人生

@tudaumetarou

『人生』

青年は人生に退屈していた。退屈な道のりをただ歩いているだけのような人生に。

 いつも起きるのは昼過ぎ、大して好きでもないテレビゲームに時間を費やすだけの毎日。仕事はたまにアルバイトに行くだけで、都会の端にポツンとある汚い部屋の中で単調な快楽にふけって生きていた。特に何もない。何もない毎日、何もしない毎日が続く。だが、最初からこうだったわけではない。青年は高校を卒業後、地元から都会に引っ越した。期待に胸を膨らませていた。具体的な計画はなかったが、「とにかく大きな存在」になるという漠然とした壮大な夢を叶えたかった。しかし、現実は優しくない。青年はミュージシャンや実業家、あらゆる「大きな存在」を目指したが、どれもスタート地点直後で夢破れた。そればかりか、信頼していた友人に詐欺をされ、多くの時間と財産を失った。騙されて背負った借金を返済する労働をしているうちに青年の20代は終わったのだった。

「おじさん!ここのところの掃除、できていませんよ。やり直してください!」

 バイト先で10コかそれ以上、歳下の上司に怒鳴られた。それを見ていた高校生のバイト仲間が陰口を言った。

「あの人、全然仕事できないよな」

「いつからいるんだっけ?ってか、名前なんだっけ?」

「えーと。まあ、いいよ。おじさんで…。あのおじさん、この前も…」

 全て青年の耳に入っていた。「おじさん」。これが職場での青年の呼び名だ。おじさんという言葉が青年はずいぶん嫌いだった。自分では30歳半ばは若いと思っているし、思っている。それに、その言葉は自分が夢に向かって走るどころか、夢を見ることすら許してもらえない年齢になったのではないかと自分自身を不安にさせるからだ。よくSNSで自分と同い年か年下くらいが、昇進をしたり、子供の誕生日を祝ったりしているのを見ると、胸が痛くなった。みんなが頂上を目指して道を歩いている間に自分は道から外れて宝探しを初め、遭難した。そんな気分だった。他人が正しい時間の使い方、人生の使い方をしているのを見るのがなんとも辛い。しばらく会っていなかった親友が上げた結婚報告の投稿を見て、思わずSNSのアプリを消した。それからSNSもニュースも見なくなり、情報に関しても世間から取り残された。

 明日からも、こんな時間、こんな人生が続くのだろうか。辛いことから逃げたい。いつも通り、青年は帰って、テレビゲームをして、嫌なことを忘れようと思った。

青年は帰り道の途中の自然公園を歩いていた。その姿にはまるで覇気がなく、遠くから見ると老人のようにすら見えたかもしれない。

「おい!そこの青年」

 ベンチに座るスーツ姿の男が青年に話しかけた。

「そうそう!君だよ!そこの青年!君と話がしたい。お家に行っていいかな?」

まともなビジネスマンが自分に用があるわけがない。普段なら詐欺師だと思って、青年は無視して逃げたところだ。詐欺で一度、人生を失いかけている。だが青年は話を聞いてみることにした。「青年」と呼ばれたのがうれしかったからだ。若者の扱いされたのは久しぶりだ。青年は男を家に招き入れた。見知らぬ初対面の人間をいきなり自宅に上げてしまうくらい、青年は「自分に好意的な人とのやり取り」に飢えていたのだ。

「君はJINSEIを知っているかい?」

「じんせい…?」

 その男の話をまとめると、JINSEIとは大規模なオンラインゲームで、プレイヤーは増え続けているという。なんとプレイヤー総人口は青年が住んでいる大都市の10倍だった。JISEIには他のゲームとは一線を画す大きな特徴があった。それはオープンワールドの自由さだ。ワールド全体がそのまま世界で街も海も山も、砂漠さえもあるという。そして何もかも全て自由にできるというのだ。大人気でプレイヤー数は増え続けているが、SNSもニュースも見ない青年は知らなかった。バイト仲間が話しているのを小耳にはさんだかもしれない。

