スノードームから見る空は

季都英司

スノードームの中にすむ少年が、外の世界に憧れる話


 今日もまたこの世界に雪が降る。

 キラキラと輝く雪の欠片は、この世界にあまねく広がり、そして大地を埋め尽くし、そしてほんの刹那の後、雪は止む。

 これが日々の繰り返し。

 間隔はバラバラだが、気まぐれにそして突然、この世界にはこうした現象が起こるのだ。

 僕は空を見上げる。

 視線の先には天を成すガラスの球体。

 僕が天球と呼んでいる空。

 その先には、外の世界が見える。

 ああ、今日はまた雪が降るようだ。

 外の世界にあるものを確認してそのことを僕は知った。立て続けに雪が降ることは珍しくはあるが、まあないことではない。

 僕は、雪が降る前に起こる出来事に身構える。


 いきなり、世界は反転した。

 比喩でなく、世界は逆さまになる。

 地面は天に、空は地に。

 僕も当然逆さまになるが、足が固定されているため、落ちることはない。

 さっき積もったばかりの大地の雪は、世界反転によってまた天へと昇っていった。

 そして雪が天球へと積もった頃、当然のように世界はもう一度反転し、世界にはまた雪が降り始める。


 僕は知っている。

 この世界は造られた人工の箱庭。

 外の世界の人間がスノードームと呼ぶ極小の世界。

 僕はそんな世界のただ一人の住民だった。

 

 いつからここに居るのかは覚えていない。ただ、気がついた時には、この雪降る世界に居た。

 このスノードームの中にあるものはほんのわずかだ。

 まずキラキラと輝く破片が混ざった雪で覆われた狭い大地。

 その雪の大地には、木で出来た赤い屋根と煙突が突き出た小さな小屋、そして周囲には幾本かの針葉樹。家の周りには切り株と、その横に黒のシルクハットをかぶってすました顔の雪だるまがおいてある。

 そしてその雪だるまの横に居るのがこの世界の唯一の住民である僕だ。

 これだけが、たったこれだけが、この世界の構成要素のすべて。


 僕は、この世界で意識が芽生えてからと言うもの、ひたすらにこの世界と、雪が降る現象のみをながめる日々を送っていた。

 天球ごしに時折現れる人間。

 思い出したようにスノードームをひっくり返し、そして元に戻してこの世界に雪が降るのを楽しんでいる。

 外から見れば、この世界は美しく素敵に見えるのだろうか?

 僕はと言えば、この世界には飽き飽きしていた。雪が降ること以外には何も変化がなく、何一つ変わり映えがしない。外の人間が何か新しいものでも置いてくれないものかと思ったこともあったが、そういうことは無いらしいと早めの段階で見切りをつけた。

 そんな僕の唯一の楽しみは外の世界を見ることだ。

 天球は透明なガラスで出来ているから、外の世界を見ることが出来る。このスノードームの持ち主は、これを窓際の少し高い棚に置いてくれているらしく、周囲をある程度見渡すことが出来た。

 持ち主の家の中に見えるのは、少し飾ったテーブルと椅子そして食器棚、向こう側に見えるのはおそらく暖炉なのだろう。時折通る人間が何人かいるのは、僕にはいない家族というやつなのだろうか。

 ガラスの透明度がそこまで高くないからか、家の中の光景はそこまではっきりとはわからず、僕にとってはさほど興味を引くものではなかった。 

 代わりに僕の心が引かれたのは、スノードームが置かれた窓から見える空の景色だった。

 この天球で覆われた世界では決して見えない空。朝には輝くように明るく、昼には透き通るように青く、夜にはすべてを飲み込むように深い闇。

 僕はこの空にすっかり憧れてしまった。

 天球越し、窓越しなどではなく、外の世界に出て、この空を見たい。それだけがこの狭い世界に生きる僕の夢となった。

 しかし、そんなことはそれこそ夢物語だと言うこともよくわかっていた。僕はこのスノードームから出ることは出来ないし、そもそも足が固定されていて歩くことすらままならない。

 諦めを受け入れながらも、空を見るたび心がざわつくというのが僕の日常だった。

 いろいろと想像する。

 空を直接見られたらどんなに感動するだろう。

 空の下にはどんな素晴らしい景色が広がっているだろう。

 そして、

 その世界を歩く僕には何が出来るだろう。

 

 狭い世界を嘆き、反転する世界と雪に慣れきり、外の世界の空を夢想する。そんなことばかりの僕に、ある時急な転機が訪れた。

 いつものように外の人間が、スノードームを鑑賞したあと、家の中から人が居なくなったそのあと、この家に同居しているのであろう犬が、雪が舞うスノードームに興味を示したのか、急に飛びついてきたのだ。

