束を取り付けられたのはあなたのお陰なので、お役に立てるかどうか分かりませんが、お話を伺いましょう。どうぞそちらにお座り下さい」

 望は私の隣に座るよう彼女を促した

「さきほど目の下にほくろのある髪の長い女性の話、していたよね」

 望は右側に目をやると

「こちらの女性ですか?」

 女性は言葉を失った。私の耳には幽霊の声は届かない。しばしの間が空いて

「見えるの?」

「すいません。からかっただけです。

で、その女性は健在ですか?」

 女性は驚いた表情をしたが、年上の特性を活かした

「どういうこと?」

 望は表情を変えずに

「生きているか、亡くなっているかということです」

 

 女性は驚いた顔をしたが一呼吸おいて

「死んだ話は聞いていないから、生きていると思う」

 彼女は急に立ち上がると

「ごめんなさい。化粧直す途中だったんだ。前の席の飲み物も持ってくるから、ちょっと待っていて」

 女性は立ち上がるとウエイターのところに行き何かを話したあと、トイレの方に向かった


「今のうちに逃げちゃおうか」

 望が言った

「会計で見つかるって……ごめん。迷惑だった?」

「12時までのお姫様のためならば、蓬莱の玉だって取ってきますよ」

「あの人、結構美人じゃない」

「菫さんも、小夜さんや奈緒さんみたいに両方いける口?」

「どうかな?」

「なるほどね」

「なるほど?」

「受け答えに知性を感じるって意味の”なるほど”」

 

 高校生のバイトだろうか?女性の飲みかけのカップと新しい水を笑顔と一緒に持ってきた

「ああ、美人なお姉さんに頼まれて、鼻の下伸ばして仕事しているよ。人のことは言えないが」

「美人は美人の振る舞いをするわね」

「僕の史学の究極は、100人の集落で50人分の食料しか入手できないと、人はどういう行動をするか?という答えを彼女は持ち合わせている。故にそういう振る舞いをする」

「有美さんとの会話でも感じていたけれど、望みの話は飛躍するよね」

「ああいう女性と会話の程度を合わせて話すのは苦痛なので、手短に済まそう」

「本心かしら?」

「女性の美貌は、人間本来の魅力から見れば、お菓子のおまけみたいなものだとおもうけどね。美人が重荷だと思っている菫さんや有美さんとは真逆の存在だ」


 私が太っていた高校時代に望と出逢っていたら、今と同じように対応してくれただろうか。否、私は痩せる過程で得たものが今の私を形作っている。太っていた頃の甘えた自分を望にはみられたくない。

 少し苦いアイスコーヒーを口にした。

 <つづく>

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

マクスウェルの魔物 ひとえだ @hito-eda

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