京洛のふたり

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第1話

 京洛のふたり


          前編  - 年暮るるまで -


 序章 一  府立美術館「藤壺」


 その作品は、藤の花房がある建物の前を覆うモティーフの華やかな日本画だった。

 左上部から鮮やかな藤の花房が咲き垂れており、その藤花の合間から閉じられた蔀(しとみ)のある建物が見える。おそらく御所の一部であろう。

 富田雅(みやび)は作品に魅きつけられ、さらに前に踏み出した。

 絵の美しさ、絢爛さとは対照的に画面からは静謐さと底知れぬ「悲しみ」のような雰囲気が感じられる作品だ。

 宇陀荻邨(うだてきそん)作「飛香舎―藤壺」とある。花盛りの藤の花房の表現を詳細に見てみたい、と足を止めたのだが、作品が放つ「静謐さ」と「悲しみ」の情感に心を揺すられた。

 雅が傷心を抱きながら絵の数々を観ていることに共鳴するように、作品は深いものを投げかけていることを感じた。

 雅が見とれているともうひとり、この絵を熱心に眺めている人影に気づいた。

 先ほどまでたったひとりであったこの展示室に、いつとは分からないがもう一人の鑑賞者が入室したようだ。

 端正な顔立ちの知的な風貌の男性が、少し深刻な眼差しでこの絵に見入っている。

「この女性(ひと)も苦しかったろうな。」

 関西訛りのない言葉で本人は自身に呟いたのであろうが、雅にははっきりと聞き取れた。

「へぇ・・・」

 雅は声に出してしまって、思わず口許を押さえた。

「あ、いや・・・失礼・・・」

 その人はこちらに気づき、狼狽気味に苦笑いを残して立ち去った。

 “この女性”、って絵には誰も人なんか描いてないやん・・

 不審に思いながらも雅は、しばらく作品の前に佇み画面から感じられる「悲しみ」を受け止めるのだった。


 美術館は府立美術館でかつて日銀京都支店であった所であり、レトロな建築が未だに威容を誇っている。

 年初早々家業の繁栄祈願のため例年どおり両親、弟夫婦と共に伏見稲荷大社に詣でたあと、ひとりで府立美術館にやってきた。

 昨年までは毎年、親しく教えを受けていた先輩と合流し、美術館などを楽しんだものだが今年は叶わなかった。 

 美術館では京都縁りの日本画家たちの企画展が開催されていて、ひとりで鑑賞するのも気が進まなかったのであるが、とりあえず重い足を運んだ。

 新年早々であり、さほど混み合ってもいない展示室には竹内栖鳳、上村松園、幸野楳嶺、鈴木松年といった京都ゆかりの巨匠の作品が展示されている。

 それぞれの作品の味わいをあの先輩ならいかに評し、どのような感想を述べてくれるか、と思い巡らせながら鑑賞してまわるうち、その作品に出遭った。

「悲しみ」を放つその絵に向けられた男性のことばが、なにか気にかかる雅であった。

 

 

 序章 二  細田美術館にて


 松が取れると、京都はようやく落ち着きを取り戻す。

 一年で一番観光客も少なく、町が静かな時節である。ところが翌月になると市内ではまず中学・高校で入試が始まり、多くの受験生が右往左往する。地元京都市内からの受験生はかなり少なく、殆どが京阪神のいずれかから来ている。

 更に大学受験では他府県からの受験生も加わり、馴染みのない交通機関や乗換えの手間、複雑なバス路線に戸惑い混乱するのである。

 そんなとき、ものの分かった京都の人たちはあえて徒歩で移動し、地下鉄なども比較的空いていそうな車両を選んで乗降する。

 そんな受験シーズン前の今は観光の目玉もなく、美術館でも昨年から引続き開催している企画展以外にはさしたるイベントはない。

 俊(しゅん)はそんな中でも、趣味の美術館廻りのため予めネットを検索し、情報を確認しながら目ぼしい企画に足を運んでいる。

 そんなある日、俊はその人と出逢った。


 その日も休日を利用して岡崎界隈の美術館に足を運んだ。国立の近代美術館はリニューアル工事中で、市立美術館の公募展を観たあと細田美術館に向かった。

 ちょうど観たい、と思っていた企画展の招待券を新聞販売店からもらったことも足を運ぶ動機になっている。

 この美術館は、大阪で繊維業により身を興した立志伝中の人物の蒐集品の数々を所蔵している。特に琳派や江戸期の絵画では比類ない収蔵品を誇る。平成十年に新規開館したのだが、建物もユニークで建築賞を授与されている。

 景観に配慮して地下に埋没した展示室は、一階から下へ下へと下がっていく構造である。

 俊は受付で招待券を渡すと、入館シールをブレザーの胸ポケットに貼り付けた。面白いシステムで来館者は手渡された入館シールを目立つところに貼り付けて館内に入る。

 どうやら曜日ごとにシールの色を変えてあるらしい。入館者はシールを返却せずに退出するが、再利用を防ぐ意味合いもあるのか。

 ユニークな仕組みだ。

 今回も狩野派や俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一、若沖などを楽しみながら、四つの展示室を順次鑑賞していった。休日の夕刻のことで、そろそろ閉館時間も近く鑑賞客は極端に少ない。

 場合によっては、展示室に唯一人ということもあった。

 三番目の展示室に入ったとき、先客がいることに気づいた。

 部屋の中央のベンチに女性が腰掛けていた。

 腰掛けている、と言うよりはうずくまっている、といった表現が正しい。

 パープルのコート姿で、ベージュのコーチのショルダーバッグを抱えるようにして、肩を震わせ何か苦しそうな様子である。

 俊はこのままそっとしておくべきか、声を掛けるべきか迷った。美術館というところは鑑賞に没頭するために来館する人も多く、見知らぬ人から声を掛けられることを嫌う人も少なくない。

 しかし今はその女性の様子がただならないので、やはり声を掛けることにした。

 女性の斜め前に立つ。

「あのぉ、どうかなさいましたか。ご気分がお悪いですか。」

 と遠慮がちに声をかけた。

 その人はゆっくり頭をあげると俊を見上げた。憔悴した表情だが、何より驚いたのは泣き腫らしていることだ。

 これは声を掛けてまずかったかなと思いながら、その人の反応を待った。

「ありがとうございます。

 すみませんねぇ。美術館で泣いたりして・・・」

 意外にしっかりとした声で応じてきたので、俊は気分が悪いのではなく、感情的な昂ぶりだ、と理解した。

「いや、こちらこそ失礼しました。

 ご体調が悪いかな、と思ってしまったものですから。」

「うふふ。おかしいですよね、美術館で泣いてるなんて・・・」

 京都弁のイントネーションで答えながら、その人はバッグからティッシュを取り出すと涙を拭った。

「お邪魔しましたね、ごめんなさい。」

 そう声をかけ、俊は鑑賞に戻ろうとした。

「あのぉ、ここはよく来はるんですか。」

 その人が問う。

「ええ、企画展毎にきますね。」

「へぇぇ、東京の人やのに・・・?」

「いや、こちらに住んでます。

 もう三十年にもなるが、関西弁は苦手です。」

「そうですよね。東京のお人が無理に関西弁使わはっても、変なイントネーションになって滑稽ですよねぇ。」

「そう、学生の頃それでよくからかわれました。」

「大学は京都ですか?」

「・・・・」

「あらぁ、ごめんなさいねぇ。泣いてた人が何聞いてんねんやろ。」

「いや、構いません。同志社ですよ。」

「あ、同んなじや。私は同女です。」

「へぇぇ偶然ですね。」

 そのとき、閉館間近である旨のアナウンスが流れた。

「あ、すみません。せっかくご覧になってたのに、時間がなくなってしまいましたね。

 続きを急いでご覧くださいね。」

「ありがとう。でも、もういいですよ。

 実は二度めなんです。」

「へぇぇ、同じ企画を二回もご覧になるって、ご熱心ですね。」

「いや招待券があったものだから。

 それより、少しはお元気になられましたか。」

「はい、ありがとうございます。」

 俊は、女性が体調不良でもなさそうで、案外会話が弾むことにある意味,

 安堵した。

「あのぉもしこの後お暇なら、お声をかけて戴いたお礼にお茶をご馳走したいんですけど、お時間は大丈夫ですか。」

 以外な女性の誘いに戸惑いつつも、

「いや私は大丈夫ですが、貴女こそお時間よろしいのですか。

 もう夕刻ですよ。」

 と応じる。

 するとその人は左手の甲を俊に見せながら、

「このとおり、独り身ですから。」

 と微笑んだ。

 鳴いたカラスがもう笑う、とはこのことであろう。

「そですか、ではご一緒しましょう。」

 と俊がうなずくと、その人は

「美術館の出口でお待ち下さらないかしら。

 化粧室、行きたいんです。泣いたあとで、ひどい顔だから。」

 そう言うとその人はそそくさと立ち上がり、出口に向かった。

 変な展開になったものだ、と苦笑しながら俊も出口に向かう。

 館内には、閉館を知らせるアナウンスが流れ始めた。


 外は、もう日暮れて暗い。

 さあどうしようか、と俊が考えていると、その人が出てきた。

「急にお誘いしてすみませんねぇ。

 さっきお茶って言いましたけど、お食事でもいいですか。」

「はい、結構ですよ。」

「じゃ、勝手いいますけど、私がご案内しますから任せて頂けますか。」

「はい、構いません。」

「じゃ・・・」

 そう言うと、バッグから携帯電話を取り出して電話し始めた。

「はい、そう二人ですねん。

 では二、三十分で伺いますから・・・」

 女性は電話を終えると手を挙げてタクシーを止める。

「五条の税務署へ。」

 この休日の夕刻に税務署もないものだろうが、お先にと譲られ、俊は先に乗り込んだ。

「あ、失礼しました。

 私は富田、富田 みやび、です。」

「あ、こちらこそ名乗りもせずに失礼。

 榊原 俊です。どうぞ、よろしく。」

「いいえ、私の方こそ。

 今から行く処は、元々お薬問屋やった町屋を改装しはったレストランです。内装は古い柱や梁をそのまま使こうてはるんですけど、とてもインテリアが素敵なんです。

 そんな飛び抜けて高こうもないし、とてもおしゃれで美味しい一品ばかりなの。」

「へぇぇ、そうなんですか。」

「ええ個室なんか、元土蔵をそのまま活かして個室にしたはるんですわ。

 ユニークでしょ。」

「ええ。場所はどの辺りなんですか。」

「美術館がお好きなら、『学校の美術館』って知ったはるでしょ。

 あのお向かいですわ。」

「え、私が美術館好きって、お話ししましたっけ。」

「いややわ。

 同じ企画展に二度も足を運ぶお方は、美術館好きに決まってますやん。」

 俊は短い時間で鋭く推測する雅に圧倒されつつ、言葉を継ぐ。

「『学校の美術館』とは貴女も、あ、富田さんもディープなスポットをご存知ですね。」

「みやび、で結構ですよ。

 みやび、って呼んで下さい。

 私からは『俊さん』で構わないかしら。」

「ええ、構いませんよ。」

 こう答えながら、どんどんマイペースを繰り出してくる雅にますます驚く。

「さっき泣いてた女がどんどん先走って、俊さん、警戒したはりますやろ。」

「いや、みやびさんこそ、初対面の男でヤバくないのですか。」

「いいえ、ちっとも・・・

 さっき美術館でお声をかけてくれはった様子とかで、信頼できる方かどうかくらい、分かります。

 それに、絵を好きな人に悪いお人はおへんぇ。」

「ははは、そりゃありがとうございます。

 でも『学校の美術館』には、素晴らしい作品がたくさんありますね。

 元々京都は円山派や四条派など、日本画の流派もそれぞれ妍を競っていたのですが、明治に入っても洋画の流入や普及にもめげずに素晴らしい作品を創作しましたね。

 あの美術館には竹内栖鳳や上村松園など、大家の作品がしっかり保存されている。

 京都の方々の気概を見る思いです。」

「俊さん、凄いですね。

 美術館の名前を言うただけで、知識が溢れ出ますね。」

「いや、それほどでもないですよ。

 ところでみやびさんって、どんな字ですか。」

「雅やか、のみやびです。

 知らはらへんお人は、よう『まささん』って言わはりますわ。」

「そうでしょうね。

 私も『としさん』ですから。」

「子供んときにはイヤやったけど、今は好きな名前です。

 個性的やし、名は体を表すし・・・・うふふ」

「お名前どおり、とお見受けしますよ。

 便利なのは自分を知ってるかどうか、一発で分かることですね。」

「そうです、そうです。

 知らへん人が、漢字だけ見て電話してきたはるとか、見分けつきますもんね。」

「そうなんですよ、とても助かる・・・」

「ほんとうにね。」



 序章 三  町屋レストランにて


 レストランは雅の言ったとおり、町屋の外観そのままに中を改装したものだった。

 京都の町屋は間口が狭く奥に細長い、いわゆる「鰻の寝床」と言われるが、ここは商家だっただけあって、間口も広かった。柱や梁をそのままむき出しにして残し、駆体を再利用した構造である。厨房もオープンで、内部は広々としていて天井も高く圧迫感がない。

 いい店だと、俊はすぐに気に入った。

 料理も凝っている。京都の素材にフレンチ風のアレンジらしい。

 メニューを眺めながら、なかなかコンセプトのしっかりした店だとますます俊は興味をもった。

 アラカルトで、前菜を選び、まずはビールで乾杯する。

 雅は行ける口らしく、気持ちよくグラスを飲み干す。俊は黒ビールをお代わりし、雅はシャンパンにした。

 お酒と食事が進むにつれて会話も弾む。

「貴女、いや雅さんもよく美術館を廻られるんですか。」

「はい、仕事柄・・・」

「ほぉぉ・・・」

「あの、うち、染めもん屋なんです。

 私、こう見えても染色デザイナーなんです。」

 こう言うと雅は俊に名刺を手渡した。

「ほぉ、染色作家さんか。

 あ、失礼、私の名刺です。」

 俊も名刺を差し出す。

「スリーエスシステム株式会社、代表取締役・・・

 え、社長さんですか。」

「まぁ、二十人規模の小さな会社ですがね。」

「でも一国一城の主ですね。」

「いやいや、設立のときに三人で始めたのです。

 その三人の頭文字が全部『エス』なので、『スリーエス』ですよ。」

「今をときめくITやわ。」

 雅はため息交じりにつぶやく。

「最先端の凄い仕事だと思われる方は多いですが、その実泥臭い、人手のかかる仕事です。

 よく建設業が『3K』って言われますよね。

 キツイ、危険、汚い・・・」

「ええ。」

「でもITも、『3K』なんですよ。」

「またどうして・・・」

「キツイ、厳しい、帰れない。」

「ふふふ、いややわ。」

「『キツイ』とは、やはり仕事がキツイですよ。

 技術水準やノウハウを蓄積、向上させないといけなし、人間がプログラムを書いているから、十分注意しないといけない。」

「間違うたら大変ですね。」

「でもやはり人間のやることだからバグはあるんだな。

 次の『厳しい』は納期や予算ですね。」

「これは染めもんも一緒やわ。」

「そうですね。

 で、最後は『帰れない』。

 納期が迫っての残業もきついが、何よりトラブルのときには原因追究、修復に徹夜続きですね。」

「えらいお仕事ですね。」

 雅はしきりに感心している。

「どんなソフトをやってはるんですか。」

「組込みですよ。

 あ、つまりね、例えば電気炊飯器なんか、上手にご飯を炊くでしょう。あれはマイコンが内蔵されていて、そこにプログラムが書いてある。

 そのプログラムが『はじめチョロチョロ、なかパッパ』をやってくれる。」

「へぇ、そうなんですか。」

「ええ、ただ今のは例えで、我が社は家電品はやってません。」

「じゃどんな・・・」

「工作機械ですね。

 そういうメーカーさんは京都に案外多いんですよ。

 京都は古い町だが、住んでいる人たちの気概はいつも先取りの気風に溢れ、常に新しいものを求めています。」

「そうですかね。」

 雅は懐疑的な様子だ。

「ええ、日本で最初に電車が走ったのは京都だし、先ほど話しの出た小学校、あれも日本初は京都ですね。

 あの琵琶湖疎水だって凄い事業ですよ。」

「岡崎の美術館のとこを流れてる。」

「そう、南禅寺の水路閣とか蹴上のインクラインとか。

 水を流して、それで発電してポンプ回して水を汲み上げ、おまけにケーブルカーまで動かしたんだから。」

「俊さん、ご自分がやらはったみたいに昂奮しはって。」

「あ、すみませんねぇ。

 でもこういう風に創意工夫して挑戦することは、とても魅力的ですよ。

 先人の偉大さに敬服です。」

「東京のお方なのに、よくご存知ですね。

 失礼ですが、お幾つですか。お若く見えますけど。

 あ、私は四十三歳です。」

「おや、ご年齢まで先に言われては・・・

 私は五十一歳ですよ。」

 雅は自ら年齢を口にしたが、自称する年齢よりは若く見える。その点では俊も同じで、四十歳台と言われることが多い。

 幸い、家系なのか頭髪も漆黒である。俊の父も八十歳を目の前に、禿げず黒い頭髪を保っている。

「うちはね、何でも江戸時代初めから続く染め物屋らしいですわ。

 噂では雁金屋の仕事も請け負っていたとか。」

「えっ、あの尾形光琳の・・・・ですか。」

「まぁ、お話しだけですけどね。

 せやから仕切たりやとか、伝統とか、とてもうるさいんです。

 子供時分から息の詰まりそうなお家やと、思うてました。」

「でも、伝統は大切ですよ。打ち破って済むものじゃない。」

「ええ、歳がいってから・・・

 うふふふ、自分で歳や、言うたら世話ないんですけど、ようやく最近、その辺りが分かってきたかなって思うてます。」

 俊は大きくうなずく。

「そうですよね。

 それで、雅さんは京友禅をやっておられるのですね。」

「はい、うちに古くからおる職人にガンガン叱られてます。

 でも勉強せなあかんし、こうして美術館で吸収しています。」

「そうですか、なるほど。

 でもデザインというか、染め、と言う観点から鑑賞すればまた違うでしょうね。

 どの作家がお好きですか。」

「そうですね。宗達もええけど、やはり光琳ですね。

 あの人は、染め、を意識して絵を描いたはります。」

「あははは、お親しそうですね。」

 雅も笑いながら続ける。

「そうです。身近に思えて・・・・

 昨年は東京の根上美術館まで、『燕花図屏風』を観に行きました。」

「へぇぇ、わざわざとは凄いですね。

 あれは染めの技法を活かして、いわゆる捺染の手法で燕花のモティーフを繰り返していて、とてもリズミカルで、いい音楽を聴いているようです。」

「うわぁぁ、さすが、ですね。私が言いたくても上手に表現できひんかったことをしっかり代弁してもろた感じですね。

 その言い回し、頂きます」

「あはは。

 度々お褒めに預かり、ありがとうございます。」

 雅はまたシャンパンをお変わりする。

「俊さんは東京のどちらなんですか。」

「大田区ですね。東急線沿線ですよ。」

「え、まさか田園調布ですか。」

「いやいや、昔からの住宅街ですがね、まだ両親共に古屋に住んでるもんだから、たまには顔を出すんですよ。」

「そうですか。

 じゃ度々、美術館も行けますね。羨ましいですわ。」

「実家に戻っても美術館に行ったり昔の友人に会ったりするから、父なんか、たまに拗ねてます。」

「あら、未だにお坊ちゃんなんですね。」

 雅はからかい気味に笑顔で言葉を向ける。

「いや、そんなこともないですけどね。

 雅さんはご両親とご同居ですか。」

「はい、自立できない女なんです。」

「ははは、うまい表現ですね。

 でもここの料理は逸品だな。いいお店をご紹介頂き、ありがとうございます。またちょくちょく利用しますよ。」

 俊は店の内部を再度見まわしながら言う。

「ええ。ぜひどうぞ。

 それでね、今日の本題をお話しとかないけませんねぇ。」

 雅はあらたまった。

「え・・・」

「いややわ。私が泣いてた理由ですけど、聴きとうないですか。」

「いや、そんなこともないですけど、やはりプライベートなことでしょうから・・・」

「でも、ご心配いただいたし、お話ししときますね。

 実は、とても仲良くしていたお友達がいたんですけどね。」

「ボーイフレンドですね。」

「うふふ、そうやったらええんですけど、残念ながら女性のお友達です。

 お友達というより、先輩というかお姉さんって感じですね。

 私より三歳うえで、やはり染色作家でした。」

「でした、と仰いますと。」

「やはり俊さんは鋭いお方やわ。

 昨年暮れ近くに亡くならはったんどす。」

「それはショックでしたね。」

「私のうちは、生まれたときから染め物ん屋ですさかいに最初から人生、決められていたようなもんで、私は学生時代からつい最近まで不満の固まりでした。」

「分かるような気がします。」

「大学かて市芸行け、って言われて、それで反発して同女の家政科受けたんですわ。

 子供の頃から、普通のサラリーマンの家庭に生まれていたら、どんな幸せやったやろか、とそんなことばっかし考えてしもて・・・

 でも卒業のときに就職もうまく行かず、結局、渋々染色作家になったんですけど、そんな反発してる娘は職人さんから見たら鬱陶しいだけですわ。」

「・・・・」

「うちの職人さんたちからは総スカン食うし、惨めでした。」

 雅は遠い目で自らの道を振り返る。

「そんなときにあの方にお会いしたんどす。」

「そりゃ幸運でしたね。」

「ほんまに地獄で仏でした。

 その方は、ご結婚もちゃんとされていてご家庭もおありやのにきちんと両立されて、作品も賞を取るような素晴らしいものなんです。

 それで、その方に色々教わり、叱られ、そしてこんな風に美術館も観たりして勉強しいや、と諭されて・・・」

「そうでしたか。」

「あの細田美術館は一番最初に連れて行ってもろた処です。

 作品の鑑賞はもちろん、コンセプトとか、付随する関連ビジネスのやり方とか・・・」

「カフェやスーベニールショップなどのことですね。」

「ええ。あそこはモダンなお茶室までありまっさかい。」

「建物も素晴らしいし・・・」

「ええ、ですからその方を偲んで行きましたんですが、色々な思い出が一編に押し寄せてきて、たまらず泣き崩れてしまいました。

 無様なとこお見せして、申し訳おへん。」

「いや。

 お気持ちはよく分かりますよ。」

「他にも色々なイベントやパーティ、染め物や着物、伝承工芸の展示会とかもご一緒下さって、一生懸命教えて下さいました。

 このレストランもその方のご紹介なんです。」

 そのときウエイターが飲み物のオーダーを取りに来たので、二人はデキャンタで赤ワインをオーダーした。

「じゃ、今は少しお淋しいですね。」

「ええ、ご一緒に美術館に行く方もおられず・・・・

 あのぉ、俊さんは美術館廻りがご趣味なんですよね。」

「ええ、そうですよ。」

「ほんまに厚かましいお願いなんですけど、お邪魔やなかったら、これから私もご一緒させて頂いて、美術館廻りにお連れ頂けませんでしょうか。」

「ああ、そんなの、お安い御用ですよ。

 どうぞお気軽に仰って下さい。」

「いやぁ、嬉しい・・・

 ありがとうございます。

 足手纏いでっしゃろが、何とぞよろしぅにお願い申します。」

「ええ、こちらこそよろしくお願い致します。」

「ああ、よかった。

 安心したら、またお腹空いてきましたわ。

 俊さん、デザート頂きましょね。」

 こうして俊は、雅と共に美術館廻りをすることとなった。

 それは俊の人生にとっても大きなエポックを形作ることとなる。



 春静 一  泉翠美術館


 京都東山の南禅寺からほど近く、紅葉で有名になった永観堂の辺りにその美術館はある。

 ようやく三月になったばかりで、桜にも、ましてや紅葉にも時期はずれである。

 美術館は関西由来の財閥の蒐集品を納めているが、中でも日本一古い銅山ゆかりの財閥なので、古代中国の青銅器の蒐集は世界的規模である。

 埋蔵している国でなく、他国が力任せに文化財を奪取したことには今やエジプト政府などがイギリス等に返還要求をしてはいるものの、元々その国に放置された状態が望ましかったかどうか、は疑問である。

 知識と技術のある国が文化財を見出し、発掘し、調査評価し、保護したからこそ現代にもそれは継承されているのであって、その労には目を瞑りながら元々は我が国のものである、との主張は手前勝手である。

 そんな持論を頭のなかで展開しつつ俊(しゅん)は、もう少し歩くと美術館に至る曲がり角だと気づいた。

 足任せに歩くとよく知っている道でも一筋誤ったりするので、辻々では気にかけるくせがついた。自宅からかなりの距離を来たが、これが数少ない俊のエクササイズのチャンスなので積極的に歩くことを心がけている。

 この辺りは鹿が谷である。昔、平家打倒の密議が交わされた場所として名高い。

 ようやく美術館に到着し、割引券で僅かな値引きを得て入館チケットを求めた。

 世の中には多くの招待券が流通していて、こぞって美術館を訪れる人も多いが、なかなか俊には恩恵が巡ってこない。

 まぁいいさ、とつぶやきながらロッカーに荷物を預け、ロビーのソファに腰掛けて雅(みやび)を待つ。

 この美術館を指定したとき、どこか分かりやすい駅の改札等で待ち合わせましょうか、と提案したが、分かっていますから、と美術館のロビーでの待ち合わせで応諾された。

 まだ出逢ったばかりだし、その待ち合わせはふたりに似つかわしかった。

 開館直後の待ち合わせ時間を少し過ぎて、雅が入ってきた。キョロキョロとロビーを見渡し、俊を見つけると会釈した。

 やはり道に迷って途中でタクシーを拾ったと言う。運転手があまりに近いので乗車を渋ったらしいが、無理に頼み込んで乗せて貰ったら三分ほどで到着した、と笑い顔で答えた。

 次からは駅の改札にしましょうね、と平然と前言を翻す。

 俊も笑いながら、それがいいですよ、と応じる。

 まずはロビーから渡り廊下を進み、新館に向かう。

 新館と言っても、本館より建築時期が後だから新館なのであって、それなりに年数を経た建物である。

 今回はこの美術館の所蔵品のうち、水墨画を中心としたコレクションの企画展である。室町期から江戸時代に至る諸作家の作品が並ぶ。

 あまり馴染みのない画家の名ばかりだが、中には雪舟や応挙、そして今盛り上がりを見せている若沖などもあった。

 雅は熱心に解説のキャプションを読みながら、一点一点を確かめるように鑑賞している。

 およそ五十点弱の展示作品をひととおり鑑賞した。

 俊もそれぞれの画趣を楽しんで、次に本館に戻り、この美術館の膨大な青銅器コレクションを観る。

 この美術館には夏になると欧米から研究者が来館し、一日中青銅器のコレクションを眺めていることもあるという。

 日本には本家筋の故宮博物館より充実した収集品があると言われ、神戸の酒造メーカーの美術館と、東京青山の電鉄系美術館のコレクションが有名である。

 本館の大部分を占める展示室はスロープを上がる形で序々に上の階に登る。

 古代中国商(夏)の時代から、殷、周、西周、春秋戦国、秦、漢と蒐集品が並ぶ。

 銅鏡などもあるが、多くは祭祀に用いたであろう数々の器で、尊(そん)、卣(ゆう)、爵(しゃく)、敦(とん)、豆(とう)、と見慣れない漢字が添えてある。

 それぞれには「饕餮文(とうてつもん)」と言われる怪獣の目鼻を象った紋様が入り、時代時代で特徴がある。

 大きなものから手に乗るサイズまで、様々で壷の形のものや三本の足、鼎(かなえ)を有するもの、取っ手や注ぎ口のあるものなど意匠もバリエーションが多い。

 丹念に観ていくと興味深い。しかし数百点の展示をじっくり観るのは、凄まじく体力を消耗するものである。四層ある展示室から出口を出て、雅は大きく息をつき、

「いやぁ、俊さん、凄かったですねぇ。

 ようあれだけ集めはったもんや。」

 と慨嘆した。

「十六代めの秋岳という人が特に熱心だったそうですよ。」

「へぇぇ、それにしても凄い情熱ですね。」

「疲れたでしょう。

 書籍やパンフレットを置いてあるコーナーがありますから一休みしましょう。」

 休憩コーナーに入ると、また目敏く雅が珍品を見つけた。

「俊さん。これ叩くと音が出るそうですよ。」

 それは編鐘(へきしょう)と言われるもので、やはり祭祀に用いられたという。

 鐘を叩く位置、すなわち、鐘の中央と上部では音色が異なる。雅は何度か叩いてみて、無邪気に喜んでいる。

 まず最初の美術館には、こうして暇を告げた。

 美術館を出ると、少し歩いて丸太町通りに出て、岡崎方面に歩く。

 まだ午前中で、これから銀閣寺や哲学の道等に向かう人が多く、反対方向に向かう車両はとても混雑している。またバスもかなり混んでいて、平日の朝のラッシュのような有様だ。

 俊は岡崎公園辺りで昼食にする積もりで、既に予約を入れてある。

 ふたりは早春の岡崎道を南下していった。



 春静二  青黎院


 岡崎公園に近く、その日本料理店は繁盛していた。

 この辺りは平安神宮や京都会館、国立と公立美術館があり、観光スポットとしてもメジャーなので強気の営業をする店も多い。

 ランチを予約するなら六名様以上から受け付けておりますとか、懐石弁当の五千円以上のご予約から承っておりますとか、商魂はたくましい。

 そんな中でその日本料理店は大変良心的で、ランチでも席の予約のみで受け付けてくれる。しかも美味でリーズナブルである。

 席に案内され、懐石のミニコースとビールをオーダーした。

「俊さん。ありがとうございました。

 あそこはもちろん行ったことありましたけど、企画展ばかりであんなに常設が充実しているとは夢にも思わず、えらい損してました。」

「さすが財閥の底力で、もの凄い蒐集品ですね。

 私も何度も行っているが、いつも圧倒されてます。」

「それぞれには難しい名前がついてますね。」

「ええ、私も『尊』とか、『爵』くらいしか分かっていません。

『尊』は酒器ですね。上部が花びらのように開いている。『爵』はいわゆるとっくりですよ。」

「家に帰ったらあの解説をもう一度読んでみますね。」

「じゃ、今から何省館(かせいかん)に行きましょう。

 確か、村上華峰(かほう)をやってるはずですよ。あれもいい作家ですね。

 その前に、どうせ通り道だから青黎院さんに寄りましょうか。」

 俊は今日の道程を説明する。

「俊さんは東京のお方やのに、お詳しいですね。」

「申しましたとおり、もう三十年ですからね。」

「それに絵や美術館にもお詳しいし。

 最初にお会いしたときには、大学の先生かと思いましたわ。」

「はははは、そりゃ買い被りですよ。」

 俊は照れ臭そうに答える。

「こちらのお店も美味しいですね。俊さん、グルメでもいらっしゃる。」

「いやいや、大したことはないですが、どうせお金出して食事するなら美味しい方がいいですからね。」

「え、それって、関西人の発想ですよ。

 東京のお方はええかっこしいぃやさかい、値段が高い、イコール美味、って思うたはる人が多いっていう印象ですわ。」

「ま、そういう人が比較的多いのは否定しませんがね、

 でも合理的に考えれば、私の考えになりますよ。」

「ええ、そういう意味では、俊さんはやはり経営したはるだけありますわ。」

 雅は手放しで褒めてくれる。

「高いご評価ありがとうございます。

 じゃ、そろそろ行きましょう。」

 店を出て、どんどん人通りの多くなる神宮道を歩く。陽射しは春だが、まだ風は冷たい。

 神宮道を南下し、しばらく行くと青黎院の門前に出る。ここには保存指定された大楠の大木がある。その楠を眺めながら俊は深い息をつく。

「いつも思うんですが、この大木には威厳を感じますね。」

「ええ、私も凄い生命力を感じます。」

「樹木は生えているだけで、動くこともないし、ましてやものを言ったりもしないが、それでも多くのことを語りかけ、問いかけ、示唆してくれる。」

「ほんまにそうやわ。私もこの楠は好きです。

 悩んだり困ったりしたら、たまに話しかけたりしてましたから。」

「ほぉぉ、それじゃ人生の師ですね。」

「ほほほ、大袈裟やわ・・・」

 ふたりは山門に向かって階を登り、寺域に入った。

「ふつう、南禅寺さんや知恩院さんがメジャーやけど、

 俊さんはこの青黎院さんのどこに惹かれはるんですか。」

「そうだな。ここはやはり厳かなんですよ。

 さすが粟田御所と言われるだけあって、その侵しがたい雰囲気は独特です。仁和寺もそうだが、仁和寺はまだ柔らかい。こちらの方が威儀、がありますね。」

「へぇぇ、そういうものですか。」

 またまた雅は感心している。

「ええ、だから客寄せのために安っぽいライトアップなんかあまりやってほしくないな。」

「うふふふ、俊さんお得意の批判の精神ですね。」

「やはり、批判がましいですかね。」

「いえいえ、自分のご意見ご主張をはっきり仰るのは、いいことや、と思いますよ。」

「まぁ、うるさいと感じられる方の方が多いでしょうがね。」

 こう話しながら、本堂に入る。

 広い堂内に、レプリカではあるが国宝の青不動の軸や、重要文化財の毘沙門天立像が鑑賞できる。

 庭はゆったりとして池がある。玄関で一旦袋に入れた靴を履いて庭に降りる。見事な苔に縁取られた池泉回遊式庭園を廻る。

 また書院に上がり、そのまま進むとかつて仮御所として使われていた書院、宸殿に至る。

 一段高く内陣が設けられ、更にもう一段高く内々陣があって、御座所であったという。

 庭を見れば、右近の橘、左近の桜が配され、仮御所であったことが偲ばれる。

 裏に回ると、かつて貴人がそのまま輿で寺院内に降りたった大玄関に至る。

 束の間、由緒ある名刹で往時を振り返ったふたりであった。



 春静 三  何省館   


 ふたりは、知恩院方面に歩む。細い道筋だが、観光客は多く左右の土産物屋も賑わっている。知恩院の三門前で右に折れ、祇園方面に更に歩みを進めた。

「俊さんは、こうして美術館廻りしながら、いつも歩いてはるんですか。」

「そうですね。

 運動らしい運動もしていない毎日だから、唯一の運動かな。

 一日で結構歩きますよ。一万五千歩から二万歩くらい。」

「へぇぇ、そんなに。

 じゃ私もご一緒したら、ダイエットになりすね。」

「いやぁ、それはどうかな。

 先ほどもランチをペロリと平らげたし、歩いた分をきっちり補っている。」

「もう、俊さんイヤやわ。」

 軽口を叩き合いながらやがて、四条通りに出た。

 何省館は四条通りに面した近代的なビルにある。

 コンセプトは、「定説」にばかり準拠することなく、

「何ぞ、省みて必ずしも」

 の精神で、原理原則の基礎に立ち返り、振り返ってみる、との意という。

 小ぶりな美術館だが、村上華峰や山口香、そして北畠魯山人を常設している。この美術館はいつも開館しているわけではなく、イベントの度にオープンするタイプである。

 村上華峰は京都画壇で活躍したが、その独自性は他の追随を許さず、ユニークな展開を行っている。そんな画壇の寵児を臆することなく一室に迎え、堂々と展示するには、それなりの覚悟を抱くオーナーである。

 そういう反骨の魂が好きで、俊は度々ここを訪れている。

 今回もその辺りが雅に伝われば、とあえて選んだスポットである。

 ビルに入ると仏像がふたりを迎えてくれる。エレベーターで上がると、展示室には華峰の作品が並んでいる。

 日本画の真骨頂である線の描き方が鋭い。

 臆することなく素直に引かれた線は、この画家が並々ならぬ力量を有することを示している。

「仏画が多いんですね。」

 雅が囁いてくる。

「そう、喘息で苦しんだりもしたし。

 生い立ちも苦労続きだったみたいだね。」

 ふたりは作品を鑑賞しながらも、何か深いものに捕らわれたような気分になっていた。絵の仏たちには、知らず知らずに人に平安と安らぎを与えるようなオーラが発せられているようだ。

 決して派手で華やかな画調ではない。むしろ控えめ、謙虚といった表現があてはまるか。心穏やかになる、そんな絵画であった。

 美術館を出て、少し休むことにした。一筋入った路地沿いに落ち着いたカフェがあるので、そこに入る。

「私、仏画が多かったせいかどうか分かりませんが、何か華峰の絵で気持ちが落ち着きました。」

「そうですね。

 とてもゆったりした気分を与えてくれる作品ばかりでしたね。」

「線描が豊かなんです。

 線が生きてるんやわ。

 私も絹の生地にあんな線を、しゅぅ、って引いてみたい。」

「なるほど、友禅染めでも線は重要な要素なんですね。」

「ええ、線が生きていないと、紋様全体が映えません。

 とても大切なのよ、線自体が。」

 雅は遠い目で語る。

「やはりその辺りが日本画、和の伝統ですね。

 フランスに長く暮らし、結局、戦後フランスに帰化したレオナルド藤井も、素晴らしい線を描いてますよね。」

「そうなんです。潔いというか、思い切りというか。

 覚悟が見えますよ。」

「日本画は重ね塗り、やり直しが効かないから、紙や絹地に筆を下ろすときには、絶対の覚悟で描くんですね。」

「そう、友禅も同じで誤魔化せないし、本当に真剣勝負なんです。

 前にお話しした先輩は、例えば、お祖母さんの遺品である和服に更に紋様入れてくれとか、ってご注文も請けたはって。

 それって依頼主からしたらその一品しかないから、その生地に紋様を描く緊張は普通じゃない、と仰ってました。」

「そうでしょうね。

 私も、金沢出身の国展委嘱の女流の日本画家さんが仰っていた言葉を思い出しましたよ。

 仕立て上がった屏風に絵を描くときは失敗できない。

 でも、もう気合いしかない、ってね。」

「そうやわ、気合いやわ

 私も、もっと気合い入れよ。」

「ああ、いいですね。

 そうやって、気合いを入れ直してもらったら、私も美術館廻りをご一緒しがいがあるというものですよ。」

「はい、一回一回、美術館ごとに勉強になります。」

「いや、そんな肩に力を入れずに。

 観るぞ、って観ても、そんなに得るものは少ないですよ。逆に、力抜いて、すらぁと観て、自分のアンテナ、感性に引っかかったものに集中すればいいんですよ。

 ね。気軽に行きましょうね。」

「はい、了解です、隊長。」

「誰が隊長や。」

「あ、俊さん、関西ノリもできはるんですね。」

「アホ言うてへんで、そろそろ行きまひょか。」

「ぷーー。

 また関西弁や。

 でもやっぱし、イントネーション、おかしいわ。」

「・・・・」



 春静 四  山竜美術館


「このあとは、どこへ連れてってくれはるんですか。」

「四条河原町の百貨店で、東京の山竜美術館の企画をやってるから、そこに行きましょう。」

「へぇぇ、確か日本画専門の美術館ですよね。」

 雅は日本画の企画展と聞いて嬉しそうだ。

「よくご存知ですね。

 特に近代の秀逸な画家の作品が目白押しです。」

 もう夕刻である。

 いつもは帰宅を急ぐ人たちで混雑しているが、休日の今日は京都を訪れた人々が買い物したり食事をしたりしていて別の賑わいである。

 百貨店のイベント会場には、最初に美術館の紹介があり、併せて館長の謝辞が掲げられていた。

 館長近影として、和服姿の女性が微笑んで写っている。この人が三代めの館長である。

 元々大学では経営を学んでいたのだが、ある日二代めの館長である実父に美術館への就職を願ったところ、専門教育もない者を採用できないと言われた。

 そこで彼女は一念奮起し、独学で東京芸術大学の大学院に入学。

 日本画家であった平山育太学長の薫陶を受けて、山竜美術館に入り、今は館長として活躍されている。

 ふたりは展示されている作品を丹念に鑑賞した。

 横山大観、河合玉堂、前田青邨、小倉遊亀、奥村土牛、そして平山育太など、近代から現代までの著名な日本画の大家の作品が並ぶ。

 なかでも、この美術館のひとつの特徴である速水御舟の作品は、この季節に合うものが選ばれており、小品ながらも桃図や紅梅白梅、夜香図など秀逸である。

 至玉の作品が並ぶが、会場半ば過ぎには橋本明治の桜の絵がある。皇居の宮殿に飾られた作品と同様のものを、初代館長の山元竜二が画家に懇請して得たものである。

 満開の桜は華やかに金彩に輝き、神々しいまでである。

 尚も会場を進むと、今度は連作が展示されている。

 東谷盈夷の「京洛四季」と命名された四枚の作品である。

 解説によると、親交のあった川端康成から

「京都の風物を描くなら、もう今をおいてない。

 京都の景色はどんどん失われていきますよ。」

 と諭され、盈夷が京都に取材した作品群という。

 とは言っても、一度に描きあげたわけではなく、初作から近作まで凡そ二十年の隔たりがある。

 春夏秋冬、それぞれの景色を描いた作品は鮮烈で特に雅にとっては印象的だったようである。


 百貨店を後にして、ふたりは大通りから少し入った通り沿いの店に入った。昼が和食だったので、夜はイタリアンにした。

「俊さん、本当に一日中ありがとうございました。

 ひとりでは絶対に観ないような美術館や作品を楽しめてほんまに素晴らしかったです。」

「全て歩いて回ったから疲れたでしょう。大丈夫ですか。」

「ほんまによう歩きました。

 これでワイン飲んだら、もうあかんかもしれませんねぇ。

 俊さんにおんぶしてもらわな。」

「あははは、そりゃ大変だ。」

「でもこれだけ廻っても、ほんの一部ですよね。」

「ええ、メジャーな国立博物館や近代美術館、市立美術館、そして府立も巡ってないし、まだまだですよ。」

「今日は色々鑑賞させて頂きました。

 最初の青銅器も凄かったですし、青黎院もしっとりといいお寺さんどした。

 それに続いて村上華峰の仏画も何やら趣き深かったです。」

 雅は一日を振り返りつつ、感想を口にする。

「でも、最後に拝見した日本画の数々は圧巻どした。

 大家の秀作ばかり、そしてあの桜の華やかやったこと・・・」

「岩絵の具が盛り上がっていて、金彩だし見栄えがしましたね。」

「でもね、私、あの盈夷の京洛四季が印象的です。」

 雅は少し考えている様子だったが、

「ねぇ俊さん、あの絵の景色を訪ねて回りませんか。」

 と言ってきた。

「ほぉ、なるほど。それはいいアイデアですね。」

「ね。そうでしょ。

 季節毎にあの絵の景色を追って、京都を巡りましょうよ。」

「ええ、そうしましょう。」

 こうして俊と雅の京洛の四季を辿る逍遥が始まった。



 春静 五  春しずか


 これからの美術館回りの予定を約しあったふたりは、約一月半後に再度、一緒に出掛けた。今回は雅が提案したとおり、盈夷の作品の題材となった各地を廻る趣向だ。

 作品の桜の絵は、鷹が峯であるという。

 ふたりは、地下鉄とバスを乗り継ぐ行程で鷹が峯に向かった。

 俊は、地下鉄東西線の東山駅近くのマンションに住んでいる。

 十数年前に思い切って購入した。

 妻と子供ひとりの生活には、支障のない間取りである。ただ妻は買い物が遠いと嘆く。

 息子は俊と同じ学校に中学から入学させた。

 受験を早い時期から子供に強いることには抵抗があったが、京都の公立校は古くから革新政党よりの教師も多く、また学校も荒れている、と聞いて受験を認めた。

 ただその分、学費は半端ではないほど高額だった。今はその私学の大学に在籍している。

 雅は自ら語っているように、京都の昔からの染め物屋の出身であるので、市街中心部に住まう。

 前回、イタリアンの店のあと、四条烏丸にある俊の行きつけのバーに案内し、相当酒量を過ごした。

 俊が心配して帰路を問うと、ほうてでもいねますえ、と言う。

 意味が分からず問い直すと、這ってでも帰れる、との謂意だという。

 どうやら地下鉄四条烏丸駅にほど近い、木賊山町の辺りらしい。

 祇園祭には山が出るのか、と問うと、自分の家は代々山の連のひとりという。毎夏、父親は裃装束で正装し、巡行では山に従うらしい。

 由緒ある家柄に、俊はただ驚くばかりであった。

 雅の家も近かろうと、待ち合わせは四条烏丸駅の改札にして落ち合う。

 前回は落ち着いたワンピース姿だったが、今日はスラックスにブラウスという軽装である。

 俊も前回はブレザーにスラックスであったが、今回はチノパンにポロシャツ、ブルゾン姿である。

 朝も早いので、地下鉄車内も比較的空いている。シートに並んで腰掛けて、北大路駅までである。更にバスターミナルで市バスに乗り換えた。

 車中でも会話が弾む。

「おはようございます。

 先日はありがとうございました。」

「いや、こちらこそ。」

「また俊さんとご一緒したいと思いながら、一月半も経ってしまいましたね。」

「もうすっかり春、いや最近の陽気からすると初夏ですね。」

「ええ、ソメイヨシノが咲いてた頃は、えらい人出でしたけど、少し収まりましたね。」

「そうですね。

 でもあんなに押し寄せられると、住んでる方は閉口しますね。」

「ええ、俊さんはどこかお花見に行かれましたか。」

「うちは色々近いから、朝、花見をしながら出勤してました。」

「そりゃいいですねぇ。

 でも、そんなに早くご出勤ですか。」

「ええ、社員に嫌われるんだが、社内で一番ですね。」

「へぇぇ、そりゃイヤな社長さんやわ。」

 雅は驚いている。

「で、何時ですのん。」

「七時出社です。」

「ひやぁぁ、いややわ。

 私の起きる時間やわ。」

「ははは、まあ昔から朝型なもんでね。

 学生時分も朝、勉強していましたからね。」

「ふぅぅん、秀才さんやね。」

「いやぁ、追いつかなかったもんでね。」

「またまた・・・

 私なんか勉強へぇせんかったよって、今頃苦労してます。

 今更やけど、やっぱり市芸に行っとけば良かったって思うことが多いです。」

「そうですか。」

「ええ、芸事はやはり若いうちですわ。

 せやから、習い事が多うて。」

「お茶、お華とか・・・」

「そりゃもちろん、やはり仕事がらみで、日本画にデッサン、それに仕舞、謡い、香道、弓道、着付け、・・・ええっと・・・」

「凄いですね。

 そりゃ忙しいでしょう。」

「そう、だから美術館廻りもこんなに時間が空いてしまいました。」

「うん、じゃ今日は楽しみましょうね。」

「はい、今日もよろしくです。隊長。」

「ははは、また言ってるよ。」

 こうしてようやく目的地に到着した。

 訪れたのは光悦寺である。

 その昔、本阿弥光悦が徳川家康に願い出て、洛北のこの地を得たという。

 現代でも京都郊外の趣きで、宅地開発が進んではいるものの、鄙びた風情を残す。光悦はこの地に、自らと縁の深い人たちを集め、一大芸術村を出現させたという。工房などとは及びもつかぬほど規模も大きく各種の巧人、職人を集め、分業も可能とした。

