コンバージョン

坂田散文

第1話

「ウソ!?潤平くんってまだブリーフ履いているの?これまでの彼女とか何も言わなかったの?」

昼下がり、会社近くのファミレスで同期の幹雄、茂と一緒にランチをしていた潤平は幹雄が大声でリアクションを取ったことに恥ずかしさを感じながらおずおずと返答した。

「うん、何も言われたことないし、気にしたことなかった」

茂が、声が大きいと幹雄のことをたしなめてくれる。これまで潤平は母親が買ってきていたという理由でブリーフ以外を買ったことがなかった。同級生は下着専門の店に行って勝負下着を買っていたが、ギラつく照明の下で股間を強調するブーメランパンツを買うのは気恥ずかしくて潤平は買う勇気が出なかった。

「やっぱり潤平くんって奥手だよね。合コンとか行ったのもこの間のが初めてなんでしょう」

「うん。だって今どき男子がそういうのに積極的に行くのもはしたないってお父さんとかお母さんにも言われていたし」

「潤平くんって本当にいい子だよね。箱入り息子っていうか」

「そうかもしれない。うちは門限もあって厳しかったし」

「なんだかんだ清純な方が女子は好きだもんなあ。この間の合コンでもみんな潤平くんのこと狙ってたし」

「それで、その後やり取りが続いている人はいるの?」

茂が食い気味に会話に入ってくる。

「うん、ミクちゃんとはいい感じだよ」

「いいじゃん、いいじゃん。そしたら今度みんなで潤平くんの下着選びに行かない? ブリーフ以外も絶対デートで必要になると思うから」

「いやいや、恥ずかしいからいいよ」

「一枚くらい勝負下着を持っていた方がいいよ。そういうことになったとき、やっぱり恥ずかしいから」

「そうかなあ」

潤平は納得がいかないまま茂の提案を受け入れることにした。


 潤平の父親や母親の時代はまだ男尊女卑の傾向が続いていて、男が女を選ぶもの、多少は遊んでいて嫌味がない下ネタを言えるくらいがモテたらしい。テレビを付けると男性タレントが裸になったり、女性を口説いた話を面白おかしく話していたそうだ。

 しかし、二十一世紀になってそんな風潮は急激に変わることになった。女性蔑視が激しく糾弾され、男性のこれまでの振る舞いに厳しい視線が向けられるようになると、日本ではそれまでの考え方がガラリと変わり、細マッチョで女性の話をニコニコと聞ける家庭的で穏やかな男性がモテるようになる。当然、異性に対する姿勢も逆転して、男性は公共の場ではおしとやかに振る舞うもの、女性は自分の性的なアグレッシブさを面白おかしく話せるものが人気だという風になり、普段は処女のようにおとなしいけれど、ベッドの上では淫らにしていて欲しいという女性からの願望に応えられる男性がモテるようになっていった。二十一世紀の日本では男女の役割が逆転した新たな価値観が支配する新時代が到来していた。


 合コンを開こうとなったのは潤平が大学時代から付き合っていた初めての彼女と別れ、一年が経とうという頃合いだった。彼女と別れ半年が経ったくらいから寂しさを埋めたくてマッチングアプリや友だちのツテを頼ったりもしたのだが上手くいかず、思いきって同期の茂に相談したら、数々の”試合”をしてきた幹雄につないでくれて初めての合コンに臨むことになった。潤平も始めはチャラチャラした雰囲気の女性が来て、遊ばれて終わるのではないかと警戒したが、出会いもないしこのままだと婚期を逃すという幹雄の脅し、茂のチャラくない合コンだってあるし、みんなやっていることだし一度くらい経験してみれば? という後押しもあって参加することにした。

 試合会場に指定されたのはカラオケ付きの居酒屋の個室だった。幹雄には相手はベンチャー系の会社で有名なファイヤーアージェントに勤めるイケイケの営業パーソンが来ることになっていると説明された。ひーちゃん、瑛子、ミクの三人の女性陣は最初の自己紹介からテンションが高く、それぞれの仕事や休日の過ごし方などを一通り話した後は恋愛遍歴を根掘り葉掘り聞いてきた。

