第8話 大団円
その道は普段から通っている道ではあったが、いつもは、JRということもあり、久しぶりに夜にこの道を通るのは、ちょっと違和感があった。
さらに、普段は飲むことのあまりない酒を煽っているということもあって、最初は暖かかったものが、駅を降りると、今度はほろ酔い気分が冷めてくるのだった。寒気も若干してくるようで、歩いている人の背中を見続けていると、
「寒いから、急いで歩いているつもりなのに」
と思いながらも、まったく、急いでいるわけでもないかのようなのが、
「酔っているからなのか?」
と思うのだった。
相手の背中が遠ざかっているようにしか見えないのが、その証拠で、そう思って、全体を見渡すと、
「なるほど、どう見ても、急いでいるようには見えないな」
と思えたのだった。
だが、こちらの様子を見ている人がいることに、その時はまったく気づかず、
「夢にも思わなかった」
というのが、本音だったのだ。
前を向いて歩きながら、全体を見渡す気分になった時、思い出したのが、
「つり橋の途中で、急な風が吹いてきて、進むか戻るかの選択に、迫られてしまった時、どうすればいいか?」
ということであった。
「行けばいいのか、戻ればいいのか、答えは最初から自分の中で決まっているはずだった」
というのも、
「ちょっと冷静に考えれば、答えは一つしかない」
はずのことであり、
「分かっているのに、どうして、再度考える必要があるというのか?」
ということなのだった。
そんなことを考えていると、
「まるで、背中に目がついているかのように見える」
という感覚に包まれて、後ろを振り向くことなく、
「つり橋の向こうからこっちを覗いている姿が見える」
と感じたのだ。
こっちは、まっすぐに、
「それもかなりのスピードで進んでいるはずなのに、その男との距離が広がるということはない」
と、感じるのだった。
前の人間に追いつくことができず、後ろの人間も、近寄っているように見えないということは、
「自分では前に進んでいるように見えるが、実際には動いていないのか?」
あるいは、
「まさかとは思うが、ルームランナーのように、まわりの景色がどんどん後ろに下がっていっていて、自分は進まないと、後ろに押し流されてしまう」
というような状態なのではないか?
と感じるのだった。
そんなことを感じていると、少し前を進んでいる人に追いつけそうで追いつけない、この感覚が、吊り橋の上で、立ち往生している自分を想像させ、その先に見えている状況を、いかに感じればいいかということであった。
こちらを追いかけている、つけてくると思っているその人物も、まったく感情のない。まるで、
「この世のものとは思えない」
その雰囲気に、自分が騙されているように思えてならないのだった。
そんな自分を追いかけている人の歩く音が、聴いていると、革靴のような、
「カツンカツン」
という乾いた音に聞こえた。
「いや? もっと乾いた、まるで金属音のようだ」
とまるで、
「靴底に釘でも打ち付けているのではないか?」
と感じるほどだったのだ。
さらによく見ると、まるで、
「まるで、昭和時代に出てきたギャングのようなスタイルではないか?」
と感じた。
黒い中折れ棒のような帽子をかぶっていて、光の反射からか、実際の色は分からないが、スーツのようなパリッとした恰好で、下手をすればmステッキでも持っているような恰好に見えたのは、昔の映画などに出てきた、ギャング風であった。
薄暗く影の中に浮かび上がっているその姿は、まるで、身長が、180㎝はあるのではないかと思えるほどの姿に、それにふさわしいスマートな恰好。当然のごとく、脚が長そうなそのいでたちを見ていると、
「追いかけられたら、秒で追いつかれそうだな」
と思い、そうなると、下手に逃げて、
「相手を変に刺激しない方がいいだろう」
としか思えなかった。
まっすぐ前を見ていると、その顔に今度は靴音だけがやたらと気になり、自分の呼吸と胸の鼓動がリンクしているようで、その音が耳鳴りを刺激しているように思えた。
まわりは、間違いなく無音であり、次第に額から汗が滲んでくるのを感じると、今度は胸の鼓動が収まってきた。
「ああ、汗が出てきたということは、体調が悪くても、熱があるというわけではないんだ」
と、今度は、少し自分が落ち着いてきたことを感じた。
「そういえば、俺って、今まで汗なんか掻いたことはあったっけ?」
と思ったのだ。
そして次に思い出したのが、
「こんな光景、初めてではなかったような気がするな」
と思った。
その時の記憶があるから、自分が、そのまま先に進んではいけないということを、何かが暗示しているのを感じた。
そして、思ったのが、
「昔の記憶がよみがえるのかも知れない」
と感じたのだ。
そして、感じたのが、
「記憶がないのが、本当に昔のことであるが、そのさらに昔の記憶を覚えていない」
という感覚だった、
だからmこの思いが逆に、
「覚えていると思っているこの記憶も、本当に自分の記憶なのだろうか?」
と感じたのだ。
つまり、
「どこかまでは、誰かの記憶であり、どこかからが、自分の記憶ではないか?」
ということであった。
ただ、その割には、覚えている記憶も鮮明で、自分の記憶以外の何物でもないのだった。
「何が違うのか?」
ということを考えると、
「自分の直近の記憶から、さかのぼっていくと、ある一点の場所から、記憶はまったく別のものが繋がっているように思う」
ということであった。
つまり、まったく違っていると思っている記憶が、本当の記憶として、意識の中で、おかしいと思っているのかどうなのか、自分でもよく分かっていないということであった。
それを考えると、
「俺は、どこかから、違う人間になってしまったのか?」
というおかしな気分になるのだった。
それを感じたのは、この場所で、後ろから誰かに追いかけられるというシーンだった。
逃げても逃げても逃げられない。ふとその時、
「俺の命も長くはない」
という、不吉な思いが頭をよぎったのだ。
「なんという不吉な」
と思ったのだが、その思いが、別に恐ろしいものではなかった。
「甘んじて受け入れる」
とでも言いたげな意識に、橋爪は、感じたのだ。
そして、どんどん歩いていくうちに、次第に意識が前の方にばかり行くようになり、後ろの男を意識することはなくなった。
とするとどうだろう?