 男は鞄からゴーグルのような機材を取り出した。

「とにかくやってみようか。こっちが僕ので、こっちが君の」

 青年は男からゴーグルを受け取ると、慣れない手つきで持った。すると、ゴーグルからセンサー状の光が出て、青年の外見をスキャンした。目をちかちかさせながら、青年は男の真似をして、ゴーグルを顔に取り付けた。次の瞬間、世界が変わった。

 青年は驚いた。見たこともない景色が広がっている。まるで現実世界、いや、それよりずっと、グラフィックがきれいだ。それにこの上ない立体感。目の前に広がる大都市は青年が暮らす都市より、はるかに大きい。本物以上に本物だった。感覚も優れている。手足を動かすと全くその通りに体が動く。

「どうだい?新世界は?」

 振り返ると、端正な顔立ちの男がいた。

「どちらさまですか?」

「僕だよ。僕」

さっきのビジネスマンだった。

「その顔は?」

「課金したんだよ。現実の美容整形と違って、基本的に失敗しないし、望み通りだし…」

「課金?いくらで…」

「1000万円かな」

「1000万!?」

 姿を変えた男はゲーム世界でも現実と変わらない容姿の青年を「マイスペース」という場所に招いた。マイスペースはプレイヤーが持つ生活をするための場所で、安価な所も高価な所もある。要は家である。男のマイスペースはかなり綺麗な部屋で青年がいつか住みたいと考えていたような部屋だった。

「すごい…」

「高かったけどね…」

 その後、男は青年にこの世界についての、JINSEIについての詳細な説明をした。

 この世界ではお金を稼ぐこともできて、現実世界にも電子マネーなどを通して持ち帰れることができる。だが、こっちの方が快適になって、ほとんどのJINSEI成功者はJINSEIで暮らすとのことだ。当然、定職もアルバイトも存在する。よりよい定職を得るためにこの世界での資格を取ったり、この世界での学校に行ったりする者も多い。

「現実世界で医者をやっていても、こっちの世界で医者をやるために(は)こっちの世界の医大に通わなきゃいけないんだ。それでも知識や適性はあるから元々の仕事とか専門とかをやる方が有利かな。それで君は現実世界では何をやっているの?」

「今までずっとフリーターで…」

 青年は少し恥ずかしそうな様子を見せた。鮮明なグラフィックにその表情が映った。

「そうか、そうか。気にしなくていい。君みたいなやつが成功することもざらだ。だって今までの家柄や学歴に職歴。人生すべてがJINSEIではまっさらなんだから」

 青年はかなりこのJINSEIに好意的な印象を持った。

「それで君にはJINSEIに参加するためのゴーグルを買ってもらいたい」

「おいくらで…」

「100万円。ローンも組めるよ」

「100万円!?」

 青年は驚いた。男は青年に近づいた。

「青年くん。こんなチャンスは滅多にないぞ。JINSEIに参加すれば、そこで稼いですぐに100万どころか1000万果ては1億…。今日なら…今日だけ、割引もするよ」

 青年はその時、結婚した親友の投稿を思い出した。これは分かれ道なのかもしれない。全てを分かつ人生の分かれ道。

「買います」

 それからしばらくした日、青年は爽快な気分で街を歩いていた。現実の街ではない。仮想世界の街だ。生まれ変わった気分だった。地元から都会に出たときの、あの晴れやかな気分とよく似ていた。

「ブレイブさん!お待たせしました」

「SEINENくん!やあ、気分はどうだい?ほら、チャージードリンク」

 男は青年に飲み物を渡した。

「最高ですよ!!ありがとうございます」

 ここでは自分のハンドルネームを自分でつけることができる。青年は「青年」という響きが好きで、ハンドルネームを「SEINEN」にしたのだった。その日、SEINENは自分にJINSEIを紹介したビジネスマン、ハンドルネーム「ブレイブ」と会う約束をしていた。ブレイブと話したり、実際に仮想世界で過ごしたりするうちにSEINENはJINSEIについて少しずつではあるものの、ここでの生活や世界の仕組みがわかってきた。