「潤平くんってどんな人がタイプなの?」

「おもしろい人かなあ」

「元カノもそういうタイプ?」

「そんなに面白い話とかしてくれたことはなかったかなあ。お互い学生だったから付き合ったのもなんとなくで。一緒にいて落ち着くし、結婚するならこういう人かなあって思ってずっと付き合ってた感じ」

「えー、それがなんで別れちゃったの」

「彼女が地方に転勤になっちゃって。遠距離でもいいし、いまの仕事を辞めてもいいかなって思ったりもしてたんだけど、しばらく会わないうちにだんだん疎遠になっちゃって」

「よくあるすれ違いってやつねー。潤平くんならモテそうだし、すぐにまた彼女できそうだけど引きずっちゃったの?」

「しばらくは引きずったけど、相手が乗り換えてたのも分かったから三ヶ月くらいしたら吹っ切れたかなあ。それよりも出会いがない方が深刻だったかも」

「私たちがもっと早く出会ってたら放って置かなかったのにねー」

「ねー」

女性陣はタイミング良く相槌を打つ。リズムゲームで正確にボタンを押すような一寸の狂いもないコンビネーションだ。

「潤平くんは女性経験も彼女以外はないの?」

普段ならドキリとするようなプライバシーに踏み込んだ質問もこの三人はさり気なく挟み込んでくる。昼のオフィスで聞かれたり、聞き方がいやらしいとセクハラだと感じるような質問だけれど、聞いた本人は平然としている。お酒の力も借りているし、慣れているのだろう。

「う、うん。そんなに出会いもなかったし、遊びでとかは嫌だから」

「ワンナイトとかも全然経験ないんだ?」

「うん、そういうのは嫌かも」

「女は身体だけの関係だけでもとか思ったり、風俗に行ったりもするけど今どきの男性は全然そんなことしたいとも思わない感じ?」

「そ、そうだね」

潤平は躊躇いがちに答える。性的なことをずけずけと言われるのは、他人が触れてこない繊細な部分にざらざらと手で直接触られるような不快感がある。だけど、潤平は場の雰囲気を壊したくなくて、当たりさわりのない受け答えをするのに終始した。


 ミクはファイヤーアージェント三人組の中でもずけずけとした質問をせず、穏やかだった。合コンに呼ばれたのも数合わせのためで飲み会の雰囲気もあまり好きではないというところが潤平には良さそうに感じた。二人はメッセージを送ったり何度かデートを重ねるうちに打ち解けていき、とうとうミクから告白されるに至った。

 潤平は幹雄たちと買った勝負下着をデートのたびに履いていった。最初買うときには派手なデザインと際どいラインに戸惑いを感じたが、家に帰って鏡の前で下着を付けてみると自分が一段魅力的になったような気がして少し気分が上向いた。潤平はそれまで胸板も薄く、色も白い自分の裸をあまり魅力的に感じてこなかったけれど、このパンツは自分のコンプレックスを覆い隠してくれるような気がして、デートのとき以外にも気分を上げたいときには履いていこうと心に決めた。これまでは勝負パンツというのは、男女が”勝負”するときに付けるものだと思って敬遠していたけれど、仕事や試験のようなときにテンションを上げるためのものだとも思うと嫌悪感が薄れ、抵抗なく身につけることができるようになっていった。


 ミクとの”勝負”は数ヶ月後に訪れた。

 ミクは、ファイヤーアージェントの社員はチャラチャラしているというイメージを持たれているのを気にしていて、付き合って三ヶ月以上経つまでは家やホテルに誘うこともなかった。この日は事前にミクの方から家でデートをしようと誘われていて、潤平もセックスをすることになるのではないかと薄々思いながらミクの家を訪れた。

 ミクの住む1DKのマンションは築浅で部屋の中もシンプルできれいに片付けられている。潤平が来るから頑張って掃除をしたのかもしれない。

 潤平の持ってきたお菓子を食べたり、映画を見てゆっくりしているうちに時間は過ぎていった。今日はひょっとして何も起きないかなと思っていたら、ミクがSNSで見つけた面白い画像があるとスマホを持って隣に座ってくる。小さな画面を二人で見るために身体を寄せ合っているうちに手が触れ合い、ミクの方から顔を近づけてきてそのまま二人は長い間キスしていた。すべてが太古の昔からそうであったような自然さで二人は音のなくなった部屋で互いのことだけを考えてキスし合う。前に付き合っていた彼女とはもっとぎこちなかったし、不格好にセックスが始まったなと潤平は思う。いまこうしていることは何の不自然さもないように感じられるけど、その不自然さのなさは人工的に造られたからで、ミクは経験が少ないフリをしているけれど、きっとこれまでは遊んできたんだろうなと潤平は理解したが、いまはその愛情が自分だけに向けられていることに疑いはなく、ミクとの行為もすんなりと受け入れることができた。

