第7話 尾行

 そんな町おこしを、

「地元愛」

 のような感覚で過ごしてきた橋爪だったが、

「O市のPR」

 ということでは成功し、他の市から見ても、

「明らかに一歩リードしている」

 といってもいいだろう。

 そんな街において、昨年くらいであっただろうか? ある殺人事件が勃発したのだった。

 何とその第一発見者が、橋爪だったわけだが、その発見をしたことによって、それまで忘れかけていた、過去と対面させられるようになるとは思ってもいなかった。

 それは、仕事をほとんど会社の事務所で行うようになり、出先にあまり出向くことがないことで、ほぼ毎日の生活が、

「家と事務所の往復」

 ということであった。

 車も以前は持っていて、運転もしていたが、40歳を過ぎた頃に、

「俺は性格的に車の運転はしない方がいいのかもな」

 と思い、車を手放すことを決めたのだった。

 福岡に住んでいれば、別に車がなくとも、不便だということもない。

 むしろ逆に、車を運転している方が、道が混んだり、何と言っても、

「交通マナーの悪さ」

 に、いい加減、苛立っていて、そのうちに、

「怒り心頭してしまって、事故を起こしかねない」

 と真剣考えていたことで、一念発起、

「もう車などいらない」

 と思い、思い切って車を手放すと、

「その維持費だけで、どれほどのものだったのか?」

 ということが分かったのだった。

「なるほど、車など、ないならない方がいいのかも知れない」

 と考えるようになった。

 何と言っても、ガソリン代、乗れば乗るほど、消耗品の交換から、毎年の点検費用。さらに2年に一度の車検代」

 それらを考えると、

「実にバカにならない」

 と感じるのだった。

 実際、JR,私鉄、地下鉄という鉄道網の充実と一緒に、かつて動いていた路面電車がなくなった時、その代替えにと、

「十分なバス路線の充実」

 ができたことで、街は充実してきたのを、身に染みて感じていたのだった。

 ただ、さすがに東京ほどのことはなく、実際には、

「鉄道会社のそれぞれの思惑」

 などもあり、不便なことも多かった。

 JRはというと、とにかく目立つのは、

「対応の遅さ」

 であった。

 まるで、昔の国鉄時代のように、朝のラッシュ時に、人身事故などが起こったとすれば、下手をすれば、その日1日中、

「ダイヤは乱れっぱなし」

 ということも、当たり前にある。

 しかも、電車の本数を大幅に減らすという、運休列車をたくさん出しても、その体たらくなのである。

「JRになって30年以上の建っているのに、やっていることは、国鉄と同じだ」

 と言われても仕方がないだろう。

 しかも、電車が定時から、20分以上経っているのに、一向にホームに入ってくることはない。

「おかしい」

 と思い、駅の改札に聴きに行った。

「どうして20分も待ったのか?」

 ということであるが、そもそもJRの十分くらいの遅れは、

「誤差の範囲だ」

 というくらいに、その運営の甘さは分かっていたつもりだったので、ホームを離れた瞬間に電車が入ってきたりして、その電車に乗れなかったとすれば、

「これほどの本末転倒なことはない」

 ということになるだろう。

 だから、20分の遅れまで待っていたのだ。

「こっちは、ここまで、お前たちの甘さを見切っているんだぞ」

 という感覚を持ってのことだった。

 実際にホームからエスカレータで階下の改札口に行って、事務所を見てみると、駅員が数人、何事もなかったように、落ち着いて自分の仕事をしているではないか。

 正直呆れかえって、

「電車、遅れているけど、どうしたんだ?」

 というと、慌てる様子もないことから、

「こいつら知っているんじゃないか。確信犯ということか?」

 という理解は、ほぼ間違っていなかったのだが、

「ああ、そのようですね」

 と、ぬけぬけというではないか。

「分かっているなら、放送しろよ」

 と、半分こみあげてくる怒りを抑えようと必死になって、何とか苦情をいうだけで、怒鳴り込みを抑えてやったはずなのに、まるで、それに火に油を注ぐかのように、

「どうして遅れているのか、その理由が分からない」

 というのだ。

 完全にそれを聴いてブチ切れてしまった。

「バカか、お前ら。こっちは、ホームでいつ来るかも分からない電車を待ち続けてるんだぞ。お前たちが、一言事情をアナウンスすれば、他の電車に乗り換えることができて、徳の昔に目的地に着けてるかも知れないじゃないか」

 と怒鳴りつけた。

 何しろ、その駅から徒歩度5分くらいのところに地下鉄の駅があり、目的列車の終着駅までも、並行して地下鉄が走っているのだ。

 それを思えば、

「一言言ってくれれば」

 と考えるのも当たり前のことであろう。

 それを、

「理由が分からないから、放送しない」

 というのは自分たちが文句を言われるのが嫌だからなのか、理由を聞かれて答えられないことに客が怒るのが怖いのか、どちらにしても、怒られることに変わりはないのに、さらに客の神経を逆撫でするというのは、

「実に悪質で、それでいて、無能な行動だ」

 と言えるのではないだろうか?