「ところで今日の夜、風俗行かないか?驕るよ」

「いいんですか?ありがとうございます」

 SEINENは飲み物を口に傾けた。

「美味しいですね…これ」

 ゲーム用ゴーグルには脳に電気信号を伝えて、味覚を感じさせる機能がある。味覚だけではない。全ての感覚だ。よって性行為をしたり、性サービスを受けたりすることも可能だ。食事をすれば、ゴーグルからチューブと注射を通して、カロリーが得られる。この世界で完全に生活ができるのだ。多くのプレイヤーが一日の大半をここで過ごす。SEINENもその一人だ。

 SEINENはブレイブを信頼しきっていた。ブレイブはJINSEIの元締めであるJINSEI社の社員で、年収も高いという。ここではJINSEI社が政府としての、警察としての、裁判所としてなどのあらゆる役割を兼ね備える。つまりJINSEI社は行政、立法、司法を統括する仮想国家なのだ。つまり、ブレイブの役職は官僚に値する。

「僕は1年の内、10カ月以上は仮想世界にいるんだ。稀に現実世界でお客さんを探すけど」

「それが俺だったんですね」

 2人が歩く後ろで大きな音が鳴った。交通事故だ。

「驚いたなあ…。SEINENくん、大丈夫かい?」

「はい…。ブレイブさん…」

 JINSEIのステッカーを貼った救急車やパトカーが駆けつけてきた。

「ブレイブさん…。もし、ここで死んだらどうなるんですか?」

「死んだら、二度と復帰できないよ。他にも強制退去になることがあるから、気を付けないと…」

 SEINENは唾をのんだ。今の生活や夢を諦めるなんて考えられない。SEINENはここでの生活が楽しかった。定職を探しながら、アルバイトをする毎日だが、他のプレイヤーたちは新参者に対して優しく、居心地が良かった。何よりすべてが新鮮だった。アルバイトをした後に自分のゲージを見ると、貯金が増えていることがわかる。それが何よりの楽しみだった。ゲージには自分だけしか見えない貯金や役職の表示、他人からも見える名前や参加年数や性別の表示がある。現実の年齢を知らないため、参加年数が年齢のような扱いになる。青年は久しぶりに周囲から若者として扱われて、うれしかったのだ。

「ブレイブさん。この前の手続きありがとうございました」

 ブレイブは仕事柄、手続きが得意でSEINENのJINSEIの入会手続きも代わりに行った。

「ところで…SEINENくん。俺のサイドビジネスを手伝わないか?」

「サイドビジネス?」

 ブレイブはSEINENを大都市から外れた屋敷に呼んだ。中には生活の設備と会社のような設備が置いてあった。そして空港の税関に置いてあるような装置がある。

「これは一体?」

「中に入ってみて…」

 SEINENが装置の中に立つと、ブレイブは電子パネルでプログラムを打ち込んだ。SEINENは一瞬、内臓が浮いたような感覚になったが、何が起きたかわからない。

「ブレイブさん…これは…?」

「ゲージを見てみて」

 SEINENは驚いた。ゲージの金銭表示に表示される貯金が10倍以上になっている。

「これから僕を手伝えば、いくらでも…」

「これっていいんですか?」

「どういう意味かな?」

「これって違法なんじゃな…」

 ブレイブは明るい表情になった。

「違法じゃないよ。僕の務めるJINSEI社では…」

 ブレイブはよくわからない専門用語をいくつも並べて説明した。

「だから問題ないんだ。でも倍率が高い仕事だから、もしやるなら他人に言わないでね」

 SEINENは仮想世界でのマイルームに帰りながら、考えた。これはチャンスなのかもしれない。だが、こんなに簡単にお金が入るのだろうか。この話には確実に裏がある。考え込んでいると、足に何か引っかかって、つまずいた。道端にしゃがみこんでいたホームレスの足に引っかかったのだ。この世界にもホームレスはいる。人生に絶望して、JINSEIに逃げ込んだ者が、ここでも失敗することはざらにあるらしい。ブレイブと交流を持てた自分は幸運だとSEINENは心から思った。