 その光悦が葬られているのが、この光悦寺で、元は光悦の屋敷であったのだが、今は大きな寺院である。

 拝観料金を支払い、寺や光悦垣などを見学し、往時を偲ぶ。

 それから更に鷹が峯方面に向かう。もうソメイヨシノのような桜は散って今は葉桜である。しかし、山桜の類いは濃い桃色の花をつけている。

 そんな景色を眺めつつ、鷹が峯を麓から見晴らせる所に出た。山の斜面は多くの木々が新緑に彩られ、鮮やかな色合いだ。京都盆地を囲む山々は、急峻ではなく、なだらかである。

 と、手前にずいぶん枝振りのいい山桜があるのに気づいた。

 盈夷の絵にあるように、画面の右側に桜、中央に山の斜面という構図にするには、桜の位置と山が逆になる。絵と同じ構図を求めるなら、道をはずれねばならない。

 しかしこの山道では脇に入れる余地はない。

「ああ、残念やわ。絵とは構図が逆やね。」

 雅は持参した絵はがきを観ながら嘆く。

「そうだね。

 まあ、盈夷の頃にあった桜が、今もそのままあるとは限らないし、実際ここがスケッチを行った地点かどうかも分からないからね。」

「うーん、でも残念やわ。

 せっかくここまで来たのに・・・」

「もしかしたら、あの絵にあるような構図が見ることのできる場所は実際にはないのかもしれない。」

「え、どういうことどすか・・・」

 雅は怪訝そうだ。

「つまり盈夷はこの辺りで写生をいくつも描き、気に入った場面をアトリエで組み合わせた可能性もあるってことですよ。」

「ああ、なるほど・・・あり得るけど・・・・」

 そう言いながらも雅は納得がいかないらしい。

「ねぇ俊さん、もうちょっとこの先まで登りましょうよ。

 左に折れる道があるかもしれへんし。」

「ああ、じゃ行きますか。」

「そうこなきゃね、隊長。」

「まただ・・・」


 ふたりはなだらかな登りを歩む。辺りはひっそりとして長閑かだ。

 光悦寺辺りには観光客も多かったが、何もないこの辺りには誰もいない。

「俊さん、聞いていいですか。」

「はい、何でしょう。」

「私、俊さんと初めてお遭いしたときに、お慕いしてた先輩がいた、ってお話しましたね。」

「ええ、とても影響を受け、ポジティブな発想になれたと感心していましたね。」

「そやのになんで俊さんはその人のことを聞いてきはらへんのですか。」

「ああ、それは雅さんが話したくなるときが来て、自然とお話しされると信じてるからですよ。

 あれだけ泣くほど慕われている方なら、自然と話しのできるタイミングは必ず来るから。」

「ふぅーん、そうなんや。

 そしたら、私、今すごくその人の話しをしたいんです。」

 雅はまっすぐに俊を見つめる。

「ええ、伺いましょう。」

「その人はね、よく仰ってました。

『自然に学びなさい』って。」

「うん。」

「今こうして自然のなかにいると、仰っていた意味が染み入るようによく分かるんです。」

「はい。」

「染めの世界で言うと、定番といわれる柄があるんですよ。

 でもそういう柄をただお手本帳から移しとって描いても、何やら平板なつまらない柄になるんです。

 例えば『花車』という柄なんかは、実際の草花をしっかり写生して、その草花をまるで活け花を活けるように描いたら、すごく素敵な柄になって際立つんですよ。

 今回盈夷の作品を鑑賞して、自然の息吹をしっかり移しとってる生きている絵だ、と思えて、ものすごぉ感心しました。」

「ああ、そうだったんですね。熱心に観てた訳だ。」

「ええ、凄く感動しました。

 だから絵が描かれた景色をぜひ観たい、と思ったんです。」

「よく分かりましたよ。

 順に辿っていって自然に学ぶとはどういうことか、更に追求しましょうね。」

「はい、ありがとうございます。

 これからもよろしくお願いしますね。」

「おやぁ、今回は『隊長』って言わないんだ。」

「あ、忘れてましたわ、隊長。」

「また来た。」



 春静 七  堂島日之出美術館


 更に行くと、雅の言うとおり左に折れる道に出た。そこからなら桜を右に入れる構図が完成する。

 ふたりはその地点でしばし立ち止まり、盈夷の作品を偲んだ。

 山桜はあの絵ほど華やかには花開いてはいないが、画趣を彷彿として、何とも優雅である。

 盈夷は、この景色に春の長閑けさの中で毎年変わらず花をつける桜を、その生命力を描いたのであろう。

 そして山懐に抱かれるように守られてきた京都の画趣を大らかに表現した。

 都市の開発が進み、やがて自然も変化していく。ここ鷹が峯も、往時は山深く、田畦の道しかなかったであろうに、今は宅地開発も進み、市街が広がっている。

 しかしそれでも花は咲き、山は緑に覆われる。

 しばしそんな景色を堪能し、またふたりは歩み始めた。


「雅さん、良かったですね。

 お望みどおり、絵の世界が現実とリンクしましたね。」

「ほんとうに、感動でした。嬉しかったです。」

「ええ、私も感動した。

 感動したら・・・」

 俊が問う。

「え、何ですか。」

「お腹が空いたでしょ。」

「そのとおり。」

「じゃ、もう少ししたらランチにしましょう。」

「え、まだ歩くんですか。」

「うん、十分お腹減らしてもらわないと、雅さん、ダイエット効果

 ないからね。」

「もう、俊さん、ひどいわぁ。

 ああ、お腹、ぺこぺこ。」

「あははは、食いしん坊だね。」

 俊はからかう。

「いけずやね。

 あ、『いけず』って言うたら、親戚とかに言わすと、私は『いけず後家』やねんて。」

「へぇ、どういうこと・・・・」

「ふつう、なかなか嫁入りせぇへん女を『行かず後家』って言いますねん。

 けど、私はそれで根性も悪いから『いけず後家』やと。

 ひどいでしょ。」

「いやぁ、そりゃうまいなぁ。」

「ええっ・・・俊さんまで何言うたはるんですか。

 もう、イヤやわぁ。」

「そうやって興奮したら、余計にお腹減りますよ・」

「もう、いけず・・・知りまへん。」

「じゃ、先ほどのバスで千本北大路まで行きましょう。

 そこで、ボリュームたっぷりの中華にしましょう。」

「やったぁ。」


 ランチを終えると、今度は違う系統のバスに乗り換えて、立命館大学の前に向かう。

 そこには日本画家の堂島日之出を記念した美術館がある。また堂島日之出の作品のほか京都出身の日本画家の作品も多く収蔵され、都度企画展を開催している。

 この日は、京都画壇の面々が描く桜の絵画が展示されていた。

「うわぁ、不思議な建物ですね。

 まるでガウディみたい。」

「そうですね。やはり画家の記念館だから特別印象的な建築にしたのでしょうね。

 ああ、この画家は印象派のモネの「印象・日の出」からその号を取ったようですね。」

「へぇぇ、面白い・・・」

「結構、自分のペンネームとか、号、芸名にこうやって『本歌取り』のようなことをする人も多いですよ。

 例えば俳優の江森透なんかは『モリエール』を文字ったものだし。」

「そうなんですか。じゃ早く中に入りましょうよ。」

 こうしてふたりは画家の画業を鑑賞する。

 堂島日之出は大正から昭和のはじめには、正統派とも言える日本画を描いていた。しかし戦後、その画風は大きく変貌し、抽象的、装飾的になっていく。

 晩年にかけて、何かに挑戦するように様々な技法、構図を用いて画題を追求し、日本画の岩絵の具のみならず今日で言うメディアミックスのような画材の豊富さも駆使してユニークな作品を多く創作した。

 美術館を出ると、ああ疲れましたね、といいながらも明るく微笑んでいる。

 ここでも雅は新たなヒントを掴んだようだ。

 貪欲ともいえるその意欲は、俊に新鮮な感動を与え、単にひとりで美術館を廻っていては得られない心境をもたらしてくれた。


「あらら、疲れちゃいましたか。

 でも、ここからが大変・・・さぁ、仁和寺まで歩きますよ。」

「えええっ・・・、もうアカン、堪忍やわぁ・・・」

「だめだめ、芸の道は厳しいんだからね。」

「隊長は、オニ隊長やね。」

「はい、じゃ行くよ。」

「もう待ってくださいよぉ。」

 立命館大学の前辺りから金閣寺、龍安寺を経て仁和寺に至る路は

「きぬかけの路」と名づけられ、今では市民に親しまれている。

 約二キロ半の道筋には、金閣寺、龍安寺以外にも、等持院、妙心寺などの観光スポットがある。

 道筋を辿りながら、雅は今鑑賞した堂島日之出について熱く語っている。

「俊さん、私、堂島日之出さんって、もっとオーソドックスな画家さんやと思い込んでいたんです。

 でも、やはり画業に打ち込む人は違いますね。

 せっかく自ら打ち立てた画風を捨てて、大きく変貌を遂げる。

 それもちゃんと成功したはるんですもんね。

 凄い、偉大やわ。マネでけへん・・・」

「まぁ、凄いけど、それは結果で、そこに至るには大変な苦労をされているはずですよ。

 一朝一夕に出来るものじゃない。その苦労を見せず、ああして作品に結晶させているのが偉いところですよ。

 私はこんなに頑張って、工夫して、苦労したんです、って自ら述べたらおしまいですね。

 それを感じさせず、自然に受け入れられるような作品に昇華できるのが、本当のプロでしょうね。」

「そうですね。私なんかまだまだやわ。」

「大丈夫、ああいう偉大な画家さんたちにも『まだまだ』な時代があったんですから。

 雅さんなら大丈夫ですよ。」

「ほんまですか。」

「ええ、ちゃんとそういうことに気づき、それを学ぼうとしている。

 そういう人は絶対にくじけないし、必ず到達しますよ。」

「そうかぁ、何か元気出てきたやん。

 そしたら仁和寺行ったら、何か食べましょうね。」

「ダメ!

 仁和寺さんは五時に閉まるから、先にご参拝だよ。

 そのためにたっぷり中華を食べたんだから・・・」

「ええっ・・やっぱりオニ隊長やわぁ。」



 春静 八  仁和寺


 きぬかけの路を三十分ほど行くと、右手に大きな寺域が見えてきた。

 正面には石段の上に二王門が見える。

 境内に入るとゆったりした伽藍配置である。

 門の左側は、仮御所であった宸殿がある。

 更に進んで中門を入ると右手に満開を少し過ぎた桜が繁茂する。

 いわゆる「御室桜」である。

 ひとの背丈ほどしかない低い花種であるが、それだけに花の位置が観る人に近く、とても愛らしい。

 今が盛りで、その様子はまるでピンクの霞をかけたようだ。

 少し傾いた夕陽の中で美しく輝いている。

 伽藍は五重塔、経蔵、金堂などがあり一般公開される特別拝観もあるという。

 ふたりはまた戻って、御殿内を拝観した。白書院、宸殿、霊明殿、黒書院と廻り、襖絵などを鑑賞した。

 皇室に所縁は深く、何と奈良時代に遡るという。

 英明の誉れ高い宇多天皇が実質創建した寺院である。

 以来、皇族から門跡を選び、門跡寺院としては最高の格式を誇る。

 今は世界遺産としてまた新たな一歩を歩みだした。


 ふたりは仁和寺を後にして、嵐電に乗る。

 京福電気鉄道というのが正式名称であるが、京都では誰もそんな名前では呼ばない。

「嵐電(らんでん)」で通っている。

 京都は日本で最初に電車の開通した街であったが、路面電車、いわゆる市電の廃止も早かった。

 早々に廃止してしまい、今はこの嵐電が一部道路面を占有して営業運転している。

 この嵐電に乗って帷子ノ辻で再度乗り換え、ようやくふたりは市街の中央に戻ってきた。

「お疲れ様でした。今日もオニ隊長の俊さんにすっかりお世話になりました。

 ありがとうございました。」

「礼を言われているのか、文句言われてるのか、分からないなぁ。

 ともかくお疲れ様でした。」

「じゃ今夜は私の知ってるお店に行きましょうね。」

「ああ、いいですよ。

 老舗のお嬢さんがご案内とは心強いですね。」

「またそんなイヤミな・・・」

「いや、本心から期待していますよ。で、どちらに・・・」

「はい、建仁寺さんの近くですわ。

 クルマで行きましょう。」

 四条大宮からなので、タクシーで僅かな距離である。

 夕刻の混んでる道路を避けて、車は路地を巧みに走る。

 十五分ほどで到着し、とある割烹に入る。

 まだ時間も早く、他にお客さんもいない。


 カウンターに座って、雅は板前さんに親しそうに話しかけた。

「いつもおおきに。また来ましたわ。

 こちら、この前お話ししていた社長さん、榊原さんです。」

「あ、榊原です。よろしく。」

「じゃ、板さん、おビールね。あ、それとお名刺もお渡ししてね。」

 雅が気を利かせて言う。

 早速ビールで乾杯し、板前さんから手渡された名刺を見て、俊は雅の魂胆が飲み込めた。

「なるほど、割烹『しゅん』か・・・

 今村 舜一さん、あ、この字なんですね。

 私も俊なんですよ。」

 と名刺を手渡した。

「こちらね、大きなお店にいらっしゃって、あの粟田口の蓑村さんね。それで独立しはったんです。ご贔屓にどうぞ。」

「雅さん。宣伝、上手ですね。

 板さん、じゃ今後ともよろしく。」

「今日もいい鑑賞会でしたね。

 鑑賞会というより、歩く会やけど・・・」

「でも盈夷の画題も理解できたし、堂島日之出の絵に対する信念というか、意気込みも勉強できたし、ただ歩いたわけじゃないね。」

「はい、ほんまに至らぬ私には、どんどん課題を突きつけられる心境で、大変ですけど、どうやら何か私の目指すところの目標みたいなものがぼんやりとですけど、分かってきたような気持ちです。」

「うん、そうであれば一緒に廻ってる意味合いも大きいし、私も嬉しくなってきますよ。」

「ほんまにそうどすか・・・

 いけず後家に、いけず、したはるだけやあらしまへんの。」

「おいおい、お酒が入ると絡むようになるね。悪い酒だ。

 そんなんじゃ、今後美術館廻りでは、禁酒にしようか。」

「ほら、ほんまにいけずやわ。

 もう知らんし・・・

 板さん、おビール、お代わり。」

「やれやれ・・」

 もうすぐ初夏の頃合で、空気も乾燥していて喉の乾きも一入であった。綺麗な喉元を見せつつ、雅はくいくいとビールを呷る。

「ところで俊さん、実は来月、五月に私の手染め友禅も出品する展示会がおますんや。

 是非、寄ってくださいね。」

 と案内パンフレットを渡された。

「うひゃ、こりゃ月末じゃないか。

 まぁ行けたら行きましょう。」

「またいけずやわ。

 やっぱり俊さんの会社も月末〆ですか。」

「いや、わが社は十五日締めで二十日支払いなんだが、やはりお客さんは月末締めのところが多く、わが社も検収とかを月末にお願いするから、やはり繁忙だね。悪いね。」

「そうですか。

 お仕事なら仕方ないけど、でも時間がもし空いたらお越し下さいね。」

「ああ、ありがとう。

 うまく調節できるようなら行きますね。

 ところで出品のテーマは何ですか。」

 俊が訊ねる。

「ええ、この時期の展示会は、もう秋の主題なんです。

 袷の季節やし、やはり豪華に華麗に、って思いますけど、今日び、

 あまり重い柄も皆さん、お好みやのうて・・・

 なので、意外な柄で勝負しようかと思い切ってみました。」

「ほう、そりゃ期待が大きいですね。

 良かったら聞かせてくれますか。」

「彼岸花、つまり曼珠沙華です。」

「ほう、それはユニークだ。」

「ええ、この花、忌み嫌う人も多うて・・・

『死人花』『地獄花』とか、イヤな名前も貰ろてますし、その赤い花が炎のように見えるので、家に持って入ると火事を招くと呪う人もいます。

 でも、一方花言葉は『情熱』『独立』などがあって、とても意思の強い、独特な花として個性的ですよね。」

「でもそういう柄は、反対もされたでしょう。」

「そりゃけちょんけちょんですわ。

 また、あの跳ね返りイケズ後家が、詰まらんことしよると、えらい責められて・・・」

「まぁ、大変でしょうね。」

「そう、そもそも今年の春柄、せやから去年の秋の展示会で、私はアザミの柄を出展したんです。

 そしたら、四十年勤めてきたうちの番頭、ま、番頭言うても常務なんですけど、これが辞めるって騒いで・・・」

「あはははは・・・いや失礼、笑ったりして・・・

 でも、雅さんも反骨精神が旺盛だね。」

「そやかて、ありきたりの柄や意匠を繰り返し使うたって、同じでっしゃろ。

 そう思うて新しいユニークなことをしよう、って思うたんどす。」

 雅はため息交じりだ。

「昨年のことなら、そのご友人、先輩もまだ存命でしたね。

 なんて言われました。」

「人と変わったことしても意味ないぇ、って・・・」

「なるほど、そのとおりだね。

 その方はどんな柄を出展されたの。」

「桐の花です。」

「へぇ、そりゃオーソドックスですね。」

「いや、俊さん、分かってはらへんと思いますけど、ご紋にする桐の意匠やのうて、桐の花、そのものですよ。」

「・・・」

「俊さん、桐の花ってご覧にならはったことおますか。」

「いや、桐といわれるとどうしても豊臣の紋を思い浮かべてしまう・・・」

「そうでしょ。

 でも桐の花は、筒状の紫色した可憐な花なんです。

 それをデザイン化されて、皆さん、最初はどなたも何の花か分からはらへんどした。

 で、プレゼンで桐の花と言われ、拍手喝采どした。」

「ほう、プレゼンがあるんですか。」

「ええ、自分の柄、自分のコンセプトを発表するんです。

 先輩は、権威の象徴、高尚なシンボルのような桐ですけど、赤い桐、緋桐ってあって、その花言葉は『幸せになりなさい』、って言うんだそうです。

 この花言葉にあやかって、品格を保ちつつ、幸せになる、こういう豊かな時代にしっかり責任を全うしつつ、幸福を求める、そういう意味を篭めて制作しました、って・・・

 満場、皆さん感動に包まれて、素晴らしかったです。

 でもその後、また先輩から諭されて・・・」

「うん、何て・・・」

「『雅さん、あなた、染めたお着物を着てくれはる方のこと考えて染めてんの』、って・・・」

「そりゃ一理あるね。我々で言うとユーザーの立場で、ってことだね。」

「ええ、『自分の思い込み、我、だけで染め物を創っても心が籠もらないつまらんものになるえ。

 いくらきばって制作しても、空振りどすえ』って・・

 それで実際そうどした。

「そう、そういうことならアザミは・・・」

「私が染めたアザミについて『アザミは皆さんにあまり好かれていないお花ですけど、でも「満足」「安心」「独立」などの花言葉があって、独自に自己を強く主張する、そういう孤高の気高さを表現しました』、って言うたら、皆さん、まぁあの娘やから、そうなんやろ、って冷ややかどした。」

「正に先輩の仰るとおりの反応だったんだね。

 雅さん、何かムリに反発してる風だけど、どうかな。

 ツッパっていたってアザミの花のとげとげみたいに、皆さんから敬遠されるばかりでしょう。

 本当は美しい花心を持っているのに、とげとげで身を守っても、仕方ですよね。

 その先輩のように、もう少ししなやかになれたらラクなんじゃないかな。」

「俊さん、私、そんなにツッパってますか。」

「うん、今の話を聞くと、どうも反発のための反発って気がする。

 でもそうじゃなく、個性的でユニークな作品として受け入れられるものはたくさんありますよ。

 着て下さる方の視線で、その方の立場に立って創作する。

 そういう方向を目指そうじゃないですか。どうかな。」

 雅はしばらく俊のことばを噛みしめるように考えていたが、決したように応じた。

「俊さん、お説教、お上手やね。

 でも心に沁みました。

 も少し、しなやかになれるよう、絵を観て柔軟になりたいです。」

「そうだね。ぜひそうやってがんばってほしいな。

 それだったら展示会、ぜひ行かなきゃね。

 期待してますよ。

 彼岸花だって、表現や染めの手法でとてもユニークでいい作品になるでしょうね。

 楽しみにしてますね。」

「ええ、ありがとうございます。

 是非いらしてくださいね。」

「ああ、必ずね。」



 緑潤 一  展示会


 五月に入ると夏を思わせる気候となった。

 俊は夏が苦手だ。

 冬生まれで、高温、高湿度に弱いので、何ともやり切れない。最近は涼感グッズも増え、毎夏、何とか凌ごうとしているが、やはり憂鬱な気分になる。

 特に京都の夏は厳しい。

 かつて吉田兼好和尚が嘆いたとおり、如何に涼しさを演出し、どう対処するか悩む夏である。

 しばらく梅雨の走りのような雨天が続いたあと、五月の月末は晴天となった。

 日中、社内の煩瑣な業務をこなし様々な決裁も終え、ようやく一息ついたのは、もう夕刻だった。

 雅の展示会は五時半までである。慌てて社を出ると、会場に向かう。

 地下鉄で一駅、五時に会場に到着して展示されている呉服のなかから雅の作品を探す。会場は終了間際ではあったが、多くの人で賑わっている。

 会場中ほどでようやく「富田 雅 作 『想うはあなたひとり~曼珠沙華~』」とあった。

 訪問着に仕立てられ、袖と裾に模様が描きこんである。

 大振りな赤い花が独特の細長い雌蕊も協調されて、淡い紫白の生地に花開いている。しかし花全体を表現しているのでなく、その一部だけをクローズアップしているデザインだ。

 しかも赤い花だけでなく白やクリーム色の花もあり、着物全体に占める紋様の部分が限られているだけにさりげないが、主張するが如く嫣然と咲き誇っている。

 華やかなではあっても見かたによっては毒々しいような派手な紋様か、と思って来ただけに、逆にさりげない表現でかえって心和んだ。

「まぁ俊さん、お忙しいなか、わざわざありがとうございます。」

 雅がいつの間にか近寄ってきて挨拶してきた。

 今日は和服だ。

 地味ではあるが、一目でしっかりした仕立ての結城単と分かる。

「お招きありがとうございます。こんな遅い時間ですみませんね。

 それにしても、今日は華やかですね。

 お似合いですよ。」

「ありがとうございます。嬉しいですわ。

 いつもは仕事柄、和服も多いんですよ。

 それでどうです、私の作品。」

「いや、想像していたよりは穏やかで、清楚ですらある。

 絢爛な紋様だが柄の部分が比較的少ないので、効果的ですね。」

「いやぁ、ありがとうございます。

 きちんと狙いどおりのところをご評価下さって、さすがです。」

「こんな花言葉があるのですね。色々調べて頑張られましたね。」

「ええ、NETで比較的簡単に調べられました。

 またこの花はインドのサンスクリット語では『天界に咲く花』という意味で、おめでたいことが起きる兆しに天から降ってくるというのですよ。

 日本の悪いイメージは、この花の根に毒があるから、注意喚起のためにナーバスなイメージを与えられたようです。

 でもこの花言葉で、とても救われました。際立った美しさから来た花言葉のようですけど、嬉しかったです。」

「そうですね。とてもユニークな主題で素晴らしいですよ。

 私もかつて、ポピーを描いた和服を召した方に感心したことがあります。

 とても美しく麻薬の材料なんて思いもつかないですからね。」

「そう、やはり自然に学ぶ、これをしっかりやれば、自分なりの納得できる作品を創作できる、と確信しました。」

「常務さんも満足されていたでしょう。」

「ええ、番頭も今回は理解してくれました。せやないとこんなメジャーな会場に出展させてもらえませんから・・・」

「ははは、まぁ企業論理からすりゃ、そうですよね。

 雅さんも役員さんですか。」

「はい、専務です・・・なにもセンム、って、いびられてます。」

「あはは、そりゃうまい表現だ。」

「また俊さん、お口の悪い・・」

「今日は拝見できてよかったですよ。このあと片付けとかあるんでしょう。

 じゃこの辺りで失礼しますね。」

「ええ、ありがとうございました。セットダウンと懇親会がありますので、ここで失礼します。

 また次回は修学院離宮に行きましょうね。」

「ああ、盈夷の『緑潤』ですね。じゃ、また連絡しますね。」

「では、失礼します。今日はおおきに・・・」



 緑潤 二  修学院離宮


 六月はじめの平日に、俊は出町柳駅で雅と待ち合わせた。

 今回は、叡山電鉄という電車で修学院離宮に向かう、

 但し、離宮には宮内庁の参観許可が必要なので、予め雅と日程を調整したうえ、NETで二ヶ月前に申し込んだ。

 予約はどんどん埋まるようで、辛うじて予約できた。

 幸い、まだ梅雨に入る前で天候は上々だが、何と言っても俊には応える。

 汗をかいてもいいように、制汗剤やクールシート、タオルなどを入れたデイバッグを持って出かけた。

 やはり朝早くの九時の分しか空いていなかったので、出町柳まではラッシュであった。

 京都は学生が多く、彼らの話し声、嬌声が車内に響く。

 三条駅からは短い距離で出町柳に到着し、雅と叡山電車に乗った。

「俊さん、先日はありがとうございました。

 お忙しいなかお越し頂けて、嬉しかったです。」

「私も初めて雅さんの作品を拝見したが、あんな清楚で素晴らしい作品を見せて頂いて感動でしたよ。」

「それはまた嬉しいお言葉、って褒めてくれたはるんですよね。」

「もちろん、褒めてますよ。

 色合いと言い、柄の配置と言い、力量発揮ですね。

 花もどん、とあるんじゃなくて花の一部が着物の裾から萌え出る様子で、とても凝ったデザインでした。感服しましたよ。」

「えらい褒めてもろて、気恥ずかしい気持ちです。」

「いや、あれだけのものを創作できるんだから、もっと堂々としていたらいいと思いますよ。」

「ありがとうございます。」

 雅は褒められてとても嬉しそうだ。

「また今日は予約から何からお世話になって、助かりました。おおきに。」

「みなさん、よくご存知ですね。

 もう満杯の日だらけで、空いてるのは多分キャンセルになった分でしょうね。

 三ヶ月先もチェックしたが、既にいっぱいで午前零時を回ったら、すかさず予約するんじゃないかな。」

「まぁそれだけ、余暇を持て余している人たちがいてはる、ということですね。」

「ええ、やはりなかなか簡単には見ることのできない離宮ということで、桂離宮と並んで、人気ですね。

 まだこの季節だからいいが、紅葉の季節には多分もっと混むだろうな。」

「その前に夏を超えなあかん。

 京都の夏は厳しおすわな。」

「ええ、京都は素敵な街なんだが、夏だけはどうもね。

 夏は、軽井沢かオーストラリアにでも逃げ出したいよ。」

「へぇぇ、別荘を持ったはるんですか。」

「いや、単なる願望ですよ。」

「なぁんや。せっかく別荘に押し掛けたろって思たのにな。」

「はははは、残念でしたね。」

「さぁ、もう着きますよ。」


 叡山電鉄で修学院離宮に近い駅で降り、そこからまた徒歩で二十分ほど登る。

 早朝の新緑の山道は清々しい。ふたりはゆっくりと登っていった、

 到着すると、もう門前には参観予定の人たちが三々五々集まっている。やがて宮内庁の係員が現れ、説明を始めた。それからひと固まりになって、門をくぐり入場した。

 まずは下の宮。御幸門をくぐり苑内へ。

 離宮の苑内をぐるりと廻る。御輿寄(おこしよせ)や寿月観(じゅげつかん)を見る。

 寿月観は白砂に飛び石のある杮葺き(こけらぶき)の建物である。

 そして松並木に導かれ、中の宮、上の宮へと登っていく。

 中離宮は明治時代の整備である。ここには楽只軒(らくしけん)や客殿と呼ばれる御殿がある。かつて女院御所であり、また林丘寺(りんきゅうじ)という寺の一部であった。

 やはり杮葺きの建物である。時折、雲に隠れるものの、陽射しは容赦なく照りつけ、もう俊は汗しとどである。

 俊はデイバッグから団扇を取り出し、扇ぎながら歩む。

 幸い、そこそこ高齢の人も多く歩みはゆっくりだ。

「俊さん、大丈夫ですか。きつそうですね。」

「いや、歩くのはいいんだが、汗には勝てない。」

「うふふふ、俊さんにも弱点あったんや。」

「いや、私なんて弱点、欠点だらけですよ。

 それにしても、もう夏の陽射しだな。」

「夏が思いやられますね。」

「まったくだ。」

 各離宮ごとに係員が懇切に説明してくれる。

 しかし、建物内には入れない。

 更に登って、一番うえにある上離宮に到着した。ここが一番広いという。御成門を潜り、満々と水を湛えている浴龍池(よくりゅういけ)が中央にある広大な池泉回遊庭園である。

 右手に回り込むと隣雲亭(りんうんてい)がある。

 ひふみ石という小石がたたきに埋め込まれている。

 ここからの眺めが、どうやら盈夷(えいい)の構図のようだ。

 池の島には、「土橋(どばし)」を渡って窮遂亭(きゅうすいてい)に行き着く。展望は素晴らしく、京都盆地を一望の下に見渡せる。

 かつて上皇方が散策し寛いだであろう「御腰掛(おこしかけ)」などがある。

 こうして、苑内を廻ったが、盈夷の絵の構図はやはりこの隣雲亭から浴龍池を眺めたものらしい。

 ふたりしてその辺りから景色を眺めながらも、先に進む人たちに遅れを取るわけにもいかない。

 少し納得できない思いを残しつつ、一時間半弱で参観は完了した。

「やはりあんな風にひと固まりになって参観すると自分の思う所で立ち止まったり、しばらく景色を眺めたりしにくいから、盈夷の絵の風情を偲ぶには、慌ただしかったね。」

「ええ、でもその雰囲気は味わえたから、私は満足ですよ。」

「そう、それならいいけど・・・」

「さあ、これから、どないしましょう。

 鞍馬にでも行きますか。」

「いや、鞍馬は真夏に取っておこう。

 また出町柳に戻りましょう。」

「はい、そうしましょう。」

 ふたりはまた出町柳の駅に戻った。



 緑潤 三  北野美術館


 終点の出町柳駅で下車し、俊は鴨川を渡ってとある美術館に雅を誘った。

「へぇ、こんなとこにも美術館があるんですね。」

「ここは茶の湯の色々なコレクションが多いことで有名です。

 でもだいたい好事家というものは茶の湯にのめり込むので、茶道具を蒐集している美術館は多いですよ。

 京都では茶道美術館もあるし、関西では香雪、湯木、東京では畠山、五島、それに三井にも多くのコレクションがある。」

「凄い、蘊蓄大臣やね。」

「あ、こりゃ失礼。

 知ったかぶりするつもりは、ないんだがそういう話しになると、つい饒舌になってしまって・・・」

「いや、知識のあることは悪いことやあらへんですよ。

 立派なことやわ。

 でもそれをどう活かすか、やね。」

 雅はすかさず矛を繰り出す。

「ううーん、今日はどうも旗色が悪いな。

 やはり暑さのせいだな。」

「暑さに弱い。この弱点は利用せなな。」

「あはは、ともかくここは木材王と言われた北野一族の後継の金太郎が茶道具を初め、書画、古筆、それに唐三彩など多岐に亘っているんだよ。

 その審美眼は確かなもので、重要文化財に指定されるものもある。

 まぁ、茶人、好事家というのは、美に貪欲なんだね。

 蒐集というのはキリがなくて、次々に欲しくなるらしい。」

「そしたら、その維持管理も大変ですね。」

「そう、日本に美術館博物館が多いのは、税の体系が影響しているというね。

 せっかくの蒐集品にも相続税がかかるから、守ろうとすると財団法人にするのがてっとり早い。

 で、その財団法人で僅かでも収益を上げるには、美術館にして入場料を得ること、作品を貸し出して収入を得ること、それに文化財に対する補助金を受け取ることだね」

「そうなんや。そやから美術館博物館が多いんやね。

 いったい、いくつあるんやろ。」

「登録上では五千七百というが、実際運営しているのは千数百、このうち公立も多いね。特に東京、首都圏は世界一と言われていて、百五十以上あるそうだ。」

「うわぁ、凄い。」

「でもしっかり文化財を保護管理し、運営も健全なところは少ない。

 日本は文化貧国だから先進国の中でも文化予算が最も少ない。

 嘆かわしいことだよ。」

「もっと俊さんみたいな心ある人が増えて欲しいわね。」

「いや、私なんか無力だよ。

 こうして鑑賞して廻るのが関の山さ。」

「まあ、そう仰らずに、何等かの貢献をして下さいよ。

 お金出すだけなら、お役所と同んなじやわ。」

 雅の指摘は鋭い。

「おお、痛いところを突いてくるね。今日は形勢が悪いな。

 あ、庭に『四君子苑(しくんしえん)』というのがあるから、見に行こうか。」

「ふぅーん、四君子苑ね。

 じゃ、『四君子』って何ですか。はい、ご説明をどうぞ。」

「もう、何かとげがあるね、アザミのとげはまだ健在かな。

『四君子』とはだね・・・」

 ふたりは話しながらというよりは、漫才の掛け合いのようなやり取りを交わしながら、庭の名園を廻った。

 もう気温も高く、初夏の陽射しは容赦なかった。



 緑潤 四  近代美術館「山口 香楊 展」


 ふたりは、北野美術館を出てその辺りで食事にした。

 時間は少し早いが、平日の金曜なので昼時に混みあうのを外した。

 京都は街のあちこちに未だに昔ながらの喫茶店もあり、近所の人たちも馴染みである。

 十一時半までモーニングサービスの店を雅が目敏く見つけて、ぎりぎりの時間だったが、モーニングサービスを注文できた。僅か六百円ほどで、飲み物とプレートのサービスだ。

「先ほどの美術館も良かったですね。

 日頃、お茶のお稽古行ってて、お道具拝見とかやってるけど、ああして改めて鑑賞するとそれぞれに趣きもあり、また一品一品、謂われや由緒来歴があって、改めて勉強になりました。」