 そんなことを考えていると、

「ああ、やっぱり、こいつらは、何年経っても国鉄なんだ」

 と思う。

 もうすでに、30年以上も経っているのだから、今の中心人物で、

「国鉄時代の中枢を知っている」

 という人はいないだろう。

 今のトップの人も、まだ入社してからすぐくらいの人たちで、

「民営化」

 という混乱に巻き込まれた。

 ということしか、イメージとして残っていないに違いない。

 だが、それでも、当時の国鉄から民営化された時、一度は引き締まった気持ちになるのだろうが実際に蓋を開けてみると、こんなにひどい状況が、今まで続いているなど想像もしていなかっただろう。

「続いたとしても、最悪数年くらいのものだろうな」

 と思っていたのが、実に甘いということで、経済と同じ。

「いや、もっとひどくなったのではないか?」

 と言われる、

「失われた30年」

 とは、国鉄のことをいうのではないだろうか?

 と、橋爪はそんなことを考えるのだった。

 そんな中において、ある日、仕事を終えて、家に帰ろうとした時のことであった。その日は、飲み会があったので、少し遅くなった。会場は中洲だったので、帰りはJRよりも西鉄の方が近いので、西鉄を利用することにした。

 最寄り駅から家までも、若干ではあるが、近いこともあるが、中洲の飲み屋であれば、博多駅まで行くよりも、天神の方が近かったのだ。

 しかも、途中からは地下街が通れるので、少し寒くなってきているので、地下街を通れるのは有難かった。

 飲み会といっても、昔のように、二次会があるわけではない。

 そもそも、飲み会というもの自体も、ここ4年なかったので、本当に久しぶりだったのだ。

 元々誰かと呑むというのもあまり好きではない、だが、会社での飲み会が久しぶりということもあり、あまり気は進まなかったが、参加するようにして、

「あまり、飲まないようにしよう」

 と、飲み会そのものよりも、体調面の方が気になっていたのだった。

 そもそも、ここ3年くらいは、

「世界的なパンデミック」

 なるものが流行ったこともあって、

「飲み会禁止」

 という会社も多かった。

 と言いながらも、昨年までにくらべ、今年は、ほとんどの行事が、

「3年ぶり」

 あるいは、

「4年ぶり」

 というのが多かった。

 祭りや、コンサート、スポーツ大会などの催し物などが、そうで、そのせいで、橋爪の会社も、もろにその影響を受けていた。

 それでも、今のところ何とかなったのは、大規模イベントを派手にやっているわけではなかったということと、

「縮小ということではあっても、完全な中止とまではいかなかった」

 というイベントが多かったのは、幸いだったといってもいいだろう。

 さらに、最近のイベントのやり方として、地元誌の中に、すべてを自分のところで取材をするのではなく、編集と販売は行うが、取材はフリーのルポライターなどにお願いしていることが多いので、橋爪の会社の社員を、

「取材班」

 ということで、嘱託のような形で、

「依頼を受けて、取材して原稿料を貰う」

 ということをやっていたのも、何とかなってきた成果かも知れない。

「伝染病が流行って、最初の年は、さすがに、それもうまくはいかなかったが、あるピークを越えてからは、県をまたいだりしなければ、そこまでの行動制限をされなかったということもあって、県内の取材などは、結構できたのだ。

 しかも、ずっと、巣籠を余儀なくされてきた人たちが、少しでも、気分転換にということで、

「手近な可能スポット」

 というものに注目し始めたのだ。

「季節によって、同じ場所でも、その顔を変えるということで、年から年中、楽しむことができる」

 という観光スポットも結構ある。

 そんなところを取材していると、

「なるほど、こんなに素晴らしいところが、地元にもたくさんあったんだ」

 と取材しているということを忘れ、そのまま楽しんでしまうと思えるほどであった。

 結構車を持っている人が多いので、県内のスポットには、気軽に行けるというものだ。

「伝染病などが流行らなければ、今頃、満員の観光客なんだろうけどね」

 と、嘆く温泉街の人もいたが、橋爪は、決して口にはしないが、心の中では、若干違ったことを考えていた。

 というのも、

「今のこの状況は、ある意味、自然に対して、球速を欲しているのではないだろうか?」

 という考えだった。

 つまり、

「今回の伝染病は、限りなく、クロに近いが」

 という前提があることだけは忘れずに、

「今回の伝染病が、もし、クロの組織によって発生しなくても、どこかで、別の伝染病が自然発生していたかも知れない」

 と思うのだ。

 今回の、

「世界的なパンデミックがあまりにも大きいので、目立たないが、しかし、少なくとも、このパンデミックが流行り出してから、インフルエンザが流行らないではないか。それは、ウイルスが相殺することで、片方が流行らなかった」