今の今までいたはずの男が急にいなくなってしまったではないか、
ホット胸を撫でおろし、また前を見て歩き始めた。
するとどうだろう?
「あれ? 俺はこんなところを歩いていたんだっけ?」
という思いが頭をもたげた。
まったく知らない場所を歩いているかのようで、一瞬恐ろしくなって、まわりを見渡した。
すると、
「俺は一体、どっちから来て、どこに向かって歩こうというのだろう?」
と考えたのだ。
まるで、風の強い吊り橋の上にいるかのようではないか。
そういう時は来た道を戻ることに、いつもであればしていたのだが、この日に限っては、前を見て歩こうと思い、踵を返して、右も左も分からないはずの道を、
「こっちだ」
と、そちらが前だと信じて歩き始めたのだ。
すると、後ろの方で、
「キー」
というブレーキ音が聞えたかと思うと、
「ガッシャン」
という何かにぶつかる音がして、脚が金縛りに遭ったかのように、すぐにはそこを動けなくなっていたのだ。
「どうしよう?」
と思っていると、今度は少ししてから、
「ピーホーピーポー」
という聞き覚えはあるが、あまり気持ちのいいものではない救急車が到着したようだ。
「どうやら、後ろの方で、交通事故でもあったのだろう」
と思うと、
「まさかと思うがあのまま、戻っていれば、あれが俺の運命だったのだろうか?」
と感じた。
しかし前を進もうとしたのは、自分の意思ではなかったか。
と思うと、自分の頭の中に去来したのは、
「その瞬間に、俺は死んだんだ」
という意識だった。
「どういうことなんだ?」
と考えると、記憶が戻ってきた。
「俺は、一度交通事故で死んだんだ。そして俺は生まれ変わった」
という意識だった。
自分をよみがえらせてくれたのは、あの親父だった。自分の記憶の中で、
「親父を毛嫌いしている」
というのは、生き返らせたことに対しての、恨みだったのだ。
「そうだ、俺はサイボーグになった、身体は、誰かの無傷の人間の身体を頂いて、記憶を消去し、ただ、誰かを憎むという意識だけが残ってしまった。それが親父を憎むということで、その理由として、「平均的な男が嫌いだ」という意識ではなかったのだろうか?」
橋爪はそこまで思い出してくると、先ほどの革靴の音は自分の靴の音で、今回ここで、記憶が戻るというのは、最初から決められていたことだったのだろうか? そこには、何かの「優先順位」が含まれているような気がして、仕方がなかったのだ。
ただ、自分がサイボーグということは、このまま、永遠に死ぬことがないということか、それが一番恐ろしかった。
別の人間の身体をいただいてのサイボーグであれば、身体が衰えていき、どちらかというと、精神がいつまで生きられるかということだ。
それを考えると、自分が人間ではなく、輪廻転生できないものだと考えると、これでいいのか悪いのか、恐ろしくてしょうがないのだった。
そして、記憶と、理屈を頭の中に取り戻した橋爪は、その時、
「一刻も早く、俺をこんなにした親父を見付けないと」
と思っていたが、親父がどこにいるか、こちらから探すこともなく、分かったのだった。
翌日会社に行くと、
「橋爪さんですよね? 橋爪省吾さん」
といって、警察がそういって、橋爪を訪ねてきた。
「え、ええ、そうですが?」
と答えると、
「少しご足労願えますか?」
というではないか。
ビックリして、
「何ですか?」
と聞くと、
「橋爪幸雄さんをご存じですね?」
と聞かれたので、
「ええ」
と答えると、
「身元確認願いたいんですが?」
という、警察がいうには、
「昨日、橋爪さんが交通事故に遭われて即死だったのですが、遺体を確認してほしいんです」
といい、その交通事故の場所が、自分の最寄りの駅から、家に帰る途中だったというではないか。
「じゃあ、あの時に俺をつけていたのも、その後の救急車の音も、親父だったのか」
と思うと、その瞬間、足元がパカッと相手、奈落の底に、叩き落されるかのように思った省吾だったのだ……。
( 完 )
平均的な優先順位 森本 晃次 @kakku
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