 僕は驚き目を閉じた次の瞬間、この世界は犬に弾き飛ばされて置かれた棚から落下した。

 初めて感じる急激な下降感と加速。

 次にやってきたのは、激しい破砕音と、天球が砕ける光景だった。

 スノードームの世界は突然の出来事によって、天球の束縛から解放されてしまったのだ。

 しばらく状況もわからずとまどっていたが、少し落ち着いてきたところで、自分の世界が粉々に砕け散ったことは理解した。

 周りを見るとだれもいない。事件の張本人たる犬の方は、おそらくスノードームが壊れた音に驚いて去ってしまったらしい。驚かされて憤慨していたが、そこであることに気づいた。

 動ける。

 固定されていた足が大地の破壊とともに解放されていたのだ。

 動く足の感覚を確認して、僕は初めてスノードームの外の世界に出たことを実感して感動していた。

 足が動き、自分の意思で移動が出来る。なんと素晴らしいことだろうか。

 自由だ。それを心の底から実感していた。

 次に思ったことは、自由になった今、何をするべきかと言うこと。それについては一瞬で答えが出た。

 空を見に行こう。

 自分の足で、夢だった外の世界で空を見るのだ。

 そう思ってからの行動は我ながら早かった。

 今落ちてきた棚を、取っ手や棚のへこみを利用して登る。その上に窓があることを僕は知っているからだ。

 はじめて自由に動く体に、言い知れない高揚感があった。一段また一段と棚を登る。大変だったがまったく苦にはならない。

 そして最後の天板に手をかけ登った時、窓とその外に広がる空の景色が見えた。ここですでに感動が抑えきれなくなりそうだったが、なんとかこらえて窓をあける。やり方は人間がやっていたのを見ていたから知っていた。

 窓枠を頼りに少し上がり、かんぬきを外す。そして、非力で小さな体だったが、力一杯窓を押した。

 最初はびくともしなかったが、しばらく押している内に、ぎぃっという音がして窓が動く、さらに力を込めて、全力で窓を押すと外側に向けて窓が開いていった。


 風が流れ込む。初めての感触。

 そして、そこには抜けんばかりの青空が空一面に広がっていた。

 スノードームの世界の狭い天球なんかとは比べものにならない広さ、そしてガラス越しでは見られなかった青さと透明感。

 見たかったものがそこにあった。

 感動で心が打ち震えていた。

 こんなに世界は広いのか、空はこんなに続いているのか。僕はこれまでなんて狭い世界に居たのだろう。

 そして、もう一つの夢だった、空の下、大地に広がるものを見ようと思った。

 開けた窓に近づき、開かれた空間から下をのぞき込む。

 そこで僕は言葉を失った。

 思考は停止していた。

 次の瞬間、僕は大笑いしてしまっていた。

 だって、そこに広がっていたのはどこまでも続く雪の原だったから。

 なんだ。こんなに苦労して、こんなに憧れて、何か知らないものがあると期待してた世界だったのに、結局外にあるものはスノードームと同じだったのだ。

 笑うしかなかった。不思議と落胆はなかった。

 3つめの夢だった外の世界を歩くことについてはどうしたものかと考える。

 同じ世界なのなら、空が見れたことに満足してスノードームに戻る手もあるのだから。きっと人間たちが直してくれるだろうし。

 どうせこのまま歩いていっても、ただ雪の世界を歩くだけになりそうだ。


 少しだけ迷った。

 空と雪の大地をなんどか見直すと、雪の大地に空の輝きが照り返しているのが目に入ってきた。

 陽光を受けて輝く雪の大地、それはスノードームの中では、見られない空と大地の共演だった。

 ああ、見慣れた雪も、空があるとこんなに素敵な世界になれるんだ……。

 それに気づいた時、もうスノードーム世界には戻れないと悟った。

 

 僕は窓から雪の大地に飛び降りた。

 柔らかで冷たい雪のクッションが僕を受け止めてくれる。落下の勢いで埋もれた体をなんとか起こし、あらためて広い大地を見る。

 この世界は広く、

 知っていることは何もなく、

 憧れたものはすべてここにある。

 外の世界を歩いて行こう。

 この世界もきっとまたスノードームのようなものなのかもしれない。それでもきっと僕の求めていることはここにあると心が訴えていた。

 

 

 少年は最初の一歩を踏み出した。

 スノードームの住民は、空を見上げてまぶしげに微笑む。 

 そこで少年は、ぽんと一つ手を打った。

 ここには一つだけスノードームにあったものが無いなと気づいたからだ。

 そう。外の世界には、空と大地をひっくり返されること。それだけはないのだなと。それは少年にとってはとても素敵なことだった。


 さあ、行こう。

 少年は力強く歩き出す。

 知らなかったものを見に行こう。

 スノードームの外で見上げた空の青は、少年にとって未来への希望に見えていた。

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