みんなに染まる
狐条 茜
みんなに染まる
みんなに染まる
「ねえ、勇輝、先生見えなくなっちゃったよ?」
「びびってるのかよ、洋一ー。あの先生より俺の方がここ歩くの上手いし大丈夫だって」
自身の背丈よりも伸びた草をなぎ倒しながら、少年――磯上勇輝は進む。彼の背後には数人の少年少女が彼同様に道なき道を進んでいる。さらにその後ろからは子供の名前を呼ぶ女性の声がする。
「ねえ勇輝! 森楽しいね!」
「でしょ? 僕についてきた方が楽しいでしょ?」
「うん!」
勇輝に付いてきた少女の1人――田口未那が笑顔でステップを踏む。照れたように勇輝は顔を背け、「あ、あのさ」と口を開く。彼の脳内で想いが言葉に変化する。
「す、好きだ! 未那ちゃん!」
勇気を振り絞り、顔を赤くして叫ぶ。しかし、顔を上げた勇輝の視界に未那はおらず、周囲を探しても見当たらない。カラスが一羽鳴き、雲が陽光を隠す。追いついてきた子達の中にも未那の姿はない。勇輝は首を正面に向け、未那がいたはずの場所へすり足で踏み出した。
足に伝わる地面の感触が一瞬消えた。
勇輝は鳥肌の立つ体を動かして視界を遮る草を踏み倒す。開けた視界には子供1人がギリギリ通れる裂け目があった。その裂け目の中、暗闇の先に足がありえない方向に向かった少女がいる。いや、足だけではない、腕もだ。服は泥にまみれ手足の折れた未那がゴツゴツとした岩の壁面に引っかかっていた。
その少女を未那だと認識した瞬間、勇輝は先生を呼んでいた。泣きそうな震えた声で、必死に。他の子供も先生の名前を呼んだ。それからの記憶は、ほとんどない。かろうじて覚えているのは医師の「全力をつくします」という言葉と渋い顔。見舞いは、一度しかいけなかった。
その日からだ。磯上勇輝が自分の意思を主張しなくなっていったのは。
「磯上君?」
正面、同じクラスの女子生徒が顔をのぞき込んでいる。心臓が跳ね、勇輝の頭は一気に覚醒した。夏の昼下がり。高校1年生となった勇輝の教室では、6月に行われる宿泊学習での班決めをしていた。
なんで今あんなことを思い出したのだろうか。10年以上も前の忘れたい記憶を。
勇輝は起きた頭を少しあげ、黒板を見た。目的地の欄に子鹿森と小さな記載がある。ああ、それでか、と納得して勇輝は椅子に座り直す。
「ごめん、ぼーっとしてた」
「大丈夫? 今私たちどこ回ろうかって話してたんだけどさ、子鹿森を通るルートで行こうと思ってるんだ。
磯上君はどう? こっちの方がいいとかある?」
子鹿森は通りたくない。そう思いながら勇輝は口を開く。
「それでいいよ。俺も子鹿森行ってみたかったし」
「ほら言ったろー? 勇輝は絶対イエスだって」
「それでも聞かなきゃだめだよー!」
言いたいことはある。嫌悪もある。でもそれを言ってしまえば、僕はきっとまた周囲に迷惑をかける。だから、これでいい。僕は自分を通さない方が、良い。勇輝はクラスメイトから目を外し、化学の実験で染めた色鮮やかなバラを眺めた。青、紫、緑、黄色・・・・・・脱色したバラに色の付いた水を吸わせたもの。家に飾ってあるバラ達の方が多彩だな、そんな無意味な張り合いをしながら。
「いや、こっちの方が――」
そんな勇輝の耳に親友――友崎洋一の声が聞こえてきた。声のする方へ振り向けば普段は大人しい洋一が柔道部の森田に意見をしていた。浅学非才、交友希薄、授業で指名されたときと親しい友人以外あまり話さなかった洋一が、だ。
「あー、そうだな。そっちの方がいいな。ナイスだ友崎」
森田は洋一の意見と既出の意見を見比べ班員全員と意見を共有していく。洋一はそれ以降席に座って目線をちらちらと隣に投げるのみ。何かを問われてもただ頷くだけの人形になっていた。
ああ、なるほど。洋一の視線の先を見て、勇輝は納得の声を上げた。洋一の隣には彼が恋心を抱く女子――石川蓮が座っていた。勇輝は帰り道にうんざりするほど聞かされた想い人の名前を思い出しながら、それじゃダメだろ、と心の中でツッコんだ。
事件が起きたのは、宿泊学習の2日前だった。
「ねえ勇輝君、私・・・・・・ずっと勇輝君のこと好きだったの。付き合って・・・・・・くれませんか?」