「そうだね。

 お庭にしても朝の修学院離宮のような大規模な庭もあれば、こちらの四君子苑のような侘び寂びを表現したものもある。」

「本当に素晴らしいですね。

 日本人の感性って、大したものやと感心しますわ。」

「盈夷も、そういう感性で、あの『緑潤』を描いたんだろうね。

 あれは緑の中ながらも、人工的な池があって、それもきちんと融和して自然の一部になっている。

 そういう自然を活かす日本人の特性、そしてその上に成り立つ景観というものを描いたんだろうね。」

「そう、やはり自然と人間との関わりという観点から、盈夷は大胆な切り口で表現しているんやわ。

 本当に勉強になります。」

「この後、食事したら近代美術館に行こう。

 今、山口香楊(こうよう)という日本画家の企画展を開催していて、ちょうど招待券もあるんだ。」

「俊さん、ナイスやわ。

 私あれ見たかったんです。

 でもうまく招待券をゲットされたんですね。」

 雅はすなおに喜んでいる。

「うん、新聞販売店を脅してね。

 新聞なんてライバル会社はいっぱいあるんだから、もう止めちまうって脅したらチケットを持ってきたよ。」

「いや、ひどい言い方。

 そんな言い方あらへんわ。」

「そうなんだがね。

 でも私がダメだと思ったのは、読者との窓口である販売店が自分の新聞社が主催する美術展や企画を全然知らないことだよ。

 あれじゃ。営業の根本がなってないから、衰退の一途だよ。」

「ほんま、俊さんはお口の悪い。いつか刺されますよ。」

「ははは・・・

 どうせ刺されるなら、雅さんのような美人がいいな。」

「もう、また阿呆なこと言うぅて・・・」

「じゃ行こうか、但し、歩きだよ。」

「ひぇぇまたや、オニ。」

 こうしてふたりは河原町筋通りを南に向かう。


 丸太町橋を渡って丸太町通りを東に行く。しばらく行けば、もう平安神宮の北側に出る。

 大した距離ではない。大した距離ではないが、俊はまた、たいそう汗をかいた。

「やっぱ、暑かったな。

 電車にすれば良かった。」

「何言うたはんの。

 歩こう言わはったん、俊さんですぇ。」

「いや、そうだが、もうアカン。」

「何やまた変な関西弁使こうて・・・

 しっかりおしやす。」

「せやかて、あかん。」

「もう、いつもの俊さんらしぅもない。もぅすぐでっせ。」

 俊と雅は立場が逆転したようだ。ようやく美術館に到着し、俊はロビーで汗が引くように、しきりに団扇で扇いでいる。

「汗、大丈夫ですか。

 そろそろ行きましょうか。」

 雅に促され、俊はようやくベンチから腰をあげた


 会場に入るとまず、彼の代表作の豹が出迎えた。

 黒い豹がこちらを見据える。岡崎動物園で描いたという。迫真の豹の絵である。

 そのほかにも鶏頭や、牛等が並ぶ。

 鶏頭の作品には、雅が食い入るように目を凝らしている。友禅の紋様に特徴的な主題を採用している雅にとっては、この鶏頭の作品は大いに刺激をもたらすものだ。

 花の描写から、葉の表現、地面からくっきりとそそり立つ様も丹念に鑑賞していた。

 他にも力作揃いである。

 特に木菟(みみずく)は秀逸である。

 いつぞや観た山竜美術展の所蔵品という。

 賢しげな木菟がこちらを見据える。

 木の根にうずくまる木菟のリアルな生体を描いている。

 素晴らしい描写力と、意外な構図。

 京都で活躍した日本画家のなかでも、秀でた力量の作家である。

 ふたりは多くの感動を共有して会場を後にした。



 緑潤 五  清水産寧坂


 美術展を出ると朝はあんな好天であったのに雲行きが怪しい。

 これは、と思う間もなく、ぽつりぽつりと降り出した。

「あ、こりゃまずいな。

 天気予報では、晴れだったのに。」

「ええ、でも所によりにわか雨、になってましたさかい、やはり梅雨の走りかもしれませんね。」

「そうだね。

 清水坂の方に行こうと思っていたんだが、仕方ないからタクシーに乗ろうか。」

「俊さんには恵みの雨やね。

 もう汗かかんで済みますな。」

「こりゃ、図星だな。」

 ふたりはタクシーで清水に向かう。

「雨といえば最近は集中豪雨とか、局地的な短時間の大雨が多いね。

 この前のの台風十八号で桂川が溢れたのも、ショックだった。」

「ええ、日頃お馴染みの場所だけに他人事とは思えまへんどした。」

「いつもは渡月橋から川面を見下ろしても、遙か下の方にあるのにあんなに濁流が迫って、ひどい災害だったね。」

「ええ、ほんに恐ろしおした。」

 話しているうちに清水も近い。五条清水に到着した頃には雨も小やみになっていた。

 タクシーを降りてふたりは、修学旅行生に交じって産寧坂を上がる。土産物屋が軒を連ねる繁華なところにその美術館はあった。

 ここには、伝承工芸の数々が展示されている。

 並河康之の有線七宝や戴金蒔絵など、江戸末期頃から明治、そして近年までの工芸品がところ狭し、と展示されている。

 美術館の造りが、入り口から奥に向かって細長く隣近所の土産物屋風なので、スーベニールショップのようだが、展示はしっかりしており説明を書いたキャプションも納得できる内容にまとめてある。

「近くに住んでいながら、実はここには来たことがなかったんどす。

 いつか行けるわ、って思うてたら、結局行けへんもんどすなぁ。」

「まぁ、そんなものだよ。

 でもこれだけ秀作が並んでいると、大したものだと思うね。

 あとは京都では国立博物館にコレクションがある。」

「東京もやはり国立博物館どすか。」

「そうだね。でも常設展示の一室に、こじんまりと展示されてるくらいだな。

 それから近代美術館の工芸館というのがある。

 旧近衛連隊本部の建物で、レトロな煉瓦造りだよ。

 そこには明治以降の人間国宝級の名工たちの作品を蒐集してある。」

「へぇぇ、さすが東京ですなぁ。」

「明治以降に国家買い上げとなった作品を展示してあるんだね。」

「やっぱり東京は羨ましいどす。

 今日は金曜やけど、東京では美術館の夜間開館があるそうですね。」

「国公立はじめ、私立でも有名な美術館は、ほとんど金曜夜間は閉館時間を延長しているね。

 我々のような勤め人には便利なシステムだよ。」

「せっかく京都も美術館が多いのに残念どすな。」

「工芸品を一堂に観るなら伝承工芸展がいいよ。

 東京では九月だが、京都では十月の初めに巡回してくるね。

 行ったことがあるでしょう。」

「ええ。

 実はあの亡くならはった先輩は、友禅染めで何回も入選されたはったんどす。

 それでお招きを受けて、毎年のように行ってました。」

「じゃ今年も行きましょう。」

「是非ご一緒しまひょ。」

 美術館を出ると、雨もすっかり上がり、まだ日も暮れずに明るかった。

 六月はかなり遅くまで明るい。

「ようやく涼しくなったね。

 そろそろ腹拵えかな。」

「はい。待ってました。」

 ふたりは坂を下り、東山安井交差点近くの和食の店に入った。最近話題の縁切り金比羅神宮のそばである。

 夫婦二人で営む気軽な店で、ふたりは生ビールで乾杯し、おばんざいをいくつか選ぶ。

「今日もありがとうございました。

 でも、俊さん、暑さにはめちゃくちゃ弱いことが分かって、何やほっとしてます。」

「え、弱点見つけて嬉しいかい。」

「ええ。

 弱いとこあらはって、普通のお人やと安心しましたさかいに。」

「ふうぅん、そんなもんかね。」

「そやかて、何でもよう知ったはって、何聞いても、きちんと答えが返ってくる。

 凄おすけど、ちょっと気詰まりどした。」

「そう、隙のある方がいいと・・・」

「そうどす。その方が人間臭いし。」

 雅は笑いながらからかう。

「なるほど。

 それはそうと、今日の盈夷の景色はどうだったかな。」

「都心を離れた別天地で涼しげな様子は彷彿としてましたけど、何やらもの足りまへんなぁ。」

「そうなんだ。どういうところが・・・」

「構図もきっちりしてて、言うことおへんけど、完成され過ぎのような、人間味がおへんぇ。」

「そうだね。

 でも修学院離宮、というか、後水尾上皇を廻るあれこれは、とても因襲に満ちた泥臭いものだったようだよ。」

「へぇぇ、やはり女性関係でっか。」

「もちろんそれもあるが、父帝との確執とか、幕府との権力抗争や意地の張り合いとかね。」

「いわゆる、けったくそ、の問題ですね。」

「ああ、そうだね。

 こちらの人は、よく『けったくそ悪い』って言うが、あれだね。

 まあ、そういう諍いや揉め事も長い年月を経て人が移り変われば過去のものとなる。

 だけど自然の景色だけは、その頃と変わらず繰り返されている。

 そんなことを盈夷は描きたかったのじゃないかな。」

「なるほど。

 人間の悲しい性も自然の雄大さからは些いなことだ、と言うてはるんかな。」

「絵を観て感じる感じ方は人様々で、決まりはないが、そういう解釈もあるってことだね。」

「そうなんや。

 私も、そろそろ些いなことであくせくするの、止めなアカンですね。」

「先輩もそう願っておられたんじゃないかな。」

「ええ、多分。いいえ、きっとそうですわ。

 何か先日の展示会といい、今日の盈夷の『緑潤』と言い、誰かが私に教えてくれてはる気がしますわ。」

「教えてくれるというよりは、いい方向に導かれてれているんじゃないかな。

 それこそ、見えざる力でね。」

「ええ、何やそこからエネルギーを貰うてる気分ですわ。

 エネルギー充填で、またお腹空いてきました。

 ねぇ、もっと注文しまひょ。

 あ、マスター、メニュー下さいな・・・」



 秋彩 一  「伝承工芸展」


 俊の会社は四月決算である。

 日本の多くの企業が三月決算であるので、俊のところのような協力会社は上場企業のあれこれに影響されやすい。

 決算近くになると、種々調整要求を受ける。納期の調整や支払いの相談など。

 最近はコンプライアンスや下請法などで、無茶を言うところはかなり減りはしたものの、やはりそこは様々な要素が入る。したがって同じ三月決算にすると思わぬ不整合が起きたりするので、あえて一ヶ月ずらせてある。

 こうすることで、種々の調整事項を無理なく収拾することができる。そのため株主総会が七月後半になり、その準備などで夏の前半は終わる。

 またクライアントであるメーカーは工場創業の効率化もあり、八月は長期の休業を取る。

 そこで俊のところも八月には長めに休暇を取って、九月からまた平常の業務に戻るようにしている。

 夏に弱い俊はあまり出かけることもなく、ひたすら夏が過ぎるのを待っていた。旧盆には東京の実家にも顔を出し、東京で友人知己と会い、これはと思う美術展にも出かけて、少し夏の盛りを超えた頃、京都に戻った。

 雅とは七月初旬の休日に鞍馬に行こう、と約していたが、梅雨末期の雨天に阻まれ、中止にして以来、無沙汰している。

 雅の家も祇園祭で多忙であろう。女性は表に出ないが、それだけに裏方一切を女性が仕切る。母親が大部分を取り計らうであろうが、娘も相当に忙しい筈である。

 だから九月になって東京から戻る頃を見計らってか、ようやく雅から伝承工芸展の誘いがきていた。

 もちろんメールである。

 十月初旬に河原町の百貨店で開催されるらしい。俊は早速雅と日程を決め合い、その日を心待ちにしていた。

 伝承工芸展で現代の匠たちの逸品を鑑賞すると、今の日本はまだまだ捨てたものではないなぁ、と俊には思えてくる。

 社会の色々な矛盾をまともに憂いても仕方がないのだが、一方でこれだけ凄い技能、熟年の粋が健在である以上、大いなる希望をもてるのだ。

 美術展の方は、九月に入ると秋に向けての様々な大型企画展が始まっている。大方は東京で鑑賞したのだが、タイミングがあわず見損ねた企画などは連休を利用しながら鑑賞した。

 大きな台風がふたつ、日本列島に傷跡を残し、そして空が高くなった頃に伝承工芸展に出かけた。

 伝承工芸展は日本で有数の工芸の匠たちが、満を持して出展してくる。

 その、他を圧する創作力は半端なものではない。気合いの入った作品の数々が六百余点も展示されており、圧倒的な訴求力で迫ってくる。これらの作品から発せられる力は計り知れない。

 主題に対する作家の心意気、執念が作品に結実し、素晴らしい雰囲気を醸し出している。

 俊はそういうことを楽しみにしつつ、伝承工芸展の開催を心待ちにいていた。


 今年は周年記念展と節目であるので、過去の秀作も展示されるという。

 特に松田権六や先代の清水六兵衛、そして絵里紗江子なども同時に鑑賞できるのはとても幸運である。

 雅と十時半に百貨店の入り口付近で待ち合わせ、会場に向かう。

 ふたりはしばらくぶりの無沙汰を詫び合い、エスカレーターで上がっていく。

 ここの百貨店は元々京都で発祥したのであり、呉服専門店が百貨店に発展した。

 そのため、呉服の柄や図案を意匠するために京都画壇の画家たちと多く関わってきた。

 その当時には作家たちもよく百貨店側の意向に応え、素晴らしい力作を提供してきた。秀作の数々は大阪南の資料館に納められ、昨年大規模な展示会が開催されて、俊も大いに楽しんだ。

 そんなことを雅とぽつぽつ語りつつ、会場に到着した。

 毎年のことであるが「陶芸」「染織」「漆芸」「金工」「木竹工」「人形」「諸工芸」の七部門に分かれ、それぞれに審査委員、鑑査委員がおり、入選を決める。また審査委員、鑑査委員、それに特待者も出展している。

 そう広くもない会場は、工芸品で満ち満ちていた。「染織」の作品は壁側の衣桁に掛けられているが、その他は二段になった展示台に並べられている。

 鑑賞する人たちとは、低いガラスのパーテションが結界であり、ガラスケースには納まっていないので直かに鑑賞できるのも嬉しい。

 俊も会場で見取り図と出展目録のコピーを手にしたが、六百点はさすがに多く、特に目に付く秀作力作を中心に鑑賞して行った。

 雅は早速「染織」のコーナーに釘付けである。

 俊は「漆芸」の蒔絵や籃胎、それに彩切貝蒔絵などを鑑賞する。繊細な蒔絵の意匠や螺鈿細工は精妙で、リズミカルですらある。

 特に彩切貝蒔絵の作家で東日本の美村篝花という作家には、毎年感服している。切貝を黒地の蒔絵の肌に施し、都会の蜃気楼や摩天楼の輝きを表現している作品で、伝承的な技術を現代的なセンスで鋭敏に表現した秀作と評価している。

 このほかにも有線七宝や戴金飾箱など、「諸工芸」も楽しみである。

 また陶芸も最近世代交替が多く、重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝であった先代を受け継ぐ次の世代が力量を発揮して大活躍の作家が多い。

 正に先代の作風を踏襲しながらも、独自の境地で新たな意匠を問う作家も多く、俊は清新な息吹をとても新鮮で楽しみなことだと期待している。

 名の知れた「陶芸品」ではそのような傾向が強く、柿右衛門や今衛門を襲名した作家たちが特色ある作品で会場を賑わせていた。

 会場内で別々に鑑賞していた雅とは、「木竹工」の展示の前で再会した。

 ちょうど神代杉茶箱を観ていると雅が声を掛けてきた。

「俊さん、今年も凄い逸品揃いですね。

 やはり圧倒されますわ。」

「そうだね。名匠の秀作も凄いが、今年は襲名した若い作家さんたちの力作も見ものだよ。

 先代の作品に縛られず、自らの主題をしっかり表現している。

 新しい勢いを感じて感動だったよ。」

「そうよね。

 それで『特別陳列』は、もう観はったのですか。」

「いや、最後にとっておこうと思って、これからだよ。

 一緒に観ましょうか。」

「ええ、私も最後に見ようと思ってましたさかい・・・」

 ふたりは、特別陳列のコーナーに足を向けた。会場の隅で目立たないが、知る人ぞ知る、かなりの人が熱心に見入っている。

 雅はやはり友禅の秀作から鑑賞している。近代美術館に展示されているというその作品は、守口香巧という伝説的な名人の作品だ。

「春梅」と名づけられたその作品は初期の工芸展で多大な評価を得たもので、主催の新聞社の賞を受賞している。

 大胆に大きな梅の古木から梅花をつけた枝が垂れ下がり、香りさえ感じられる。

 第二回の工芸展での受賞を果たしているので、既に六十年を経るのであるが、未だに斬新でモダンな紋様である。

 時代を超えて通用する意匠を手がけることができる実力は正に本ものである。

 その他、人間国宝の巨匠の作品が並び、伝承された技量の偉大さを味わった。

 俊が楽しみにしていた絵里紗江子の戴金細工は、実に繊細な金線を神代杉の磨き上げた肌に緻密に施した優品だった。今は国家買い上げの栄に浴し、文化庁所蔵となっている。

 この方は、三十三歳のときに戴金の師匠の門を叩き、早いタイミングで実力を現した。日本で3人目の戴金細工での重要無形文化財保持者であり、様々なユニークな作品制作への挑戦に果敢に取り組みつつ、後進への指導にも積極的であった。

 ところが、これからという矢先にイタリア訪問の折、客死してしまう。仏師の夫の悲嘆は大きく、各界にも大きな波紋が及び、日本の工芸界は大きな痛手を蒙った。

 それだけにここで展示されている作品には、作者の心が篭っているようで、直視するのも辛いがその優しげな表情はとても優雅で奥行きが深い。

 長い時間、見入っている俊だった。

「俊さん、とても素晴らしい作品ですね。

 感銘を受けました。」

 雅も傍らで囁く。

 ふたりは優品を前に心が一致したようだ。



 秋彩  二  回顧美術展


 伝承工芸展の会場を後にしたふたりは、河原町から地下鉄で東山に向かった。

 岡崎公園の国立近代美術館、京都市美術館で京都日本画の大家の回顧展が開催されている。

 まずは京都市美術館。

 石造りの重厚な建物だが、屋根に唐破風を取り入れたり、和の様式を意識した建築だ。ここでは辻華良(つじ かりょう)展が開催されている。

 京都でもあまり認知度は高くなく、今回初めて観る美術ファンも多いという。

 それだけに新たな発見もあるだろうとの期待が大きい。

 館内は認知度を反映してか、さほどの混雑もなく閑散としている印象である。

 絵はゆったりとおおらかな表現で、温かみがある。

 布袋の絵など、ご近所の知り合いをそのまま絵にしたような懐の深さで、色合いもあえて単色が多く平面的な印象は拭えないが、それが却って画面の広がりを主張していた。

 重鎮竹内栖鳳と同時期なので、京都画壇でも特筆すべき作家であるのに、今日まで研究が遅れているのが悔やまれた。


 京都市美術館を出て、ふたりは春に入った和食の店で昼食とした。メニューは季節を先取りして秋の豊かな恵みを食材に、深い味わいの逸品が並ぶ。

 日本酒を嗜みつつ、舌鼓を打つ。

 午後からはもう一方の近代美術館で吉川怜華(よしかわ れいか)展を観る。この作家は、「線」が特筆される秀才である。

 もとより日本画では線描が特徴の画風であるが、その表現は線を如何に活かすか、てらいなく伸び伸びと線が引けるか、その巧みな線描表現で絵を生かし、趣きを変える。

 怜華はそういう重要な要素である「線」の達人として怜華は呼び名も高い。

 江戸の儒者の家に生まれ、独学で古典、有職故実などを極めた。

 また若くして当時の文展にも入選し褒状を得るが、文展の体質を批判し、以後十五年間も出品しなかった。

 結城素明や松岡永丘らと「金鈴社」を結成し、質の高い作品を創作した。

 その線の秀逸さは当時から高い評価を得ており、その画業は未だに凌駕されない。

 今回の展示でもひときわ大きな龍の図以外は、線描による単色のものが多い。

「筒井筒」「羅浮仙(らふせん=梅の精)」など、古典に取材した作品が多かった。

 鑑賞しながらも雅はため息を洩らす。

「凄い・・・。

 生きてる線やわ。こんな線があるんやねぇ・・・」

 全くその通りで、このような線を描ける画人は希有であろう。

 こうして線の信奉者たちは、絶大な威力に圧倒されながら鑑賞し終えた。



 秋彩  三  「神坂雪華展」


 ふたりはそのまま、疎水沿いに歩いて細田美術館に赴いた。国立美術館からほど近い。

 ちょうど近代の琳派と言われる神坂雪華の企画展が開催されている。

 雪華は京都画壇でも異色の存在で、明治から昭和にかけて活躍した。

 琳派と言えば、俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一という一連の流れを思い起こすが、雪華は意匠、すなわちデザインの面で工夫と創意を重ね、特異な存在感を示したことで有名だ。

 これはやはり、京都が西陣を中心とした服飾産業が盛んであることと無関係ではなかろう。明治以降、京都にデザイン系の教育機関が設立され、現在の市立芸術大学の礎となった。

 そこには当時の有数の画家、作家が集まった。浅井忠などはその先兵である。

 浅井忠といえば、日本のミレーと言われ、農民画家と呼ばれたが、それは「収穫」という作品が有名で、義務教育の教科書にも取り上げられているからこその印象であろう。

 しかし彼が京都に赴任しここで試みたことは、ヨーロッパから帰国して現地で学んだアールヌーボー様式を用いたデザインの展開であり、それも装飾品ではなく、日常使いの食器や身の周りの調度品などに施されたデザインの実践であった。

 今日残るそれらの品々は優れたデザイン性と機能性を併せ持ち、時代を経たものとは思えない品質である。

 一方雪華もそういう京都の風土のなかで、意匠に凝りデザインを行っている。

 やはり雪華も洋行帰りではあったが、浅井忠との相違は、その意匠の中心に琳派の紋様を取り入れたことであろう。

 そんな雪華の作品を所蔵するこの美術館は、今年のはじめに俊(しゅん)と、雅(みやび)が出逢った処である。

「俊さん、ここで私たちは出逢うたんですね。

 もう半年以上も経って、時の流れは早いもんやね。」

「そうだね。

 でもあのときは、びっくりしたよ。てっきり気分が悪いと思って、どうしようか、悩んだよ。」

「うふふ、私もあんなところ見られて、通り過ぎてくれはるかと思うたんですけど、俊さんは親切にもお声を掛けてくれやはった。」

「え、迷惑だったの。」

「いいえ、嬉しかったですよ。

 そやから今私たちはこうして、一緒に美術館を廻らせて頂いているのやから・・・」

「まあ、考えれば不思議なご縁だね。」

「でも、先輩を懐かしんでいたときに俊さんが現れたんやから、やはりお導きです。」

「そうだよ。

 私も雅さんとご一緒できて楽しいからね。」

「いやぁ、ありがとうございます。

 嬉しいわ。」

 ふたりは美術館に到着すると、また入場シールを胸に貼り付けて館内に入った。

 今回は雪華の作品を紹介しつつ、所蔵の宗達、光琳、抱一、其一などの作品とも対比させ、琳派の系譜を辿るコンセプトである。

 決して広くはない館内であるが、その展示は的を射ていて、飽きることなく鑑賞者を楽しませてくれる。特に雪華への思い入れと、作家についての造詣の深さが、逆に分かりやすい説明文を掲げるモチベーションとなっていた。

 美術館によっては、もっともらしい説明であるが、通り一遍のキャプションを掲載している所や、企画では重要な作品と位置づけられるであろうに全く説明を付していない所などもあり、鑑賞する側に美術館からのメッセージが足りない、と思わせるものも多い。

 そういう意味では、ここの学芸員の力量は確かなものであると、俊は訪れる度に感心していた。

 今回もくどくなく、平明で読みやすい説明であるが、要所はしっかり押さえてていてとても好感が持てた。

 雪華の作品もユニークで、例えば金魚の図などは、丸い金魚鉢を通して、真正面から金魚を描いており、金魚鉢がレンズの役目を果たして拡大された金魚の顔面がとてもユーモラスである。

 一方琳派の流れを汲んで、しっかりと伝統的な花鳥風月も描いており、楽しめる企画であった。

 俊と雅のふたりは笑い合いながら地下二階まで鑑賞し終えて、そこのカフェに入ることにした。大きく掘り抜いた地下の広場を使い、一部オープンカフェスタイルを取るそのカフェはリーズナブルながら、一流の味わいで評判だ。

 少し早いが夕食も兼ねて、軽くビールとイタリアン系の肴みをオーダーした。

「いつもありがとさんどす。」

「いやこちらこそ、ご無沙汰でした。」

 ふたりはグラスを合わせる。

「こうして日を決めて美術館廻りに誘うてくれはるさかいに、私も定期的にきちんと見たい絵が観れてありがたいです。」

「うん、私も雅さんと廻っていると楽しいよ。」

「ほんまどすか。嬉しいわぁ。

 今日も雪華はとてもユニークで軽妙なデザインもあったりして、凄く参考になりました。」

「浅井忠は、アールヌーボーで京都のデザイン界に新風を吹き込んだが、一方同じ洋行帰りなのに、雪華は伝統的な琳派に注目して、そのエッセンスを貪欲に吸収し、自分なりの表現でデザイン化した。」

「そうですね。新しいだけ、ましてや奇抜なだけやない、伝統のうえに独自性を主張する、そういう素晴らしいことをあの時代に実現しはったんですねぇ。

 やはり偉人やわ。」

 雅は今日も得るところが多いにあったようだ。

「ところで俊さんは、おひとりで廻ってはったときにはどないしたはったんですか。

 例えば、お昼とか、お夕飯とか・・・」

「まぁ、ひとりだから適当に。

 大体、季節によっては観光客で凄く混むからね。

 そんなときには、いっそ昼抜きとかね。」

「ひゃぁ、あり得へん、そんなん・・・」

「雅さんには無理だろうね。」

「まぁ、失礼やわぁ。そやけど否定出来ひんだけに悔しい・・・」

「ははは、そうだよね。」

「もう、いつもいけずなんやから・・・

 そんなことないよ、って言うて下さいよ・・。もう・・・」

「いや、失礼、失礼。

 それで、今度はいよいよ盈夷の『秋彩』の景色を探しに行かないといけないね。」

「そうそう、でも最近は温暖化で、紅葉も十一月末、下手したら、師走か年末までずれ込みますねぇ。」

「そうだね。

 毎年。エルニーニョとかって、異常気象と騒いでいるが、それも毎年続くともう異常じゃなくて、それが通常だよね。」

「確かに、そのとおりやわ。」

「まあ、異常気象のことはおくとして、じゃ十一月末を目処にしようか。」

「ええ、そうしましょう。

 でもその前に、ぜひ『非公開文化財特別拝観』にご一緒させてもらいたいんどす。

 ご存知ですよね。」

「ええ、もちろん。

 毎年春と秋にありますね。

 でも春はゴールデンウイークに当たるから、あまり行かないんだ。

 凄い混雑だからね。」

「そやから秋の公開の時に、ぜひ行きましょうね。」

「いいですよ。できたら平日がいいなぁ。」

「じゃ、また日取り、調整下さいね。」

「はい、了解ですよ、隊長。」

「あら、隊長は俊さんやあらしまへんの。

 こちらこそ、よろしゅうに・・・」



 秋彩  四  「非公開文化財特別拝観」


 毎年、古文化保存協会が主催する「非公開文化財特別拝観」は、京都では恒例行事となっている。

 二十箇所ほどの社寺において、日頃は公開していない文化財を春と秋の約十日間、開放する。

 併せて京都市内の大学生が、スーツ姿でナビゲーションしてくれる。各社寺での受付、拝観料金の徴収、案内リーフレットなどの販売、社寺境内、建物内での誘導案内、などを担当する。

 そればかりか、ところどころ見所ではフリップを掲げてその由緒、来歴、エピソードなどを簡単に説明してもくれる。皆、身だしなみも正しく、マナーも心得て、とても爽やかである。

 そういう企画なので、俊は例年、必ず参拝してきた。

 毎年開放する社寺もあれば、新規に公開する処もあるし、数年に一度の企画を出す社寺もあるので、例年何処が公開対象であるかを協会のホームページが公開されると真っ先に閲覧していた。

 その企画を雅も心得ていて、十一月の初めの休日を過ぎたあたりで、同行することになった。

 二十箇所も公開しているが、京都市内の洛北、洛南、東山、嵯峨野はもちろん、最近は八幡市や宇治市の社寺も名を連ねる。これだけあると、一日中廻ってもとても廻りきれるものではない。

 そこで、以前に参拝した処は省き、なるべく新規の処、中でも文化財に障壁画や襖絵、屏風絵などが展示される箇所を選んで、効率的に巡れるコースを考えた。

 幸い社寺では日常の勤行や修行のスケジュールからであろうか、公開開始は午前九時からなので、数を稼ぐには打ってつけである。

 こうしてまた、俊と雅は待ち合わせて再会した。


 法然院は毎年の公開ではあるが、東山三十六峯を借景にした佇まいと、狩野派の障壁画、襖絵があることから今回のコースに選んだ。

 更に春に赴いた堂島日之出の現代的な襖絵もあって、更に楽しめるスポットである。

 ふたりは今回も出町柳の駅で待ち合わせ、東に向かった。前回は汗しとどで歩んだ俊であったが、今回は冷涼な気候で快適だ。

 東山の峯峯が近くなり、緩やかな上り坂ではあるが、哲学の道を外れ、更にゆったりと歩んで、九時過ぎに法然院に到着した。

 山門に向けては、重なる落ち葉を踏みしめて歩む。まだ早く、人影もない。

 ようやく檜皮葺きの山門に至り、門を潜る。

 中に至ると前庭に砂を掃き集めた造形があり、参拝者を迎える。

 細い路を経て、玄関に至る。

 玄関前にはテントを張って受付が設置されている。

 靴を下足入れに預け、堂内に入り、玄関から縁側伝いに書院に至る。

 敷居際には結界が立ち入りを阻んでいる。

 一間ほどある縁側から書院内を見学するのだが、その辺りにフリップを持った学生が二、三人いて、順次、庭の謂われや石の配置の由来などを丁寧に説明してくれた。

 まだ時節が早く、もみじも青青としている。これが真っ赤に染まれば、さぞや美しかろうと想像できる。

 借景の鬱蒼と深い山肌には常緑樹も多いので、そのコントラストは、正に絵に描いたような光景と晩秋の景観を思い描いた。

 尚も、ところどころに貼り付けられた矢印に導かれ、離れに向かう。

 離れでは、まだ間新しい座敷の襖にモダンな絵が描かれていた。

 オープンカフェの椅子に腰掛け、少しアンニュイな風情でもの思いに耽る女性。古式床しい寺院には似つかわしくないモティーフだが、不思議と落ち着く。

 そんな法然院を辞し、次は金戒光明寺に向かう。ここは徳川の菩提寺で代々の将軍を弔う。

 法念院とは異なり、大規模な伽藍と大きな建屋は見るものを圧する威厳がある。

 今回は調理場である「厨屋」を見学した。

 竈、いわゆる「へっつい」のある土間に天井はなく、高い屋根の真上に格子窓があり、煙を出すようにできている。

 柱は六寸を超える太さで、梁などは原木の丸太をそのまま用いていて、いずれも黒光りし、年代を感じさせた。

 金戒光明寺を出て、丸太町沿いにあるカフェに入る。

 今回も目敏く、雅が遅い時間までやっているモーニングサービスを見つけて、軽い昼食とした。

「法然院は良かったね。

 狩野派の襖絵も良かったが、堂島日之出の斬新な絵も、案外寺院の雰囲気に合っていて、意外だったね。」

「あれは新鮮でしたね。

 ええっ、て、驚きで・・・でもしっくりと法然院さんに馴染んでいました。」

「おそらく狩野派のあの襖絵、松や花鳥も創建当時は一番の最新作だったから、相当エポックなものだったろうね。」

「京都では、つい古びたものを求め、古色蒼然としたものを探そうとするけど、古い伝統のなかに新しさも必要なんやね。」

「まったくそのとおりだよ。

 じゃ次は智積院に行こう。」

「はい、隊長・・・」

 ふたりは京阪丸太町から七条に移動する。駅を出て、東に向かい、三十三間堂や国立博物館を過ぎて突き当たりの智積院に到着した。

 ここには長谷川等伯とその息子、久蔵の屏風が多数収蔵されており、国宝、重要文化財も多い。「桜楓図屏風」や「松に秋草図屏風」など。

 長谷川派が秀吉などの意向を受け、最も持てる力を発揮した時期の作品だ。

 雅はその力強い筆致と大胆な構図に圧倒され、大きな感銘を受けたたようだ。

 熱心に見入って長い時間、ひとつの屏風の前に立ち尽くしていた。

 ここは庭もすばらしい。秋の気配のなか、名園も楽しみ、続いて先ほど通り越した三十三間堂に参拝する。

 有名な矢通しの行事が行われるように、正に三十三間の長い堂宇である。

 堂内には幾多の仏像が鎮座し、参拝者を迎える。

 五百羅漢の像のなかには、必ず自身とそっくりの像があるという。また

 普賢菩薩や文殊師利菩薩、観世音菩薩と見て、中程過ぎには梵天や四天王、明王像などがある。

 そこに交じって、風神雷神の像もあった。

 ニ対の立体像はなかなか見る機会も少ない。

「これは平清盛が建立させたという。

 どんな気持ちでこの堂を建てたんだろうね。」

「平安の院政が武士の世に変わる転換期ね。

 血で血を洗う抗争の時期、親兄弟が敵味方という、過酷な運命に救いを求めたのかしら・・・」

「そうだね。

 あとは政権抗争にも嫌気がさしたかもしれないね。」

「でも、風神雷神が彫像の形であるなんて、今まで知らへんかったです。」

「風神雷神は屏風、と思っている人がほとんどだからね。

 じゃ、その屏風を見に行こう。」

「うわぁっ・・・凄いですねぇ。早う行きましょう。」

「じゃ歩こう。二十分くらいさ。」

「はい、隊長。」

 こうしてふたりは建仁寺を訪ねた。

 国宝、「風神雷神図屏風」は建仁寺が所蔵する。数年に一度、建仁寺で公開するが、他は様々な美術館の企画展に出品されることが多い。

 国宝の絵画は、文化庁から年間の公開日数を定められている。国宝の保護に根拠があるのだが、例によって日本の役所の金は出さないが口は出す、という体質が如実に現れている。

 寺院も心得たもので、一番参拝の多い時期をねらう。

 かなりの参拝者であるが、広い書院にその屏風は展示されている。

 見慣れた画像ながら、やはり本物を目の前にすると感動は一入である。

「じゃ俊さん、解説をどうぞ。」

「何だ、そりゃ。

 まぁいいや。

 まず風神雷神図屏風はいくつあると思う・・・」

「えっ、解説でしょう。質問で始まるなんて、ずるいですよ。

 そんないくつもあるんですか。じゃふたつ・・・」

「ぶぶぅぅ・・・

 まあ、色々な絵師が描いたマイナーなものもあるが、いわゆる有名どころとしては三枚だね、この構図としてはね。」

「違う構図もあるんですか。」

「左右に並ばず、斜め上下に配置されているのは、狩野探幽のものがある。」

「ふぅぅん・・・」

「それ以外に同じ構図で襖絵がある。」

「作者は・・・」

「この屏風は俵屋宗達だね。これと同じ構図の屏風が尾形光琳と酒井抱一が描いているし、襖絵を描いたのは鈴木其一だね。」

「へぇぇ、でも全部時代が違うんやね。」

「そう、そのとおり。

 細田美術館の『琳派』の解説文にもあったけど、光琳が宗達を、抱一が光琳をそれぞれ『私淑』、つまりリスペクトしたんだよ。

 時代が異なるので、実際には会ってもいないが、かつて宗達、光琳の作品を観て、それらに感化されて自分で勝手に『我が師匠』と定めたんだね。」

「そうかぁ、私が俊さんに私淑してるようなもんやね。」

「いや、それを言うなら雅さんは貴女の先輩にリスペクトしたんだね。でも直接お教えを受けているから『私淑』ではないね。」

「あら、そうやわ、そのとおり・・・」

「ともかく、宗達は先ほどの三十三間堂の風神雷神を手本にはしたらしいが、珍しいことにその間、五百年も経っている。

 現存していないだけかもしれないが、その間に『風神雷神』が制作されなかったことも不思議だね。」

「しかも彫像しかないのに、それを絵にして完成させた宗達は偉大ですね。」

「そのとおりだね。

 ほとんど何もないところから、創造する能力は大したものだね。宗達は凄い人物だったと感銘するよ。」

「今日もいい鑑賞会でした。ありがとうございます。」

 雅は茶目っ気たっぷりにペコンと頭を下げた。



 秋彩  五  「小倉山」


 前回の非公開文化財特別拝観から、一ヶ月半が過ぎた。

 京都は秋の装いを一層濃くし、錦繍に染まる頃となった。

 ちょうど勤労感謝の日と土日が連休であるので、俊(しゅん)その一日を雅(みやび)と小倉山を訪ねる日とした。

 俊の日常は相変わらずで、多少のトラブルはあったものの会社の業務運営も滞りなく進捗し、業績も問題ない状態が維持できていた。

 雅も日々の染色の仕事の傍ら、どうやらまた春の展示会の構想を練っているようだ。

 ときたまのメールでもその辺りが窺えた。

 俊は週末には可能な限り美術館に足を運び、日本画のみならず、洋画なども鑑賞した。

 昨年までは、欧米の美術館のリニューアル工事などが相次ぎ、有数の美術館の作品が来日し、多くの企画展が催された。

 特に日本人が好む印象派とフェルメールは企画数が多かった。

 だが今年は海外の美術館が所蔵する、日本から流出した江戸期辺りの作品の里帰り企画が多く、若沖、しょうはく、応挙などが鑑賞できた。

 また日本画でもかつて巨匠の名を欲しいままにした大観や栖鳳の回顧展も大規模に開催された。

 やがて雅との約束の日、やはり早い時間で俊と雅は四条大宮の嵐電乗り場で待ち合わせた。

 今回は始発駅から終点の嵐山まで行き、そこから徒歩とした。

 昨年夏の台風による、水禍はひどい被害をもたらしたが、復旧は比較的早く、その秋の観光シーズンにはしっかり立ち直って、商いに勤しむ店舗、旅館が多かった。

 このあたりは、阪神淡路大震災でも、神戸を中心とした復旧の速度が驚くほど早く、「時間」をも「価値」と捉える関西の人々の合目的性と割り切りに、深く感心したものである。

 ふたりは、そんな話しも交えつつ、嵯峨野の落葉を踏みしめて、小倉山の方向に歩みを進めた。

「ところで俊さん、今日は一日大丈夫ですのん。」

「ああ、やはり歩くことも多いし、夕刻からどこかでご一緒頂けたら嬉しいね。」

「ああ、よかった。

 私もお話しありますねん。

 そしたら、夕方からおつきあい、お願いしますね。」

「はい、喜んで・・・

 でも話しって何かな。」

「それはそのときに・・・

 それにしてもきれいな紅葉どすな。」

 辺りは竹林などがある嵯峨野の風景だが、休日、しかも連休なので、観光客も多い。

 列をなして歩くイメージである。

 しかし天竜寺を過ぎ、二尊院の辺りまで来るとかなり観光客もまばらになってきた。

 ふたりは寺院など眼中になく、ひたすら小倉山を目指す。

 ようやく鄙びた長閑な景色が広がってきた頃に、目の前になだらかな小倉山が見えた。

 京都の山々は標高が低く、上方落語などでは「地球のにきび」と揶揄されるほどなので、山というよりは岡の風情ではあるが、登るとなるとやはり一仕事である。

 いい加減登った頃、盈夷の秋の絵画と似たような光景が現れた。

「ああ、この辺でしょうね。そっくりやわ。」

 雅は、持参した絵はがきと見比べながらはしゃいだ声を上げた。

「そうみたいだね。

 さすが盈夷は、現実の風景をしっかりスケッチして、それを元に構図を決めたんだね。」

 俊も絵はがきを見ながら風景に目を凝らす。

「この風景はあとからの作品ですよね。」

「うん、昭和五十年代の作品みたいだよ。」

「康成に勧められ、京都の景色を描きつつ、一方康成はノーベル賞まで受賞したのに、自害してしまうんやね。」

 雅は感慨深げに呟いた。

「盈夷は友人というよりは先達として康成に敬意を抱いていたから、喜びと大きな衝撃を短い期間に味わうことになったんだね。」

「自分が感化され、たくさんの刺激を貰った人を喪失するのは大きな痛手やわ。」

「雅さんの痛手も大きかったね。」

「ええ、でもその分、俊さんに大きな感化を受けてますから、ありがたいです。」

「えっ。

 私なんか、何も制作したりしないし、創造の感性もないのに大丈夫なの。」

「いいえ、俊さんは『鑑賞者』という素晴らしい感性をしっかりお持ちで、その感覚を常に磨いてはります。

 創造する人、制作する側にとっては、それを観てくれはる人、使うこうてくれはる人がおいやしてこそです。」

「ああ、そうか。なるほどね。」

「世の中には、画家さんや私らみたな作家と、観る人、使う人たちを隔てて考える方々も多く、私らが特殊な存在のように思われがちですけど、人の生活、人の人生に関わってこその作家ですさかいにな。」

