神様のお人形
キノシタ
第1話
私は、バルビナ。神様のお人形。
こんなにも見失っていては、情報を得ることなどできない。せめて、行動パタンや思考の癖を把握できなければ、自分がここにいる意味がない。
私で三人目であることを把握している。対象に関して報告書で確認したし、覚悟もしていたが、まったくもって理解ができない。分析し、パターン化し、報告書にまとめなければならないのに。報告書がまとめるまでもなく、三行で終わってしまう。
「理解不能。
人間の思考回路とは異なる。
取り入ることができるなどとは到底考えられない。」と。
探ることもままならない。
探ることとは、つまりコミュニケーションだ。
相手の反応をあらゆる刺激によって、試す。結果としての反応から中身のありようを推測する。推測から、相手に望ましい反応を起こさせるための行動を最適化し、実行し、さらに相手の反応を試す。
そして相手の望む反応を返していき、懐柔する。相手との良好な関係を築き、相手から情報を引き出す。
私に与えられたのは、その一端。中身のありようの推測と試行錯誤。懐柔するのは私の役目ではない。
気を許され、身も心も預からんとするのは、人形には過分だ。
何らかの数字の羅列としか考えられない紙束と、英字の論文。
さっぱり理解できない。
しかし、推論を立てながらでも理解するしかない。
彼は、論文からなにがしかの推論を立てて計算している、と思われる。
のだが、数字と数字の相関関係を示す文言が、切れ端程度にしか書かれていない。切れ端と切れ端をつなぐ重要な内容は彼の頭の中にしかない。そして、彼は文書で発表しない。しかも発表するのは彼ではない。彼に代わり、家族が結果だけを公表して、他の研究者に預けている。彼には他人に理解されようという気がないのだろう。人の世に興味がないのだろう。
世界の理を理解している。世界の理にのっとり新たな物質を生成し、顕現する。
彼の興味は、世界にしかない。
結果を形で提示してしまう。そして科学者たちは形で提示されたものを享受するしかない。彼の研究のメカニズムを知ることが至上命題である。彼の脳みそを世界に開示するのが課題である。
彼の存在は稀有でありながら、尊重され、囲い込まれ、その在り方を許容されている。
彼の頭脳は、その稀有さゆえに、利己的な世界に存在を消耗されつぶされてもおかしくなかった。己の利を貪り、他者に虫ほどの価値をも認めず、他者から奪い取ることを奪い取っているとも意識しない、貪ることをこそ存在理由にしているかのような者は、存在するのだ。
…そして、私も、その貪るものの、一人である…。
彼の持つ頭脳は、彼の頭脳を庇護するだけの大きな力を持った、彼の兄と、彼の両親によって守られている。
彼は、愛されている。
彼の稀有さを理解しながら、彼を利用しない。
彼の稀有さごと愛するゆえに、彼の成したいことをサポートし、彼の望むだけの環境を構築し、必要なものを用意する。
彼にとって有益なものを残し、有害なものを排除する。
目を覚ますと、魂をかきむしられるような、おぞましさだけが身を包んでいた。
いつもの悪夢だ。何度も何度も夢に見る光景は、余りにも思い返しすぎて擦り切れている。もはや暗号のように意味をなさないものであってほしいのに、鮮明に感情を揺さぶってくる。感情は、害悪だ。私を苦しめるものでしかない。それなのに、私は、いまだ捨てきれずに持て余している。こんなにも絶望しているのに、麻痺しない。こんなにも絶望しているのに、死にきれない。私は、生きている。
教授は、人間に一切の興味がない。
人間であると、教授と同じ種族の生物であると認識されているのかも怪しい。
確かに、私は教授にとって、一助手に過ぎないのだから、認識されていないこともおかしくはない。しかし、教授にとって血のつながった兄であり、愛情を惜しみなく注ぎサポートをしている人間ですら、個人と認識されていないのではないかと感じるのだ。
「正行、また研究室で夜を明かしたのか」
「・・・」
教授はチラリとも視線を動かすことはない。視線は手元の資料から離れない。
それでも、兄、博行の柔らかなまなざしは変わらない。正行から関心をむけられないことに慣れきっているのか、諦めているのか。諦めているにしては、余りにも柔らかく愛情深い雰囲気は弟に対する並々ならぬ絆を感じさせる。
にもかかわらず、弟の正行からは、兄の醸す愛情の片鱗すら感じることはできない。
私は、…教授が…、うらやましい。
あんなにも愛される教授が。
あんなにも人間に無関心な教授が。
私は愛されない。
私は、無関心には、なれない。
いつも掻き乱される。
心など、いらないのに。
神様のお人形 キノシタ @kinoevi
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