㉑いざ西大陸へ

「ありがとうなぁ」


「……え?」


重々しい静寂せいじゃくに、航海士のしわがれた声が染み渡った。

老人は実の孫をたたえるようなぬくもりで、レイラの緋色ひいろの髪をぽん、となでた。


じょうちゃんのおかげで、島の宝をまもることができた。島民おれたちだけじゃねえ、西と東に生きるすべての同胞どうほうの未来と希望が、失われずにすんだんだ。百回礼を言ったって足りやしねぇよ」


「それは、でも、貴方あなたたちだって……」


居心地いごこちわるそうにレイラは口籠くちごもった。

謙遜けんそんというよりは、こんなふうに穏やかに感謝されるなどはじめてのことで、どうしてよいかわからない様子だった。


緊張したようにひざの上でぎゅっと握られた細い手に、さらに小さな前足まえあしがちょこんと乗せられる。


「ならば、我らは今日この時より、戦友せんゆうということになりますな!」


「!」


鬱々うつうつとした迷いなど一瞬で吹き飛ばすようなほがらかな笑みが、少女の胸の真ん中を温かく照らした。

そのあまりのまぶしさに、レイラは青紫の瞳を細めた。


幼い頃からがれてやまないぬくもりが、すぐそばにある。


「ええ」


レイラはようやく心から、不格好ぶかっこうな笑みを浮かべた。




「それで、おめぇはまたなァにをしてやがるんだ」


あきれたように、老人は振り返った。

つられて、いくつもの視線が甲板をせわしなく行き来する男へむけられる。


東雲しののめは、彼らの物言ものいいたげな様子を気にもとめず、せっせと食料やら毛布やらを倉庫から運び出していた。

当然、少女の過去の話など、これっぽっちも聞いちゃいない。


「決まってるだろう、たび仕度じたくだ」


「……は?」


愚問ぐもんだ、と東雲しののめは荷物をからめた。


「この船は島へ戻るんだろう? だが俺は戻りたくねぇ。時は金なりだ、このまま西大陸へ行く」


「行く、っておめぇ……」


突っ込みどころが多すぎて、なにから指摘すればいいのかわからない。


彼の言うとおり、船の進路は島へむかって逆走している。

当然だ、からくも海図を守ることはできたが、赤鬼の観測艦隊かんそくかんたいはまだ生きているのだから。

一刻いっこくもはやく今回の顛末てんまつ島長しまおさへ報告しなければならなかった。


この男がいくら駄々だだをこねようと、これはくつがえしようのない決定事項である。


東雲しののめもそのあたりの事情にケチをつけるつもりはないらしく、しかしを曲げる気もないので、一方的な折衷案せっちゅうあんを提示した。


「なぁじいさん、その女も頑張ったが、俺もすこぶる健闘けんとうしたと思わんか?」


「あ? あァ、そうだな。ありが――」


「いや、礼はいらん。その代わりこの荷運にはこび用の小船をくれ」


「……は?」


要は自分だけ小船で西を目指すというのだ。


くれ、と頼みこんではいるが、彼の中ではすでに自分の物と決まったようで、意気いき揚々ようようとひとまとめにした荷物を放りこんでいる。

その荷物もすべて貿易船の備品なのだが……。もはや言及げんきゅうする気にすらなれず、老人は眉間みけんに寄ったシワをもみほぐした。


若造わかぞうの身勝手に振りまわされるのはしゃくではあるが、彼の功績をかんがみれば、小船の一隻や二隻あたえたって構わない。

どうせ島へ戻ればかわりはいくらでもあるのだ。


しかし、老人はこの船の航海士として、彼の離船りせん承諾しょうだくするわけにはいかなかった。


「おめぇは馬鹿か。たった今、ワシらがなんのためにあらそっていたと思ってやがる。この迷路海流めいろかいりゅうを知識なくして抜けるなど――」


「海図なら覚えたぞ」


あっけらかんと、東雲しののめは古びた紙の束を老人へ投げて返した。

ぞんざいにあつかうな、としかり飛ばしかけて、航海士は数瞬口をつぐんだ。


覚えた……?