「いや、雅さん、素晴らしいよ。

 よくそれだけ悟られましたね。

 そういうお志しがある以上、雅さんは優れた作品を世に問えると思いますよ。」

「いいえ、これも俊さんのお陰どす。

 色々観に連れていってもらい、時には叱ってくれはったからどす。

 ほんまに感謝してますえ。」

「いやぁ、ありがとう。

 でも雅さんも著しい成長だね。その先輩さんもお喜びだろうね。」

「ええ、いっぱいご心配おかけしましたさかいに・・・

 でも俊さんにお会いできたのも、先輩のお導きですやろ。

 それにあの先輩には、展示会のときに更に言われたことがありました。」

「ああ、春にお話を聞いたけど・・・」

「ええ、『雅さん、あなた本当に人さんを好きにならはったことがおますか。

 人を心から愛するということがお分かりどすか』って。

 私、ショックでした。

 そこまで見抜かれていたなんて・・・

 と言いますのも、私は二十歳台でえらい失恋したんです。

 それ以来、恋愛に臆病になってしもて、チャンスがあってもイマイチ踏み込めず躊躇してしもて。

 しっかりお人を愛したことがなかった、できなかったんですわ。

 人を恋し、愛さないと作品も愛せない、って指摘されて・・・

 厳しいお言葉でしたけど、納得できるご助言どした。」

「へぇ、そんなことがあったんですね。」

「ええ、でも今は充実していて、何やいい作品を染められる気がします。」

「そう、是非がんばってほしいなぁ。」

 それからふたりは市内に戻り、珍しくオランダ絵画の企画と皇室に伝わるボンボニエールの蒐集企画とを鑑賞して、夕刻、以前に訪れた町屋を改装したレストランに落ち着いた。

 ビールで乾杯し、アラカルトをオーダーして、今日観た景色や作品を語り合った。

 その後、赤ワインをボトルでオーダーし、牛フィレの一品を楽しんだ。

「ところで、話しがあるって言ってたけど・・・」

「ええ実はね、私、結婚しようと思うてますねん。」

「ほう、そりゃ突然だね。

 いや、雅さんの私生活はさほど知らないから、ご準備されてきたんだね。

 で、お相手は。」

「ええ、同業者であちらは再婚なんですけど、お見合いしました。」

「そうなんだ。ともかく乾杯しようか。ご婚約おめでとうございます。」

「ありがとうございます。

 うちは弟がいて、だんだん弟に経営も移す方向ですし、いつまでも小姑の私が居座るのもねぇ・・・」

「なるほど」

「先さんは、一昨年ご病気で奥さん亡くさはって、小学校低学年の男のお子たちがおひとりおいやす。」

「そうか、いきなりママなんだね。」

「ええ。私もこれでいいかな、って思うてます。

 そやさかい、せっかく今までご一緒頂いてきましたけど、次の『年暮るる』を訪ねるときで、最後にさせてもらわなならんのどす。」

「そりゃそうでしょ。

 ちょっと寂しい気はするけど、でも雅さんが幸せになるんだから、最後の美術ナビをしっかり努めますね。」

「ええ、ありがとうございます。

 またよろしゅぅにお頼み申します。」

「いや、今日は殊勝だね。

 秋の紅葉や落葉を観て、少し感傷的かな。」

「そうかもしれませんねぇ。

 おんな心は難しうおすわ。」

「おいおい、しっかりしてよ。ママなんだから。」

「まだ独身どす。

 そやけど、私も淋しい気持ちです。

 せっかくご一緒できて、楽しく過ごさせて頂いてきたのに・・・

 とっても残念・・・

 ねぇ、俊さん。

 実は今年の初め、細田美術館でお逢いしてこのレストランに来る前にも私、俊さんとお逢いしてますのよ。」

「え・・・・どこで・・・・」

「ほら、やっぱり分からはらへんな。

 私、そんなに魅力おへんか。」

「いや、魅力ありますよ。でも街ですれ違ったくらいじゃ、覚えてるわけないし・・・」

「うふふふ・・・

 っそのとき俊さん『この女性(ひと)も苦しかったろうな』、って言わはった。」

「え、どこで・・・」

「府立美術館、宇多荻邨(うだてきそん)の絵の前で・・・

『飛香舎』の絵に向かって呟かはったんどす。」

「あっ・・・あのときの・・・

 いやぁ、そうでしたか、失礼しました。何せ独り言言ったことも気づかず、バツが悪かったので碌にお顔も見ずに、退散したよなぁ・・・」

「でも『この女性(ひと)も苦しかったろうな』、ってどういう意味ですのん。」

「雅さん、あの絵覚えていますか。

 御所の飛香舎、つまり藤壺の前に絢爛と藤が滴り咲いている構図でしたね。」

「ええ、そうです。」

「あれを雅さんは藤を描いた絵、として観ていたでしょう。」

「もちろんそうですわ。

 でも何や、静謐で悲しい雰囲気の絵どした。」

「そう、そうなんだ。

 惜しいなぁ。それだけ感じ取っていたら九十パーセントだね。」

「え・・・」

「つまりあれは藤を描いたんじゃなく、その建物のなかでひとり思い悩む女性を描いているんですよ。」

「えっ、まさか藤壺の更衣、どすか。」

「そうそのとおり。

 光源氏との恋に陥ち、不義の子まで身ごもってしまった罪。

 でも一方で光源氏を恋い慕う自分の愚かさ、恐ろしさ。

 そんな懊悩を描いているんです。」

「まぁ、そうなんですね。

 だから『苦しいだろう』と」

「そう、前に雅さんの先輩さんが仰っていた『本当に人を愛したことがあるか』、との問いも、そういう感性を感じ取れる女性であるかどうか、を仰っていたと想いますよ。」

「そう・・・そうなんや・・・

 やっと、やっと分かりました。まだまだ精進せなあきませんね。」

「でもご結婚されて、そういうことも含めて感性を磨いて、お幸せにならなけりゃね。」

「それはそうやけど・・・ひとの気ぃも知らへんで・・・」

「え・・・」

「何でもおへん。」



 年暮るる  一  「大晦り」

 しばらく雅からはメールなど、連絡はなかった。

 ご大家の「見合い」なるものが、どれほど手間がかかり、負担なものかは想像に固くはなかったが、一生懸命そういうことに対応しているであろう雅を思うと、軽々にメールは出来なかった。

 ようやく雅がメールを寄越したのは師走も中旬頃であった、

 あの盈夷の「年暮るる」の作品は、大晦日の京洛の市街を描いたものという。

 なので雅も大晦日を指定してくることは十分に推測できた。

 そしてそのとおり、雅は大晦日の十四時に観世会館での待ち合わせを指定してきた。

 大晦日には仕舞狂言が催されるという。

 観世流の本山で仕舞狂言とは乙なものだと、変に納得しながら、指定の正門前で待っていると、和風姿の雅が現れた。

「お待たせしました。」

 みれば桔梗柄の友禅である。

 深い紫色か濃紺の生地にくっきりと白い桔梗が大胆に染め抜かれ、着物の裾から立ち上がっている。

 しかも裾の方の地模様はグラデーションになっていた。

「これはお似合いですね。

 生地は何という色合いなんですか。」

「古代紫を思い切り濃くした色調です。」

「やはり雅さんはお着物がお似合いだよ。」

「ありがとうございます。

 これ、私が染めたんです。展示会で新人賞を頂いた思い出の柄です。」

「それは素晴らしい。また帯も帯締めもしっくりとマッチしてますね。」

「おおきに。

 帯は母のものなんです。帯締めは祖母の形見どす。」

「やはりそうやって代々受け継いでいくものなんですね。」

 語らいながら、ふたりは、指定席に着席して、能を二番と狂言を楽しんだ。

 能は「葵の上」であった。

 光源氏との葛藤から懊悩し、生き霊として心苛まれる女の情念が静かに、しかし底深く表現されていた。

 また狂言は「附子」である。

 主人の留守に、近寄ってはならぬと戒められた櫃に入った砂糖を食べてしまい、言い訳に困った太郎冠者が知恵を絞って立ち回る痛快な狂言である。

 仕草も台詞回しも、そして何といっても「間」の取り方が絶妙であり、とてもユーモラスで奥行き深い舞台であった。

 会館を出ると、暮れかけた町並みが夕闇に飲み込まれる寸前の薄闇で、街全体がモノトーンである。

 盈夷の絵のあの青く深い闇を、いわゆる「かはたれどき」をこれから迎えようとする夕景。

 ふたりは河原町方向に歩きながら、絵のあの町並みを探した。

 東大路通りに突き当たった辺りで、雅がふと立ち止まる。

「俊さん、あの右手に見える大きなお堂は、絵の中のお堂と似てませんか。」

 見れば西日の残照に浮かぶ堂宇は画中のお堂と似通っている。

 しかし絵の構図からすれば、逆向きであるので、ふたりは北に向かい、また左に折れて絵のモチーフを求めた。

 ちょうど菊鉾街付近だが、その辺りに佇むとまるであの絵の中に入り込んだような錯覚に囚われる。

 だんだんと暮れゆく闇の中で家々の灯火がぽつりぽつりと際だっている。

 明日の元旦を前に、ゆく年を見送る町並みは、また今年の様々をその中に抱きつつ、新たな年への思いを膨らませている。

 盈夷はただ町並みを描いたのだろうか。

 降り始めた雪景色を描いたのだろうか。

 静かな情景は多くを語っていると思えた。



 年暮るる  二  「ラウンジ」


「俊さん、景色のなかに身をおいて、まるで絵の中に入り込んだような不思議な気分でしたね。」

 雅は歩きながら、俊に話しかけた。

「そうだね。時空を超えたような、異界に迷い込んだような感覚だったね。」

「ええ。

 じゃメールでお願いしてましたとおり、ホテルオークニに行きましょうね。

 今日は最上階の鉄板焼を予約しておきました。」

「ありがとう。お世話になります。」

 今日は今までの礼にと、雅がご馳走してくれるという。

 ホテルに到着し、最上階ラウンジの鉄板焼の店に入る。

 鉄板を前に、並んで腰掛けるが、焼いてくれるシェフの後方は大きな窓になっていて、東山の夜景が展開している。

「ね、ここやったら盈夷が、このホテルから描いたと同じシチュエーションでしょ。」

「ほんとうだね。今日という日に相応しい。」

 このホテルは以前「京ホテル」といって、京都でも老舗の格式高いホテルであった。

 昭和の終わり頃、老朽化したホテルを立て替えるのに、それまでの高さの二倍のビルにするという建築案に対して、景観を憂える識者たちから多くの異論が出て物議を醸したことがある。

 だが今はその建物も不思議に京都の景観に馴染んでいる。

 京都という街は、新たなものをどんどん内包してしまう懐深い不思議な街だ

 ラウンジの窓からの景色は、「年暮るる」の画像そのままである。

 絵のように雪こそ降ってはいないが、深い群青に沈み込む屋根屋根と点る灯火はそのままである。

 確かに川端康成が憂えたとおり、「屋根」のある日本家屋は減って、ビルが増えはしたものの、未だに古都の町並みは東西南北に整然と並び都城の趣きをとどめている。

「俊さん、この一年、ほんまにありがとうございました。」

 グラスを掲げながら雅が礼言う。

「いえいえ。

 私こそ、雅さんとご一緒できて楽しかったですよ。」

「ほんまにほんまどすか。

 嬉しいわぁ。」

「いや、こちらこそ。

 一年間、盈夷の京洛の風景を辿れて、こんなことは一人じゃできないからね。」

「ええ、そうどすなぁ。

 私も制作する者の気構えや覚悟が少しは分かりました。」

 目の前では厚いステーキが香ばしい香りを立てている。

「そういうことを短い期間で悟れるなんて、雅さんは素晴らしいですよ。」

「いいえ、ちっとも。

 やはり俊さんのお陰どす。」

「今日の能も女性の情念が激しくも悲しく表現されていて、参考になったでしょ。」

「ええ、私お稽古事のご縁で、チケットを頂けたりしますから、もっとたくさん拝見して、自分を高めたい、と思うようになりました。」

 ステーキは素晴らしい味わいだった。次に鉄板では海鮮を炒めている。

「ところで、今日のお着物のことを教えて下さいよ。」

「ええ、この染めは私が修行していて、なかなか上達せえへんかったけど、ようやく展示会に出品してもええやろ、って言われてから三年めの作品どす。」

「ほお、三年もかかるものなんですね。」

「いや、普通の方なら、出品した年かその翌年には何等かの賞は受賞されるもんどすけど、私は筋が良うない、って言われて、三年もかかりました。」

「そう。でもちゃんと受賞された。」

「ええ、ちょうどその頃あの先輩に出逢うて、あれこれお教え頂き、作品のコンセプトとかも全く変えて、ようやく頂けました。

 この作品は、斬新な柄なんです。

 桔梗の花を大きく着物いっぱいに表現して、それも濃い古代紫のなかに彷彿と浮かぶように工夫したんどす。」

「本当に素晴らしい紋様だね。」

「ありがとうございます。

 先輩にも俊さんにも褒めてもろうて、この着物も喜んでますやろ。」

 それから雅はしばらく考え込んだりしているようで、急に口を閉ざしてしまった。

 婚儀を前に悩みも多かろうと俊は推察していた。

 やがて、食事も終わるころ、ぽつり、と呟いた。

「俊さん、桔梗の花ことばをご存知どすか。」

「いや、不調法だから知らないよ。」

「『変わらぬ愛』って言うんどす。」

「・・・」

「五月の展示会も『ただ一人を想う』どしたしな・・・」「・・・」

「俊さん、私が今日この日にこの着物を着てきた意味を察しておくれやす。」

「いや、その・・・つまり・・・」

 突然の言葉に、俊は激しく狼狽した。

「そうどす。ずっとお慕いしてました。

 最初はご一緒してて、色々お教え頂くのがありがたかったけど、最初はそんなことが楽しかった。

 でも初夏に展示会のことで、しっかり叱ってくれはった。

 あのお言葉が心に沁みて自分のことを振り返ると、ほんにそのとおり。

 あれで私は吹っ切れて、また新たに目覚めたんどす。」

「そうなんだ。」

「俊さんはほんまに紳士で、私の手すら握ってもくれはらへん。

 安心は安心どすけど、つまらんかった。

 そりゃ奥様もおいやすし、私が焦がれても詮無いこととどすけど・・・

 せやけど理屈と想いは相反して、気持ちは募る一方で、辛かった・・・」

「そりゃ、鈍くて悪かったね。」

「ほんに鈍いお人や。

 そんでも、そんな思いをひとり悶々と抱えていても仕方ないと、今回のご縁のお話しをあえて進めてもろたんどす。

 ただ・・・」

「え・・・」

「ただ今夜だけはご一緒にいて下さい。

 最後の夜やさかいに・・・」

「・・・」

「デザート頂きましょか。

 すみません。デザート出してくれはる・・・」

「雅さん・・・」

「今夜は帰らしまへんえ。」



 年暮るる  三  「年暮るる」


 雅は会計を済ませると、エレベーターホールに向かう。

 俊はただ黙って従っている。

 ふたりでエレベーターに乗ると、雅はロビー階ではなく十二階を押した。

 廊下を進み、中頃の部屋の前でドアを開ける。

 予めチェックインしてあるようだ。

 雅に続いて部屋に入る。

 広めの部屋で大きな窓にはカーテンが引かれていた。

 突然、雅が振り向くと身体ごと身を預けてきた。

 しっかり抱き留め、緩やかに抱き寄せる。

 ふぅわりと匂い袋から香りが立つ。

「いやっ。

 もっとしっかり抱いとくれやす。」

 俊は腕に力をこめて抱きしめた。

「好き・・・好きどす・・・」

 ゆっくりと唇を重ね合わせる。

 雅は喘いだ。

「もう・・・鈍いお人や、殺生な・・・」

「すまないね。」

「そんなんで、済まさしまへん。

 お仕置きしたげますさかいに・・・」

 尚も繰り言を言いたそうなその口を俊は更に塞ぐ。

「もう、いけず・・・

 隊長はいけずどす。」

「え、どんな風に。」

「せやかて、こんな状態でもご自分は平然となさって、客観的でクールどすわ。」

「そんなことはないさ。どきどきしてる。」

「お上手やこと・・・さぁシャワー、お先にどうぞ。」

「ありがとう。じゃお先に。」

 俊はバスルームに入る。

 とても広いバスルームだ。

 さすが高級ホテルである。

 焦らず、慌てず長めにシャワーを使い、浴衣を羽織ってバスルームを出た。

 もう部屋の照明は絞られて、雅はベッドにいるようだ。

「こっちへおいでやす。」

 雅が誘う。

 ベッドの傍らに入ると、やおら抱きついてきた。

 唇を合わせる。

「好き、好きどす・・・」

「ありがとう、愛しているよ。」

「ほんまに・・・」

「ああ、本当だよ。」

「嬉しい・・・嬉しおす・・」

 淡い光のなかで見れば、緋色の襦袢で横たわっている。

「今年限り・・・

 でも、辛かった・・・」

「・・・」

「先月、俊さんに結婚を告げたときも、まだ迷てました。

 あの日も、あり得へんけど『結婚なんか止めて、私のおんなになれ』って言うて欲しかった。」

「えっ・・・そりゃあり得ないよ。」

「そう、俊さんは絶対にそんなことは言わはらへん。

 でも、おんなとしては・・・おんなの私は、そういう言葉を聞きた

 かった・・」

「・・・」

「私は一生、あなたのお手掛けさんでも満足どす。

 でもそんなことは現実にはあらへん・・・」

「そのとおりだね。」

「だから・・・だから今夜だけは、いつものクールな俊さんやのうて、熱く心をみせるあなたであってほしい・・・

 いっぱい愛して・・・・

 たっぷり可愛がって・・・

 ようけ、やらしいことして・・・」

「ああ、たくさんね。」

 ふたりは縺れ合った。

 熱い触手は肌を這い、愛咬は敏感な処を攻めた。

 狂おしく悶え、激しく喘ぎ、切なくすすり泣いた。

 俊は己にこんなに熱情が残っていたかと、自ら驚くほど扇情的な行為に没頭した。

 雅の反応、吐息、奮えに勇を得て、さらに執拗に愛撫を施した。

 雅は自らの内なる激情に没頭し、奥底から湧き上がる情念に声をあげ、何度も悶えた。

 雅も自分自身が、おんなとして悦びに貪欲で、身体を自ら制御できないほどの生ま身であることに驚愕し、そしてそのことがとてつもない喜悦を呼び起こすことを知った。

 やがて何度も痙攣とともに到達が来た。

 いちど押し寄せると、それは繰り返し繰り返し雅を襲い、身体の深い処から噴出するように押攻め寄せた。

 もう限界と思ったとき、一瞬違わず、俊が来てくれた。

 その一体感は、圧倒的な幸福感と充足感をもたらし、その歓びがまた雅を高みに押し上げた。

 もう自ら何を叫んでいるか分からなかった。

 ただこの一瞬、この姿態、この感動が愛おしく、切なく、幸福だった。

 着物の桔梗が、まるで生きてるように大きく花開く感覚に捉われた。

 線を引く、紋様を描く、愛を紡ぐ・・・

 自らが筆を執って描き添え、生命を吹き込んでいく作業が浮かび、

 そのなかにたゆたいながらも、一方で愛を充足させる満足に満ちて、

 創造する愉悦をたっぷり味わった。

 これか・・・・

 心の片隅に冷静な雅がいて、その自らを眺めつつ、今掴んだ感覚を忘れまいと心に刻んだ。

 これを描く、この感覚を表現する、この愉悦を創造するんや!

 こう悟った瞬間、大きな波が雅を押し包み、激しく到達した。

 しびれるような愉悦と迸る激情のなかで、全てが宙に浮く感じの中に長く長くたゆたった。

 やがて我に返ると俊の胸のなかにいた。

 幸福感はまだ続いている。

 心の底から、豊かな愛惜が巻き起こってきた。

 しがみつき俊の肩口を咬む。

「ほんまに好きや。」

「とても愛している。」

 お互い確認しあったが、言葉は虚しい。

 だが、雅は今得たとてつもない愉悦で十分に満足だった。

 ようやく自分で納得できるものを得た。

 この思いは、豊かな自信と湧起こる意欲をもたらしてくれた。

 ふと、雅は身を起こすと襦袢を羽織って窓辺に立った。

 怪訝な様子で俊が見守る。

 やおら大きく手を振るようにカーテンを開け放った。

 師走の街は町明かりで明るく、逆にホテルの部屋に光が差し込んできた。

「俊さん、この景色、この風景どすなぁ。」

 俊も傍らに立って窓外を見る。

「これが絵の光景だね。」

 静かに年を越す街をふたりで眺めた。

「盈夷は、何を描きたかったんやろ・・・」

「え、分かってるんじゃないの。」

「ねぇ、教えておくれやす。

 まさか雪を描きたかったわけやあらへんし・・・」

「盈夷はね、この青い屋根、この灯し火を描いたんだよ。」

「え・・どういうこと・・・」

「つまりこの連なる屋根の下、灯し火のなかで家族が寄り合い、行く年の様々を思い起こして語らう。

 そしてまた新たな年への期待を一人ひとりが胸に描く。

 そういう感慨、人間を描いたんだ。

 ひとりの人物も絵には配していないが、立派に人間を描き、人間の思いを表現している。

 それを観る側も、それをしっかり感じ取って感動するから名画なんだよ。

 共感を呼び起こす作品が秀作なのさ。」

「俊さん、ほんまにあなたは凄いお方やわ。

 最後に大きなお教えを得ました。」

「いや、雅さんも今夜大きなものを得たね。」

「えっ・・・」

「これや、これ描いてたる、これで創りあげたる、ってひとつになりながら口走っていたよ。」

「ええっ、ほんまどすか、恥ずかしいわぁ。

 せやけど、そうなんどす。

 ようやく自分の創造するものが、一瞬にして悟れたんどす。

 その一瞬の悟りは感動的で幸せどした。

 その意味でも、こんな素晴らしい悟りに誘ってくれはって、おおきに。」

 そのとき除夜の鐘が鳴り出した。

 知恩院の重く深い鐘の音が聞こえる。

「俊さん、お帰りやす。今年限りやさかいに。」

 こういうと、雅は身を翻してバスルームに消えた。

 突然の雅の言葉だが、俊にはよく理解できた。

 自分がバスルームにいる間に消えてほしい、そう雅は言っているのだ。

 辛い別れはイヤ。

 後姿は見たくない。

 せっかく悟り、思いをきっぱりと打ち切る覚悟であるのに、後ろ髪を引かれることはしたくない。

 そんな京おんなの強い意志と、覚悟を決めた心意気が痛いほど分かった。

 俊は身なりを整え、部屋を後にした。

 ホテルの部屋には衣桁に掛けられた桔梗柄の友禅が、静かに雅の行く末を見守っていた。



                     前編 了








 後編  - 京洛のふたり その後 -

 再会


 俊(しゅん)は新年早々、美術展に出かけた。土曜日の朝から二館、午後から三館を廻った。

 目の前に京都疏水の流れる細田美術館は、地上一階から順次階を下がって、最後に地下のスーべニールコーナーを抜けて出口となる。

 スーベニールコーナーではいつもながらの琳派関連のグッズを並べ、来館者の興味を引いている。最近のグッズは優れモノが多く、その工夫と精緻な出来栄えに、つい俊も購買意欲を刺激されてしまう。

 今日は昨年の12月から開催されている神坂雪佳(かみさかせっか)の企画展を再度鑑賞に来た。一昨年にこの美術館の友の会のメンバーとなっているので、一年を通じて何度でも入館できる。

 この企画展も昨年暮れに一度鑑賞しているが、再訪により特に注目している作品や好みの絵画に集中して鑑賞する目的だった。

 明治から昭和にかけ、京都を中心に活動した図案家・画家、神坂雪佳の作品は、江戸期の琳派に深く傾倒してその流れを汲みながら、一方で訪欧して影響を受けたアールヌーボー様式をも採り入れて、図案家として時代の最先端を標榜した作風は高く評価されている。

 また印象的な金魚絵の軸は水中に優美に揺らぐ姿ではなく、真正面から捕らえたモティーフがユーモラスで奇抜ですらあった。

 また「杜若図屛風」は、琳派の尾形光琳描く同名の「杜若図屛風」とは趣きを異にしながらも、正統琳派を承継する作品として見応えのある屏風である。

 俊は愛らしい子犬の図案や波の流れを写した器なども堪能して、地下の出口からエレベレーターで地上に出た。

 この美術館では入館証の代わりに胸元などにシールを貼りつけて入館する。曜日毎に色違いで、おそらく再利用を防ぐためであろう。

 そのシールを出口の専用屑カゴに入れると、俊は時計を見た。閉館の17時まであと10分弱だった。

 そういえば朝チェックしたネットの天気予報では、日没時間がちょうど17時だったと思い出した。

「もう日暮れかぁ」

 呟きつつ、高校まで過ごしてきた東京を思った。

 当然、京都より東にある東京では日没は早く、12月、1月ともなれば午後4時半頃にはもう暗い。

 しのび寄る黄昏に、とても侘びしい気持ちになってしまう自分を持て余していた若き頃を思い起こしていた。

 俊は東京出身ではあるが京都の私立大学を卒業し、そのまま京都で就職した。 

 その後就職したアイティー系企業での経験と人脈を活かし、意気投合した二人の友人と共にソフトハウスを立ち上げた。

 伸長する業界向けにアイティー支援の企画を販売し、時流の追い風を受けて事業は一定の存在感を示すことが出来た。

 以来三十年弱、京都に住まい、趣味の美術館廻りで毎週美術品鑑賞を楽しんでいる。


 美術館を出て右に折れると、強い西陽が目を射た。眩しさに顔を伏せるとふいに陽射しが遮ぎられた。

 眼差しを戻すと逆光のなか、女性が立っていた。

 強い光のなかなので、面差しはわからない。

 目を凝らしてみると、女性はコーチのバッグを持ち、パープルのコート姿だ。その装いに、いきなり三年前の冬が甦った。

「雅さん・・・」

 その姿は三年前と同じだった。

 目が慣れてきて、女性が微笑んでいる様子がわかった。でも俊はそれ以上何と言えばいいのか、戸惑ってしまった。

「お久しぶりどす。」

 女性は緩やかに微笑みを満面に拡げた。

「なぜここに・・・?」

「そら俊さんの行動なら、よぉわかってまっさかい」

「偶然お会いできたのですか?」

「いいえ・・・

 待ち伏せしてましてん。

 そう、昔そんな恋の歌がおましたなぁ・・・」

 コロコロと笑い出しつつ、

「お待ちしとりました。

 逢いとぉおした。」

 俊はますます次の言葉を継げなかった。

「俊さん、この後、お時間くださいね。」

 言うなり、雅は手を上げてタクシーを停めた。俊に先に乗るように促し、自らも乗り込んで言った。

「五条の税務署の方へ行っておくりやす。」


 三年前もそうだった。

 正月早々、俊は今日と同じく細田美術館の企画展に赴き、そこでベンチにうずくまる雅に声をかけたことから始まった。

 体調不良かと気づかったが雅は以前、細田美術館を共に訪れた先輩の逝去まもなくであったため、鑑賞するうちに感情の抑制がきかず涙にくれたところに俊が声をかけたということだった。

 気遣う俊にそのいきさつを雅は、五条税務署に近いあるレストランでうちあけてくれた。

 そして度々その先輩と美術館を廻ったように俊の美術館廻りに同行させて欲しい、と懇請され、ほぼ一年間季節毎に京都市内の美術館に二人で出かけた。

 更にたまたま訪れた百貨店の企画で観た、東京にある山竜美術館が所蔵する東山盈夷作品の京洛四季図の取材地となった景観も一緒に辿った。

 ほぼ季節毎に主に休日の朝から複数の美術館を訪れ、夕刻からは二人で酒肴を伴う会食をした。

 しかし雅はその年の暮れ、新たな人生を歩みだす、と言って俊の前から去った。

 ほろ苦い、しかし忘れられない夜を残して・・・・


 長らく会食の機会を奪われていた町は、最近ようやく活気を取り戻しつつあった。

 美術館も長らく閉鎖を余儀なくされていた処が多かった。入館者は激減し、いつでも鑑賞できる美術展は減り、代わりに予約制による訪問を要請する館が増えた。

 もはや世界は、以前の様相は取り戻せない状況に陥っていた。

 そんななか、今回の邂逅は俊にとっては思いもかけないものだった。席の向かいに座る女性は屈託なく笑っている。

 三年の歳月を感じさせない変わらぬ姿は、ある意味眩しい存在であった。

「相変わらず俊さんはおしゃれどすなぁ・・・」

 雅は俊の装いを褒める。

「いや別にいつもの恰好ですよ。見せる人もなし。」

 少し自嘲気味か、と口に出した途端に反省しつつ黒ビールを味わう。

「相変わらず、黒ビールがお好きなんどすなぁ・・・」

 俊の家系は酒に強い。もっと言えば近しい先代には、ほぼ酒乱もいた。

 だがせっかく味わうならば、酔醜を曝すよりも美味で充足したものを喫して楽しみたい。

 酒類に限らず、食事もデザートもそうあってほしい。

 それがこの自粛のなか、大いに規制されてきた。


「このお店も長い間休業してはったんやけど、最近再開しやはったんです。

 ですから今夜は何かとても嬉しおす。

 かつて親しんだ方々に御帰り、って言うてもろてるみたいで、嬉しおす。」

「でも驚きましたよ。」

 そうは言ったが俊は、その後の言葉を継げない。

「うふふ。お言葉にお困りどすなぁ。」

 雅は満面の笑みでからかう。

「そりゃそうですよ。晴天の霹靂ですね。」

 辛うじて俊は応じた。

「うち、離婚しましてん。」

「ええっ・・・・」

「いややわぁ。

 そんな驚かはることやおへんえ・・・」

 コロコロと笑う。

「いや、笑いごとじゃないですよ。大変なことです。」

 俊はほぼ絶句である。

「俊さん

 そやから今夜、そのお話を聞いてもらいとうて、お時間頂きました。」

「・・・伺いましょう。」

「はい、ほんなら、その前にお代わり、どすな。」

 雅は手を挙げて追加をオーダーする。

 相変わらず酒には強いようだった。

 雅はオーダーしたベルギービールを美味しそうに味わうと、俊にまっすぐの眼差しを向けた。

「うちは最後にお逢いしたとき、そうあの夜の次の年の3月に結婚しました。

 相手さんは再婚やしお子さんもおられるから、ごく身内で、式というよりは顔合せのような席を設けて、その後家庭に入りましてん。

 旦那さんはうちよりお若こうて、四十二歳、子供は五年生で十歳の男の子どした。

 やはり繊維の仕事したはるお宅で、お父さんも同居で社長さん、お母さんはご他界され、旦那さんが常務でした。

 他に歳の離れた妹さんがいはって、三十一歳どしたなぁ。

 それから年子のお姉さんがもう嫁いだはりましたけど、しょっちゅう実家に来たはりました。

 男の子の実のお母さんは、離婚しはったそうどす。」

「家族経営の企業さんなんですね。」

「へぇ、そやさかい家庭のことは全部うちにお任せどしたけど、割と義姉さんが口だししはりました。

 ご実家に何や未練があるようで・・・」

「いわゆる小姑ですね。」

「ええ、そんなイケずやあらしませんでしたけど、細かいことにはちょくちょく小言を言われました。」

「・・・・・」

「男の子は、一人っ子やったさかいに跡取りさんですね。

 私に母親の役割を期待したはって、多分高校か大学卒業までのフォローを当てにしたはったんやと思います。」

「事業承継を今から見込んでおられるのでしょうね。」

 雅はビールを含んで続ける。

「その男の子の通う小学校では五月に運動会の予定どしたんで、連休も明けた頃は練習が続いてました。

 うちは未だ結婚してふた月どしたけど毎日体育着を洗濯したり、栄養価の高いボリュームのあるお料理を作ったりしてました。

 でも五月十日過ぎ、そう十二日どす。

 小学校から電話があって、その子が病院に担ぎ込まれた、って・・・」

 雅は辛いことを思い出すことに耐えているようだった。

「そりゃ大変だ。」

「うち買い物に出てて、大丸に寄ってたときに携帯に電話があったんどす。

 すぐに洛東病院に来てほしい、って・・・」

「・・・・・」

「大丸からやと家に戻ってからよりも洛東病院は近いから、すぐにタクシー拾ろて、病院に向かいました。

 タクシーの中から電話しましたけど、お義父さんも旦那さんも会議中で携帯には出はらへん。

 会社の外線番号に電話入れて事務の女性に言付けし、その後お義姉さんにも電話しました。

 妹さんは、別の会社さんにお勤めでしたんで電話はしませんどした。」

 雅は、しばらく黙した。

 記憶を辿るというよりも、押し込めていた記憶の方が出てくることを拒んでもいるか、のようだ。

「病院に到着して、救急受付で確認してから処置室に入りました。

 そこではその子がいっぱい管に繋がれ、電線だらけになって喘いでました。

 後で知ったんどすけど、人工呼吸器も繋がれていたということどした。

 ようやく電話が震えて、一旦処置室出てから受けるとお義父さんからどした。

 靖(やすし)・・・あ、旦那さんの名前どす。

 靖も向かってる。どんな塩梅や、って聞かはるけど、うちも到着して処置室に入ったばかりどす、って答えました。

 その時、処置室から先生が出てきて戻ってほしいと仰るので、急いで電話切って、子供のそばに戻りました。

 その直後、その子は息絶えました。」

「・・・・・」

「その後五分ほどして旦那さんが到着しはったけど、死に目には会えしまへんどした。」


 雅はしばらく黙してしまった。

 俊は促すこともなく待った。

 やがて

「え!何時どすか。」

 と言いながら自ら腕時計を見た。

「六時十五分。かれこれ一時間どすなぁ。俊さん、デザート頂きましょ。ちょっと一休み・・・」

 そう言って、雅はメニューを持ってこさせた。

「ええっとうちは、あ、これこれ。

 クリームブリュレにします。

 俊さんは・・・・?」

「ええ、同じでいいですよ。」

「じゃ、ブリュレふたつとコーヒーふたつね。」

 雅はメニューを手渡して続けた。

「ちょっとこんなお話し、うち平静ではムリどす。

 デザート頂いたら、場所変えてよろしおすか?」

 雅が俊の眼差しを捉えて、すくい上げるように呟いた。

「ええ、もちろん大丈夫ですよ。」

 ふたりはデザートを終えると店を出た。

「ほんなら、お任せくださいね。」

 雅はそう言うと、またタクシーに手を挙げた。

「丹波橋、行ってくりはりますか。」

「丹波橋・・・・」

 思わず俊は繰返した。

「そんな遠おあらしまへんで。

 土曜のこの時間なら二十分くらいどす。

 京阪電車と近鉄の連絡駅で、京都の東山方面に行くのも京都駅に行くのも案外近こぉおすし、そのまま相互乗り入れの地下鉄なら烏丸や今出川なんかも行けますさかいに・・・」

「で、そこにどんなお店があるのですか。」

 俊は訊ねた。伏見なら日本酒の店、とかだろうか、と思いを巡らせた。

「うちのマンションどす。」

「・・・・・」

「あとのお話しはそこでしまひょ。もうすぐ着きますさかいに。」

 やがて目的地に到着すると、雅はとあるマンションの五階の部屋に誘った。

「さぁ、遠慮なくどうぞ。

 狭い処どすけど。」

 玄関を上がるとすぐに広いリビングに通された。

 ダイニングも兼ねていて、広いテーブルは食卓のようだった。

「ここがうちの新しいお城どす。仕事場兼自宅どすなぁ。」

「じゃ、もう下京のご実家は・・・」

「へぇ、離婚した後、出ましてん。まぁお掛けやす。」

 雅は俊に椅子を勧めた。

「お腹、すいてまっしゃろ。

 おうどんでよろしか。煮込みうどんでも・・・」

「ああ、いいですね。ありがとう。」

 雅もコートをハンガーにかけると早速エプロンを掛けた。

「ほんなら俊さん、おうどんできるまで、お風呂に入ってください。

 ここはタイマーで毎日六時半にお風呂が湧くんどす。どうぞお入りやす。」

 俊はあっけにとられた。

「ええっ! 

 風呂ですか・・・」

「俊さん、美術館廻りしてたとき、言うたはりましたえ。

 お風呂が好きや、って。」

 俊はそんな話をしたような気がした。

「さぁ、どうぞ、お風呂もうどんも冷めんうちどすぇ。」

 雅はにこやかに笑った。


 俊は言われるまま、浴室に案内された。

「バスタオルはこれ、お風呂のタオルはこれどす。

 そしたら、ごゆっくりと・・・」

 浴室は広く、バスタブも大きめだった。

 タクシーのなかで雅からは、たまたま弟の知り合いがマンションを購入した途端に海外赴任となったため、その間引き受け手がないか、という話があり、タイミングよく応じた旨だった。

 5年の賃貸としてその全額を前払いすることで、貸主もローンを繰上げ返済できて、お互いに都合がよかった。名義はそのままであるが、京都の老舗とのことで信用を得ており、自由に使ってもらってもよい、との好条件であったようだ。家具等も残されていて、重宝したらしい。

 その費用は、雅の婚家からの慰謝料を充てた。

 およそ三千万円に加えて、雅が割り当てられていた婚家の株式譲渡金や実家からの支援などもあり、雅は自らの会社を興し、住まいを得たのだった。婚家はこのために、嵐山に近い所にあった家屋を売却したという。

 バスタブに身を沈めながら、俊は改めて今日の再会を思った。また多額の慰謝料を支払う婚家の状況を思った。婚家には多大な落ち度があるようだ。

 すると冷たい風とうどん出汁のかおりが入ってきた。

 振り向くと、雅が前にタオルを当てて入ってきた。

「えっ・・・」

「さぁ俊さん、お背中流しましょ。」

「いや、そんな、いいですよ。」

「何言うたはんのん。知らへん仲やあらしませんぇ。」

 途端に俊は、三年前の大晦日の夜を思い起こした。濃密な夜だった。

「さぁ、どうぞ。」

 俊は仕方なくバスタブを出た。

 どうやら雅の仕組んだストーリーに、まんまと乗せられているようだ。

「京都のお家は古ぅおすさかいに、肺炎の原因も長年積もったお家のほこりのようなもんが原因とちがうのやないか、って思ぉてます。

 特に繊維を扱こぉたはるお店では、糸くずやら布端しが積み重なってまっさいかいに・・・」

「子供さんのアレルギー源ですね。」

 背中を洗ってもらいながら俊が応じる。

「へぇ。

 そやけどそんなことは滅多に言えるもんやあらしません。

 それで、母親やのに子供の健康管理がおろそかやった、みたいな雰囲気どした。」

「そりゃヒドい言いがかりだね。」

「へぇ、そやけどそうやって、どなたかのせいにしとかんと、収まらへんのやなかったんどすなぁ。」

 シャワーを注ぎながら雅はため息をつく。

「さぁ、きれいになりましたぇ。

 そしたらお風呂にどうぞ。うちもご一緒しまひょ。」

 雅は臆することなく、俊と湯舟に浸る。

「でも、そのあと、とんでもないことがありましたんや。」

「・・・・・」

「ある日、うちが満中陰法要のことで出かけてまして、忘れものに気づいたさかいに戻りましてん。

 ・・・・・

 そしたら・・・・ そしたら・・・・」

 雅は口をつむぐ。

 俊は、あえて促さずに待った。

 しばらく経って雅は言葉を継いだ。

「そしたら・・・・旦那さんが、お義姉さんの・・・・おっぱい吸うたはったんどす・・・・」

「・・・え・・・・」

「忘れもんのある部屋の、坪庭を挟んで真向かいの部屋で、お義姉さんが胸をはだけて、

 それを旦那さんが・・・・」

「・・・・・」

「うち、もうびっくりして、慌てて口元押さえて、叫びださんようにするのが精いっぱいどした。

 そしたらお義姉さん、こっちを見はって、うちと目が合ぉたんどす。

 お義姉さん、うちのこと、きっと見はって・・・

 強い目ぇどした。」

 言うなり雅はバスタブのふちに腰かけた。

「俊さん、うちのおっぱい、吸うてください。

 くちびる付けるだけで結構どす。」

 言われるなりに俊は、雅の乳首にくちびるを近づけた。

「そう。そんな感じどす。

 お義姉さんの右のおっぱいに旦那さんが口を寄せて、お義姉さんが旦那さんの髪をなぜたはった・・・・

 あんなとこ、うち見とぉなかった・・・」

 言いながら雅は乳房を俊に押し付けてきた。

「俊さん、優しぅにしとくれやす。」

 俊は唇で愛撫した。

「・・・・ぁぁぁあああ・・・

 うち、こうして心を宥めてもらいとぉて、俊さんともういっぺん、お逢いしとぉおした・・・」



 春の宵「待月」 


 春である。

 東山の峰も明るさを増した。

 まだ風は冷たいが、桃も花開き、桜の開花も待ちどおしい。


 富田雅(みやび)は京都西陣の由緒ある染め物屋に生まれた。江戸期から続く家業は現在弟が継いでいる。

 雅も幼いころから、連綿と受け継がれてきた友禅染めの技術を身につけることを期待されてきた。

 格式すら纏う家柄や京都の老舗である家業の重圧に期待されることは、雅にとっては子供のころからの大きなプレッシャーであり、反撥心をもたらした。

 ことあるごとに反駁し、期待の重さを緩らげよう、ともがいた。

 しかし女子大卒業前には親の勧めを断って自ら就職活動したものの、望む就業先は得られず結局家業の染めの世界に順うこととなった。

 だがことある毎に従来の伝統や様式化された制度に抗い、周囲から冷たい視線を浴びていた。

 そんな雅を懐柔し、その才を伸ばすことを援けてくれた先輩に巡り合えたことは、雅には大きな財産であった。

 三年前の同じ春の頃、俊と東山盈夷の「春静か」の取材地である鷹が峯、更に仁和寺等を廻ったあと、東山五条の日本料理店で雅はその辺りの思いを語っている。


 三年前の春・・・

 ふたりは仁和寺を後にして、嵐電に乗り雅の行きつけの割烹に向かった。

 四条大宮からタクシーで、「旬」との割烹で夕食を共にした。

 まだ時間も早く、他にお客さんもいなかった。

 そのカウンターで、俊は雅に諭した


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 雅は板前さんに親しそうに話しかけた。

「いつもおおきに。また来ましたわ。

 こちら、この前お話ししていたスリーエスシステムの社長さん、榊原さんです。」

「あ、榊原です。よろしく。」

 ふたりはビールと旬の和食を楽しんで、会話も弾んだ。

「はい、ほんまに至らぬ私には、どんどん課題を突きつけられる心境で大変ですけど、どうやら何か私の目指すところの目標みたいなものがぼんやりとですけど、分かってきたような気持ちです。」