「ごめんよ」

 今日はずいぶんとお小遣いが手に入った。SEINENはいくらか、ホームレスにプレゼントチャージをした。ホームレスはお礼を行った。

「ありがとうございます…。最近、不景気で…」

「あれ…?」

 SEINENは目を見開いた。ホームレスは自分を以前騙した友人だったのだ。なんともいい気持ちがした。マイスペースに帰ってからSEINENはかなり久しぶりにSNSを開いた。仮想世界では、仮想世界の投稿やニュースはもちろん、現実世界の投稿やニュースも見ることができる。結婚し、幸せそうだった元親友が離婚し、職を失っていることが分かった。不謹慎だが、うれしいと感じた。そのうえ、多くを失った元親友がJINSEIに参加したものの、なんのツテもなく、全くうまくいっていないことを知った時にはさらに満足した。

 次の日、街はずれの屋敷の前にSEINENは立っていた。

「ブレイブさん…。お願いします。手伝わせてください」

 その後、SEINENはその屋敷に籠って、ブレイブを手伝った。収入は夢のように増えた。それにその仕事は充実感があるものだった。やっと、まともな道に戻って来られたような気がした。しかも、周囲よりはるかに早く登れているような気がする。

 ある日のことだった。いつも通りの仕事をこなしているとサイレンの音が聞こえてきた。

「ブレイブさん…?この音…JINSEI社の…」

「すまん…。俺、行くとこあるから、留守番頼む」

 ブレイブは裏口から出て行った。なにやら外で怒鳴り声やつかみ合いをする音が聞こえる。次の瞬間、JINSEI社のマークがついた制服の警備員たちが屋敷の中に入り込んだ。

「金融システムの違法改ざんが行われている現場だ!確保!」

 状況が飲み込めないまま、SEINENは確保され、警備課に連れていかれた。

「待って…。ブレイブさんは…」

 青年はあったことの全てを話した。そして警備課の職員も青年にその真相を話した。

「手続きを他人にやらせるのは違法だ。それにブレイブがやっていたこともここでの規定に反する。JINSEIではれっきとした犯罪だ」

 SEINENは唖然とした。

「そんな…ブレイブさんはJINSEIの職員で…」

「ああ。あいつはすでにJINSEI社を首になっている。ブレイブは詐欺師だぞ」

「そんな…俺は一体どうすれば…」

「同情するが、君にも責任がある。共犯者としての責任を果たしてもらわねば…。」

 職員はSEINENに規約書を差し出した。

「規約に則り、被害総額の10分の1は返済してもらおう。返す意思がないと見なされれば、君は2度とJINSEIをプレイできない」

「そんな…」

 まだ捨てきれない夢がこの世界には無数ある。まだ引けない。JINSEIをやめるわけにはいかない。

借金の返済のため、JINSEI内でSEINENは必死に働いた。働くしかなかった。ようやく返済が終わった頃にはSEINENの3、40代は終わっていた。すっかり、SEINENにとってJINSEIは面白いものではなくなっていた。あの気力、あの快活な気分はどこに行ったのか。面白くも楽しくもないが、もうやめられない。引き際を逃した気がする。自分の小さなマイスペースに籠って、ゲーム内のミニゲームだけにふけっていた。

SEINENはJINSEIに退屈していた。退屈な道のりをただ歩いているだけのようなJINSEIに。

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