この膨大ぼうだいな記録を、彼は今、覚えたと言ったのか?


「ただ文字の意味がわからねぇ。翻訳ほんやくしてくれる人材がひとり欲しいところだな」


そう言って、東雲しののめはぱちくりと瞳をしばたたかせている毛玉に目配せをした。

トトはいまだ事態をよく把握はあくしていなかったが、命の恩人がそう言うならばと、忠犬のごとく満面の笑みを浮かべて片手をあげた。


「もちろん、御伴おともいたしますぞ!」


「よし、採用さいよう


「……もう好きにしやがれ」


やれやれ、と老人は疲れたように肩をすくめた。

若者の無茶な暴走についていくのは老骨ろうこつにはこたえる。ありていに言えばさじを投げたのだ。


そもそも彼らは鬼のしがらみとは一切関係のない部外者である。

ここから先は、島の住民だけで解決すべき問題であった。


「あと、そうだな、旅へ出るには財布もいるな」


にやり、とふくみのある笑みをたたえて、東雲しののめはレイラを見やった。


ゼニ六割、忘れたとは言わせねぇぞ」


「……え」


まさか自分も誘われるとは思っていなかった様子で、レイラは呆然ぼうぜんと固まった。


すると、戸惑とまどう彼女の背中を、老人が優しく押し出した。

他の青鬼たちも、彼女の旅立ちを見守るように、温かなまなざしをむけている。


彼らにはわかっていた。

はみだし者の彼女には、赤鬼でも青鬼でもない、あの二人のような仲間が必要なのだと。


レイラはしばし迷うように足踏あしぶみしていたが、やがて吹っ切れたような笑顔をみせると、荷袋から銀色の小瓶こびんを取り出して、力一杯海の彼方かなたへと放り投げた。


彼女なりの決意表明のつもりだった。


「何度も言わせないで、四割よ!」


わざと小生意気こなまいきな態度をとりながら小船へと乗りこむ。

東雲しののめは、その姿を面白そうにながめやり、負けじと言い返した。


「いいや、さっき俺の大事な戦利品せんりひんを食わしてやったろう。その分を上乗せして、六割じゃ」


「はぁ!?」


レイラはパッと口もとを押さえた。

まさかあの種が有料とは思わないではないか。


「言っただろう、タダで善意が売れるか」

「……ほんっと、アンタってサイテー」


そんなやりとりをどう勘違いしたのか、トトがころころと楽しげに笑った。


「おふたりは仲がよろしゅうございますなぁ」


「……ないわ」

「ねェな」


小さな帆がひるがえり、ちぐはぐな三人組を乗せた船は、霧の海を再び進む。


目指すは一路いちろ風光ふうこう明媚めいびな自由の大地、西大陸ユーラヘイムへ――。






【第一幕・了】




――――――――――――――――



◆あとがき◆


ここまで読んでくださって、ありがとうございました!


凸凹三人組の冒険譚はひとまずこれで終幕です。

初めて連日投稿でしたが、こんなにたくさんの人に読んでもらえるとは思っていなかったので、本当に幸せな2ヵ月でした。


彼らの旅はまだまだ続きます。

またいつか西大陸編も書けたらいいな。


2024/04/01からは、新しい連載が始まります。

今作とはまったく雰囲気が違いますが、こちらもお付き合いいただければ幸いです。


――――――――――――――――


◆追記:次作のお知らせ


①「大樹たいじゅ冒険ぼうけん

4/1投稿スタート。毎夜20時更新予定。大樹に住むちいさな双子の物語です。はじめて児童文学に挑戦しました。昨年コミティア本の再掲です。のんびりとした童話の世界をどうぞお楽しみください。



②「異世界いせかい博物館ミュージアム -経営に必要なのは金と権力とイケメンの俺です-」

こちらは完全新作! 4月下旬~5月中に投稿開始予定です。

本格的な異世界転生×博物館モノです。ただ今準備中ですので、また詳細は後日告知します。がんばるぞー!



 ― 天川あまかわ あお

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PHANTOM ROAD ー異獄忍奇譚ー 天川藍 @Amakawa_Ao

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