「うん、そうであれば一緒に廻ってる意味合いも大きいし、私も嬉しくなってきますよ。」

「ほんまにそうどすか・・・

 お嫁に行けない“いけず後家”に、いけず、したはるだけやあらしまへんの。」

「おいおい、お酒が入ると絡むようになるね。悪い酒だ。

 そんなんじゃ、今後美術館廻りでは、禁酒にしようか。」

「ほら、ほんまにいけずやわ。

 もう知らんし・・・板さん、おビール、お代わり。」

「やれやれ・・」

 もうすぐ初夏の頃合で、空気も乾燥していて喉の乾きも一入であった。綺麗な喉元を見せつつ、雅はくいくいとビールを呷る。

「ところで俊さん、実は来月、五月に私の手染め友禅も出品する展示会がおますんや。

 是非、寄ってくださいね。」

 と、案内パンフレットを渡された。

「『作家さんが、それぞれ決めた”テーマ”に沿った染め物を発表!』とありますね。

 じゃ雅さんの出品テーマは何ですか?」

 俊が訊ねる。

「ええ、この時期の展示会は、もう秋の主題なんです。

 袷の季節やし、やはり豪華に華麗に、って思いますけど、今日び、あまり重い柄も皆さん、お好みやのうて・・・

 なので、意外な柄で勝負しようかと思い切ってみました。」

「ほう、そりゃ期待が大きいですね。良かったら聞かせてくれますか。」

「彼岸花、つまり曼珠沙華です。」

「ほう、それはユニークだ。」

「ええ、この花、忌み嫌う人も多うて・・・

『死人花』『地獄花』とか、イヤな名前も貰ろてますし、その赤い花が炎のように見えるので、家に持って入ると火事を招くと呪う人もいます。

 でも、一方花言葉は『情熱』『独立』などがあって、とても意思の強い、独特な花として個性的です。」

「でもそういう柄は、反対もされたでしょう。」

「そりゃけちょんけちょんですわ。

 また、あの跳ね返りイケズ後家が、詰まらんことしよると、えらい責められて・・・

 今年の春柄も昨年の秋の展示会で、アザミの柄を出展したんです。

 そしたら、四十年勤めてきたうちの番頭、ま、番頭言うても常務なんですけど、これが辞めるって騒いで・・・」

「あはははは・・・いや失礼、笑ったりして・・・

 でも、雅さんも反骨精神が旺盛だね。」

「そやかて、ありきたりの柄や意匠を繰り返し使うたって、同じでっしゃろ。

 そう思うて新しいユニークなことをしよう、って思うたんどす。」

 雅はため息交じりだ。

「昨年のことなら、そのご友人、先輩もまだ存命でしたね。

 なんて言われました。」

「人と変わったことしても意味ないぇ、って・・・」

「なるほど、そのとおりだね。

 その方はどんな柄を出展されたの。」

「桐の花です。」

「へぇ、そりゃオーソドックスですね。」

「いや、俊さん、分かってはらへんと思いますけど、ご紋にする桐の意匠やのうて、桐の花、そのものですよ。」

「・・・」

「俊さん、桐の花ってご覧にならはったことおますか。」

 雅は更に追求する。

「いや、桐といわれるとどうしても豊臣の紋を思い浮かべてしまう・・・」

「そうでしょ。

 でも桐の花は、筒状の紫色した可憐な花なんです。

 それをデザイン化されて、皆さん、最初はどなたも何の花か分からはらへんどした。

 で、プレゼンで桐の花と言われ、拍手喝采どした。」

「ほう、プレゼンがあるんですか。」

「ええ、自分の紋様の特徴や意匠のコンセプトを発表するんです。

 先輩は、権威の象徴、高尚なシンボルのような桐ですけど、赤い桐、緋桐ってあって、その花言葉は『幸せになりなさい』、って言うんだそうです。

 この花言葉にあやかって、品格を保ちつつ、幸せになる、こういう豊かな時代にしっかり責任を全うしつつ、幸福を求める、そういう意味を篭めて制作しました、って・・・

 満場、皆さん感動に包まれて、素晴らしかったです。

 でもその後、また先輩から諭されて・・・」

 雅はぼそり、と言う。

「『雅さん、あなた、染めたお着物を着てくれはる方のこと考えて染めてんの』、って・・・」

「そりゃ一理あるね。我々で言うとユーザーの立場で、ってことだね。」

「ええ、『自分の思い込み、我、だけで染め物を創っても心が籠もらない、とてもつまらんものになるえ。

 いくらきばって制作しても、空振りどすえ』って・・

 それで実際そうどした。

「そう、そういうことならアザミは・・・」

「私が染めたアザミについて『アザミは皆さんにあまり好かれていないお花ですけど、でも「満足」「安心」「独立」などの花言葉があって、独自に自己を強く主張する、そういう孤高の気高さを表現しました』、って言うたら、皆さん、まぁあの娘やから、そうなんやろ、って冷ややかどした。」

「正に先輩の仰るとおりの反応だったんだね。

 雅さん、何かムリに反発してる風だけど、どうかな。

 ツッパっていたってアザミの花のとげとげみたいに、皆さんから敬遠されるばかりでしょう。

 本当は美しい花心を持っているのに、とげとげで身を守っても、仕方ですよね。

 その先輩のように、もう少ししなやかになれたらラクなんじゃないかな。」

「俊さん、私、そんなにツッパってますか。」

「うん、今の話を聞くと、どうも反発のための反発って気がする。

 でもそうじゃなく、個性的でユニークな作品として受け入れられるものはたくさんありますよ。

 着て下さる方の視線で、その方の立場に立って創作する。

 そういう方向を目指そうじゃないですか。どうかな。」

 雅はしばらく俊のことばを噛みしめるように考えていたが、やがて決したように応じた。

「俊さん、お説教、お上手やね。

 でも心に沁みました。

 も少し、しなやかになれるよう、絵を観て柔軟になりたいです。」

「そうだね。ぜひそうやってがんばってほしいな。

 それだったら展示会、ぜひ行かなきゃね。

 期待してますよ。

 彼岸花だって、表現や染めの手法でとてもユニークでいい作品になるでしょうね。

 楽しみにしてますね。」

「ええ、ありがとうございます。

 是非いらしてくださいね。」

「ああ、必ずね。」

 こうして三年前のその日から、雅の心は緩やかにほどけていった


 先月には、大阪に二人で行った。

 中之島に新たな美術館が開館するので、出かけた。

 俊の思惑としては、受験生で混み合う京都を避けて、話題性のある美術館に雅を誘ったのである。

 構想から四十年を経て、ようやく開館した美術館だった。俊が思うに、役人はやたらハコものを作りたがる傾向にある。またハコさえ整えておけば、あとは放置しておいても、自ずからうまく展開する、と誤解していると思われた。

 大阪に限らず、日本中に美術館が建設され、だがいずこも赤字だ

 俊もかつては、美術館に行って多くのジャンルのさまざまな美術品を鑑賞することが楽しみだったし、それらのジャンルや作家、美術品などの書籍を買い求めたり、インターネットで調べることに余念がなかった。

 しかし数年前から、そのような知識や知見に精通することが、果たして美術鑑賞にどのようなプラスがあるのか、疑問に思うことも増えた。

 たしかに何ら前知識なしに鑑賞するよりも、あらかじめ知見を有している方がいいかもしれない。

 だが、純粋に鑑賞すること、感性をもって作品と対峙することに、知見などはどうでもいいことに気づいた。プラスアルファとして知見があるだけであり、それよりも大切なことは作品の存在、そして作家の制作意図や感性から湧き起こってきた創造性と思われた。

 ただどこの美術館が、どのような企画展をやっているのか、更にいつから、いかなる美術展が予定されているかは、知識とは異なる情報であり、その取得には気をつけている。

 多くの企画展の中から、特に鑑賞したいものをピックアップして、できれば効率的に廻りたい。

 美術展検索サイトはそのためには、便利ではあったが、反面煩わしかった。膨大な一覧は、自分の嗜好とは関係なく掲載されていた。その羅列のなかから自分に有用なものを探すのは、やはり面倒だと思われた。

 自らの興味に合致した企画展をすばやく見つけて、その概要を早く知って自らの予定に組み込みたかった。

 マニアとは、そういうこだわりを持つもののようだ。


 大阪ではお互いに都合の良い日程で待合わせた。

 中旬の木曜日で、新規オープンながらさほど混み合ってはいなかった。大阪の寺院の出身ながら、フランスで名を上げた佐伯祐三の作品コレクションが出色だった。

 数十点の所蔵という。

 三十歳で夭折したので、現存作品数は少なく、数十点の所蔵作品は一大コレクションである。新しいだけに美術館のコンセプトもしっかりと主張されており、見応えのある企画展だった。

 洋画なので雅には要点を小声で説明しながら、俊自身も初見の作品の数々を楽しんだ。

 ゆっくりと鑑賞し、更に同じ中之島の高層ビルに数年前に新規開館した美術館にも足を運んだ。

 こちらは、日本画初め茶道に纏わるコレクションが充実している。漆器の特集企画展だったので、雅も興味深げに鑑賞していた。俊も日本の漆との違いや、色合いの特徴を説明した。


 大阪の美術館に続いては、ある財閥系の逸品を集めた京都鹿ヶ谷の美術館を訪れた。財閥のメイン事業である「銅」に因んで、古代中国の青銅器のコレクションが膨大である。

 蒐集された青銅器には種類がいくつかあるのだが、一見して読める漢字ではない。

 罍、尊、卣、爵、觶・瓿・壺・斝・盉などと、読みの検討もつかない漢字もある。

 また新館での特別展では日本画の企画展である。十二ヶ月図や木島櫻谷の作品など、数十点を楽しんだ。

 雅もいちいち解説せずとも、要所を捉えて鑑賞している。特に十二ヶ月図では、季節感をいかなる花鳥で表現しているのかを熱心に観ている。季節設定は現代とは異なり旧暦に基づいているが、着物の世界ではその方が馴染みのある感覚だという。

 特別展に続いては、本館常設展を観た。

 三年前にはその数の多さと、読みの難しい漢字の羅列に音を上げていた雅だったが、今回は青銅器の数々を丹念に鑑賞している。

 やがて様々な逸品を堪能した美術館を辞して、西に向かって歩く。

 岡崎神社近くにホテルがある。周囲は住宅地であり、また永観堂や南禅寺も近い距離にあるが、いざ食事と言えばあまり恵まれない地域である。

 そのホテルのレストランに入って、早い時間ながらランチをともにした。

「あの青銅器のコレクションは凄い量どすな。

 雅は、先ほどの鑑賞の感想を述べる。

「おそらく、全くの推測だけど発掘当時の中国では、その辺りに転がっている古びた青銅器を、日本人が高い人足費用を払って掘り返していることこそ不思議だったと思うよ。

 人足代の手当てが割のいい額だったから、地元の人たちは積極的に協力したんだろうね。」

 俊は自分の考えを口にした。

「うち思うんどすけど、青銅器って青錆になるけど長持ちするんやおまへんか。

 あの青銅器って、確かお祀りに使われたんどすなぁ。」

「そうだね。」

「ということは、祭祀のために大切にされてきたんどすから、何年も継承されてずっとお祀りに使われてきた。」

「・・・」

「長きに亘って受け継がれてきたはずどす。」

「数十年、いや、百年以上かもしれないね。」

「そういう意味では部族の宝であり、尊いものやったはずどす。」

 雅は熱心に語る。

「そうやって、人々の願いや期待を受けて、祈り込まれてきた。

 多くの思いや情念が、いっぱい蓄積しているんどす。」

 雅は遥かな過去に、思いをめぐらせる。

 俊はそんな大昔の思いの籠もった青銅器を、たった今鑑賞していたことを不思議に思う。

「あの青銅器は、かつては赤金色に輝いていたんだね。」

「きれいどしたでっしゃろ。」

「青銅器に限らず、昔から伝承されている美術品や文化財は、いずれも出来上がってお披露目されたときには、美しい色合いだっただろうね。」

「へぇ、そうどっしゃろ。

 見てみたい気もしますけど、古びて味わいのあるのもええもんどす。」

 雅の言葉には、深い情趣が込められている。

 三年前にはただ眺めていただけのようだった鑑賞態度は、今や自らの感性を開花させ、美を捉える的確な視点を有するようになっていた。

「雅さん

 失礼だけど離婚してから、あちこち美術館を廻って鑑賞したの?」

「あらぁ。さすが俊さん、お見通しどすなぁ。

 へぇ、あちこち行きました。

 俊さんに教えてもろた処やら、新聞の案内やら、ネット検索やらで、それなりに廻りました。」

「そうなんだね。じゃ次は何処に行くか、雅さんに決めてもらおう。」

 俊はからかい加減で雅をけしかける。

「あらやだ、俊さん、またイケズやわ・・・

 でもそしたら、京セラに行きましょう。」

「ほう。今は何やっているのかな。」

「俊さん、そやからイケズなんですわ。俊さんやったら知ってはるはずどすえ。」

「ごめんごめん。コレクション展だね。」

「そうどす。けど菊池啓月の「散策」とか、北野恒富の「いとさんこいさん」とか、うち、ホンマもん観たことおへんよって、今日はチャンスどす。」

「なるほど。私も北野恒富には詳しくないから、楽しみだよ。」

「よかったぁ、そしたらゆっくり観ましょね。」

「うん、それはいいけど、あそこは確か事前予約制だね。」

「大丈夫。今日の午後一時で予約済みでっさかいに。」

「・・・」

 もはや、主導権は雅のものだ。俊は正しく、お釈迦様の手のうちである。今後、雅が主導で美術館廻りをしてもいいかと思う。

 全くの素人ではなく、むしろどのタイミングで、どういう企画展を訪ねて、鑑賞すればいいのか、も心得ている。

 美術ファンは、単に好評な企画展を追えばいいのではない。

 コンセプトのしっかりした企画展を選択して、そのコンセプトと鑑賞者の鑑賞姿勢との相克の展開を図る。一方で話題性のある企画展を追いつつ、美術館の思惑を超えた鑑賞姿勢を保ちたいと思う。

 その点、雅の選択は的確だった。

 今回の京セラ美術館のコレクション展も、京都画壇が誇る鬼才作家の秀逸な作品が目白押しだった。

 しかも昨年リニューアルを終えた施設は、古い躯体を維持しつつ全面改装していて、未だに話題性は高い。

 リニューアル前には、「京都市美術館」との名称であった。

 市立ではない。

 かつて大正天皇即位礼のときに、奉祝として市民の寄付で建設された。

 京都の市民は、日本初の小学校建設にせよ、疏水事業にせよ、有志の浄財で賄ってきた。

 謂わば現代のクラウドファンディングの精神である。

 ここに、公けに頼らない京の町人たちの矜持がある。

 石造りの重厚な建設だったが、今回はこの構造をそっくり活かし、建物をジャッキアップして地下を入り口とした。そのため一階の展示室は中二階のイメージである。


 俊と雅は予約に従い、カウンターで手続きを済ませて指定時間に展示室に入館した。

 コレクション展は、京都画壇の往年の重鎮画家の作品が並ぶ。円谷応挙や池大雅などの流れを汲む円谷派や四条派の作品が多い。

 雅が挙げていた「散策」は菊池溪月の作品で、黒い二匹の犬に誘われるかのように曳かれながら長閑な光溢れる草道を少女が散歩している姿が描かれている。

 緑の中を赤いモダンな柄の着物をまとい、髪を短くおかっぱにしている少女は、どこともなく楽しげである。

 犬も散歩に連れ出され、はしゃぎながら先を急ぐ様が清々しい。

 昭和はじめの雰囲気であれば、時代を先取りして、これから明るい未来を楽しみながら成長していく少女の前途を示しているようだ。

 また竹内栖鳳や上村松園などの京都ゆかりの作家の逸品も多く所蔵されている。


 雅は、上村松園の「待月」の前に立ち止まってじっくりと眺めている。

「俊さん

 この作品は『待月』とあるけど、お月さんが描かれてませんね。」

 雅は怪訝そうだ。

「うん、そうだけど、よくある技法で『描かれていないものを暗に示す』方法だよ。」

 俊はヒントを与える。展示室内は鑑賞者も少なく、囁く私語を気遣いせずに済んだ。

「でも題名だけがそうやけど、お月さんを示唆するものは何どすか?」

「なかなか鋭い質問だね。

 この作品では、かなり難しいけど、女性の帯を見てごらん。」

「あら、うさぎ柄」

 雅は帯に施されている兎の柄に見入っている。友禅作家だけあってプロの目だ。

「更に手に持つ団扇の模様も、丸い柄でお月様を暗示しているね。」

「ほんまに言われてみれば、そのとおり。でも俊さん、ようお分かりどすなぁ。」

 雅が感嘆したように言う。

「いやいや、ある程度は解説書やネットからの知識だけど、全ての作品の解説を読んで全部を覚えるわけにもいかないから、やはり鑑賞を重ねて慣れることだね。」

 雅は頷いている。

「そやけど、この女の人の手前に一本柱が描いてあって、邪魔どすなぁ。」

「雅さんがもしこの絵を描くなら、こんな柱は描かないよね。」

「ええ。わざわざ主人公の女性に重ねて柱は描きまへん。」

「じゃなぜ松園ともあろう巨匠が、わざわざ柱を描き込んだと思う。」

 問われて、雅は考えこんだ。

 そして、ハッとしたように

「女の人の姿体を強調してるのどすわ。」

「そのとおり。正確です。」

 雅は俊に褒められて嬉しそうに微笑んだ。

「柱の真っ直ぐな縦の線が、女性のしなやかな身体をいっそう強調している。

 じゃ女性はほんとうに月の出を待っているのかな。」

 俊に問われて、また雅は考え込んだ。

 俊が続ける。

「女性は立って待っているから、いわゆる『立ち待ちの月』、つまり十七夜の月の出を待っている設定と思われる。

 まぁ団扇を手に浴衣姿だから、季節は夏だけど、でもわざわざ縁側で長い間、月を待つかな。」

 俊は雅を見やる。

 その視線を受け止めて、雅は口を開いた。

「男の人を、大切な人を、待ってはるんやわ。」

 俊は微笑んで応える。

「そう、おんなじや。

 私も俊さんを待ってました。」

 俊はその言葉に、思わず雅を抱きしめたくなった。

 雅に手を伸ばしかけ、周囲の状況に気づいて止めた手を、雅の手が柔らかく包んでくれた。

 指を絡めて微笑みあう。

 俊は、雅の気持ちを受け止めた。


「ほんまに、悦かったんぇ。」

 雅は微笑む。笑顔の素敵な人だ。

 三年前に出逢った頃は、時折眉を顰め奥歯を噛み締めて自らを貶める人たちを批評してもいた。

 しかしこの三年に多くの出来事があり、人の世の無為も感じたことだろう。一方で温かな機微も感じて、その思いやりが雅に力を与えもしたであろう。

 俊自身も非情な思いを経験した。

 昨年には妻を失った。

 冬の日、買い物に行く途中で凍った路面に自転車の車輪を滑らせ転倒した。どこに打撃があったのか、そのまま買い物を済ませ、帰宅して普段どおりに過ごしていた。

 夕食時には、自転車で転んだことを俊に語ってもいた。

 しかし妻は、入浴しようと洗面所に入ったところで昏倒してしまった。

 物音に気付いて俊が駆け付けて抱き起こしたときには、息がなく、慌てて救急車を呼び蘇生を試みたが帰らぬ人となった。

 あまりに呆気なく、無情を思い知った。

 あまりに呆気なく、無情を思い知った。

 その後、息子が就職して地方赴任となってから俊は一人暮らしである。長く連れ添った伴侶を失い、日々は味気ないものとなった。空気のような存在だと連れ合いを例えるが、ぽっかりと空いた喪失感は拭い難かった。

 そういう時に、雅との再会を得た。

 今は、二人は穏やかに偲びあう。


「ほんまに悦かったんぇ。」

 繰り返して俊に縋る。

「うち、最初の恋愛は実は不倫どした。実家にも取引のある糸屋はんどした。」

 思い出しながら語る。

「今から考えると、うちが勝手に熱あげて大恋愛とかって酔ってたけど、お相手にしたら転がり込んできたお手頃の娘やったんどすな。

 あちらは適当に遊んで、さっさと振らはった。

 初めて経験もしたけど、あんなもんか、って思ぅてました。」

「・・・」

「それから恋愛もなくて、もう四十歳も過ぎてから俊さんに逢えました。」

「最初の話では、もっと奔放な印象だったけどね。」

 雅は俊を握りしめた。

「うちが奥手で、ねんねやと思われたら悔しいさかいに、しょってたんどす。」

「ふぅぅん、初めて聞いたよ。」

「イケズやわ・・・。

 今初めて言うたんどす。

 そやからあの大晦日の夜は一世一代の大勝負どした。」

 俊は熱い夜を思い起こす。

「恥ずかしいし、どうなるやら、って思いましたけど、あの時の俊さんは優しかった・・・」

「今も優しいよ。」

 言いながら、雅の胸乳に軽く触れる。

「それで、恥ずかしいけど、あのときに初めて達したんどす。

 これが女の悦びかって、身体が震えました。

 次から次へと絶頂が襲ってきて、怖いほどどした。

 知恩院さんの除夜の鐘を聞きながら、自分に負けそうになりました。

 俊さんと離れとうない。

 今夜はずぅっといたい。

 いっそ結婚もやめて、この人のお妾さんでもええ。」

「そんなこと、思ってたの。

 一生懸命に東山盈夷の説明をしていたのに。」

「いいえ、ちゃんと聞いてましたえ。

 京の市井に暮らす人たちの、大晦日の情景、家族の会話で一年を振り返り、新年への思いを交わしてる、って教えてくれはった。」

「エラいエラい。」

「もう、チャカさんといておくりやす。

 それでもう居た堪れんようになって、バスルームに逃げ込んだんどす。」

 雅は懐かしそうに振り返る。

「でも結婚しても正直言うてあんな悦びはなかったし、やっぱり心底好きな人やないとあかんのどすなぁ。

 ねぇぇ・・・俊さん・・・

 そこを逆撫でせんといておくりやす。堪忍ぇ。

 気持ちがぞわぞわしますよって・・・」

 俊はそれでもさする。

「あかん・・・

 そんなコツコツ叩いたら、響くぅぅ。」

 言いつつ雅は指先に力をこめる。

 まだ愛交はつづく。



 草萌える 


 春も盛り、初夏も近い。

 京都には文化財も多いが、その保護、修復、そして承継は並大抵ではない。そういう文化財のために、もう半世紀近くにも亘ってイベントが春秋に開催されている。

 非公開文化財特別公開と言う。

 以前は非公開社寺特別拝観と呼ばれていたが、文化財は社寺だけではなく、さまざまな処にある、と名称も改められた。

 俊はほぼ毎年参加している。

 従来は春のゴールデンウィーク、秋の文化の日を含むシルバーウィークの10日ほどの限定された期間だったが、最近では二か月程の期間に各々の施設が公開事業を行なっている。

 今回も四月下旬の平日に雅とも休暇を併せられたので、二人で出かけてきた。


 公開は朝九時から始まる。

 社寺の朝は早く、早朝の勤行後すぐに開門される。これに合わせて俊は平日並みの時間に、三十三間堂に到着した。

 今日の最初の寺は養源院である。

 三十三間堂に近いので、門前で待合わせた。

 雅は春というよりも初夏の装いだ。

 水色のポロシャツは半袖。薄めの紺色のガウチョを合わせている。

 俊も綿のスラックスにスポーツシャツで、紺色の麻のジャケットを合わせてきた。

 青い色合いの二人は、三十三間堂の正門を離れて、日赤血液センター脇を進む。

 やがて左手に小さな門があり、登り坂が続いている。


 養源院は、豊臣秀吉の側室の淀君が秀吉に請うて、浅野一族の弔いのために勧請した。豊臣秀吉没後、一時荒廃したが、それを淀君の妹で徳川秀忠の正室の江(ごう)が再度整備に尽力した古刹である。

 再建されて俵屋宗達が、杉戸絵や襖絵を描いた。

 また石田三成に桃山城で討ち死にさせられた鳥居以下の将兵の自害の血を吸った床板が、廊下の天井板に使われて、供養を施されている。

 それらの逸話を寺側が懇切に解説してくれた。


 次に東山方向に歩いて智積院に行く。

 ここには長谷川等伯や息子の久蔵が描いた楓図や四季花鳥図などが、宝物館に展示されている。丹念に解説を読みつつ、二人は桃山時代にタイムスリップしていた。

 絢爛な桃山装飾は、金箔と鮮やかな色に彩られて雄々しくも華麗である。

 俵屋宗達、長谷川等伯との偉大な絵師たちの文化財を堪能して、二人は京都国立博物館の真向かいのホテルで昼食にした。

 レストランは二階にあり、ロビーから階段を上がる以外、外の通りからも入れる。庭には様々な草木が茂り、これからの季節には草萌える景色が楽しめる。このイタリアンはホテルにしてはリーズナブルで、しかもピザ焼き釜も設えられている本格派だ。

 平日であり、昼どきにはまだ間があるので空いている。

 二人はワインをオーダーしてランチを楽しんだ。パスタの後にはドルチェとコーヒーをオーダーした。

「今日は美術館やおへんけど、すごい名品ばかりを観れて充実してますねぇ。」

 雅は満足気に言う。

「特別公開は、日ごろ目に出来ない名品を楽しめる貴重な機会だよ。」

 俊も満足気だ。

「そやけど古いだけに、どういう意図で制作されたかを知るのは、なかなか難しいおすなぁ。」

「へぇぇ、いいこと言うね。

 そのとおり、実は桃山時代や江戸時代は、依頼主の意向が大きく作品に投影されていた筈だけど、その辺りは文献も残ってないし、推測するしかないんだよ。」

「絵師が自分の創造性で、自由に描いたわけやおへんのどすなぁ。」

 雅は感慨深気に呟く。

「そうだね。

 現代の感覚からは絵師が自由に描いた、って思われがちだけど、必ずどういう主題の絵を描くかを命じられている。

 絵を誂えるにもどのような建物なのか、飾る部屋の格式ランクや、部屋のどこに設える絵か、が決められて、更に部屋の主な用途や部屋のあるじなどの下情報があって、だからどういう趣きの絵を描くか、が決まる。

 おそらく絵師たちは、そういう設計というか、コンセプト設定には参画しておらず、ただどのような絵で大きさはこれこれ、との命を請けて描いていたと思われるね。」

 俊が解説する。

「じゃモティーフも決まっていたのかしら。」

 雅は首を傾げる。

「いや、そこまでは言われないだろう。

 例えば龍の絵、とか、松の絵って感じで命じられたんだろう。

 龍の構図や、松の枝ぶりやそこに鶴を添えるとかは絵師の裁量で、腕の見せどころだったように思うよ。」

 俊の言葉に雅は頷く。

「じゃ今日はこの後、午後から何処へ行くおつもりどす。」

「せっかく非公開文化財特別公開だから、この近くの六波羅蜜寺と六道珍皇寺に行こうか、って思っているよ。」

「小野篁(たかむら)で有名な、地獄に通じる井戸のあるお寺さんどすなぁ。」

「そうそう。よく知っているね。」

「何言うたはんの。うち京都生まれどっせ。

 珍皇(ちんのう)さんって言うたら、京のもんは皆知ってますぇ。」

「そりゃ失礼しました。」

 俊も雅も笑顔を交わす。

「その後は。」

 雅はさらに促す。

「うん。目の前だから、国立博物館に行こうか。」

「特別展は何どすか。」

「最澄と天台宗、って企画だね。

 それから雅さんが、三年前に紹介してくれた和食のお店で夕食にする。

 一応予約してあるよ。」

 そう俊は続けた。

「いや。」

「えっ・・・」

「いや。

 それで解散でしょ。

 そんなん、いやどす。」

「だってまた明日は仕事だし・・・」

「いや。

 抱いて欲し。」

 俊は目を見張る。

「ここホテルでしょ。お部屋に行きまひょ。」

 俊は呆気に取られる。

「デイユースっていうサービス。さぁ、行きまひょ。」

 雅は伝票を手にして立ち上がる。俊は、それにしたがった。


 部屋は竹林の目立つ庭に面している。以前はパークホテルだったが、外資が買い取った。

 元々ホテルのグレードは高い。

 京都のホテルによくあるように、日差しもカーテンではなく障子で遮る。

 朝九時にチェックインして夜の九時まで使える。宿泊料金の数分の一で事足りる。

 このようなサービスを雅が承知していたとは驚いた。

 問えば、今はインターネットで様々なサービスが紹介されていると言う。

 アイティ畑の俊には、面目丸潰れである。


 さほどない手荷物を部屋に残して、二人は六波羅方向に向かう。

 七条通りからは少し北に上がる。

「お寺さんばっかりで抹香臭いけど、たまにはええもんどすなぁ。」

 すっかり機嫌を直して、雅は朗らかに笑う。

 六波羅蜜寺も六道珍皇寺も、普段は一般公開されていない。どちらも由緒ある古刹である。

 六波羅とは、平安時代末期に平氏が拠点を置いた場所で、平氏は保元の乱で勝利を収め、徳子を入内させて権勢を得た。

 だが桓武天皇から発する一族とは言え、所詮武士である。藤原北家を頂点とし、長らく朝廷で権力を欲しいままにした公卿とは身分が違う。

 公卿は御所付近に住まいを構える。

 御所は度々の火災で移転を繰り返しながらも、鴨川の西に沿った京の一条通り周辺にあって、公卿もその周囲に屋敷がある。

 一方平氏はどれだけ権勢を誇ろうとも、拠点は鴨川の東であった。

 京都は陰陽五行の思想と風水思想に基づいて都の造営が成されたため、土地柄にも位階がある。

 御所を中心としてどの方位が優位なのかの序列があり、未だに京都の町の秩序を形作っている。

 六波羅蜜寺はそういう平家縁りの寺である。


 一方雅も言っていたように、六道珍皇寺には小野篁(たかむら)が毎日地獄に通ったと言う井戸がある。

 篁は日中は参議として朝廷に仕え、夜は閻魔大王の部下として閻魔庁に仕えた。

 それでは寝る時間がない、となるが、当時の政務は夜明けとともに始まり、正午には終了したと言われている。

 時計のないこの時代では、太陽や月が時間を測る基準であった。

 篁も正午に帰宅して、夜の帷とともに閻魔政庁に出仕したのであろう。

 因みに篁は、最初の遣隋使であった小野妹子の末裔であり、由緒ある血筋である。

 雅と俊は、六道珍皇寺で地獄絵や閻魔大王の肖像を描いた軸、更に地獄に通じる井戸などを見て回った。


 両方の寺を拝観して、またホテルに戻る。

 途中、甘味を商う店で蓬餅を買って部屋で味わった。

「なぜ雅さんは、私がこのホテルでランチするってわかったの。」

 俊は、怪訝に思っていたことを問う。

「俊さんのやらはることくらい、分かりますぇ。

 よっぽど飛んでもない行動、違うことせん限り、分かります。」

 俊は思わず笑ってしまう。

「でもいつもと違うことは、せんといてくださいね。

 うちが混乱してしまうさかいに。

 それから違うお方を好かんといてくださいね。

 うち、惑乱してしまいますぇ。

 そのときは・・・」

 雅は俊を睨む。

「そのときは・・・」

 俊が促す。

「二人して、宇治川に突き落としますぇ。」

 雅は真顔で俊を睨んだ。

「なぜ宇治川なの。

 京都の人なら、鴨川って言いそうなのに。」

 雅はまた俊を睨む。

「うちら西陣の人間にとっては、鴨川は神聖な川どす。

 平安の昔から染めもんを洗い晒して、大切にしてきた川どす。

 そんな大切な処へ、いやらしい二人を落とせまへん。

 その点、宇治川は水量も多ぉて、流れも早い。

 ぴったりどすわぁ。」

 俊は雅の威勢に思わず身を引いてしまった。

「でもだったら、元の旦那さんの方が先に処断されるべきかな。」

 俊はあまり雅の心を傷つけないように言葉を選びながらも、言ってみた。

「俊さん

 何も分かってはらへんのどすなぁ。」

 椅子から立ちあがると、俊の傍らに寄る。

「愛、のない人を責めても仕方ない。

 でも愛を裏切る人には、お仕置きが必要でっせ。」

 凄みのある声で言う。

「うち 心底俊さんが好きどす。

 せやから・・・せやから・・・」

 身を投げかけてきた。

 身体を受け止め、口づける。

「抱いて欲し。」

 雅からは、芳わしい香りが立ち上ってくる。

 ふたりの時間が始まる。


 ホテルをチェックアウトして、東山安井の割烹に腰を落ち着けた。

 まだ夕刻で、街はようやく薄闇に暮れ馴染み始める。

 割烹は、かつて雅が俊に紹介した店で「旬」という。料理は本格的な京料理で、しかもおばんざいも供する。同じ読みなので、俊も何か気持ちが通じた。

 それ以来、俊は公私を問わず利用している。

 雅もたまに来ていたようだが、鉢合わせしたことはなかった。

「食事は予約どおりでよかったんだね。」

「へぇ。

 聞いてもらいたい話も、おますし。」

 雅は言葉を濁す。

「じゃまずはビールかな。おいおい話せばいいよ。」

 二人はビールで乾杯する。

 初夏を思わせた日中は、気温も高く乾燥した空気で爽やかな一日だった。多くの距離を歩いてはいないが、ビールの喉越しは美味だ。

「俊さんは以前みたいに、先を急がんようにならはりましたなぁ。

 以前は大きなストライドで、前を急ぐように歩かはりましたけど、最近ではゆったりと歩かはって。

 まるで急ぐ様子が行軍みたいやさかいに、『隊長』って呼んでましたけど、もうそんな様子もありません。」

 雅は穏やかに言う。

「あはは、そうかなぁ。私も歳だし・・・」

「いや、お若いどすぇ。」

 言いながら、雅は逡巡している。

「何かあったかな。」

 俊はそれとなく水を向けた。

「へぇ。実は、お義姉さんからお手紙が来ました。」

 更に一息ついてから

「うち、子どもさんが亡くなられはってから、もうその夏には協議も整い、父や弟、それに実家の弁護士さんにも助けられて三千万円の慰謝料と、うちに割り当てられてた株式の引き取りとして八百万円をいただきました。」

 俊は頷きながら聞いている。

「うちが飛び出して実家に戻ったときも、弟が機転を利かせてあちらに電話してくれて、表向き揉めんと話合いになりました。

 どうもあちらのお義父さんも、旦那さんとお義姉さんとのことは薄々分かってはったようどす。

 旦那さんは役員を解かれて関連会社に行き、お義姉さんのところも、お義姉さんの旦那さんが福岡赴任になったんで、それについて行かはった。

 後は妹さんが継ぐことになったそうどす。」

 雅はいつもの様子とは異なり、声を抑えて静かに語る。

「何や、お妹さんは、元の旦那さんやお義姉さんとは血が繋がってないそうな。

 それで別に住まうように桂にお家を購入したはったんどすけど、それを売ってうちの慰謝料に充てて、その代わり妹さんは、お婿さんを迎えていずれは社長さんにしはるそうどす。」

「やはり老舗は、いろいろありそうだね。」

「そうですなぁ。

 それでうちは、とりあえず二年前の春には落ち着きました。

 それで元母親として、あの子の一周忌と三回忌には、ご霊前にお供えをお届けしてます。」

「いや、それは見上げたことだね。

 別れたら、そのままという人が多いのにね。」

「いえ、一度でも親子となったからには、ご仏前にはお参りは遠慮するものの、そういうことはやらせて頂くべきや、と思うてます。」

 雅は肴に箸をつける。季節らしく筍の山椒和えである。

「そしたら、つい先日お姉さんからお手紙が届きました。

 これがそうどす。」

 と封書を俊に手渡す。

「えっ、読んでいいの。」

「へぇ、うちが内容をお話しするより、お読み頂く方が分かり良いよってに。

 どうぞ読んでもらえますか。」



 梅雨寒 


 手紙は厚く、切手も多めに貼ってある。開くとパソコンで綴った文章が並んでいる。

 俊はビールを飲んでから、読み始める。


 **********


 前略

 毎年、ご丁寧なご香料をお気遣い頂きまして誠にありがとうございます

 あの子も喜んでいることでしょう。

 僅かな期間に親子であったと、ご同封にはあった旨ですが、ご縁が遠くなられても律儀にご対応頂くことはなかなか出来ることではございません。

 心よりの謝意を申し上げます。


 さてもう3年にもなりますが、この度の仕業には改めてお詫び申します。

 富田様もご縁が整っての婚姻でしたのに、ご納得のいかない事態であったと心苦しく存じます。

 今更、弁明を申すつもりも毛頭ございませんが、ただひとつだけは申し上げておきたいと、逡巡しながらも筆を執りました。

 もちろん弟の靖との経緯についてですが、おそらく貴宅でも同じようにお店を営む商家では、その家の子どもにも不便を強いるものです。

 我が家もご多聞に漏れず家族が揃って夕飯の膳を囲んだり、日曜日だからと遊園地に行ったりなどということは全くございませんでした。

 夕飯は順に食べられる者からそそくさと済ませ、お店が休みの日でも父は付き合いだ、寄合だと家を留守にしていたものでした。

 遊園地も夏休みや春休みに、連れて行ってはくれるものの、あまり遠出はせずに八瀬遊園地や桃山パークとかでした。

 たまに、枚方パークやあやめが池に連れて行ってもらえた折には、本当に嬉しいものでした。

 そんな状況で、しかも母が病気がちだったので、炊事や家事は古くからいたお手伝いさんが仕切っていました。

 でも多くの日常は子どもに任され放しというか、面倒を見てはもらえませんでした。

 私と弟は学齢ではひとつ違いですが、私が三月生まれで、弟は四月生まれですから、ほぼ二歳の間が空いています。

 そんな状況で私は、弟の幼い頃からなにくれと面倒を見ていました。

 末の妹は、私とは十歳以上も離れており、ご承知の通り血のつながりはありません。

 妹は三歳頃に、我が家に引き取られて来ました。

 所謂父の放蕩が、招いたことでした。

 私と弟は歳の近い姉弟として、生活の多くの時間、様々な暮らしの場面を共有してきました。

 そういう訳で、弟は私に対する依存心の強い子でした。

 友達にいじめられて泣いて帰宅した折にも、私が敵討ちに行きました。

 餓鬼大将よりも私の方が強かった。

 宿題や算盤塾の予習も付き合いました。

 服の着替えや、明日の学校の支度、寝具の上げ下ろし、季節毎の衣替えなど、数々の世話を焼きました。

 お風呂なども、長らく一緒に入ってました。

 幼い頃に身体を洗ってやったことはもちろん、それなりに成長しても弟は面倒がって、すぐに洗わずに上がろうとしました。

 そんな弟を押さえつけるように髪を洗い、身体を流しました。

 お互い子どもなので、入浴時にはふざけ合いながら長湯してました。

 弟とは生活の中での触れ合いが続いて、お風呂なども正直申して私の生理が始まっても一緒に入ってました。

 言葉を包まず申すようですが、お互いに身体の違いなども興味があり、弟の身体を洗いながら局部にも積極的に触れた記憶があります。

 また弟も私のことを知りたがり、陰部を見せたりもしました。

 私の胸が膨らんでくると、弟はしきりに触りたがりました。

 私はくすぐったいので拒みつつも、あえて叱りはしませんでした。

 こんなお話しは富田様にはご不快でしょうが、あえて申し上げます。

 ある意味、母代わりと申しますか、一番近い肉親として姉弟は二人して寄り沿っていたと言っていいでしょう。


 妹が同居して間もなく母は他界して、その後父は後添えも娶りませんでした。

 妹の母親は、父と付き合っていた時から実は人妻でした。

 父は、他所のお宅にまでご迷惑をお掛けしました。

 父と妹の母の関係が明るみに出て、父は、別居してしまった妹の母に幾ばくかの手当金を与えたようです。

 でもその母が再婚するからということで、妹を我が家に引き取りました。

 そういう経緯を、私の母は詰りもせずに受け入れていました。

 病気のため、詰るだけの体力気力もなかったのでしょう。

 このように他人様には語れないような過去が、我が家にはありました。

 そういう因果の連鎖を打ち切らねば、と思いつつ、自らもその連鎖に絡まり、お恥ずかしい仕儀に陥りました。


 連綿と綴って、自らが何を申したいかも邙朧として参り参りましたが、当書面を差し上げましたのは、絶対に弟とは男女の契りはなかった、とのことを申し上げるためです。

 今更弁明の余地もありませんが、少なくとも係る畜生の恥は晒していない旨を弁明したいと存じます。

 あのような場面を貴姉に見られてしまって、何を今更、とお思いでしょうが、誓って、そういった汚辱にはご心配の無き旨を申したいと存じます。

 縷々綴りましたが、どうぞ貴姉の婚姻は恥ずべきこともなかったことをご納得頂きたくよろしくお願い申し上げます。


 追伸


 弟は返す返すも息子を失ったことを悔い、残念に思っておりまして、それを誰にもぶつけられないことも苛立っていました。

 私がその受け止めをしていた旨をご理解ください。



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 読み終わって俊は深い息をついた。一方的な弁明の主旨を測りかねた。