 ミクとの行為に前向きになれたのには勝負パンツも大きな役割を果たした。潤平がそれまでに履いていたブリーフよりもはるかに薄く、自分の身体を性的に美しく見せることに特化した下着は見た目の頼りなさと反対にパンツ一丁になったときの恥ずかしさを和らげ、裸になることに誇らしさも与えてくれた。

「かっこいいパンツだね」

とミクが褒めてくれたことで、潤平は気分が高揚し、いつもより行為に積極的になれた。


 ミクは潤平の隣でスースー寝息を立てて寝ている。行為が終わった後、服を着るのも億劫なままでいるうちに次第に微睡んで気づいたら寝入ってしまったようだ。気づけば外は暗くなってきていたが、ぐっすり寝ているミクを起こすのも悪い気がして、潤平は本棚を物色して時間をつぶすことにした。本棚を見ればどんな人物か分かるという格言を信じる潤平はミクがどんな本に興味を持っているのか知りたくて、本棚に納められた本の背表紙を順番に眺める。ミクが持っている本は仕事に関連した資格の本やレシピ本が数冊、ファッション誌やコスメ雑誌とマンガがいくつかだった。大きめの判型の本が一番下の段に納められていて、潤平はその一番端にあった男性アイドルの写真集を取り出した。

 そのアイドルは潤平もテレビで見覚えのあるイケメングループの人気メンバーだった。彼は下着のようにも見えるビキニパンツを履き、挑発するような視線をこちらに投げかけている。潤平は興味をもって写真集のページを繰っていった。

 男性器が見えそうになるすれすれまでパンツを手でずらしているショットや大の字に寝転がったところを股の間から撮ったカットのような際どいものから下着姿やシャワーを浴びている場面までセクシーな姿がふんだんに盛り込まれていて潤平には刺激が強く、読んでいて気分が悪くなってきた。ミクは何のためにこの写真集を買ったのだろう? 扇情的なこのアイドルの写真を見ると劣情を覚えるのだろうか。自分とはほど遠い甘いマスクと割れた腹筋、大きく張り出した股間を見ていると、性的な興奮を覚えることさえできれば誰でも良いのかと怒りたくなってきた。女性の気持ちはとても理解できないな……。潤平は異性の持つ性欲の不可解さが不気味だった。

 潤平たちが子どもの頃は性教育の見直しも行われ、男性の性的な奔放さは厳しく抑えつけられるようになっていた。これまで歴史の中で男性が性的に逸脱することが自由であったばかりに、女性を犯し、辱めることが当たり前に行われ、いかに異性を苦しめてきたかが教えられた。だからいまの時代はできるだけ男性として謹みをもって生き、女性にあけすけな視線を送ったりしないように躾けられたしそれが当然だと思って生きてきた。有害な男性性なんてことが言われていたのは遠い昔のことになり、みだりに性的な妄想を抱いて非行や犯罪に走ることがなくなった潤平たちの世代の男性は上の世代とは異なって異性の裸への興味を失い、異性の身体をじろじろと見定めるようにまなざすこともなくなっていった。

 これに困ったのがグラビアアイドルを表紙にしてきた青年誌や週刊誌だった。元々コンビニの売り場がなくなり虫の息だったところに、主な購買層だった男性からもセクシーな水着の女性が表紙を飾っているなんて気持ち悪いという声が大きくなって、男性の読者が離れていった。だが、既存の顧客が離れた雑誌は女性の性的な欲望を喚起する需要が高まっていることに逆に目を付け、今度は男性アイドルたちの官能的な写真を売りにすることにした。これまで男尊女卑の世界が続いた分、女性たちが性的な視線を持つことに世界は寛容で大きな批判を浴びることなく世間に受け入れられた。瀕死状態だった元男性向け雑誌は破れかぶれで打った策が起死回生の一手となって命脈を保つことになり、男性アイドル目当ての女性読者が元男性誌を買い支えるという構造が続いていた。

