雲の上

一隻の飛行船が大きな雲から背中を見せる。

さながら、空飛ぶ鯨のように穏やかな雰囲気を感じさせた。




「雲の上に上がった!逃げ切ったぞ!」

伝声管(声を伝えるパイプ)から声が伝わってきた。

「一応周囲を警戒しろ、現在の高度は?」

「現高度は、6700。おそらく、北西洋に入ったと思われます」

「よぉし、国境を越えたぞ。俺達の勝ちだ」

船長らしき男が嬉しそうに言う。

その時だった。

「ん………?」

「どうした?」

近くにいた男が声をかける。

「あれ」

周囲を双眼鏡で見張っていた男が指を指す。

「雲が………黒くなってやがる。なんだぁ?」

「まさか……!」

男が伝声管に駆け寄るより先に、それは雲を破って姿を現した。

「あぁっ……!」

双眼鏡いっぱいに大きな黒い飛行船が見える。

「左舷後方!空賊狩りだ!」

現れた飛行船は、大きな巨体を誇り、全体に黒でカラーリングが施されてる。先ほど雲から出てきた飛行船のふた回りはある。

戦闘用に作られた軍用飛行船だろう。その威圧感はマッコウクジラを思わせる。

「仕方ない!こうなったらとことん上昇しろ!バラスト(重り)を全て捨てろ!最大高度まで上がる!速力最大!石炭をジャンジャンくべろ!遠慮するな!」




「遠慮するなってさ!いつも木炭しか使わせてくれないくせに」

「無駄口を叩くな!空のチリと消えてぇか!」

髭を蓄えた老機関士が怒鳴る。

「機関長!熱すぎる!タービンが溶けちまうよ!」

中年の機関士が汗だくになりながら叫ぶ。

「くぅぅ………」

機関長が歯を食い縛る。

「船長、タービンが持たない!」

「速度を落とせってのか!」

ババババババババババババ………!

大砲を上に向けて撃つことは物理的に出来ないから、追いかけてきている黒い飛行船が下から機関銃を撃ってきているのだ。しかも、ピンポイントにボイラー室を狙っているらしい。

機関士たちの耳に銃弾が弾かれる音がこだまする。

「う、撃たれてる、ボイラーに引火させて吹き飛ばす気だ!」

「焦るな!こんなオンボロ船だ、ボイラー室には装甲くらい後付けしてある!そんなことより、タービンをどうにかしろ!」

「無茶言うな!熱で溶けようとしてるんだぞ!」

「冷却装置から水を持ってきてかけるとか」

「ど阿呆!そんなことしたら、出力が下がるし、水がなくなる!」

「なら、ほかの方法を考えろ!速力は絶対落とすなよ!」

「くっそ、門外漢め!」




「せめて、貨物を捨てたら軽くなって……」

「戦利品を捨てろってのか!」

「仕方ないでしょ、ここで全員監獄送りか、また集めるか選ぶことですな」

「くぅぅ………くっそぉっ!」

操舵手にいさめられ、船長はなくなく伝声管に声を乗せる。

「…………貨物室……聞こえるか………」

「はいっ!聞こえます!」

船長とは真逆の元気いっぱいの若い船員の声が、船長にダメージを与える。

「………すぅ………あのな………」

「はいっ!なんでしょう!」

「………戦利品を……だな………」

「はっ!戦利品でしたら、高値の物と、安い物と、で分けて管理しております!」

船長はさらにダメージを受ける。




「大砲も捨てますか?どうせ撃てませんし………」

「すっ………そうだな………すっ……」

船長は涙をこらえながら、砲術士に答える。

「俺ら空賊ですし、いつでもチリになる準備はできてますから。船長に命預けちまってるんでね」

「うっ………すっ……」

「まだあがくんでしょ?泣かないで下さいよ、俺らは命より大切な大砲を捨てるんだ。もう何も出来ることありませんよ。あいつで幾つ船燃やしたかなぁ。銃火を避けて、移動しては撃って、移動しては撃ってを繰り返した時もあった」

操舵室の窓からは、空へと投げ出される数々の戦利品が見えた。




「水持ってこい、水!」

ボイラー室では、船員の飲み水の入ったボトルや酒の入ったたるまで集まってきた。

シュー………シュー………。

焼け石に水とはまさにこの事。タービンやボイラーにかけた水から白い湯気となって消えていく。

その最中、上半身はだかで熱で抜けてしまうネジを機関士たちが必死でスパナで戻している。

「もうだめだぁ……!」

「ボイラーがぁ……と、溶けてる………」

「も、もう石炭いれんなよ……」

「でも速力が……追いつかれちまう……」

機関士たちが悔し涙を浮かべる。

「一世代前の老朽艦のくせに………良く耐えてくれたな……!」

「毎日さびを磨いて……ピッカピカにしたなぁ……」

「くっそう……俺たちに金がありゃ……!」

「バカ野郎……金がありゃ空賊なんてやってねぇよ………!」

「そうだなぁ………あぁっ……」

「くっそぉ………!」

機関士たちが悲嘆に暮れ、なす術なく溶けかけているタービンとボイラーを見つめていた時だった。

「ボイラーを止めろ!!」

伝声管から大声がした。船長の声だった。

「全員が助かるためには、逃げるだけじゃ駄目だ!時にはゲスでも卑怯でも関係ねぇ、やってやる!機関停止!タービンとボイラーを冷却しろ!」

突然の命令に、ほんの一瞬機関士たちは戸惑ったがすぐに動き出した。

「おらおら、タービンとボイラーを死なせる気か!」

「ボイラーの中の石炭掻き出せ!」

「バケツ持ってこい!たるからワインくんでぶっかけろ!タービンにもだ!」

「出し惜しみするなよ!」

「くっそ、俺らが干からびちまうぜ」

「関係ねぇ、タービンとボイラーが生きてりゃ万々歳だ!」






「近づいてきますよ」

「分かってる。手ぇ出せ」

船長は操舵室にいた船員を操舵手以外手首を縛った。

「騙されてくれよ……!」





「全員動くな!」

飛行船に横付けし、乗り込んできた空賊狩りが機関士たちに銃口を向けるが、誰一人して止まることはない。

全員、タービンとボイラーの事しか考えていないのだ。

「………おい、お前ら……」

「なんだ、手伝うのか?」

「人手足りねぇんだよ!」

「何かようかゴラァ!」

機関士たちが空賊狩りを怒鳴り付ける。

「撃たれたいのか?!」

空賊狩りが銃口を機関士の体に押し付ける。

だが、機関士たちは怯むことはなかった。

「なんだおらぁ、ボイラーの中に突っ込んでやろうか?!」

「タービンに顔を押し付けやろうか?!」






「大丈夫か?」

「はい、ありがとうございます」

「空賊はどこだ?」

「出ていきました。たぶん機関室に行ったのかと」

「そうか。おい、そっちに空賊はいたか?」

伝声管に空賊狩りの隊長らしき男が声を乗せる。

「空賊?お前ら空賊探してんのかい?」

「あぁ?さっきそう言ったが……」

「それならここにいるよ……」

「え」

男の背に銃口が突き付けられた。

振り向いた男の目に、さっき礼を言った男が映る。

「貴様……」







「ん?動き出したぞ」

「え……?隊長達か?」

「空賊は?」

黒い飛行船に横付けされていた飛行船が動き出す。

と同時に飛行船の貨物室のハッチが開き始める。

「あ?」

空賊狩りがいぶかしげに見つめる中、貨物室の中で何かが黒光りした。



「お返しだ」



黒い飛行船から大きな火柱が上がった。

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