 いったい何なのか、理解できないまま、ある意味理不尽な気持ちがムラムラと湧き起こった。

 雅は心配そうにこちらを見やっている。

 貴女のせいではないんだよ、と慰労したくなる。

 人の気持ち、それには関わりない人であろうとも、波立てることを平然と文に認める感覚を疑う。

 何も言わない俊を、却って雅が気遣っている様子も哀れで、俊は言葉を捜す。

「何とも言いがたい気持ちだね。

 この人はなぜこんな手紙をわざわざ書いて送ってきたんだろうね。」

 俊は供された和え物をつまみながら、漏らした。

「実はうちも、よう分かりませんよって、読んでもろたんどすけど。」

「この他には何も連絡、つまりメールや電話もないんだね。」

「ええ。基本的にお互い、メールアドレスも電話も知らない筈どす。」

「そうか。住所は分かっていたんだ。」

「ええ。毎年、ご仏前にお供えしてますから。」

「お義姉さんは、割と実家に頻繁に来ていたって言っていたね。」

 更に俊は確認する。

「へぇ。どれくらいの頻度が普通やら、分かりませんけど、週に一、二度は来てはりました。

 月に二度ほどはお泊まりどしたし。」

「うん、確かに多いね。同じ京都市内でも、頻繁だね。」

「いいえ、茨木市どす、お住まいは。」

 この答えに、俊はますます驚く。

「へぇぇ。わざわざ阪急電車で来るのは、やはり実家に執着が強いね。

 特に来なければいけない理由もないよね。」

「へぇ。仕事での必要とか、おへんし。お義父さんもお元気で、介護や病院通いもおへんし。」

「そうか。お子さんは。」

「いやはらしまへん。」

 俊は雅から聞いて、ますます訳が分からなくなってしまった。

 だが、ふと気付いた。

「雅さんに聞くのは筋違いかもしれないし、聞かれて良い気分でもないだろうけど、元の旦那さんは何故離婚したんだろうか。

 あ、つまり最初の離婚の理由だけど。」

 さすがに雅も考え込んでいる。

「うちの知る限り、体調崩してお別れになった、としか・・・」

 雅も言いよどむ。

「いや、やはり雅さんに聞いて悪かったよ。

 だけど亡くなられたお子さんは、前の奥さんの子供さんだね。」

「へぇ、そう聞いてます。」

「だったら体調崩したにしても、女性が自ら産んだ子供さんは、離婚に際しても別れ難いものだと思うんだよ。

 でも前の奥さんは、子供さんを旦那さん側に残して別れた。

 どうしてだろう、と思ってね。」

 雅も考え込んだ。

 二人して黙ってしまったが、二人で考えても答えのわかることでもない。

 しかし、この手紙がわざわざ送られてきた意味を理解するには、どうやら前の離婚の経緯を知る必要がありそうだった。

「榊原さん、富田さん。

 ぜひこれを味わってください。」

 静かになってしまった二人にマスターが声をかけ、同時に細目のグラスに泡立った飲料を供した。

 続いて、刺身を出す。

「こちらはシェリーです。

 お刺身は、鯛と鰆(さわら)です。」

「ほう。鰆とは、なかなか刺身では味わったことがないね。」

 早速俊が、反応する。

「ええ、でも3月から5月が旬です。

 鯛も鰆も味が淡泊なようですが、でもしっかりした魚です。

 それだけに、上手にお酒を合さんと却って生臭みが立ったりしまっさかい、それでシェリーがええようです。」

 マスターが解説してくれる。

「というても、受け売りですわ。

 NHKの今日の料理をやってる大谷千秋さんと、ソムリエの栗林さんが、お勧めの京料理と、それに合うお酒を組み合わせて紹介してはる番組がおましてな、そこでカンニングしたんです。」

 雅は楽しそうに微笑んでいる。

「特にワインでは酸味があるから、却って魚の生臭みを際立たせてしまうのやそうで、その点、シェリーなら大丈夫やとか・・・。」

「板さん、さすがしっかりとお勉強したはりますなぁ。」

「いやいや、店のランチを終えてちょうどの時間にこの番組が週一で放送されてますから、 重宝しとります。」

「うん、いい塩梅でよ。」

 俊は早速シェリーと刺身を味わって、感想を述べる。

「あの大谷千秋さんは、いかにも京女、って感じで好感度も高いから京都でも評判どすなぁ。」

 雅は京都の女性の話題が嬉しそうだ。

「ぜひ雅さんも頑張って、好感度の高い商材や染物を広めてほしいね。

 あ、そう言えば今年もそろそろ展示会じゃないのかな。」

 俊は、かつてこの店で、雅に展示会に誘われたことを思い出した。

「いいえ、うちはもう一旦業界を離れた身やさかいに、遠慮することにしました。

 それよりも、ビジネスをしっかりと軌道に乗せやなあかんさかいに。」

 雅は真剣な表情で、自らの今後を語る。

 刺身は、まさに旬の味わいだった。シェリーとの相性も、マスターお勧めのとおり絶妙だ。

「雅さんは、今日の中ではどこが印象深かったかな。」

「一番は、朝から拝観した養源院さんどす。

 宗達の活き活きとした描写力に感服でした。

 また、奥の座敷にある襖絵の松の枝ぶりにも大らかさを感じました。」

「智積院の等伯より、感銘を受けたみたいだね。」

「等伯一門の襖絵、障壁画は、それはそれでダイナミックどすけど、自らの表現が出来ているのは、宗達やと感じました。」

 雅の鑑賞眼が確かなものとなっていることを、俊は嬉しく思った。

「じゃ、午後からは。」

「へぇ、やはり地獄絵どすなぁ。せやけど、今日のようなイベントは、日頃見られへん文化財を公開してはる、謂わば『非日常』どす。

 けどうちは、日頃生活のなかで美術が身近であることこそが重要や、と思い始めました。

『美術は美術館で』というのは、どうも仕組まれたような印象を受けるようになりました。

 もっと家庭やオフィスに美術、アートがあってもええんと違うやろか・・・

 昔はそこここに美術品が飾られ、季節毎に架け替えしとりました。

 いつの間にやら、美術館に行かんな絵画やお軸を観られへんようになってしもた。

 何や、ヘンやなぁ、と思うようになりました。」

 雅の言葉に、俊は大きく頷いた。

「そのとおりだよ。

 いつからか、『美術は美術館で』ということが一般化してしまった。

 まるで正装して、フランス料理を食べに行くような、『非日常』が常態化してしまった。

 だいたい、毎日毎日ディナーに行くわけじゃないけど、たまに出掛けるのは『よそ行き』だね。」

 この言葉には、マスターが反応する。

「榊原さん、ぜひ「よそ行き」やのうて、少しずつでも三日に一回はおばんざいを食べに来て

 下さいよ。」

「あははは。これは失礼しました。

 気軽に食べられるおばんざいならば、ちょくちょく食べに来るよ。」

 店長はこの言葉に喜んでいる。

「でもね、ほんまにうちらが扱こうてるお着物、お召し物もえらい高級品扱いされて、普段着やった浴衣まで、何やら高級品になってしもた。

 何やらヘンどすなぁ。」

 普段着であった浴衣や、京都ではお惣菜であったおばんざい、そして日常に家庭に飾られていた美術品まで、が非日常化していくことに皆一様に首を傾げている。

 俊は笑いながらも、雅の言葉が常々自分が思っていたことと全く同じ感覚であることに、少なからず驚いた。

 もう二十一世紀も二十年を経て、世の動きはあらぬ方向に向いていると感じた。

 そして文化財の公開事業よりも大切なことが、蔑ろになっていると強く思った。

「でもね、批判したり嘆いたりするよりも、何か出来ることから進めなあかん、と思います。

 例えばたくさんの絵を皆さんお持ちでしゃろに、わざわざ美術館で観てるのも変どす。」

「そうなんだね。

 私も一度考えた事があって、例えば一人のプロの画家が、平均年に二十点を描くとしても戦後だけでも五千万点以上の作品が制作されている。」

「え、そんなに・・・」

 雅は驚く。

「美術館は日本に一千ヶ所以上あって、それぞれ千点以上は所蔵しているとしても、たったの百万点を超える程度だね。

 その数倍を持ってるとしても、五千万点のうち九割は、個人とか企業が保有しているんだよ。

 それらはどうなっているんだろう、と思ってね。」

 雅は目を丸くするばかりである。

「大切にしまってあるとしても、熱心なコレクターが死亡した後にはしっかりと承継されているのか、疑問なんだ。」

「よう新聞に絵画買取りとか、広告が出てます。」

「あれも購入価格は極端に安くて、結局中国や東南アジアに売られてしまう。

 でも流出はまだマシで、結局ゴミとして廃棄されたりもしていることも多いだろうね。」

「国とかで買取りできないんでしょうか。」

「いや、文化庁の予算はここ二十年も毎年一千億円だから、とても無理だね。」

 また二人は黙り込んでしまった。

 そんな京の夜は、始まったばかりだ。


 店を出ると、東の空に立ち待ちの月が登っている。肩を並べて四条方面に歩む。

 距離で言えば清水五条駅が近いが、二人は少しでも一緒に居る時間を過ごしていたかった。雅は離婚して独り身だし、俊も妻を亡くしたひとりやもめである。

 しかし二人は、この自由な関係を重んじている。

 どちらから言ったわけでもないが、お互いの今の立場を尊重し、あまりプライベートには踏み込まない姿勢だ。

 こうして二人で美術館や古寺を廻ったり、食事を共にしたりする。

 たまに雅が誘って、雅のマンションで過ごすが泊まったりはしない。

 だから今日のようにホテルの部屋で愛し合ったのは、三年前の大晦日以来であった。

「ええお月さんやこと。」

 雅が月を見る。

 北に上がっているから進行方向の右に月がある。

 月に見守られている。

「松園の『待月』と同じ十八夜だね。」

 俊も見上げる。

「話が戻るけど、あのお義姉さんのことはどうするんだい。」

「ええ、お手紙の本当の趣旨も分かりにいくいし、別にお返事をせんないかんわけでも無さそうですし。

 今度、実家に行ったときに弟にも相談してみようと思います。」

 俊は頷く。

「それがいいね。弟さんは、離婚の時や雅さんのマンションの件でも力になってくれたんだね。」

「へぇ。弟は智仁(ともひと)って言います。普段は何も言いませんけど、ああいう風に困ったところを助けてくれて、ほんまにありがたかった。

 離婚の時も智仁は実家の弁護士といろいろと話し合うて、有利に進めてくれました。」

「そうだね。

 でも、三千万円も慰謝料を出すとは、かなり落ち度を認めたことだね。」

「前にも言いましたけど、元の旦那さんとお義姉さんとのことは、お義父さんもうすうすわかってはったかもしれません。」

「そりゃ同じ家に長年いたら、わかるね。」

「ええ、でもそれだけやのうぉて、前の奥さんも分かってはったんと違うかなぁ、って思います。」

 そう言って、雅は俊の手を強く握ってきた。

「なぜそう思うの。」

 俊が問うと、雅は少し躊躇いながら、やがて言った。

「奥さん、浮気してはったんやないか、って・・・」

「えっ。」

「あの家に昔からいはるお手伝いさんが、そういうニュアンスのことを言うたはったんどす。」

 俊は雅の次の言葉を待つ。

「つまり、まだ携帯がスマホやなかった頃ですから、電話やメールが多かったらしいどす。」

「以前から居たはるお手伝いさんが、結構おしゃべりで、前の奥さんはしょっちゅう携帯電話やメールして、そのたびに急に外出しては、ニ、三時間してまた帰ってきはる。

 どこへ行っていたとも言わずに、帰って来たら上気してはったって。」

「でもそれだけじゃ、何もわからないんじゃないかな。」

 俊は怪訝そうだ。

「俊さん

 それは男の人はそうでっしゃろけど、女には分かるんどす。

 どんなに取り繕うても、もっともらしい理由を言うても、この女の人は、今誰かに抱かれてきはったって分かるもんどす。」

「ほう、そりゃ大変だ。」

「そやから、長年居たはるお手伝いさんの勘は、もしかしたら、って思いました。」

 雅は自ら頷いている。

「じゃそれが原因で離婚に至ったんだろうか。」

「でも浮気せざるを得ない理由もあったんでしょう

 その原因が、お義姉さんと旦那さんの関係にあるならば、今回の手紙も合点が行きます。」

 俊は不可解だ。

「うちら西陣、山鉾町のもんは、ヘタな噂を嫌うんどす。」

「でも真実ならば仕方ないんじゃないの。」

 ふいに雅は立ち止まる。

 俊も歩みを止めた。

「ほんまかどうか、とか、どういうことやったか、なんてどうでもよろしおす。

 ただ、波風が立つのは困るということどす。

 ここは京都です。

 表と裏、晴れと褻(け)、建前と本音があって、使い分けてます。

 ほんまもそやないのも、合わせ飲むのが、この町どす。」


 数日後、雅は実家に立ち寄り、弟の智仁に義姉だった勝代からの手紙を見せて相談した。智仁も手紙の内容にとても驚いた。

「姉さん、これはまた面倒な手紙やね。

 なんで今更こんな手紙をわざわざ寄越すんやろ・・・」

「智仁もそう思うやろ。

 うちかって、ほんまにびっくりやわ。

 しかもお義姉さん、自分からなんもなかったなんて、書いてくる意味が分からへん。」

 智仁も考え込んでしまった。


「俊さん、

 もう麓ばっかりで躊躇わんと、山に登って・・・

 焦れっとうおすぇ。」

 それでも俊は登らない。

「あきまへん。そないに揺すったら・・・」

「あぁ、指、脚の指は堪忍ぇ。」

 雅は切ない声を上げる。

「でも前の奥さんは、よく雅さんのことが分かったもんだね。」

「いきなり嵐電で声をかけられて、お昼過ぎの比較的空いてる時間やったさかいに、知らんふりも出来ず、大宮で降りてから、お茶しました。

 ・・・・

 ぃやん、逆撫でせんといて・・・」

「どうして雅さんのことが分かったと言っていたの。」

「まだ何も起こってなかった時分に何処かで、見かけたそうどす。」

「ほう、一回見ただけで覚えているんだね。」

「前の奥さんも同業どしたから、うちが展示会とかで評判の悪い時の印象があったんどっしゃろ。

 ・・・・・

 ぁぁああ・・・

 いきなり頂上はあかん。」

「それで、どういう話しだったの。」

「俊さん

 ちょっと手を止めて、イタズラ止めて・・・。」

 雅はたまらず、俊を制した。

「それでね、やはりお義姉さんは頻繁に実家に来て、もう小姑状態で、康さん、つまり元の旦那さんの細々としたことを要求したはったようどす。

 やれ、弟は面倒くさがりやから着るモノを翌日分も揃えておいて前の日の汚れもんは早々に片付けてしまえ、とか、康はピーマンが嫌いやさかいメニューに気をつけて、とか、北のお納戸は湿気が溜まりやすいさかいに朝窓を開けて、夕方には必ず締めておけ、とか。」

「それは細かいね。雅さんも言われたの。」

「いいえ、うちの時は何も。」

「ただ一回だけ、ケッタイなことを言うてはりました。」

 雅は、嫌なことを思い出しつつ言った。

「何かたわいもない話題の後から、取って付けたように

『康は、あっちの方はどうえ。まだ大丈夫ですか。』

 って言わはって、うち、何のことか分からず、きょとんとしてたら、慌てて

『いややわ。別に構わしまへん。気にせんといてや。』

 って言うて、そそくさと向こうに行ってしまわはった。」

「つまり元の旦那さんとの、房事を尋ねたんだね。」

 雅は俊の手を取る。

「姉弟とはいえ、そんなことを面と向かって尋ねるものじゃないね。」

「何のことか、しばらく経ってから気づいて、逆にうちの方が気まずい思いになりました。」

「身内から、夫婦仲を聞いてくるのは違和感があるね。」

「何とも言えない嫌な感覚が残りました。」

「それで前の奥さんとは、お子さんのことは・・・」

 俊が話題を反らした。

「それなんどす。もう三年どすけど、すごい残念がってはって。

 産みの親やのにお葬式も知らせて貰えず、亡くなったのを知ったのも四十九日を過ぎてからやと。」

「それはあんまりだね。当然雅さんは、お葬式に呼ぶように言ったんだろう。」

「へぇ。

 元の旦那さんにも言いましたし、お義父さんにも言いました。

 でももう縁のない者や、って言わはって・・・

 結局、お手伝いさんの方から内々に連絡して貰うた、って泣いたはりました。」

「でも、なぜそれほどまでにひどい扱いをするんだろう。」

「もう出入りなし、と言う態度を貫きたかったようです。

 それで、子供の最後の様子を聞かはったんで、うちの知る限りをお伝えしました。」

 雅は辛そうに言う。

「もう病院に行ったときは、どうしようもなくて、アイシーユーでも救えずに、と言うたら、しきりにお礼を言うたはりました。」

 雅は、さも気の毒そうに目を伏せた。

 僅かな間の親子であった自分でさえ、とても辛い思いをした。

 ましてや腹を痛めた実の我が子であれば、心痛は余りある。

「でもこれで、あの家とも本当に縁がなくなって、安堵した、とも言うたはりました。

 元の旦那さんからは、妻である自分を何かにつけて義姉さんと比べて批判されてたようです。

 そりゃ腹が立つと言うか、妻の立つ瀨がおへんかったことどすやろ。」

「元の旦那さんは、本当にお義姉さんコンプレックだったんだね。」

 俊も呆れる。

「そやから、前のことに懲りたか、うちにはそういうことは言わはらへんどしたけど、お腹の中ではあれこれ思うたはったんやろ、と後から色々考えてしまいました。」

「厄介なお宅だったんだね。雅さんも縁が切れてよかったね。」

「でもお義姉さんから手紙も来たし、まだ何かありそうな気もします。」

「そのときはまた相談してくれればいいよ。」

 この言葉に雅は俊に縋りついた。


 その後、雅は当たり障りのない文面で義姉に手紙を返した。

 特に義姉からも何も連絡も無かった。

 前妻とも、一度きりで没交渉と思われた。

 過ぎてしまった数年は、仕方ない通過点として過去に封じ込めるつもりだった。

 その年の梅雨はしとしとと続く小雨と、垂れ込めた雲によって、いつになく寒気を誘うような不順な気候だった。

 とある平日の午後には、雨を避けて京都駅ビル内の美術館を訪れた。

 俊は急遽仕事が入ったようで、今回は一人で観ることになった。チケットを求めて、コインロッカーに手荷物を預け、順次鑑賞していく。

 やがて全てを観終わり、またロッカーブースで手荷物を取り出した時に、声を掛けられた。

 見れば前妻が佇んでいる。

 雅は会釈して、向き合う。

「先日はありがとうございました。」

 前妻から挨拶を受けた。

「いいえ、こちらこそ。」

 先月、たまたま嵐電で話し掛けられたときよりは顔色も良く、何か軽やかなイメージだった。

「もし差支えなかったら、少しお話しできれば、って思うんどすけど富田さん、お時間はありますか。」

 申し出に雅は頷いて、二人はホテル内のカフェで向かい合った。

「また今回も、急にお声掛けしてすみません。」

 前妻、吉村文乃(あやの)が切り出した。

「いいえ、ちょうど観終わりましたし、差し支えありません。」

 雅も笑顔で応ずる。

「あの折には失礼致しました。

 でも、息子の忠志(ただし)の最期の様子も伺えて、何か吹っ切れたというか、自分の中でもひとつ区切りをつけられた気がしました。」

「それは何よりでした。

 私もあの折の状況しかお話しも出来ずで、ちょっと気にしてたんどす。」

「いいえ、ほんまに嬉しかったです。

 その後も忠志の葬儀やら、後のことやらお気遣いいただいたと存じますが、富田さんやったら、しっかりやってもろたと思うと嬉しかったです。」

「いいえ、なかなか行き届きませんでしたけど、精一杯勤めさせてもろたつもりどす。

 実のお母さんを前に何どすけど、うちも母や、って思ってましたさかいに。」

 この言葉に文乃の表情が輝いた。

「まぁ、ほんに嬉しいお言葉で、忠志もよう懐いていたことでしょうね。」

「まぁ数ヶ月で懐くのは難しいかもしれませんが、生来のご性格は屈託のない、ええお子たちどした。」

 二人は忠志を偲んで、涙ぐんでしまった。

「ところで、何かお話しでしょうか。」

 雅が促す。

「はい。

 実は先月偶然にお会いしてから、少し考えてましたんどすけど、富田さんは、また染めのお仕事にお戻りや、って聞いてますけど・・・」

「はい。離婚してそのまま実家に居ても仕方おへんよって、染めの仕事やってます。

 まぁ大方は実家からの下請けどすけど。」

「主に手描き友禅染めだけですか。」

 文乃が問う。

「はい、他に何も出来ませんし・・・」

「うちも、元の臈纈染め(ろうけつそめ)と捺染(なっせん)をやってますけど、もう、和装も皆さん、改まった装いになってしもたから厳しおすなぁ。」

 文乃は、コーヒーを飲んで続ける。

「最近は若い方も和装とか着たはる人もいはって、少しはブームもありますけど、全体的に減少傾向ですね。」

 雅も頷く。

「ええ、実家も先行きを気にしています。」

「それで私も和装だけやのうて、小物やお土産物の元絵をやってます。」

 文乃は、雅をしっかり見て続けた。

「土産物の元絵・・・どすか?」

 雅はもう少し知りたい。

「自分で制作して手拭いや風呂敷にしても中買さんにマージンを取られてしまうさかいに、そういうのはインターネットから売ってます。」

「へぇぇ、いわゆるECですね。」

「ええ、SNSから拡散したら、それなりに売れます。」

 文乃は楽しそうに自ら頷く。

「でもECのホームページは、業者さんに作ってもらわはったんどすか。」

「いいえ、実は離婚してから再婚して、夫が作ってくれてます。」

 雅は以外だった。

「再婚しやはったんどすか。それは良かった、おめでとうございます。」

「ええ、ありがとうございます。

 私、中学校を卒業してからも二年生の時の担任の先生にずっとお世話になっていました。

 女の先生で、家庭科の先生ですけど、卒業してもその後の進路やとか、家業を継ぐとか、色々と相談に乗ってもろてました。

 お宅まで伺って、時には夕飯までご馳走になったりして、すごいお世話になりました。

 今の夫はその先生の長男です。」

「へぇぇ、それはまた、すごいご縁ですね。」

 文乃は続ける。

「結婚してからも先生に相談に乗ってもろて、お世話になりました。

 やはり夫のことや、特にお義姉さんのこととかどす。

 あの子が二つのときに、イヤなもん見ました。

 お義姉さんが、元の旦那さんと一緒にお風呂に入ったはったんどす。

 真夜中でうちが手洗いに立ったとき、夫が風呂場からバスタオル一枚で出てきた後に、お義姉さんも同じようにバスタオル一枚で出てきはって、幸いうちに気づかはらへんかったようどすけど、もうびっくりしてしもて・・・」

 雅は自分のイヤな体験とも重なりあって、思わず身をすくめた。

 黙っている雅に、文乃は尋ねた。

「もしかして、富田さんも、どすか。」

 雅はしばらく躊躇っていたが、意を決して話した

 雅の話しを聞いて文乃は強く反応したが、一方で何か納得した様子で言った。

「やっぱり、って感じどすな。

 でも、もう済んだことやさかいにそれまで、どすけど。」

「そんでもお義姉さんから、手紙が届いたんです。」

 内容を大まかに話した。

 文乃は、聞き終わって

「やっぱりな」

 と呟いた。

「何か知ったはんのんどすか。」

 弟とも首を傾げていたのに、文乃には心当たりがあるのだろうか。

「鉾町から、お役を外されたそうどす。」

 この情報は、雅を驚かせた。

 同時にある意味で納得できた。

 百年以上続き、鉾町界隈でも一定の立場にある老舗が、その役から外されることは相当なインパクトのある出来事だ。

「あちらはお義父さんからして、よその人妻を孕ませてお子を設けたり、お手伝いさんと関係持ったり、ちと目を覆うばかりの所業でした。」

「え、お手伝いさんの、あの美夜子さんどすか。」

 雅は驚く。

「長らく関係が続いて、奥では美夜子さんのしたい放題で、その件では何人も女子社員が退職してます。」

「・・・」

「元の旦那さんの妹さんも引き取るときには、えらい揉めたそうどす。」

 雅はただ聞いているだけだ。

「うちも、あの美夜子さんには、浮気してるとか、ありもせんことで噂を立てられました。

 離婚の原因も、あの美夜子さんの噂が元です。」

「そしたら、あのぉ・・・」

「先ほども申したとおり、先生に相談に行ってただけで何もやましいことはおへんどした。」

 文乃は、キッパリと言った。

「うちが今の夫と結婚したのは、離婚して二年ほど後どす。

 先生が倒れはって、その後介護が必要になって息子さん、つまり今の夫ですが、懇願されました。

 ちょうど前の奥さんが病気で亡くなられたので、忠志と同じ歳の幼児を放っておけへんどした。

 夫も教師どす。

 あの人が商家の跡取りやったら、一緒にはなりまへんどした。

 先生の長男さんやから、お受けしたんどす。」

 雅も文乃の気持ちがよくわかった。

「それでお話しが戻りますけど、私が今やってるような染めの仕事を、富田さんもいかがですか。」

 以外な申し出に、雅は更に驚いた。

「最近では、ご婚礼のときでも打掛なんか選ばれませんし、染め物の需要は厳しいと思います。

 そこで様々な小物、例えば風呂敷や袋ものに染めを入れて、デザイン性を高めて売れる商品にします。

 それをインターネットから売るんどす。」

「それでうちには、どういうことをお望みですか。」

 雅が問う。

「私のは、ろうけつ染めや捺染やから、更にそこに手書き友禅染めを加えて商品アイテムを増やしたら、と思いまして富田さんに描いてもらえへんやろか、とお願いしたいんどす。」

「商品のサンプルとか見せてもらえますやろか。」

 文乃は手提げバッグから、三、四点の巾着袋などを出して雅に見せた。

「なるほど。

 袋の一部にワンポイントで紋様が入ってますね。」

「へぇ。

 袋もシンプルにして紋様も控えめにしていますけど、季節の柄とか、かわいいものとか。

 あ、そや。

 こちらもどうぞ見てください。」

 文乃は風呂敷を取り出して見せる。そこには、うさぎが染められている。

 くどくなく、風呂敷のところどころに染めがあって、楽しめる。豪華で重なり合う絢爛たる意匠ではなく、引算のある控えめなデザインである。

 雅はそのセンスの良さに、好ましさを感じた。

「富田さんだけやのうて、岩井節子さんにもお声掛けしてます。」

「ほう、あの刺繍で伝承工芸展に出品していはる人どすな。」

「ええ、色々なものを組み合わせて、独特のブランドにできたら、って思います。」

 雅は文乃の言葉に微笑んで応じる。

「なるほど・・・

 私も先ほど子の美術館で観ていたような絵画のような、自然の情景に着想を得た意匠を描きたい、と思てます。

 文乃さんと一緒やったら、そういう感性を活かせそうな気がします。」

 雅は、何か新たな世界を垣間見た思いがした。

 単に画帳から意匠を写して染めているよりも、伸び伸びと自由な発想で染めていく。

 自らのそういう姿を思い描くことは、長らく何処かに置き忘れていた感覚を呼び戻すものだった。

 そう、三年前に俊と廻って多くを得ていたときに抱いた感覚だった。

 あの頃は数々の美術品のように伸びやかな線の描き方を、染めにも応用できないか、といったぼんやりした憧れのような感覚だったが、今ならそれを成し得ることを思い描けた。

 文乃が手掛けているような「引き算のあるデザイン」は、多くの作品や商品に相応しいと感じられる。

 雅は、文乃の提案を前向きに考える旨を告げて帰路についた。


 雅は数日後、俊に会って文乃からのオファーを話した。話す以上は、雅自身もある意気込みを内に秘めている。

 その日は、朝から大阪に向かった。

 関西に於いて明治の世に、電鉄会社や製鉄会社などを興した立志伝中の人物は、多くの美術品蒐集家としても知られており、その至宝を保存管理する美術館が昭和二十年代に設立された。

 屋敷の蔵を改造して美術館としていたが、国宝を含む美術品の管理には不適切として、約五年をかけてリニューアルした。

 その美術館がようやく再開館するので、リニューアル企画展を観賞に出かけた

 鑑賞した後、美術館併設のレストランで俊とランチを共にしながら文乃からの意向を告げると、俊は我がことのように嬉しそうに笑顔で言った。

「長らく美術館廻りをやってきた甲斐があった、というものだね。

 大きな飛躍が雅さんに訪れているような予感を感じるよ。」

 俊の言葉に雅は、いよいよ新たな展開が幕開けする昂奮に包まれた。



 七夕 星空 


 雅は空を見上げて、ため息をつく。

 今日も雨。もう三日だ。

 梅雨とはいえ長引く曇天と続く雨模様には、心も重くなってしまう。

 一方、七月の鉾町は祇園祭りの諸行事で日を数える。

 マスコミなどは、その一端を紹介するだけだが、それぞれに謂れのある慣しは粛々と続く。

 実家では鉾町のお役もあって、七月は慌ただしい。

 雅も、仕事の段取りに腐心している。

 仕上がりから逆算して、いつまでにどういったことをすべきか、いつも頭の中は混迷している。

 そういう状況を俊はスケジュール管理、プロセスの不具合と笑う。俊はアイティ系なので、外来語が多い。

 以前も「ディフォルト」と言われて、咄嗟に意味を理解出来なかった。

 俊は高校生でも日常的に使う、と笑うが、もっと平面な言葉で言ってほしいと言っては行き違いに陥る。

 日本語には適切な表現がないらしい。


 先々週には平日に俊と休暇を合わせて、松花堂庭園を訪れた。

 あの松花堂弁当の名の由来になった禅僧が、庵を結んだ名勝である。幸い梅雨の晴れ間が三日ほど続き、当日も薄曇りであった。暑さに弱い俊は、かなりの軽装でやってきた。

 雅もブラウスにニットカーディガンを羽織って出かけた。

 京阪電車で樟葉駅まで行き、タクシーで十分ほどだった。

 かなり広い庭園は八幡市が整備しており、園内にはせせらぎが流れ、あちこちに四阿屋(あずまや)や茶室が配されていた。

 美術館もあって、江戸時代の書画を展示していた

 また今月は、定例になった細田美術館を訪れることを約している。

 ただ雅の日程と、俊のスケジュールがなかなか合わず、延び延びになっている。更に土曜日、日曜日は、雅の方が実家での祇園会のための諸事に追われている。

 また平日も次々と予定が埋まって、繁忙だった。

 文乃や岩井節子らと始めた企画も、少しずつ成果が出てきた。

 この企画では、段取りが重要だ。

 ストールを制作するにも、雅と文乃の二人が染めを順次施して最後に節子が刺繍を入れる。その間合いが滞ると、次の工程に待ち時間を与えてしまう。

 間を空けず、しかし滞留することなく工程を流す調整には、それなりに気を使った。多少前工程が遅れてもうるさく督励しないが、自らが滞ったときにはまめに進捗を伝えた。

 したがって先々の予定を見通すことは、なかなか難しいことだった。

 一方俊は顧客や部下の都合を優先するので、前広なスケジュールを知りたがった。最近では、たまたま間隙のできたタイミングで美術館に向かうことも増えてきた。

 そんな間合いが、たまたまできた。

 文乃の息子が熱を出したとかで、段取りが数日遅れると連絡があった。

 そこで、雅は前々から行ってみたかった松伯美術館や大和文華館を訪れよう、と考えた。ダメ元で俊にメールしてみると、候補日は木曜日の午後三時以降だった。

 逡巡していると、更に俊からスマートフォンに着信があった。

 俊はその日に大阪心斎橋辺りの顧客企業で打合せがあるので、雅が先に行っていずれかを観賞し、俊は三時以降に合流するつもりだ、と言われた。

 その段取りで了承して、電話を切った。


 当日は幸い雨も降らず、強い陽射しが照りつけた。

 雅は早く昼食を済ませて、近鉄京都線に乗って大和西大寺で乗り換えた。京都府と奈良県は隣の府県だが、結構距離がある。

 一時間ちかくをかけて学園前駅に到着し、雅はタクシーで松伯美術館に向かう。

 十分少しで美術館に到着した。

 ここは上村松園、その子の松篁、孫の篤志の三代に渡る所蔵品を有している。

 上村篤志は現役の日本画家で、美術館と同じ敷地に住まいしている。大きな池を中心にして、広い敷地である。

 しかもその池全体が、ネットで覆われている。

 池とその周囲の緑地には、様々な種類の鳥を放し飼いにしていると言う。篤志の父の松篁の頃から、鳥を飼い日々写生していたらしい。正に、画業のための凄まじい執念である。

 今も美術館に連なる庭には千羽に及ぶ鳥が飼育されていて、篤志氏は毎日鳥を写生しているという

 展示は毎回の企画展ごとに、あるテーマを設けて所蔵品を展示している。

 上村三代に亘る展示の時も有れば、松園なり、松篁なりに焦点を当てて企画することもある。

 今回は「熱帯への旅-極彩色の楽園を求めて」として、松篁の作品を中心に「熱帯花鳥」や「ハイビスカス」などの作品が展示されている。

 広くはない展示室ではあるが、今回のメイン展示の「鳳凰木」を中心に構成されていて、雅はゆっくりと鑑賞した。

 松篁の鳥の絵は、モティーフや主題の構成が染めの参考になる。

 雅は行き詰まると見本画帖などは頼りにせずに、画家の画集やネットの画像を見てヒントを得ている。

 したがって、間近に絵画を観ることは大きな意味があった。

「ハイビスカスとカーディナル」はカーディナルの赤い羽根に、ハイビスカスのピンクが響きあっている。

 鮮烈な色調の組合せなのに、色同士が主張し合わず共鳴しているのはなぜか。

 雅は、その理由が絵の構成にある、と考えた。

 着物地で再構成すると、例えば花を散らした紋様でも調和がとれて優美な総柄になるのと同様に、この作品もモティーフを個別に主張させず全体としてまとまりのある構成になっている。

 こういう納得は、やはり画集ではなく実物を目の当たりにしてこそ悟れると思う。

 またハイビスカスの花弁の描き方も、リズミカルでとても参考になるものだった。展示数は少なかったが得るものは多く、満足して駅に戻る。


 駅にはもう俊が待っている。

「すみません。遅くなりました。」

「いや、私が少し早く到着できただけだよ。」

 俊は屈託なく笑う。

「少し休憩しないでいいかな。」

「ええ、閉館時間までたっぷり見たいから、行きましょう。」

 二人は大和文華館に向かう。

 大和文華館は、近畿地方で大きなエリアをカバーする鉄道会社が蒐集した美術品を展示している。

 開館は古く昭和三十五年である。

 今回は絵画を中心に美術における「人物」を描いた作品に焦点を当てての企画である。大和絵や掛け軸が展示されており、雅は特に三十六歌仙図に興味を惹かれた。

 小野小町や伊勢などの和歌の名手を描いて、華やかな色調だ。

 俊も興味深げに鑑賞している。

 京都から一時間ほどで質の高い美術館があるならば、もっと頻繁に通ってもいいかな、と素朴に思う。

 やがて閉館を告げる音楽とアナウンスが流れ始めた。二人は美術館を後にして駅に向かう。

 学園前との駅名どおり、駅は学生でいっぱいだった。

 二人は西大寺で乗り換えて、京都に向かう。通勤客で混み合って、雅のみ席を得て俊は立っていた。

 そのまま二人は、丹波橋で下車して雅のマンションに向かう。

「夕食も材料、おますし・・・」

 雅は言いながら、少し駅前の惣菜屋で副菜を見繕った。

 到着して、雅は早速拵えにかかる。

「どんなご馳走が出るかな」

 俊が笑いながら言う

「相変わらずイケズやね。

 そんなんやったら、イケズヤモメになりますえ。」

 雅が、すかさず突っこむ。

「イケズはどなたかの専売特許だったね。」

「いいえ、うちは一度はヨメに行きました。イケズやおへん。

 あ、お風呂お入りやす。」

 と勧める。

「じゃそうしよう」

 俊はそそくさと退いた。

 風呂上がりに缶ビールで乾杯して、雅の心尽しを味わう。

 雅は心得たもので、ベルギービールを買い揃えてあった。

 深い味わいを楽しみつつ、雅の手作りを堪能した。

「今日もいい鑑賞会だったね。」

 俊が話題を振る。

「へぇ。奈良はいつでも行けると思ってましたけど、ついつい行きそびれてしもて。

 やはり行こうって思うて、きちんと計画しとかな、結局行かず仕舞いになりますなぁ。」

 雅は満足そうだ。

「どんな収穫があったかな。」

「松柏美術館では、染めのモティーフになりそうなヒントを得ました。

 松篁さんは、きっちりと色目の配置を考えて構成されてました。」

 俊は笑顔になった。

「雅さんは、大した観賞眼に成長したね。」

「俊さんのお蔭どす。」

「いや、自らの感性で観賞するのは人から教わるものじゃなくて、自分が体得するものだよ。

 私はただあちこちにご一緒しただけだよ。」

 雅は嬉しそうに微笑んだ。

「私も今回、奈良に足を伸ばして良かったと思うよ。

 雅さんの言う通り、いつかいつかって思っていたら、結局行けず仕舞いになるよね。

 大和文華館も、もう十年近く行ってないなぁ。

 リニューアル工事でしばらく間があいて、そのままになっていたから今日は私も雅さんに良いチャンスを貰えたね。」

「そう言うてもろたら、ご一緒した甲斐がありました。

 久しぶりに、充実した美術館廻りどした。

 そや、今夜は七夕どすなぁ。今年は晴れて良い夜どす。」

 梅雨時期には珍しく晴れわたり、星空は美しい。

 古代人が「天の川」と呼んだ銀河も大空に流れている。

 牽牛、織女も再会を果たせたことだろう。

 駅まで俊を送りがてら、見上げた空に感謝した。

『私も七夕さんみたいに、愛おしい人に再会できました。

 ほんとうに幸せで、充実した日々どす。』

 雅は星に感謝した。



 月夜 スーパームーン 


 暑かった夏も、ある朝から冷涼な空気に入替り、ようやく凌げる気候となった。

 日中はまだまだ暑い日が続いているが、夕刻からは冷風が心地よい。

 暑さに弱い俊は、替えの下着を鞄に収めて外出すると言う。タオルや清涼シート、制汗剤のスプレーなど一揃いを常に携えている。

 雅が見ても、俊の汗は尋常ではない。でも首から下に発汗していて、見た目はみぐるしくない。

 夏には、二度ほど一緒に出かけた。

 そのうち貴船、鞍馬に向かったときには、俊はようやく人心地を得たような風情だった。

 また滋賀県の美帆美術館には、早朝から赴いた。

 著名な美術史家が館長である美術館には、日本美術のさまざまな伝承品の数々が展示されている。

 出展の目玉は世界に三点しかなく、しかも全てが日本に所蔵されている曜変天目茶碗である。

 滅多に出展されず、暑いなかでも多くの来館者があった。茶碗の中に煌めく宇宙は、引き込まれてしまう印象だった。


 俊は、時折雅の処を訪なった。

 それは予め約している訳ではなく、あるタイミングでメールから都合を聴いてくる。多くは平日の夕刻、少し早めに俊は訪ねてくる。

 そういうときには、俊には何かの鬱屈があるようだった。

 しかし雅は俊から言い出さない限り、あえて問わない。

 雅からは、新たに始めたプロジェクトの件など、些細なことでも俊の意見を求めたが、俊からは特に吐露してくることはない。

 だがときには、雅の情に甘えることがある。


 その日も、午後三時過ぎにメールが届き、四時にはチャイムが鳴った。

 笑顔で迎え入れて問う。

「お腹、空いたはる。

 それとも汗を流しますか。」

 日によるが、大抵浴室に向かう。そのためにメールが来たら、すぐに入浴の準備を整える。

 想定どおり、俊は入浴を望む。

 もう既に、バスタオルや着替えもあがり場にセットしてあるので、どうぞ、と促すだけだ。

 俊は素直に浴室に向かい、雅も頃合いを見はらかってドアを開ける。

「そしたらお背中を流しまひょ。」

 初めてこの浴室で俊に声を掛けたとおりを繰り返しているが、もう違和感なくお互いの日常になっていた。

 俊は浴槽から出て、雅に背中を向ける。丁寧に力加減も配慮して、雅は丁寧に洗う。

 ぽんと肩を叩き、前を向かせてまた洗う。

 シャワーで泡立ちを流すと、あるタイミングで俊は雅の腕を掴む。力も入れず、さりげなくすっと手を添える。

 それが合図となる。

 雅は俊に向き直り、身体を預ける。

 ここからがはじまりだ。

 預けた身体を俊は自在に操る。

 多くは雅の胸を欲しがる。

 前を向いて身体を反らせて、要請を受け入れる。

 でも今回は違った。

 浴槽に手をついて、あちらを向け、と素振りで命じられた。そのとおりにすると、いきなり際立ちが押し入ってくる。

 さすがに前準備もなくて、思わず

「痛ぉおす・・・」

 と抗った。

 俊は黙って背中越しに胸をしだく。

 そうされても、にわかには反応しない。

「痛ぉおす」

 再度、雅は訴える。

 俊は少し控えた。

「何どす、いったい!

 うちはダッチワイフやおへんぇ。」

 強く抗議する。

「こんなことするんやったら、きっちり訳を聞かしてもらいまひょ。」

 途端に俊は萎縮して、風呂の椅子に座り込んだ。雅は浴槽の淵に腰掛る。

 雅が俊を見下ろしている。

「曽根のヤツが、毎回若手のエスイーとトラブってね。

 自分の主張を言い募って、最近揉めごとが多いんだよ。」

「それで俊さんは、どないしはったん?」

「取り付く島がないと言うか、あまりに意固地でさ、話しが進まない。」

 俊はため息交じりにつぶやく。

「せやから、うちに当たりに来はったん?」

 俊は黙りこくっている。

「俊さん、それって、曽根さんと同じことをうちにしてはるだけどす。

 それで何か解決しますか?

 何か良ぉなりましたん?」

「・・・」

 俊は一言もない。

「あなたらしくもない。

 なぜもっと高い処から、物事を見はらへんのどす。

 同じ土俵で押し合いしても、何も解決しまへんぇ。」

 俊は不服そうだ。

 雅のことばを理解してはいるであろうが、なかなか肯じない。

「曽根さん、どうしたいんどす。

 何がご不満どすか?

 エスイーさんよりも、曽根さんの不満を解消せんなあかんのとちゃいますか?