 潤平が写真集を開いたままぼーっとしていると、ミクが起き出してきて、潤平に何読んでいるの、と話しかけてきた。

「本棚にあった写真集。ミクちゃんはこういう人がタイプなの?」

「顔もいいし、ちょっとエロいところがいいなあって」

「僕とは全然似てないけれど男だったら誰でもいいの?」

潤平の声は少し震えていた。

「そんなことないよ。潤平くんに対する好きとこの人に対する好きは全然違うから。この人は鑑賞して楽しむ対象で潤平くんは全部が好きって感じで潤平くんの方がもちろん好きだよ」

ミクは潤平の変化に気づいていないのか平然としている。

「全然理解できない」

「男の人はそういう欲望ないかもね。女性の方が性欲で世界を見ているかも」

「なんか気持ち悪いなあ」

「潤平くんは純粋だよね」

「純粋って一言でまとめられるのは癪だなあ」

「女性はそういう生き物だよ。受け入れなくっちゃ」

「そんなものかなあ」

ミクにそう言われて引き下がったが、潤平はミクの持つ欲望はどす黒いものに思えて嫌悪感を拭えずにいた。


 性交渉を持ってから数カ月後、潤平とミクは夏らしいことがしたくなってプールに遊びに行くことにした。多少の引っ掛かりはあったもののミクと付き合ううちに潤平の性的なものに対する嫌悪感も薄れてきていて、今日はミクと選んだ露出度が高めのビキニパンツを身に着けていた。しかし、潤平は更衣室を出た途端、あちこちからの視線を感じることになる。言いようのない気持ち悪さと恥ずかしさに帰りたくなったが、せっかく来たプールを楽しまずに帰るのももったいないと思って、羞恥心を抑えながらミクとプールへ向かった。ミクは日焼けしたくないと言ってラッシュガードを着ていて露出度も抑えめで、自分だけが裸にされて晒し者になったみたいで落ち着きのなさを感じながらも、午前中はビーチボールを投げ合ったり、流れるプールに行ったりして二人の時間を楽しんだ。

 お昼を食べた後はプールサイドにあるデッキチェアに座って、ひっきりなしにやってくる遊泳客を見るともなしに眺めていた。家族連れやカップル、友だちで連れ合って来ている人などさまざまな年齢層の人がいたが、潤平のように羞恥心を抱えて歩いている人はいなさそうだった。子ども用のプールに目を向ければブリーフ姿の三歳くらいの子が父親にたかいたかいをされてきゃっきゃっとはしゃいでいる。

 下着で歩いたり、街で露出度の高い姿で歩くのは恥ずかしいのにTPOが変われば平気で性器の部分しか隠れていないような格好で練り歩ける周りの人間達の鈍感さが不思議に感じられる。どうして誰も自分に向けられる視線に敏感にならないのだろう。ただ自分だけが自意識過剰なのだろうか。あちらこちらに視線をやれば股間をもっこりとさせ、ゆさゆさと腰を振って歩く男たちの姿にクラクラとしてくる。

 この場所は性的な匂いが強すぎる。

 子どもも多くいて健康的な雰囲気の中にあるはずの場所にカルスト台地に立つ岩のように存在感を主張する男性の身体たち。なぜ人は性的な身体を持たなければいけないのか。自分が望むと望まざるとに関わらず否が応でも巻き込まれていく性的にまなざし、まなざされる関係のグロテスクさに吐き気を覚える。

 ふと昔読んだ古事記の一節を思い出す。

「成り成りて成り余れるところあり」

イザナギノミコトはそう言って、「成り成りて成り合わざるところ」があるイザナギノミコトと交わりこの国を産んだ。成り余れるところとは男性器、成り合わざるところは女性器のことだ。余っているというなら僕たちの身体を作った神さまは部品を余らせてしまったせいで、男女の違いというどうしようもない不平等の原因を産んだのじゃないだろうか。潤平は部品を余らせて作ってしまった神さまのことを考え、その不手際を呪った。凹凸のないただの筒のような身体に生まれていれば、こんな気持の悪さを抱える必要もなくて、どんなに楽に生きられたことだろうか。そう思うとこの世の何もかもが不公平に作られている不造作にいたたまれなくなる。

 プールの方を見るとミクが悠然と水を蹴って泳ぎ続けている。

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