 と言えるのではないだろうか。

 ということは、

「もし、このパンデミックが、もし、収まったとしても、今度は別のウイルスが……」

 ということになり、

「一難去ってまた一難」

 と言われるようになるに違いない。

 と言われている。

 だか、そういう意味では、今回のパンデミックが一定の終息を見たとしても、安心はできないのだ。

「ひょっとすると、今のパンデミックが終わり、全世界の人が、一斉に、気が緩んだとすれば、そこを、さらに強力なウイルスが襲ってくるかも知れない」

 と言えるのではないだろうか。

「もう、世界は、そういう時代に突入した」

 といっている学者もいるが、まさにその通りでないだろうか?

 何もない時でも、室内では、マスク着用は必須であり、公共交通機関では、必ず一部の窓を開け、換気が必須。さらに、電車やバスの中での、飲食は当然のこととして、会話も禁止というような世界に、すでになっているのではないだろうか。

 そんなことを考えていると、

「世界的なパンデミック」

 というものを、今の時点で、政府も、

「共存」

 という言葉で示すように、

「正しい知識を持って生活する」

 という意見には正しい。

 ただし、その言葉に一切の信憑性は感じられないのだ。

「人流抑制をしない」

 というのは、

「緊急事態宣言や、蔓延防止宣言などをすると、保証金を出さないといけない」

 ということになるからだ。

 本当はあるはずの金を出せないというのは、今のソーリが、どんどん、余計な金を使うから、こんなことになるのだ。

 国内で、パンデミックによって困っていて、今すぐにでも、援助しなければ、倒産してしまうところ、すでに間に合わす、店を閉めたところが、山ほどあるというのに、今のソーリは、

「海外で戦争している国に、ポンと金をやるという、国民全員を敵に回すようなことをしたり、さらに、確かに、我が国の隣国で怪しい動きをする国はたくさんある中で、自国を自分たちで守るというためという名目で、防衛費を増額しようとしている」

 というのだ。

「もちろん、最終的には国民への増税であろうが、その前に他に回せる金ということで、補助金に回すための金まで、供出しようとするから、自治体に金が残らないのだ。さらに、防衛費の増額して何をするのかというと、要するに、アメリカから武器を買うということである。つまりは、アメリカから武器を買うために、そして、海外に無償で金をやって、日本で今苦しんでいるを見殺しにするという、これを、「亡国のソーリ」と言わずに、何と言うか?」

 ということである。

 しかも、今は国内では、

「物価が急上昇しているのに、給料が上がらない」

 ということで、ソーリの支持率は最低となっているのに、総裁選などの、自分の進退に関係がある選挙が当分ないことで、

「やりたい放題にされている」

 というものであった。

「無能なくせに口では、検討するとしか言わない遣唐使のくせに、何ができるというのか?」

 というウワサで、もう誰も今のソーリを信じる人もいないだろう。

「早急に決めないといけないことは、遣唐使で逃げてしまうくせに、どうでもいいこと、あるいは決めてしまってはいけないことまで、自分の勝手な考えで押し通してしまう」

 という、

「史上最低」

 のソーリだといってもいいだろう。

「無能なら無能らしく、おとなしくしていればいいものを」

 という人もいるくらいで、本当は、

「無能なら有能な人に変わらないといけない」

 というべきなのに、それすら言う人がいないというほど、政治に無関心なのか。

 もし、そうだとするなら、やはりその責任も、このソーリにあり、

「国民の大半が反対していることを、自分の一任で、さっさと決めてしまって、行ったこともあったでないか?」

 それが、今年あった、

「国葬問題」

 だったのだ。

 他のことは、遣唐使になって、結局、何一つ行うことはしなかったくせに、国葬だけは、「誰も思いつかなかったか」

 あるいは、

「思いついたとしても、あまりにもバカバカしいことなので、口にすることすらできなかった」

 ということなのか、結果として。誰も声を上げなかったことを、いきなり口にして、

「あれよあれよ」

 という間に実行したのだ。

「なんだ、やりゃあ、できるじゃん」

 ということを誰も言わない。

 それも、本当はいいことではないのだが、それ以上に、

「やらなきゃいけないことはできないくせに、やらなくてもいいことだけではなく、こともあろうに、やってはいけないことを、自分でさっさとやってしまうという、このソーリは、無能という言葉では片付けられないのではないか?」

 という人が多かった。

 つまり、

「亡国のソーリ」

 といってもいいだろう。

 もし、数年後、あるいは、数十年後に、国が滅びたとして、滅んだ国には、幾度かのターニングポイントがあるに違いない。

 その中で必ず上がってくるのが、今のソーリの名前ではないだろうか?