 曽根さんに、そういうこと聞かはりましたか?」

 俊は無言だが、今までの不満顔はほぐれている。

「お三人で始めた会社どっしゃろ。

 曽根さんの話を聴いて、どうしたら良ぇのか全部話してもらえば、えらい変わると思うんどすけどなぁ。」

 しばらく間があって、やがて俊は雅に頭を下げた。

「そのとおりだ。

 ありがとう。」

 雅も笑顔になる。

「さすが俊さんや。

 ほんなら、ご褒美どす。」

 雅は自らの胸を、手で下から掬い上げる。

 俊は、唇を寄せた。

 そして俊は会社に戻って行った。

 雅は温かく送り出した。

 夜半に、俊は空腹で戻ってくる。そのための下拵えに取り掛かった。


 テラスに出た。

 大きな月が東の空にある。

 少し赤いようだ。

 今夜は満月でスーパームーン。

 天気予報のときに、気象予報士が告げていた。

 それにしても、大きな月だ。

 月の満ち欠けは、人々の行く先に作用すると言う。

 ならば、良い方向に導いてほしい。

 何も心悩ませるようなことが起こりませんように・・・

 雅は月に手を合わせて、深く願った。


 文乃や岩井節子達と始めた新しい企画は、さまざまなアイテムに取組んで少しずつ実績も重なってきている。

 以前、俊から提案されたような「裏彩色」とも言える表裏への染付けは、当初布への定着などで苦労したが、最近ようやく見栄えの良い作品を仕上げられるようになったた。

 作品はあるアイテム、例えばカーディガンやストール等、をターゲットアイテムとして想定し、その絵コンテ作りから始まる。

 紋様を入れる位置や大きさ、そして一番肝心なコンセプトを討議する。やはり季節を先取りして、ほぼ四、五か月先の意匠を選ぶ。また抽象的な柄や吉祥の文様などは、オールシーズンであるので、施すアイテムも様々なものに適用出来る。

 アンサンブルとして、衣装と小物の組み合わせにも工夫を凝らす。

 例えば、カットソーとカーディガンや、更にスカーフ、バンダナを組み合わせて、呼応する柄を入れる。

 桜なら柳とか、紅葉ならば鹿の角の一部分、等と言う遊び心を込めて制作する。

 製品に染めを入れることもあるが、ややもすると縮むおそれもあるため、素材生地を染めてから取引先の縫製所で仕立ててもらう。

 洋品は仕立ても安価で、コストへの負担はさほどでもない。

 スカーフやバンダナは、生地を仕入れて染付けてから裁断して淵かがりし、更に節子が刺繍を施す。

 このように徐々にプロジェクトは、形を整えつつある。

 縫製は当初は文乃の発案で、クリエイターとのマッチングサイトからオーダーしていた。しかし毎回異なる業者と支払い方法や納期、受け渡しなどから折衝せねばならず、手間だった。

 そこで節子の紹介で、五条堀川通りの縫製所に専ら頼ることになった。

 やはり老舗であるので仕上がりの品質は高く、また様々な素材を依頼してもそれぞれの繊維の特徴を活かして仕上げてくれた。

 場合によっては、素材やボタンなどまで提案してもらえて、とても重宝した。しかも継続しての発注なので、マッチングサイトのクリエイターより廉価に対応してもらえる。

 こうして制作した製品はネットのECサイトから販売するか、雅の実家の店先で、ワゴンセールとして販売した。

 ネット販売よりも、ワゴンセールの方が売れ行きは良かった。

 通りがかりの人目を引くように、ポップなども工夫して展示しておくと、順調に売れた。中には同業者も熱心に見ていき、後で引き合いもあった。

 三人は特に選り好みせず、売れるに任せた。

 製品の企画は、姉小路通り沿いの節子のアトリエで毎月行う。

 季節を半年先取りして、あれこれアイデアを出し合った。

 そんな時間は楽しいものだった。

 季節を意識するとモティーフは、数限りなくあるように思えた。しかし節子は、コンセプトや製品のデザインベースをしっかりと定めておかねば、と言う。

 染めと刺繍のコラボでもあり、ミドルレンジからハイクラスの客層をターゲットにすることを目指した。

 上質ながら気軽に選べるアイテム、飽きの来ないデザイン、優美なシルエット。

 それでいながら、身につけている人の個性を際立たせるアイテム。そのイメージを定着させるために、ミーティングは熱を帯びた。

 文乃も顧客層が定着した後には、いずれ近いうちにブランドを確定していこうと言っている。


 八月下旬、節子のアトリエでミーティングが開催された。アトリエは柳馬場通りと堺町通りとの間にあって、最近ではブティックや飲食店なども増えてきた。

 そこで節子から提案があった。

 節子の所属する伝承工芸協会では毎年十月に展示会を開催しているが、そこに出展しないか、とのオファーだった。

 伝承工芸の世界では、毎年九月に開催される日本伝承工芸展に向けて、どの作家もしのぎを削る。

 しかしこの工芸展は五月に締切があり、各地域での予選を経て全国展で再度審査される。

 そのため十月の京都地区協会の展示会は、伝承工芸展とは別に新たにチャレンジしているテーマやモティーフの発表の場となる。

 伝承工芸展出品後、採否に問わず次のトライを促すことで次年度への試金石となる場を提供している。

 節子も何度か出品してきたが、今回はこのプロジェクトもあり出品を見合わせていた。

 しかし幹部とも言える作家が急病を発して出品を辞退したため、節子にオファーがあった。やはり幹部級に見合う出展者であり、今からでも作品制作できる技量のある節子へのオファーであった。

 節子は周到に、グループ出展の旨を告げ、了承も得ている。

 好条件を踏まえて、文乃も雅も願ってもないチャンスだと喜んだ。

 問題は、どういうものを出展するか、である。

 日数も少なく思い切って仕立ては簡略化するが、その他は適当に処する訳にはいかない。

 いつも以上に討議は熱を帯びた。

 作品出展には、このグループの当初からの手法である染めと刺繍の融合を全面に打ち出すことには誰も異論はなかった。

 問題は主題である。

 秋という季節に相応しいテーマ。色々と意見があって決めかねた。

 ふと雅は、俊と共に見上げた満月を思った。

 その途端に口をついて呟く。

「スーパームーン」。

 文乃と節子が、雅に注目する

「満月を更に大きく、スーパームーン、って、どう・・・」

 二人は、大きく頷く。

「それやわ。」

 ふたり同時に叫んだ。

 ではスーパームーンの大きさを、染めと刺繍で如何に表現するデザインにするか、議論は熱をおびて続いた。

 月の光の表現も難しい。

 予定時間を超えて、三人は知恵をめぐらせる。

 雅は、大きなものを表現した絵画を思い起こしてみた。

 確か三年前に、俊と観た作品。

 桜の大木ではあるが、画家は幹を強調し、桜の全体像は描いていない画風だった。

 スマートフォンで検索すると、山龍美術館の奥山大牛の作品が画面に現れた。

「これや」

 また口に出た。

 二人は雅に注目する。

 雅は、スマートフォンを二人に向けた。

「醍醐の春櫻、やね。

 奥山大牛作やわ。」

 節子が画像だけで言い当てる。

「雅さん、ナイスやわ。」

 文乃が讃える。

「いいえ、思いつきどす。

 それにしても節子さんは画像だけ見て、作品と作家が分かるなんて凄いどすなぁ。」

「いえいえ、たまたまよ。

 雅さんの発想は、正解やね。

 こっちも見てちょうだい。」

 と、節子はタブレットの画風を二人に見せる。

「あ、

 建仁寺さんにある、俵屋宗達の風神雷神図屏風やわ。」

 文乃が言い当てる。

「さすが、文乃さんやね。

 でもなぜ宗達の風神雷神図屏風やとわかったの。」

 節子が問う。

「風神も雷神も、屏風からはみ出してるからよ。」

 文乃の答えに、雅は驚いた。

 知識として、宗達のほかに尾形光琳、酒井抱一と風神雷神図屏風があることは承知していたが、それぞれの違いまでは分かっていなかった。

「その通り。

 宗達の風神雷神は、屏風からはみ出してる。

 そやから、『動き』が表現されてるんやね。」

 節子が補足した。

 雅は二人の鑑賞眼、感性の鋭さに改めて敬服する。でもすぐに思い直した。

 そういう二人の長所から学ぼう。

「だいたいイメージの枠組みが出てきた感じ。

 何か、素敵なデザインに仕上がりそうね。」

 節子は満足そうだ。

「ほんまにこのチームに入れてもろて、正解やったわ。

 お二人とも、素晴らしい。」

 雅は、節子が喜ぶ様子が嬉しかった。

「雅さんは、いい感性したはる。

 今回の主題を『スーパームーン』に決められたのも、その大きさの表現の工夫も、雅さんあってこそよ。」

「いいえ、私なんか。

 思いつきどす。」

 雅の言葉に節子は意外そうだ。

「もうチームやから、変に謙遜とかは、“なし”にしましょ。

 それに思いつき、って言わはるけど、それは『発想』って言うことよ。

 今ある課題に、最適な答えを発想出来る能力は大したものよ。

 私はね、このチームは、はっきり言って技量は最高と思ってます。

 でもそれ以上に、それぞれの長所を発揮し合うことが素晴らしいと思うの。

 雅さんの発想力、文乃さんのマーケティングスキル、それに私の人脈。

 こうしてお互いの力を結集したら、うまくいかないはずはない、と確信してる。」

 雅は節子の大きな気持ちと、情熱にとても強いものを得た。

「ついでに言わせてもらうと、私は雅さんが四年前かな・・・発表会でアザミの柄を出展された時に、ユニークやな、って思ったのよ。

 あのときも、発想は素晴らしいと思ったわ。

 ただ雅さんの、古いものを尊ぶ風潮とか昔からの因習とかに対する反撥心が透けて見えるプレゼンやったから、皆さんも冷めた気持ちにならはった。

 でもあのプレゼンは、自らの反撥心をある意味、皆さんに伝えていたのよ。

 そやから、逆に皆さんの好意を得られるプレゼンもこの人は出来るんやわ、って感じた。

 そのことを三好さんに言うたら、ほんまにその通りです、って同意を頂いたのよ。」

 雅は、節子の言葉に大きな衝撃を受けた。

 今は亡き、敬愛してやまなかった先達である三好佐代子の名が出てくるとは思いもしなかった。

 多くを学び、授かった三好佐代子がパリで客死して、四年になる。

 死の直後は衝撃に打ちのめされ、自分でも苦節の日々だった。

 その頃に、俊と出会った。

 雅に多くを伝え、何とか雅を染めの世界で成り立たせようと心を砕いてくれた三好佐代子。

 その厚意に応えもせず、尚も甘えていた愚かな自分。

 あの頃を思うだけで、取り返しのつかない様々な悔悛に捉われる。

 だからこそ今現在を愛おしみ、懸命に処するように気持ちを向けている。

「雅さんも文乃さんも、自分の長所は生かして、足りないところはお互いに埋めていきましょう。」

 節子の言葉に、二人は大きく頷いた。


 伝承工芸品の展示会は、十月中旬に産業会館で行われた。

 ちょうど今年の春に選定された日本伝承工芸展全国大会と合わせての開催で、会場も同じ区画を利用していた。

 伝承工芸展の最高峰と肩をならべて、新進作家を中心とした意欲作も展示されることになる。

 全国大会の東京会場では作品解説を重鎮作家が行なうが、京都では代わりに新進作家のプレゼンテーションが行われた。

 作品の傍で、自らの創意を訴える。素材や材質、特徴に加えて、工夫の極みを説明する。

 それも事務局が選んだ意欲作に限られた。

 雅たち三人は、自分たちのチームを「繍友禅_Syuzen」(しゅうぜん)と名づけた。

 刺繍と友禅染めの一体造形、という意味を籠めた。単なるコラボではなく、有機的な一体感を目指した。刺繍と染めの足し算ではなく、引き算の美学である。

 あえて染めも刺し針もない生地も多く残して、最低限の意匠でマックスを画した。生地本来の風合いを生かし、僅かに染めを加え更に刺繍を施す。

 その意匠で素材の質感を更に惹きだし、全体の印象を高める。

 このコンセプトは三人ともに同意しており、当初からのブランドイメージだ。

 主張し合わないデザイン。

 引き算の美学。

 このスタンスが繍友禅のスタイルとなっていた。


 会場では、どうしても本展の日本伝承工芸展全国展に人が集まるが、新進作家展もそこそこ集客があった。

 特にプレゼン当日は、多くの人で賑わっていた。

 雅は自分たちの順番を待ちながら、必ず俊も来てくれるものと確信していた。仮設の舞台はさほど大きくもなく、プレゼン会場も二百席ほどである。来場の人は、舞台からも特定出来る。

 プレゼンテーションがはじまって、ようやく後方席に遅れて俊が着席するのが見えた。

 仕事の合間に来てくれたようだ。

「では次に、繍友禅さんの登壇です。」

 司会が三人を紹介する。

 いよいよプレゼンが始まった。

 プレゼンテーションは文乃が担当した。

 パソコンのパワーポイントを駆使して次々と画面が展開し、自分たちのコンセプトを示す。ここ数ヶ月に制作したアイテムをまず紹介し、その後今回の作品に移る。

 画面いっぱいに大きな月を示して、スーパームーンから解説していく。

 工芸品のプレゼンではなく、プラネタリウムの説明のようだ。

 だが、次の画面ではスーパームーンの大きさをアイテムに如何に表現したか、を説く。

 アイテムの風合い、素材感の良質さを活かすべく、最小限の染めで月を表現し、月光の慈しみのような光の拡がりは刺繍がかたる。

 更に裏地にも型染めを施して、あたかも若冲のような表現を工夫したことも付け加え、技量の良質さを訴求した。

 たった五分のプレゼンだったが、万雷の拍手を得た。

 質問時間にも多くの手が上がり、プレスからの質問も交じっていた。

「お題の『秋』に、スーパームーンをモティーフにしたのはなぜですか。

 チームの誰の発案ですか。」

 文乃が答え、雅を紹介した。

 更に雅に質問があり、秋の実りとハーベストムーンの発想にヒントがあったか、と聞かれた。

 雅は正直に、秋の実りを見守る夜の月の慈愛をイメージできたことを答えた。


 やがて予定されていた全てのプレゼンが終了し、壇上では改めて各作家が紹介される。チームであるのは雅たちだけで、あとは個人作家だ。特にプレゼンテーションには順位も付されないし、褒賞などもない。

 プレゼンテーションよりも、出展作品そのものに重きがあった。

 壇から降りると、それぞれの作家に名刺交換を求める列が出来た。特に雅たちのチームには、長い列が連なった。

 ようやく解放されて、チームは散開した。

 あちらでは、俊が待っていてくれた。

 そのとき、隅の方で諍うような様子があった。

 目をやると、文乃と勝代が向き合っている。

 険悪な雰囲気だった。

 対峙する二人に、数人が遠巻きに様子を見ていた。



 山茶花 


 勝代は、プレゼンを聴いていたのか。

 雅は訝しく思う

 いや、展示してある作品を見て、そこに文乃と雅の名があるから不審に思ったのだろう。

 そういう気持ちでいたところに、たまたま会場内で文乃に出くわした、のではないか。

 それにしても神さまもいたずらが過ぎる。わざわざプレゼン当日に、勝代が会場を訪れるとは。

「えらいご成功されてやそうで、よろしおますなぁ。」

 勝代の皮肉が響く。

 文乃は頭を下げて、行き過ぎようとした。

 その後ろ姿に追い討ちする。

「あのままうちに居はったら、もっと早ぅにご成功されたやろうになぁ。」

 この言葉に、文乃は振り向きざま、きっと勝代を見返した。

「お宅にいたら、ええことひとつも生まれまへんかったどす。」

 二人は険悪にお互いを見返し合っている。

「こりゃまた、勝代さんやないか。」

 二人の対峙に、内村が割って入った。伝承工芸会の京都理事長だ。伝承工芸会本部の理事も兼務する重鎮である。

「お宅のご実家からは、今回も出展があらしまへんなぁ。

 かれこれ五年や。

 勝代さんに言うてもしゃぁないけど、もうご実家は脱会されるおつもりどすか?」

 勝代は絶句する。

「組紐の分野でも、最近では若手の台頭も著しく、独創的な創意に溢れた作品も多い。

 うかうかしたはったら、家業の行く末にも係ります。

 弟さんにも、そのようにお伝えください。」

 それとなく周囲に取り巻いていた人たちも、文乃と勝代の対峙が思わぬ形勢に陥ったことに成り行きを窺っている。

「祇園会のお役からも抜けはって、お立場をわきまえな、なぁ。」

 一番痛い処を点かれる。

 勝代は黙したままだ。

 文乃は今度こそ、その場を離れた。

 雅は、ともかくもその場が収まったことに安堵した。

 しかし多くの人の前で、あらためて実家の恥を晒したことには、勝代の気持ちは収まるまい。今後の対処に鬱屈となった。

 文乃が雅の方に近づいてきた。

 節子も来る。三人ともに、ため息をつく。

「何や、せっかくの晴れ舞台にとんだ水入りやね。」

 節子がこぼす。

「えらいすんませんどした。」

 文乃が詫びる。

「いや、文乃さんのせいやあらしません。

 それにして難儀なお人やね。」

 節子が取りなす。

「お二人とも、あんなお義姉さんの処にいやはったんやったら、えらい大変どしたな。」

 節子が同情してくれる。

「悪い人やおへんのやけどね。」

 雅がつぶやく。

「悪い人どす。」

 毅然と文乃が切り捨てた。

 あまりの気迫に雅も節子も、二の句をつげない。

「節子さんはご存知かどうかわかりませんけど、実はうち、あの家に息子を取られたんどす。」

 節子は怪訝な顔をした。

「子供が生まれて、その後で離婚になって、うちの主張は無視されてあちらに息子を取られた。

 その後、雅さんが結婚しやはって、息子を可愛がってくれはった。

 そやけど不幸なことに、あの子は亡くなったんどす。」

 節子は驚いて言葉も出ない。

「最期は雅さんが病院で看取ってくれはった。

 あの子にとっても幸せなことどした。

 せやけど、お葬式には私は呼ばれへんかった・・・」

「何ということでしょう・・・」

 節子はやっと言葉を発した。

「雅さんは、一生懸命に元の旦那さんやお義父さん、更にはお義姉さんにも私を葬儀にって言うてくれはった。

 そやけど誰も同意してもらえず、私は除け者扱いやったんどす。」

「なんで雅さんが直接文乃さんに連絡出来へんかったの。」

 節子が問う。

「その頃、うちは文乃さんのことを知りまへんどした。」

「ああ、そら無理やね。

 つい責めるようなことを言うてしもて、ごめんね。」

 節子は詫びる。

「そんなんで私は実の息子の葬儀にも出してもらえず、かなりしてから人伝てに聞きました。

 あんまりなんで、元の旦那に電話して問いただしたけど、木で鼻を括ったような受け応えで、まるで役所の窓口のようやった。

 いや、役所の窓口の方が数段マシどす。」

 文乃は悔しい思いを滲ませた。

「あの勝代さんは、人の情とか、気持ちとかが分からん人どす。

 私を排斥することばかりで、悪い人どす。」

 そのとき、雅のスマートフォンがバイブした。

 チェックすると俊からメールだった。

「今日は素晴らしいプレゼンでしたね。

 お取込み中のようなので、お先に失礼します。

 また今度、必ず。」

 俊は、状況を察してくれたようだ。

「さぁ。立ち話ししてないで、行きましょうか。」

 節子が促す。

 プレゼンテーションの日は会期の中日で、セットダウンなどもない。

 せっかく三人が集まったから、と節子が馴染みの和食店を予約してくれている。俊もそのことは心得ていて、だからこそ気を利かせた。

 三人は会場を後にして、高倉通り三条下がるにあるお店に向かう。

 天麩羅の、カウンターだけの店だと言う。

 その店は、雅が俊と馴染みになった御幸通の店のように、やはり町屋を活かした処だった。

 御幸通の店が以前には薬種卸の店舗であったのとは異なり、住戸だった家をそのまま使っている。

 居抜きではあるが、やはり何か小商をしていたようで、入り口を入ると少し広めの土間があり、そこにカウンターを設えて接客している。カウンター越しに、揚げたての天麩羅を供するスタイルである。

 三人はカウンターに並ぶと早速生ビールで乾杯する。

 あらかじめコースの予約でネタはお任せである。


「そやけど勝代さんは、あれで収まってくれはるやろか。

 しかもそもそも、何で京都に居はんの・・・」

 身近な話題などがひと通り尽きた頃、節子が問う。

 雅も文乃も、怪訝な表情で節子の言葉を待つ。

「あ、知らはらへんか。

 例の鉾町のお役を解かれたあと、お父さんが怒ってしもて、弟さんを名古屋の支店にやり、勝代さんご夫妻も福岡赴任にされたそうどす。

 勝代さんだけ京都に残る、って言わはるのを許さず、福岡へやらはったそうどす。」

 二人は絶句した。

 しかし雅は思い当たった。

「お義父さん、この夏にお亡くなりにならはったそうどす。

 しかも山鉾巡行の後祭りの日に・・・」

 この言葉に今度は節子が驚く。

「そらまた・・・」

「なるほど・・・」

 文乃が納得したように続ける。

「せやから、お義姉さんは福岡から戻ってきて、多分弟さんはお義父さんの後を継いだんどすやろ。」

 雅は勝代の気性から推察して、葬儀のあとの慌ただしいなか京都に戻れて喜んでいる様を想像できた。

 文乃が続ける。

「それでも今日の状況では、却って勝代さんの自尊心が傷ついたままどす。

 何かで意趣返ししはりますやろ。」

「でも内村理事長の言わはったとおりどす。

 今のあのお店では、先細りや。

 やはり時代に合うもんを次々と商わんと、ねぇ。」

 節子は勝代の今後の動きを心配している。

「勝代さんは、実はお店のこと、商売の先行き、もっと言うとビジネスでのマーケティングなんか、わかってないんどす。

 ただ店を開けていたら、勝手に商品は売れて、昨日と同じ今日、今日と同じ明日が続くと思ぅたはる。

 単に昔からの大店やったて言うプライドだけどす」

 この文乃の言葉には、皆が納得する。

 プライドだけでは、商売は成り立たない。

 だが、勝代は店の運営には関わっておらず、せいぜい役員に名を連ねているだけであろう。

 持株を有して、配当も得ているだろうが、役員会、株主総会で影響を与えるほどではあるまい。

 ただ勝手な言動や振舞いで、迷惑をかけているかもしれないことは否めない。

 三人は一様にため息をついて、どうか勝代の意趣返しが大きな影響を与えないことを祈るばかりだった。


 勝代は憤然と実家に駆け込んだ。

 内村理事長の言葉は、的を射ている。それだけに実家の、弟の所業が歯痒い。

 平日の夕刻、就業時間も過ぎて店に残っている者もまばらだった。

 まだ執務机にいた弟を、応接ブースに誘う。何事か、と訝る弟に先ほどの顛末を告げる。

「姉さん

 話しはわかったけど、姉さんは文乃に余計なこと言うたんやろ。」

 弟から図星を刺されて、一瞬たじろぐ。

「いや、うちはただ・・・」

「姉さん。

 前から言うてるとおり、店のことで波風立てんといて欲しいなぁ。

 この忙しいのに、火消しはごめんや。」

 そう言うと、弟は席を立ってしまった。

 ひとり応接室に残された勝代は、八方塞がりな思いになった。

 あの場面を振り返ってみると、文乃や雅、そして業界では名の通った節子がチームを組んで、新たな企画を発表していた。

 末席に座って聞いていると、低迷する業界の中でも従来の技法を活かしながら、斬新な展開を図ろうとしている。

 あの三人の誰が発想したのか、的を射た構想だった。

 実家に関わる文乃も雅も、実家を離れた途端に次のステージを確保しつつある。

 古臭く埃臭い実家の相変わらずの商売に比べて、勢いがある。

 その点に、無性に嫉妬心が湧き起こった。

「何や。去なされた嫁が結託してからに。」

 理不尽な気持ちが、むくむくと湧き上がった。

 理屈や道理ではなく、先を越されて取り残されたような気持ちと、実家の不甲斐なさに憤りが湧いた。

 理不尽な感情は更に理不尽な行動を招く。プレゼン後、談笑する文乃に言い掛かりをつけた。

 そんな卑しいことをしている自らに嫌悪して、その嫌悪感が更に理不尽な言葉を増幅していった。

 あの場面で内村理事長が聞き咎めて、割って入ってこなかったらますます自らの理不尽の連鎖は増幅していったことだろう。

 それにしても、内村理事長の言葉は痛かった。

 正に、ごもっとも、の指摘である。

 勝代が文乃に言い掛かりをつけている愚かしさをも、厳しく非難された。

 冷静に考えれば、あの指摘は今日明日に解決出来るものではない。

 積年の伝統に依って立つ老舗ならではの、時代に即した対応が必要だ。今まで、看過していたツケが重くのしかかっている。糸埃にまみれた実家を、清新な企業に蘇生したかった。

 そういう道程を、早々に確立してビジネスに反映している文乃や雅が妬ましかった。

 ずっと同じく、昨日と同じ今日、今日と同じ明日を歩みたかった。

 変わり行く環境にも動じない基礎を、確立しておきたかったが、老舗は長年の積み重ねに支えられていた筈が、大きく揺らいでいる。

 自分以上に弟は焦燥感を持ってはいるだろうが、それでも歯痒かった。

 今の段階では、文乃や雅、ましてや内村にも敵わないとつくづく実感した。

 宣告状を突きつけられているような状態が、耐えられなかった。


 俊はプレゼンの後、まだ時間があったので、神宮道から一本西にある画廊に寄った。

 神宮道沿いは大店が店を構えているが、やはり地域柄、観光客向けの取り揃えだった。通い慣れた店は企画提示も請負うが、平常は店が推奨する逸品を展示している。

 さすがに見応えがある。

 美術館ではないので品数は少ないが秀逸な美術品が、さりげなく展示されている。

 一、二か月ごとに展示もかわるし、時にはとんでもない優品が飾られている。前触れもなく、ホームページにも片隅に一行述べているだけだ。

 今回も池大雅の軸があった。キャプションも控えめで「池大雅 女郎花」とあるだけで他には説明もない。

 だが墨に僅かに彩色を施したこの軸は、出色の逸品と感じた。

「いい軸ですね。」

 俊の来訪に、奥から出てきた店主に言った。

「さすが榊原さんどすなぁ」

 俊が苦笑していると店主が続けた。

「三時知恩寺さんから、お預かりしてます。」

「え。

 あの今井御所の・・・」

「はい。何も仰いまへんけど、売り立てたいんでっしゃろ。」

「でも、相当な逸品ですよね。」

 俊が驚く。

「そうどすけど、あそこはいつもぼやいたはる。

 京都府に言おうが、文化庁に言うおうが、箸にも棒にもかからないって」

「そうなんですか。」

 俊がまた驚く。

「へぇ。

 こないだなんか、文化庁の若いのんが出てきて、『うちは門跡寺院でっせ』って言わはったら、東大卒の職員に通じへんで、憤慨してはった。」

「文化庁の職員が、門跡寺院を知らないのですか」

「どうやらそうらしい。

 職員は、専門の担当を呼びに行って助けてもろたらしいんどす。」

「その職員の専門は。」

「インカ文明らしいんですけど、それにしても基礎知識を教育してへん。」

「それはひどいですね。で、肝心の補助とかはどうだったのですか。」

 店主は続ける。

「基準に合わんから、対象外やそうです。」

 俊は二の句を告げなかった。

 型どおり規程に当てはめて「ノー」なら、東大卒でなくともAIで十分だ。

 そんなことのために、税金を無駄に使っている公けに腹が立つ。貧困な文化行政だ。

 それしても、秀逸な作品だった。

「それで、この作品はいくらで商うのですか?」

 俊は卒直に聞いてみる。

 数百万円か。

 腹の中で値踏みしている間もなく、店主が驚くような売値を告げた。

「一応、二十万円です。税込みで。」

 俊はまたも驚いた。

 ややあって訊ねる。

「『一応』ってことは更に折衝できる、ということですね。」

 店主はうなづく

「いつまでも売れへんよりマシですから」

 俊は、今この場でこの作品に出会えた幸運を活かさない手はないと考えた。

「あとどれくらい引けますか。」

 店主は

「もう一割どすな。」

 と答える。

「突っ込んだことを伺いますが、今井御所さんの方には、どれくらい還元されますんでしょうね。」

 俊の質問は、売り手の原価を問う掟破りだ。

 でも今井御所への還元率は、気になるところだ。

「率やのうて、定額どす。

 十六万五千円です。」

「え、じゃあほとんどお店の利益はないじゃないですか。」

「利益やおません。互助ですなぁ。」

 店主は更に続ける。

「この軸が売れても、うちは売りを立てへんのです。

 十六万五千円というのも、今井御所さんへの販促原価ですなぁ。

 こういう優品をお預かりして、いわばうちの店は素晴らしい逸品を扱こうてる、という販促に利用してます。

 これだけの良い品が店晒しやったら、店の奥にはまだまだ凄い美術品がある、とお客さんに思うてもらえたら、効果大どす。」

 なるほど、と俊は納得した。

「常時うちは二品預かってまして、もう一品もお見せしましょう。」

 こう言うと店主は、少し奥に設えてある風呂先屏風を俊に見せた。

 その品は、明らかに琳派の逸品だった。

「箱書きも何もありませんが、どうやら抱一のようですね。」

 またまた俊は絶句した。

 抱一の屏風を平然と店に出す画商ならば、訪れた者は目利きの店主がまだまだ逸品を蓄えていると思うだろう。

 それにしても、大雅といい、抱一といい、いずれも値付けなどを超えて文化財としての価値の評価となる。

 売値や利益を考える以前の、真価のレベルの話である。

 また俊は考える。

 この美術品を自らのものにして、保管保存が行き届くだろうか、と。

「これらの品を頂いたとして、どのように扱えばいいのでしょうか。」

 俊の問いに店主は

「何も特別なことは不要です。

 黴や鼠からの防御と、温度湿度管理ですね。」

「そんな程度ですか。」

 俊は半ば呆れる。

「そやかて、せいぜい樟脳入れた桐の箱で、約三百年も受け継いできたんどすさかいになぁ。

 下手に最新技術たらやったら、それこそ飛鳥美人みたいになりますがな。」

 俊は納得する。

 飛鳥古墳は二千年以上も保たれていたのに、今回の発掘で僅か二、三十年もせずして大変な損傷を与えてしまった。

「お陽さんの陽射しさえ遮れば、褪色もしません」

 店主はうけあう

「風呂先屏風は、おいくらでしょうか。」

「二十万円です。」

 店主は同じ事を言う。

 俊は心を決めた。

「じゃ両方で四十万円ですね。」

 店主は首を振る

「大雅は十八万円にお引きしましたさかいに、三十八万円です。」

「いや、あれはただ質問しただけで。」

「いいえ。商人が値を一旦口にした以上、更に変えるわけには参りまへん。」

 店主はきっぱりと言った。

「じゃ、今クレジットカードで払います。送ってもらえますか。」

「送料が掛かりますよ。」

 俊はしばらく考えて

「今、持ち帰りできますか。それにタクシーを呼んでいただけたら助かります。」

 店主はうなづくと、早速梱包にかかった。

 こうして、池大雅の掛け軸と抱一の風呂先屏風は俊の所蔵となった。


 タクシーで帰宅すると、雅に今日のいきさつをメールした。

 雅も驚いているようだった。

 俊は入浴を済ませ、いつもの自炊用に下拵えしておいた夕食を済ませた。洗いものが終わるとチャイムがなった。

 応じると、オートロック画面に雅の姿が見えた。

 解錠して招じ入れる。

「急にごめんなさいね。」

 玄関を入ると雅が詫びる。

「いや、構わないよ。」

「私、どうしても俊さんが今日買わはった美術品を見たくて。

 節子さんたちとの会食がちょうど終わったから見に来ました。」

 言いながら、笑顔でいる。

 俊は、まだ梱包されたままの美術品の荷解きを始める。

 やがて現れた美術品に、雅は息を呑んだ。

「まぁ・・・

 これは何と・・・」

 俊は続きを待つ。

「思ってたより・・・」

 根気よく待つ。

「メールを貰って、思ってたより・・・」

「思っていたより・・・」

 俊が促す。

「思ってたより、新しい。

 古びてませんね。」

 俊は苦笑いする。

「もっと古風で、時代がって。」

「古色蒼然としている、って思ったのかな。」

「へぇ。

 でもこれやったら、昭和の作、って言われても納得出来ますなぁ。」

 言いながらも、雅は見入っている。

「それで、作品としてはどうだい。」

「大雅の軸は、飄逸と言うか、気負いなく伸びやかに描いてます。

 月に秋草なんて、どこにもある主題どすけど、飽きさせない奥深さがあります。

 花だけ彩色されていて、女郎花どすか。」

 俊は笑顔で頷く。

「ささっと描いてあるようで、全体の構成とかもしっかり考え尽くしてますなぁ」

 俊は、最近の雅の審美眼を信じきっている。

 三年前に美術館廻りを始めたばかりの頃とは、長足の進歩だ。

「屏風は。」

「俊さん

 こっちは俊さんの十八番でっしゃろ。」

 雅は笑いながら言う。

「まあそうだけど、」

「『これぞ琳派』どすな。

 俊さんもそう思わはったから、買ぉたんでっしゃろ。」

 図星である。

 月に秋草の意匠で、金銀箔が散らしてある。

 装丁も凝っていて、縁は竹細工である。

 秋草は裾地に墨と僅かな彩色で、女郎花や桔梗が描かれている。

 一方月は、おそらく鉛を型押ししたものを屏風の中程に貼り付けてある。

 これが抱一と言われれば、誰もが肯じざるを得ない。

「そのとおりだけど、やはり今井御所さんへの支援の気持ちもあってね。」

 俊は店主の心意気に感銘を受けた、と答えたつもりだった。

「ええ、それはメールにも書いてあったから、よぉ分かりましたけど・・・」

 俊は、また雅の言葉を待った。

「そやけど、そんなんキリがおへん。

 言葉を選ばず言わしてもろたら、一回二回買ぉたって、今井御所さんの苦境は解消されまへん。」

 俊は言葉を返そうか、とも思ったが、しかし雅の言う通りだと思い直した。

 だが不満顔は消せない。

「役所も当てにならんし、困ったことどすな。」

 雅は続ける。

「ねぇ、俊さん

 非公開文化財特別拝観は、今年もありますけど、ちょうど今井御所さんも対象ですよ。

 またご一緒しまひょ。」

 雅はこう言うと微笑んだ。

「特別拝観も俊さんに教えてもろたんやさかいに、ご一緒出来るんを楽しみにしてますぇ。」

 こう言って雅は帰っていった。


 勝代は分からなくなっていた。

 自分は何をしているのか?

 もう結婚して二十五年を超える。二十五年、半分は実家に滞在してあれこれと支援してきた。

 しかし、その勝代の行ないは意味があったのだろうか?

 特に弟に対して、母代わりのつもりでいたが、実際のところどうだったか。

 嫁いだ嫁は居着かずに、二人とも戻っていった。

 そしてそれぞれが、しっかりやっている。

 老舗としての実家を買いかぶっていたのか。

 その悪い方の推定が、現実のようだ。

 勝代は塩垂れてしまう

 時の移ろい、人々の生活様式の変化、それらに追随出来るかどうか。

 実家は、京都という土地柄で何とか保ってきたが、衰退は免れない。老舗が老舗であるためには、移り変わる社会に即応していくべきだったのだろう。

 内村が言ったように、毎年の催事を怠ってきたことは大きく響いていたかもしれない。

 いや、きっとそうだ。

 戻らない時間を費消してしまった自分たちが情けなかった。

 だが頭では理解できても、感情の昂りは抑えようがない。

 学生時代からずっと、

「勝代さんのお家は、由緒ある老舗で、凄いなぁ・・・」

 と言われ続け、その称賛に心地よいものを感じてきた。

 勝代は、自らが望むタイミングで期待している反応を得て、ドンピシャの賛辞を浴びたい、と願ってきた。

 この欲求には、自らが持て余すほどの傲慢な気持ちであるとは分かっている。しかしあのくすぐったいような、晴れがましいような気分はぞくぞくする昂りをもたらしてくれる。

 阪急電車で茨木へ戻りつつ、夕刻にたまたま座れた座席にもたれて、あれこれ思い巡らす。

 そして、はたと思いあたった。

 組紐の丸台はどうしたのか。

 そもそもの本業の基盤であった組紐を編み上げるあの丸台は・・・

 祖先から受け嗣がれ、大切にされてきた筈だ。

 どうも弟は、店を守るというやり方を誤っているような気がする。内村さんが言っていた業界交流もどうなっているのか。

 父はライオンズクラブだロータリークラブだと、忙しなく出かけていたが、弟にはそのような気配はない。


 茨木市駅に到着してすぐに、弟に電話をかけてみた。

 最初は話中だった。

 駅の手洗いを使ってから、再度掛けてみる。

 三回ほど呼び出し音がして、繋がった。

「まだ何かあるんか。」

 いきなり弟の不機嫌な声を聞いた。

「あのな、うちに組紐の組台がようけあったやろ。

 あれまだあるか。」

 弟はため息と共に答えた。

「そんなん、とっくに捨ててもぉたで。

 今は機械の時代やさかいに」

 勝代は息を呑んだ。

 だが気を取り直して、次の質問をする。

「お父さんがロータリークラブやライオンズクラブに入ってはったけど、あんたは行ってへんの。」

「そんなん、とうに辞めた。」

「そしたら商工会は。」

「あれは、まだ籍がある。同級生が役員やさかい。

 山本に任せてある。」

 山本というのは、父の代からの役員だ。

「もう他になかったら、ええかな」

 返事しないうちに、電話は切れた。

 そう言えば、ホームページもない。

 メールアドレスも、プロバイダーのドメインで、しかも共通アドレス〝info@〟だ。多くの社員が同じアドレスを使っている。

 たまに宛先未記入のメールが来て、チェックしている女子社員が内容をプリントアウトして、庶務の掲示板に貼り出している。内容は丸分かりで、たまに何処かの飲み屋からのお誘いメールまである。

 このような状況では、文乃や雅に水を空けられて当然だ。

 勝代は次に山本に電話してみた。

 時間外だったが、山本は携帯に出てくれた。

 勝代は、店に取っては煙たい存在である。このように電話を入れても、応じない社員すらいる。

 古手の女性社員などは特にそうだ。

 山本は愛想良く応じてくれて、商工会の担当者を教えてくれた。

 明日、商工会に連絡してみよう。

 勝代は、新たな動きを模索し始めた。



 金盞花 


 十月末に、雅は今出川の駅で俊と待合せた。

 たまたまタイミングのあった平日に、出掛けることにした。

 寺の朝は早く、非公開文化財特別拝観も八時半から始まる。

 雅は、朝の通勤ラッシュの地下鉄で今出川に向かう。乗り換えのない路線だが、通勤客よりも学生が多い。ちょうど同志社大学の乗降駅である。多くの学生が、地下鉄直結の入り口から登校していく。

 そんな様を見つつ、地上に出て俊を待つ。

 俊はラッシュに飽き飽きした様子で、地下から上がってきた。

 最近は気候も良く、東山の自宅から河原町の会社まで徒歩通勤しているらしい。出勤は朝も早く、雨の日などは地下鉄を使うようだが、ラッシュとは無縁らしい。

 雅も自宅が職場だから、そもそも通勤がない。

 そんな話を交わしながら、今出川から西に向かう。

 数分で今井御所の門前に到着した。門前には、非公開文化財特別拝観のパネルが設置されている。

 だが今井御所というにはあまり相応しくない門構えで、京都のあちこちにある寺院のような佇まいだった。

 二人は順路に従って、お堂や庫裡(こり)、厨屋(みくりや)などを拝観した。

 中でも大きな竈(へっつい)のある厨屋は、かつて多くの僧侶がいた門跡寺院の面影が見られた。

 建物の規模や造りからも、かつては格式の高い寺院であったことが窺えた。

 拝観を終えて門外に出る。

 まだ朝も早く、学生も更に登校してくる。

「どう思わはったん。」

 雅が訊ねる。

「うーん。あれじゃ文化財指定は厳しいね。」

 俊はあっさりと判ずる。

「なんでですか。」

「だってただの寺院だよ。

 昔は格式が高かったからって、やはり将来に承継していくものをもっとアピールしないと。」

「でも襖絵なんかも、素晴らしいものどしたえ。」

「絵師は誰だっけ。」

 俊が訊ねる。

「ええと・・・」

 雅は言い淀む。

「ほら、印象ないでしょう。

 狩野永徳だよ。一応、重要文化財だね。」

 俊の言葉に雅は驚く。

「予め、調べはったんどすか。」

「いや、書いてあったよ、この冊子に。」

 と、受付で求めた非公開文化財特別拝観の冊子を見せる。

「この冊子にせよ、寺院のキャプションにせよ、来てくれた人に読んでもらおうとして作られていないんだ。

 ただ由来を列記しました、って作り方だね。

 だから拝観した人たちも、『ふぅん』で終わるんだね。」

 雅は言葉が出ない。

「私が言いたいのは、屏風の作家が誰でもいいんだよ。

 それよりも、どういう作品か、注文主は何を描いてもらいたかったか、それに絵師はどう応えたか、だね。」

 俊は続ける。

「屏風にせよ、扇面散し図襖にせよ、お庭にせよ、なぜこういう作品や庭があるか、雅さん、考えて観ていたかな。」

「いいえ、全く・・・」

「そうなんだよ。拝観者はみんなそうだよ。

 だからそれを理解してもらわないとね。」

「でも、なぜですか。」

「それは、尼門跡寺院だからだよ。」

 雅はきょとんとしている。

 俊は続ける。

「尼門跡寺院は天皇などの内親王、つまり皇女を遇するための施設だね。

 天皇の息女と言っても然るべき嫁ぎ先がないと、ずっと朝廷でも面倒は見れない。

 だから尼になって、倹しく暮してもらう。

 でも、そうやって尼門跡寺院に入れられた皇女の気持ちは如何許りのものか。

 一生仏門に帰依して、朝夕勤行する生活が続く。」

「考えたら哀れなもんどすなぁ。」

 雅も、俊の主旨が分かってきたようだ。

「そういうことから、少しでも生き生きとした意匠、心和む紋様、穏やかな自然などと暮して貰いたい、との心配りだね。」

「そういうことを、もっと拝観者に伝えなければ、ということを俊さんは言うたはるんどすな。」

 雅もようやく納得した。

「国も京都府も何もしてくれないよ。

 如何に予算を削り、合理的に行政をおこなうか、しか考えていない。

 百年、二百年先のあるべき姿なんて思ってもいないさ。」

「そんなもんどすか。」

「文化庁の予算はここ十数年、毎年一千億円程度で、うち半分は人件費だね。

 だから残り五百億円で、事業をやらねばならない。

 例えば有名な絵巻物の補修費などは、数千万円から億と言われている。

 文化庁は美術だけでなく、音楽、舞台芸術、宗教法人まで管轄している。

 個々のお寺まで面倒見きれない。」

「じゃ、どないしたら・・・」

 雅が問う。

「自ら収益を確保するしかないね。」

 俊の言いようは冷たいが、現実である。

「元々尼門跡寺院なのだから、女性の問題などに取り組んでみるとか、現代に合った寺院の在り方を模索してみるといいかと思うけどね。」

「檀家もないでしょうね。」

「あのお寺が檀家を持っていたかは分からないけれど、あったとしても減っているだろう。」

 俊は続ける

「そもそも創建時は、荘園を分配されて持っていた筈だが、それも応仁の乱で制度自体が崩壊して戦国時代になり、徳川の世を迎える。

 門跡寺院には紆余曲折だっただろうが、やはり収益源の確保は、何よりも重要だね。」

「京都の老舗とも似てますなぁ。」

 雅がため息混じりに言う。

「だから雅さんは、三人で新たな方向性を見出そう、としているんだね。

 やはり伝統を継承して、社会の変化に即応するには、自ら変わらないといけないね。」

 会話を交わしつつ、目指すバス停留所に到着した。


 勝代は、商工会で担当者から紹介された中小企業診断士と面談に臨んだ。

 バリっとビジネススーツに身を固めた女性で、いかにも聡明そうなタイプだった。

 白髪交りの、中高年男性を予想していたので、ある意味で驚きだった。

 こういう士業にも、女性の進出が顕著なのだろう。

 勝代は記入を求められたシートに、店の概要と相談事項を記入した。

 目の前の診断士は、渡された名刺から司法書士でもあるようだ。渡辺、とあった。

「今日はよろしくお願いします。

 老舗のお店さんで、その筋では有数の企業さんと伺ってます。」

 シートを読み終えた渡辺が口火を切った

「ありがとうございます。

 でも老舗は上辺だけで、衰退は目に見えてます。」

 勝代の言葉に、渡辺は頷きながら

「京都、いいえ、日本中の古くからの企業さんが、同じような状況です。

 大手の上場企業さんでも、そういうところも多いです。」

 と答えた。

 勝代は、うちの店だけやないと少しは安堵したが、だからこそ手を打たねばならない。

「御社はそれでも、和装の小物から転換されて、ロープや業務用の紐類まで扱ってはるから、先見の明がありましたね。」

 渡辺は感心している。

「でもそれらも、中国や東南アジア諸国の安い商材の流入で厳しいです。」

「それも同様に痛手を被ってはる企業さんは多いですね。

 それで老舗の和装部門を充実させたいとありますけど、何か計画はあるのですか。」

 渡辺が話を導いてくれる。

「うちは古くから、和装の紐の技術を伝承してきました。

 ですから組み台で組み上げる、手作りの組み紐を復活させたいんです。」

 勝代は勢い込んで話す。

「そやけど、御社はもうそれを機械化されてますね。」

「機械では数多くは出来ますけど、味気ない工業製品になってしまう。

 もっと手作りの良さ、温かみのようなものを出したいのです。」

 話しながら、こんな意欲を持ち合わせていることに我ながら驚いた。

「あのぉ、販路もあって機械化されて合理化も済ませてはる。

 中国や東南アジアに追い上げれてるのは、和装小物やなくて製紐と呼ばれる商材ですね。

 製紐部門の落込みを、売上比率の低い和装小物で補う、しかも手作り品で、って言うのは相当無理のあるお話やないでしょうか。

 何か成算はお有りですか?」

 渡辺の指摘はもっともだ。元々、店の商売に積極的に関わってこなかっただけに、渡辺の問いには答えようがない。

 勝代が口を閉ざしていると

「和装の紐とかの小物は、和服についてまわるものですね。

 失礼ですけど和装品が落ち込む一方で、小物だけ売るのは厳しいと思いますよ。」

 更に手厳しい指摘を受けた。

 だが勝代は、こういう場面にこそ強い。

「私は一気呵成に落ち込んだ業績を、手作りの組み紐で盛り返すようなことは望んでません。

 こういう相談に伺うと、とにかく売上と利益ばかりの議論になりますけど、それ以前に店のアイデンティティと言うか、ディー・エヌ・エーと言うか、伝承を受け継ぐ素地を忘れてはいけない、って思うんです。

 その具体的な方法を考えたいと思ってます。」

 渡辺は黙している。

「そやから仰ってはるように和装の小物やなくて、組み紐そのものが注目されることを考えたら、って今気付きました。」

 そう言うと勝代は席を立った。

「えっ。

 もう相談はよろしいのですか。」

 渡辺は狼狽している。

「へぇ、おおきに。

 しっかりヒントを頂きましたさかいに。」

 言い捨てると、戸惑う渡辺を尻目に商工会を後にした。

 そのまま店に向かう。

 表から入っていくと、執務室にある種の緊張が走る。

 一番奥にいる筈の弟は、出かけているようだ。

 勝代は目ざとく山本を見つけると、席の側まで行く。

 立ち上がった山本に

「すまんけど、余分な組み紐が欲しいんやけど。

 新品やのうて、キズが出たり端糸が絡んだりした売れへんのでええから。」

 と頼んだ。

 山本は驚いたようだが

「分かりました。

 何本くらいお入り用ですか。」

 と聞く。

「ニ、三十本も有れば十分よ。

 後で奥に持ってきてもらえますか。」

 そう言うと、奥の部屋に向かった。

「そうや。渡辺さんの言う通りや。

 今まで和装の小物、脇役と思ってきたからアカンのや。

 組み紐独自で売れる算段せんと。」

 勝代は独り言ちながら、雑誌入れをゴソゴソ探す。

「あった。これや。」

 表紙に『趣味の手芸』とある。

 以前、見るともなく見ていたテレビで、趣味の手芸を放送していた。

 その番組では、平打ちのコード紐を使って手提げのバッグの作り方を紹介していた。

 ナイロン製の包装用の平打ち紐を、巧みに組み上げて形を整え、二十センチ四方くらいに小物入れや、セカンドバッグを制作していた。

 渡辺の話しを聞きながら和装小物ではなく、組み紐そのものが主役になるという命題から、この番組を思い出したのだったのだった。

 その時、山本が組み紐の束を持ってきた。更に組み台も手に提げている。

「商工会はいかがでしたか。」

 わざわざ聞いてくれる。

「ええ、ありがとう。とても良い助言を頂けたわ。

 やっぱり相談してみることやね。

 山本さんからもお礼言うといてくださいね。」

 山本は頷くと下がっていった。

 組み台は古めかしく、色褪せていた。

 でも使えそうではある。

 また組み紐には、さまざまな種類や材質のものがあった。

「こんなにようけ、作ってのんか。」

 改めて勝代は、店の実力を知った思いだ。そして何も関心を抱いてこなかった自らが不思議に思えた。

「昨日と同じ今日、今日と同じ明日。

 そういう毎日が続かなかったら、そういう状態をこしらえたらええんやわ。」

 勝代は独り言を呟くと、更に組み紐の選別に専念した。



 桐花 


 雅は、新たな意匠に取り組んでいる。

 以前、ほんとうに心から自分を導いてくれた先輩、いや、師と呼ぶべき三好佐代子への敬意を表したい、と願っていた。

 遺作とも言うべき、桐花の友禅染めは忘れられない。

 あの折の佐代子の桐花は、赤をメインにしていたが、調べてみると桐の花の色は多くは紫であるという。

 それならば、以前に受賞した桔梗の色合い、古代紫を使おうと思った。

 また桐花は群れて房のように咲くのだが、その意匠では藤の花を思わせてしまう。

 身に着けて纏う人や和服姿を見てくれる人に意匠を印象付けるためには周知の紋様、つまり桐の紋をある程度意識できるようにもしようと狙っている。

 文乃や節子とのコラボとは別に、自らの仕事として取り組んでいる。

 桐は元々中国から入ってきたもので、その吸湿性から高温多湿の日本では、家具調度として重用された。中国では瑞鳥である鳳凰が羽を休める樹として、朝廷の御印にも使われた。また耐火性も高く、火災から重要物を守ることにも使われていた。

 そのような由来を知って、雅は桐の意匠に新たな息吹という想いを籠めて染めてみよう、と考えた。

 桐の紋は周知の秀吉の太閤桐で、五三の桐である。一方、内閣などが用いている五七の紋は、明治政府以降、官の徴として使われている。

 そのほかにも様々な図案化の例があるので、自らのデザインに合う紋を選ぶことにした。

 問題は花の図柄で、さりげなく、しかも存在感のあるものにしたい。

 引き算の美、を意識してメインテーマにしたかった。

 引き算の美、とは、余分な意匠を削ぎ落とし、最低限の要素だけで表現することを言う。それゆえに目指す意匠の核心を、端的に表現せねばならない。

 典型的な例としては、紋の図案である。

 線描による単純化された表現は、究極の引き算の美である。

 桐の紋もそうだが、人々の共通認識には紋の意匠が刻み込まれていて、一見しただけで誰しもが即座に連想できる。

 雅は俊との美術館廻りを重ねるうちに、日本の底流にあった共通認識の崩壊が今の問題点だと気づいた。

 以前はみんなが同じ認識を有していて、そのことは説明不要だったが、今やそこから説き起こさねばならない。

 例えば源氏物語と言えばかつては誰しもが、そのおおまかなストーリーや帖ごとのあらまし等は常識として熟知していた。だからこそ屏風の意匠や着物の柄、源氏香などに用いられたのだ。

 そういう共通認識を支える文化そのものが変貌してしまっている、と思っている。


 また雅は今回、伝承工芸展に応募してみよう、と意気込んでいる。

 募集は十二月から一月にかけて、とホームページには掲載されているので、十分に間に合う。

 染めた反物を着物に仕立てるには、実家か節子さんに頼めば無理は効く。ぎりぎりの駆け込み応募には、後工程を節約せねばならない。様々に工夫して、自分に目標を課してみよう、と思った。

 企みは、自らをワクワクさせる。

 何か張り合いのようなものが、ふつふつと湧いてくるのだった。

 図案なども大切だが、今秋に経験した文乃さん、節子さんと集まって協議したようなことが重要だと思う。

 いわゆるコンセプト、作品のテーマ、何を表現しようとしていのるか、を構想である。

 一反の染め物を纏う人に、どんな気持ちを抱いて貰うか、は貴重なテーゼだと感じる

 さらにそれ以上に、なぜ雅が「桐」とのモティーフで友禅染めにチャレンジするか、との動機を明確にしておきたい。

 秋口に文乃、節子とのチームでスーパームーンを主題に取り組んだ折りに、奇しくも節子から聞かされた亡き佐代子からの雅への思い、期待を再認識したことに端を発する。

 親しかった人を失った喪失感以上に、佐代子の雅への期待に今こそ報いるべきと願ったことが、今回の動機の源泉だ。

 そして将来を嘱望された佐代子が中座せざるを得なかった創作を、雅が承継していく、との強い思いもある。

 遺作とも言える桐の意匠を、佐代子の創意を受け継ぎながら、雅自身の作品として昇華させることが第一義だ。

 雅は、佐代子が制作してきた作品を再度確認することにした。

 伝承工芸展に出展された染め物は、工芸展のホームページに掲載されている。数を重ねた個展などへの出展作は、ファイルに綴じているカタログやパソコンに保存してきた画像を確認できた。

 作家には自らの作風があり、その特徴は捉え易い。

 佐代子の作風は、淡い下地染めにモティーフが浮き出ている。

 モティーフの主体である花などは、表情豊かに丹念に描かれていた。更に下地染めには、透かし紋様のような地紋が描かれていた。この地紋は目立たないが、主題を示唆していて重要な役割を果たしている。

 雅はこの地紋に桐紋を描くことにした。

 毎日、作品のテーマやコンセプトの構想に没頭した。


 そんなさなか、俊が訪うと言う。

 夕刻、浴槽を洗って湯を張り、スーパーで食材を見繕った。

 そろそろ寒くなってきたので、グラタンをメインにサラダとスモークサーモンをあしらうことにした。シャンパンも求めてマンションに戻ると、ちょうど俊と一緒になった。

 俊は袋を掲げて、チーズだと言った。洋風の献立に一品加わった。

 部屋に入ると、いつもどおり俊は浴室に向かう。

 雅は手際良くホワイトソースを作りながら、また構想に思いを廻らせる。

 ただ、今日の俊は何か鬱屈があるようだ。変わりなく見えるが、雅は確信している。

 理由を問われても答えようがないが、ともかくわかる。

 やがて風呂を出た俊が、リビングの席に座った。

「作品は、どうかな。」

「構想はほぼ固まりました。要件定義完了やね。」

 雅は、度々俊が口にするアイ・ティの専門用語を口にした。

「じゃ次は設計フェーズだ。」

「そう、下絵どす。」

 バターとミルクと小麦粉から作ったホワイトソースは、ほぼ完璧だ。雅は具材をオリーブオイルで炒めはじめた。

 パセリを多め。タイムをほんの少し。

 美味しそうな香りが漂う。具材をホワイトソースと混ぜ合わせ、オーブンに入れる。

 スモークサーモンとチーズを盛り付けて、食卓のテーブルに供した。

「俊さん、どうぞ。シャンパンをお願い。」

 俊は食卓につくと、シャンパンを開けにかかる。さほど大きな音は立たず、静かにワイングラスに注がれた。

「じゃいただきます。」

「作品の成功を祈って。」

 ふたりはグラスを合わせる。

 オードブルとサラダを食べながら、このところの近況をお互いに語る。

 そのうちオーブンが仕上がった。雅はグラタンを並べる。

 エビとアサリの海鮮グラタン。立ち昇る湯気が温かさを誘う。

「ところで、何でしょう。」

 雅は頃合いを見て、問いかける。

「うん、実はね。」

 俊が語りはじめた。

「息子のことなんだけど。」

 言いにくそうにしながら、シャンパンを口に含む。

 雅は気長に待つ。

 雅が俊に相談する時も、言い淀むのをじっと待ってくれる。

「どうやら彼女がいるようでね。」

 雅は微笑んでシャンパンを嗜む。

 俊が続ける。

「それが・・・」

「それが?」

 言い淀みがちな俊に、助け舟を出す。

「身体に障害があるようでね。」

 以外な話しに、雅はグラスを置く。

「障害、って。」

「足が不自由らしい。」

「車椅子ですか。」

「いや杖だが、左右の長さが違うそうだ。」

 俊は言い終えるとグラスのシャンパンを飲みほした。

「ワインを開けてくださる。」

 俊はバケットから冷えたワインを取ると、オープナーで栓を抜く。

「息子のことよりも、自分自身に嫌気が差してね。」

 俊がグラスにワインを注ぐ。

 雅はまた黙って待つ。

「会社でも障害のある人は積極的に採用しているんだ。」

「企業さんには、採用枠がありますからね。」

「だからうちでも、優秀なエスイーさんを採用している。トイレを改装したりしてね。」

 雅は怪訝な顔をする。

「お手洗い、どすか。」

「内部障害、って聞いたことがあるかな。」

「内部障害・・・、いいえ、知りまへん。」

「身体の内側にある障害、って意味で、例えば心臓ペースメーカーの装着、とかだね。

 手足が不自由なのと同様に、身体の内部、つまり心臓とかも健常でない人も障害者としているんだ。」

「ほぉぉ、そうなんどすか。」

「うちは、オストメイトの方たちを採用している。」

 また雅はグラスを置く。

「オストメイト・・・」

「人口肛門とか、人口膀胱とかに頼っている人たちだよ。

 何らかの原因で、人口のものを装着せざるを得ない状態の人たちだね。」

 雅は驚いている。

「人口のものは、単に貯めておくだけなので、一定時間ごとに洗わないといけない。

 その施設をトイレに設置したんだ。」

「でも賃貸ビルでは、改装は難しいどすな。」

 俊は微笑んで、

「幸い今のビルは、創業当初の三人の一人がオーナーでね、

 出資にビルの区分所有権を出してくれている。

 だから自社ビルみたいなもので、管理費以外には費用も掛かっていない。」

 と答えた。

「それで、息子さんのことは・・・」

 雅が促す。

「私自身は、障害のある人に特別に偏見もなかったつもりだったけど、息子のことになると割り切れなくてね。

 こんな狭い心の自分が、イヤになった。」

 俊はうんざりしたように言う。

「理屈では分かっているんだよ。偏見や差別の気持ちもない。

 だけど・・・」

「割り切れへんのどすな。」

「そうなんだ。なぜわざわざ障害のある人なんだ、って。

 でもそんなことを思う自らが腹立たしくてね。」

 俊はワインを含む。

 雅は空いたグラスにワインを注いでやりながら

「考えが、そこで停滞してますね。」

 と言った。

「・・・・」

「俊さん、その障害者、ってことでお考えが堂々巡りしています。

 そら割り切りにくいでしょうけど、いわゆる発想の転換が必要どす。」

「そりゃそうだけど、どんな風に・・・」

「グラタンが冷めてしまいますえ。

 例えば極端なお話しどすけど、うちが明日交通事故で障害者になってしもたら、もう俊さんは、うちには来はらしまへんか。」

「いや、万一そんなときはもっと頻繁に来て、サポートするだろうね。」

 雅は微笑む。

「逆にうちも俊さんが、万一そんなことになったら、お宅に押しかけてお手伝いします。」

「そうだろうね。」

「堂々廻りしたら、そこから抜け出ることです。

 それには、相手の人や状況を自分のことに置き換えてみることどす。

 うちが障害者になっても、俊さんは変わらずうちのことを大切にしてくれはる。

 うちは絶対的な確信を持ってます。

 逆でも同じこと。

 では、それはなぜか。」

 雅は、じっと俊を見つめる。

「お互い・・・」

「お互い・・・?」

 雅は語尾を上げて、次を促す。

「愛しているから。」

 雅は満面の笑みだ。

「同じように息子さんも、障害とか関係なしにそのお嬢さんをお好きなんでしょう。

 それを親御さんは、理解してあげないと・・・」

「そうだね。」

 俊も納得したようだ。

「そしたら乾杯。」

「え。乾杯って何に・・・」

「もう、決まってるやおへんか。

 ふたりの幸せに。

 息子さんと彼女。

 そして・・・」

「そして・・・?」

「もう焦ったい。

 乾杯!」

 雅は俊のグラスにグラスを重ねる。

 ふたりの夜はふけてゆく。


 雅は佐代子の意匠の数々を見るたびに、その洗練された染めの真髄に魅了される。

 ときには、自らの技量や創作性との大きな開きに圧倒される。

 かつての雅ならば、その隔たりの大きさに打ちのめされたかもしれない。

 もしくは、そういう格差の大きささえも計りかねたかもしれない。

 だが今は、佐代子の意匠を視野に捉えながらも雅独自の創意を如何に染め上げるか、に専念している。

 桐の花のあれこれを調べ、意匠に反映させることに心血を注いでいる。佐代子の意匠は高貴な印象を与えると共に、毅然とした意思を感じる。

 それだけに、染め上げ、仕立てた着物は非常にフォーマルな装いとなっている。

 雅はその点を和らげる工夫はないものか、と思案にくれている。

 砕けすぎない程度に、緊張感をほぐすことができれば、纏う人も肩肘張らずにゆとりをもって召してもらえる、と感じている。


 文乃は雅が伝承工芸展に挑戦すると聞かされて、少なからず驚いた。

 雅、節子と共に三人で始めたプロジェクトは、秋の出展の効果もあってそこそこの売上だった。数ヶ月間で企画した意匠をもとに、次々と新しいアイテムに展開されていき、その売上から意匠料が入ってきた。

 少し一段落として、またそれぞれが次のデザインのベースを考えることとし、十一月末までは個別に活動している。

 文乃は、雅の挑戦に刺激を受けて自分も何かに挑戦しよう、と意気込んだ。

 捺染、型染めもいいが、何か他にはないだろうか。日々、業界の展示会に行ったりネットを検索したりしてヒントを探している。

 そこで、ふと思い出したことがある。

 離婚後、傷心のまま今後のことも模索しようとニ、三ヶ所旅行に出たが、東京にも行ってみたときである。

 同業者から紹介されて、型紙美術館、という施設に赴いた。美術館とは言うが染めの事業者の拠点で、麹町にあった。

 その美術館では「伊勢型紙」との伝承技術を受継いでいた。

 厚紙を彫刻刀で削り、紋様を刻んでいく。細かな穴を無数に穿てば鮫小紋となるし、縦に細い溝を刻めばストライプができる。

 それ以上に型紙に様々な紋様を掘り込めば、花鳥風月、さまざまな紋様を染められる。一般の型紙染めでは、型紙の形が紋様となるが、伊勢型紙では彫り込んだところが紋様になる。

 文乃が手がけている染め方とは逆だが、それだけに興味を惹かれてた。

 インターネットで調べると、型紙と彫刻刀のセットも通販されているし、型紙教室のような講座も多く見受けられた。

 文乃は通販ではなく、大手の手芸店に行ってみた。四条の百貨店のテナントであるその店には、さまざまな型紙と彫刻刀、更に見本帳までが販売されている。

 文乃は、その中から厚手の型紙と彫刻刀を購入して帰宅した。

 早速試そうと思ったが、ふと気掛かりになった。

 肝心の染料は何を使うのか。一番大切な素材を失念していた自分を恥じて、再度インターネットから調べ始めた。

 これも調べると、それぞれの布地に応じた染料で構わないようだ。

 大切なのは、染めの部分と防染の技能である。型紙にしっかりと切り込みを入れて、細かな穴でも染め上げられる技法の冴えである。

 染めには自信があるので、早速型紙を彫ることから始めたが、実際にやってみると、あまりスムーズにはいかない。

 型紙美術館で彫る作業を動画で公開していたが、手慣れて技術の高い人ほど何なく彫っていける。

 だが素人レベルでは、まず型紙に自在に意匠が掘り込めるまで手習を積んだ方がいいようだ。

 捺染のように型の形をハサミで整えるのとは異なり、シャープな窪みを形作ることがなかなか叶わない。

 特に窪みの縁のメリハリを整えられず、乱れた切り屑が残って思いどおりには行かなかった。

 それでも文乃は、パソコンで多くの動画を見て、その技法を学び取ろうとした。

 こうしてようやく納得のいく彫りにたどり着いたのは、かれこれ一月後だった。


 雅は桐花の意匠について、図案も描き上げ、生地も仕入れ、後の工程の段取りも依頼を済ませた。

 多くの刷毛や篦(へら)、糊も整えて、今は染料の調合に余念がない。

 同時に防染の糊にも気を使う。

 糊の濃淡は、染め上がりが違ってくる。入念な段取りと、試料の生地への部分染めを繰り返しては、染め上がりを確認した。

 そんな折、節子から連絡があった。

 頼んでおいた縫製のタイミングを尋ねている。

 併せて、文乃が伊勢型紙に挑戦していることも聞かされた。

 雅は、文乃の新たな挑戦を好ましく感じる。

 そしてふと勝代はどうしているか、と気掛かりになった。


 勝代は癇癪を起こす寸前だった。

 組み紐に挑戦して、はや二ヶ月あまり。未だに満足のいくものができない。満足どころか、まともな紐にならない。

 平打ちの紐の紋様は揃わず、まだらだ。表面も平坦ではなく、でこぼこしている。

 丸紐も紋様は整わず、遊び糸のはみ出しが目立つ。

 更に悪いことに、いずれも真っ直ぐではない。

 まるでヘビがくねるように、右左に歪んでいる。

 何度か職人にも手ほどきを受けたが、改善しなかった。

 何度もため息をついて、休憩ばかりしていた。

 自分がこんなにも不器用だったのか、と驚いた。不器用さを自分自身で認識する機会がなかったのか、こと組み紐については不器用さが目立つのか、分からない状態だった。

 しかし今やネットでも紹介されていて素人レベルで気軽に出来るようなことがうまくできないことに、ただただ苛立ちが募った。

 そしてそもそもなぜこんな感情に陥る羽目になったかを、反芻した。秋の伝承工芸展で、いたく恥を晒したことからの繋がりであったことを苦々しく思い起こした。

 苛立ちは次々と苛立ちの連鎖を呼び、過去の忌々しい記憶、心の奥底に隠蔽していた邪念までもが目の前でまざまざと甦ってきた。

 ことの大小よりも、その折にどれほど嫌気を催したかが自分のなかでランキングされていた。もよもよに組み上がっている無様な組み紐は、あちこちにはみ出している糸の緩みと共に、マイナスの連鎖を牽き出してきた。

 歪んだ紐は、またこれからもいっそうのくねりを自らにもたらすと予見された。

 勝代は、ため息をついて乱れた場をそのままによろよろと立ち上がった。

 会社の事務室にはたまたま弟の康がいた。目を向けると、弟は小会議室を指差し立ち上がった。

 勝代も会議室に入る。

 座に付くと康が切り出した。

「姉ちゃん、ええ加減してや。

 わざわざ古い組み台で、組み紐をこしらえて、うまいこと出来ひんからって、次々に職人を呼び出して・・・

 こっちはそれぞれ仕事してんねんで!

 邪魔せんといたってくれるか。」

 弟の言葉に勝代はうなだれる。

「けったいなもん作られて、えらいウワサや。

 取引先からもイヤミ言われた。

 もうやめてほしい。」

 勝代は顔を上げて反論する。

「そやかて、このままやったら伝承工芸会からも逸脱してしまうで。

 うちに伝わる伝承技術は、絶えてしまう。」

 康は、ため息と共に姉を諭す。

「そやからって、品質の劣る製品を出すわけにはいかん。

 工芸技術に支えられた製品でないと家名を穢す。

 だいたい姉ちゃんは素人やのに、一朝一夕に店において売れるような商品を作れると思ぅてんのか?

 機械編みの製紐制作かって、職人がそれを使ぉて製造に熟練するには相当な時間がかかるんや。

 昨日今日の素人が勝負出来るもんやあらへんで!」

 勝代はまたもうなだれてしまう。

「あんたは、家の商売をどうしていくつもりなんや。」

 勝代は追及する。

「商売で製品を出すことは、生半可なことでは出来へん。

 確実な売上を維持するために社員は皆頑張ってる。」

「でも技能の承継は。」

 康は毅然と

「一番利益率の高い商材をメインに、ヒト、モノ、カネを集中している。

 古い技能も大切やろが、それに拘っていたら屋台が揺らいでしまう

 全体のバランスから考えてるんや。」

 と応じた。

「糸も色々種類があって、その特性毎に強度や撚りの特徴が違う。

 七大繊維って、知ってるか?

 知らんやろな。

 絹、綿、麻、羊毛の天然繊維に、ナイロン、ポリエステル、アクリルといった合成繊維。

 そういう種類毎の特性も分かった上で紐を組むんや。

 うちの紐製造装置の仕組みには、昔からの技能の粋を入れこんでる。組紐の技能をもった職人さんがソフトハウスのエスイーさんに、引っ張る強度や組み込む角度、それに万一糸が切れたときの始末の仕方などを何度も何度も説明してソフトを組み込んでもろた。

 その会社の常務の曽根さんが一生懸命に対応してくれはって、伝承技能を活かしてる凄いシステムや。

 スリーエスシステムさんって言う優秀な会社さんに、うちは助けてもろたようなもんや。」

 勝代は黙って聞いている。

「姉ちゃんは、伝承技能は誰のためや、と思うてるや?」

「え・・・それは・・・」

「ほら、分からへんやろ。」

 康は勝ち誇ったように言う。

「使ぉてくれはるお客さんのためや。伝承技能によって、使いやすい便利なものを世に出していく。

 そのために技能を活かしてるんや。

 ただ話題を呼んだり、コンテストに勝つためやあらへん。

 コンテストも、そういう観点から評価してる。

 悪いけどその辺りをわきまえてほしいもんや。」

 言い捨てると、康は会議室から出ていった。

 呆然とする勝代を残して。



 つごもり


 乾燥した初冬の日々、染色に携わる人々にはあかぎれの辛い季節となる。水で何度も布を洗い、染めも冷たい染め液に生地を浸す作業には手指の荒れは付き物だ。

 雅も文乃もお互いに荒れた手を気にしながら、久しぶりに節子も交えて集っている。

 文乃は雅の伝承工芸展出品に刺激を受けて、伊勢型紙に挑戦していることを詳しく話してくれた。

 雅は自らのことばかりで精一杯だったので、文乃の言葉が新鮮に思えた。

 いくつか作品を見せてくれたが、細かい鮫紋様が優美だった。また型紙を何枚か使用して、複数の色合いを染め重ねた作品もある。

 これらには、文乃の挑戦する意欲が感じられた。

 節子からは、三人でのコラボ企画の新企画が提案されてきた。

 雅の伝承工芸展出品が一段落してから企画の打合せにかかりたいので、それぞれ腹案を考えてほしい、と告げられた。

 「新企画もやりたいけど、先に雅さんの作品を見せてもらわないとね。」

 節子が求めてきた。

「そんなお見せするようなもんやおへん。」

 雅が答えると、節子がすかさず言う。

 「公募展に出すんでしょ。

 審査員はじめ、入選したらみんなに見てもらうんどすぇ。」

 隣で文乃が笑い出す。

「そのとおりやわ。人に見てもらえる作品って、素敵ですね。」

「そしたらいっぺん、雅さんの工房にお邪魔しましょう。」

 雅は微笑んで頷く。

「その後、勝代さんはどうしたはるやろ。」

 雅の問いに、座は一瞬硬くなる。

 節子がポツリと

「何や制作したはるらしい。」

 と呟いた。

「何を作ってはるんやろ。」

 興味深げな雅。

 文乃は苦々しい様子だ。

「組み紐をやってはる、って。」

 節子が答えた。

「・・・組み紐・・・」

 文乃は、よほど驚いた様子だ。

「あそこに居る職人によると、古い組台を引っ張り出して、紐を組んでんはるらしい。」

 雅と文乃は顔を見合わせた。

「でもそれが、遊び糸がいっぱい出てて、しかも縒れてしもて・・・」

「品質も何もあったもんやおへんな。」

 文乃が、蔑んだように言う。

「でも何でわざわざ、手で組むことにしはったんでっしゃろ」

 雅の問いに節子が答える。

「そもそも秋の展示会で、内村理事長にえらい言われはったことから発奮して、あちらの技能を復活させたかったみたいどすなぁ。

 商工会議所に行ったり、誰彼無しに相談したりしたはったらしい。

 そんでも機械組みの紐やロープで成り立ってる家業に、手組みの紐を復活させるのはムリどす。

 そこでどうやら、組み紐を編み込んで作ったアイテムを考えはったらしい。

 その素材の組み紐を手組みするって案やそうどす。」

 文乃は吹き出した。

「そういうアイテムがほんまに売れるか、マーケティングしはったんですかね。」

「多分そんな発想はおへんなぁ。

 作って店に並べたら売れると、単純に思うたはりますやろ。」

「しかもヨレヨレの組み紐を使うやなんて。」

「いや、さすがにそれは使わはらへんと思いますぇ。」

 節子も笑いながら応じる。

「そやけど、意気込みは大したもんどすなぁ。」

 雅が感心したように言ったが、文乃は肯んじ得ない。

「あの人のやろうという動機が不純です。

 内村さんやうちらを見返したい、というだけであるなら、売れるもんは出来ませんなぁ。」

 文乃の言葉に、節子も雅も頷いた。

 伝承工芸の復興にせよ、ただの意趣返しではモティベーションが低過ぎる。

 そもそも家業を尊ぶ気概が必要だ。

「もよもよと遊び糸がはみ出すのは、組み上げるときに糸を触り過ぎるから。

 組み紐が拠れるのは、組台で組むときに糸に均等に力がかかっていないからどす。」

 文乃が説明する。

「そんでも組台で素直に組んでいたら、そんなことにならしまへんのに。」

 雅が不思議そうに言うと

「それをいじり倒すからあかんのんどす。

 組むときも、糸やのぉて錘りを持ってそれを引くのが基本どすけど、あの人は基本を守らへんさかいに不細工なことになるんどすなぁ。」

 と節子が付け加えた。

「伝承工芸、って言うたって、昔から伝えられているとおり素直に従ごぉたらよろしのに、下手にいじりたがるさかいに。」

 節子も文乃も辛辣である。

 雅は、自らが取り組んでいる染めを思い起こしてみる。

 定められた手順どおり、段取りを踏んで何度も染める。

 それは長年の手慣れた工程だが、変に手順を変えたりはしない。ただ染めるモティーフを工夫しているだけだ。

 しかし文乃や節子の言葉に、伝承工芸を知らず知らずに守っていることをあらためて認識した。


 ひとしきり、集まりは盛り上がり、雅の工房で次の集いを約して、その日は散会した。

 もう年の瀬も近い。

 街も何となく忙しなく、人の往来も忙しげだ。

 会を終えて前々から訪れたかった美術展を鑑賞してから、雅は帰路についた。


 数日後の昼下がりに、雅は丹波橋の駅で文乃と節子を迎えに行き、自らのマンションにいざなった。

 二人は物珍しそうに室内を見回す。

 日本茶と和菓子でもてなした後、雅は染め上がった作品を見せた。

 まだ仕立て前で、反物の状態だ。作業台にしているテーブルに広げて、二人に見せる。

 古代紫の花弁が、あちこちに開き、合間に薄紫の桐の紋があしらってある。

 二人は息を詰めて見入っている。

「雅さん。

 素晴らしい出来やわ。」

 節子が讃える。

「ほんまに色合いもシックやね。」

 文乃も褒めてくれる。

「ありがとうございます。

 ちょっとあててみましょか。」

 こう言うと雅は反物を一度巻き上げてから、自らの左右の肩から羽織った。

 二人は雅に、左右を向かせて仕立て上がりを想像する。姿見にも写して全体の印象を確かめてみる。

「うん。

 これやったら仕立て上がりも、素晴らしい着物になりますなぁ。」

 と、節子は雅の姿を上から下まで吟味する。

「帯は、どんなんが映えますやろ。」

 文乃も、着姿を思ってワクワクしている。

「こんなにもシックやのに、晴れやかな衣裳もなかなかおへんぇ。」

 節子が手放しで褒めてくれる。

「雅さん

 ほんまに、三好先生の域に達しはったね。」

 この言葉に、雅は震えた。

 憧れの先輩、師に肩を並べることが出来たのか。

 あまりに嬉しくて、涙があふれた。


 その夕刻、雅は俊にメールした。

 雅から誘うのは珍しい。幸い俊は早めに来るという。

 文乃と節子とは、次の企画が話題になった。

 また節子は、伝承工芸展の出展用に雅の作品の仕立てを請負ってくれた。懇意の老舗で、責任を持って仕立ててもらうことを約してくれた。

 笑いさざめきながら、二人は帰って行った。

 夕方、風呂に湯を張り、買い物に出た。

 俊は六時前には来てくれた。いつもどおり、湯を浴びて食卓につく。

「ほぉぉ。

 鯛の尾頭付きか。

 お祝いだね。」

 俊は察しが早い。

 雅は微笑んで食卓につく。

「ありがとう。

 完成しましたぇ。」

 そう言って、俊のぐい呑みに純米酒を注ぐ。

 二人で乾杯する。

「じゃ、作品を見せてくれるかな。」

 俊の言葉に頷いて、作業台に反物を広げた。

「いや、これは素晴らしい出来だね。

 シックでありながら、華やかだ。」

 俊の感想に雅は驚く。

 今日の午後、節子が捧げてくれた賛辞とほぼ同じことを奇しくも俊からも聞けた。

 客観的には、同じ印象を皆が抱いてくれる、ということか。

 雅は、大きな感動と共に俊を見つめる。

「ほんとうに存在感のある染め物だ。

 雅さんの先輩の境地に、すでに達しているんじゃないか。」

 また節子と同じ言葉を得た。

 雅は胸が熱くなった。


 その日の食事は嬉しい気持ちと達成感で、お酒も進んだ。

 四合の純米酒を二人で開け、さらに濁り酒を嗜む。鯛の尾頭付きに加えて、ヒラメや鯵の刺身、雅のつくった煮物、あえ物など、心尽くしに二人とも箸が進む。

「あの桐花の色合いは、前に纏っていた桔梗の着物に似てるね。」

 俊の言葉に、またもや心やすらぐ。

 初めて結ばれた日の衣装だ。

「ええ。

 あの色は、うちの勝負色どす。

 今回こそ、ひとつランクアップしますぇ。」

 雅の言葉に俊も嬉しそうだ。

「とても前向きで素晴らしい。きっといい結果になるよ。」

「おおきに。

 うちも確信してます。」

「ほぉ、その信念こそ大切だね。」

 言いつつ、雅からの灼を受ける。

 雅は強い方だが、そろそろ回ってきたようだ。

 ほぼ食べ終えた頃に、俊が促す。

「じゃ片付けておくから、お風呂に入っておいで。」

「そんならよろしぅに。」

 雅は小腰を屈めて、浴室に消える。

 俊は勝手知ったる台所で、洗いものをはじめた。雅は、俊が以前に話したことを実践している。調理、炊事の進む都度、鍋などを洗い上げ、使い終わりを片付けていく。

 お陰で、食事のときには全て片づいている。

 俊は、手早く鍋などを調理台の下に収納してから食器などを洗う。

 特に酒器は気をつけて扱う。


 片付け終え、日本茶を淹れた。ぬるめを啜りながら、静けさが気になりはじめる。

 洗面所に行ってみる。

 歯を磨きつつ、浴室の気配に注意したが、物音ひとつしない。

 洗面を終えて、浴室の外から声をかけた。

 だが反応がない。思い切って浴室のドアを開けると、案の定、雅は湯船で寝入っている。

 さらに声を掛けたが、全く動じないので、肩を揺すった。

 ゆっくりと目を開けて、雅は俊をとらえた。

「寝ちゃったら風邪引くよ。」

 すると雅は俊の方に両手を差し伸べる。

「抱っこして、ベッドに連れて行って。」

 俊は察したとおりと思いつつ、雅を起こしてバスタオルをかけてやる。

 手早く身体を拭うと、バスタオルのまま抱き上げた。

 寝室でゆっくりとおろす。

「俊さん、こっち来て。」

 俊はスウェットの上下を脱ぐと、雅の脇に横たわる。

 すぐに雅が縋ってくる。

 唇を合わせて、雅が落ち着くのを待った。

「うちはほんまに嬉しい。」

 黙っていると、言葉が続く。

「お昼に節子さんと文乃さんが、褒めてくれはった。」

「そうか、よかったね。」

「それで俊さんも褒めてくれはった。」

「うん。」

「その言葉は節子さんと全く同んなじやった。」

「そりゃ凄い。

 つまり誰が観ても同じ感触を抱くということだね。

 いわゆる確固たる評価、ということだ。

 もう揺るぎない雅さんの実力だよ。」

「ありがとう。

 それに俊さんも節子さんも、佐代子さんのレベルに達してる、って言うぅてくれはった。

 もう無茶苦茶嬉しぅて、今夜は手放しで酔いました。」

「そんなに酔ったなら、今夜はひとりでゆっくり寝るかね。」

「もうまたイケズやわ。

 隊長はイケズや。

 もう知らん。」

「そうか、じゃ帰ろうか。」

「もうイケズ・・・

 イケズせんと抱いておくりやす。

 言うなり、強く抱きついてくる。

 身悶えて肢体を押し付けてくる。

 喘いで唇を求めてくる。

 応えながら、俊は身体をさすってやる。

 愛撫に身体を震わせて、雅は嬉しい、と繰り返している。

 あるレベルに達した作家は、もう恐れるものもなかった。僅かな期間で作品の達成度が増した。

 元々の素質もあっただろうが、大きな飛躍は目を見張るばかりだ。

 三年前には、既存の伝承工芸に反駁していた雅は、今やその高みについている。

 美術展でもチグハグな発言をするばかりだったが、もう作家としては中堅レベルであろう。

 こんなにも伸長するものか、と俊も驚いている。創造の世界では、積み重ねも大きいが、あるきっかけによる作品のブレイクも夢ではない。

 それを素直に喜んでいる雅を、たまらなく愛おしく思うのだった。

「うち、もう・・・」

「ん・・・」

「俊さんに、教えてもろた・・・

 創ることの喜び。」

「うん。」

「女の悦び・・・」

「・・・」

「もっと強ぉ、抱いて・・・

 今夜は嬉しいから・・・」

 喜悦に身悶える雅を抱きしめながら、三年前の大晦日に必死の思いで身体を開いてきた同じ女体とは思えない気持ちだった。

 そしてその変貌に、俊が大きく関われたことを、深い感動をもって受け止めた。

 人の営みは、人と人のふれあいで昇華されていく。

 不思議な気持ちでいながらも、何か大きな力が介在した思いだった。

 俊はさらに愛を注ぐ。

 雅は、その愛ゆえに満ち足りた世界を満喫していた。



                                  



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京洛のふたり @mf_s_h

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