 無能や、破廉恥ソーリという程度なら、そこまではないだろうが、

「国を滅ぼした」

 ということであれば、その罪の深さは計り知れない。

「答えは歴史が出してくれる」

 というセリフがあるが、まさしく、このソーリが、その答えを出すことになるのだろう。

 そんな時代が、訪れないということを願うしかないのだろうが、今の世情を見ていると、

「このソーリでなくとも、結果は亡国になってしまう」

 というシナリオを描いているようなので、要するに、

「それが早いか遅いかという違いだけなのかも知れない」

 そういう意味では、今までのソーリがどれほど無能だったのかということであろうが、少なくとも、

「失われた30年」

 という言葉が、それを証明しているかも知れない。

 もし、今のソーリを含めない。つまり、前のソーリまでで、

「三悪人」

 のソーリをきめるとすれば、誰になるだろうか?

 まず考えられるのが、

「与党である自党とぶっ潰す」

 といって、国の滅びに基礎を築いたあの男ではないだろうか。

 確か、

「何とかの構造改革」

 などと、勝手にネーミングをしていたっけ。あの男が、まず弾を作って、仕込んだという戦犯であろう。

 次というと、

「史上最長の政権」

 というものを欲しいがために、政権にしがみつき、ほとんど成果らしいものが何もなかったあの男だ。

「おお、そうだ、今のソーリの最悪である、国葬問題も、こいつではなかったか」

 ということだ。

 この男も経済政策といって、自分の名前をもじった政策を打ち出したくせに、しかも、それだけ長くソーリをやっていたくせに、まったく成果が出なくて、名前だけが、選考したというあのソーリではないか。

 しかも、あいつは、都合が悪くなると、

「病気だと称し、病院に逃げ込む」

 くせがついていたのか、同じことを二度やったのだから、どう見ても確信犯であろう。

 そして、もう一人は、この男、下手をすれば一番の戦犯かも知れない。

「同じ地元出身とは、実に恥ずかしい」

 といってもいいだろう。

 この男は、一番印象に深いのは、

「失言大魔王」

 といってもいいだろう。

 いつも余計なことを言って、マスゴミに叩かれる。

 マスゴミも切り取り取材が多いので、人のことはいえないが、このソーリに関しては、どうしようもないといってもいいだろう。

 何と言っても、この男がソーリをしている時に、

「消えた年金問題」

 が発覚した。

 もちろん、前からずっと続いてきたことなので、このソーリの責任ではないだろうが、こいつの時に発覚するというのは、何かの意思が働いているといってもいいのかも知れない。

 そんな時代を経ての、

「失われた30年」

 なのである。

 それを思うと、今の世の中が、どういう時代なのかということを、国民が自覚していないというのも大きな問題であろう。

 そんな、時代を最近気にするようになった橋爪は、この日、一人で私鉄の駅に向かった。

「こっちの私鉄は、本当に採集が早いよな」

 と思っていた。

「JRが最近、一時間近く終電を早めるという、あからさまな嫌がらせに見えることをやっているのに、ここの私鉄はさすが、殿様商売。こちらはさすがに、それほど終電を減らさなくても、JRとそんなに変わらない」

 ということであった。

 ただ、これは裏を返せば、

「これ以上、終電を減らせば、乗客や、周辺の店から大いに批判を浴び、全国ニュースにもなりかねない」

 ということになるというほどの、

「今までがひどかった」

 ということであろう。

 それを考えると、

「少し早く帰らないといけないな」

 ということであった。

「最終は、11時を過ぎて一つしかないくらいだよな」

 ということだったので、9時過ぎには帰ろうと思っていたのだ。

 最終が少ないということは、それだけ、最終に近づくにつれて、乗客が増えるということであり、気が付けば、

「9時台のに乗らないと、満員電車に乗ることになるかも知れない」

 ということであった。

 いくら、少しパンデミックが収まったっといっても、

「満員電車に乗るリスクは避けたい」

 と思うのだ。

 そもそも、なぜ、終電を早める必要がある? 電車が多ければ、それだけ客が分散するからいいはずなのに、要するに、パンデミックの流行を言い訳にして、

「自分の会社が儲からないことはしない」

 というだけのことなのだ。

 それだけ、やることがあざといということなのであろう。

 そんな、

「終電も近いが、それほど遅くはない」

 という電車に乗って帰っている途中のことである。

「誰かに尾行されているような気がする」

 と思ったのだった。

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