夕日の差し込む茜色の教室。下校時間を告げる学校のチャイム。騒々しい部活動の音。それら全てを吹き飛ばす衝撃が、勇輝に訪れた。彼の目の前に立つのは洋一が恋して止まない石川蓮。告白は彼女の口からもたらされた。
「告白の相手、合ってる?」
「合ってるよ。勇輝君」
2人しかいない教室。異を唱えるべき洋一はすぐさま帰宅し、ここにはいない。勇輝は考える。その様子を教室の外から数人の男女が覗いている。成功するかな、しないだろ、などと小声でやりとりをしながら。
『あの日』から、勇輝は何かを決める時、周囲の意思を見る。決して自分の意思は反映せず絶対に周囲に同調する。だから、今回もそう動いた。親友に申し訳ない。そんな無色透明な彼の意思は、周囲の「受けろ」という大きな意思に塗りつぶされた。
「・・・・・・いいよ」
「! あ、ありがと!」
茜色に染まる蓮の頬は本当に嬉しそうに見え、勇輝も自然と笑みがこぼれる。2人はどちらかが言い出すこともなく手を繋ぎ、燃えるような帰路を楽しそうに歩いて行った。
「痛った」
「おい、どういうことだよ」
勇輝が告白を受けた翌日の帰り道。洋一は勇輝に手を上げた。頬を叩かれアスファルトの道路に倒れる勇輝を洋一は親の敵でも見るかのような目で見下ろす。突然の暴力に頭が混乱したまま、勇輝は立ち上がった。殴られた頬には鈍い痛みが残っている。
「洋一。突然殴るな。まず何に怒ってるのか話せ」
「話さなきゃわからないか?」
「・・・・・・石川さんのことで殴られる理由はないだろ」
「俺が石川のこと好きだって知ってて付き合っただろうが!」
「仕方がないだろ。あの場は受けなきゃいけない空気だったんだ」
洋一は目の前で悪びれることなく周囲に責任を押しつけようとする親友だった存在に、何を言えばいいのかわからなくなった。眉毛をピクピクと動かしながら洋一は勇輝を睨み付ける。彼の怒りの感情に勇輝はしっかりと気づいていた。しかし、それを表に出し、「やっぱり俺石川さんと付き合えないわ」などと言う度胸は今の勇輝になかった。
「お前、変わったな」
「そりゃあ変わるだろ。人間なんだし」
「幼稚園の頃の勇輝は主体性があった。自分から動くし、自分で考える。磯上勇輝という1人の人間だった。でも、今は違う。・・・・・・お前、誰だよ」
「へ? 急にどうした。僕は磯上勇輝以外の何者でもないよ」
そうじゃねえよ。洋一は勇輝に聞こえるかどうかの声量でそう呟いて硬く握っていた拳を解く。
「今日から俺ら、他人な?」
「え、ちょ、待って洋一。本当にどういうこと?」
勇輝は洋一に歩み寄る。彼の言葉の意味が、勇輝には全く掴めなかった。洋一はすぐそばまで寄ってくる勇輝を無視し、踵を返す。
「どうもこうも、俺はお前を信じられない。だからお前と関わるのをやめる」
遠ざかっていく背中を止める手は動かず、勇輝は「いや、意味分かんねえよ」と小さくつぶやいた。
その日、勇輝の家に飾られたバラの一本が折れた。
翌日、宿泊学習は決行され近場の港から船が出た。勇輝は洋一と隣の席にしたことを後悔し、蓮に誘われるまま甲板へと出た。灰色の空と荒れた海が視界いっぱいに広がる。勇輝は肌寒さを感じながら手すりを掴んだ。
「ね、1日目と2日目さ、クラス別行動でしょ? 一緒に回ろうよ」
「うん、いいよ」
「そこまで大きな島じゃないみたいだしさ、ちょっとくらい皆と離れても良いと思うんだ・・・・・・。ね、2人で行きたい所とかない?」
「僕は、石川さんと行けるならどこでもいいよ」
「そっか、じゃあどこ回るか一緒に考えよ!」
蓮はそう言って制服の内側から島のパンフレットを取り出す。私ここ行ってみたいんだよね、と目を輝かせる蓮を横目に、勇輝は水平線上に見えてきた子島を見た。北海道奥尻島のさらに西、あまりにも島面積が小さいために日本地図にすら載ることのない島。それが子島と呼ばれる勇輝のふるさとだった。
では何故そのような場所に宿泊学習で行くのか。自然を使ったアスレチックが豊富であること、林業漁業が盛んであり、一次産業に触れてみようという学校の狙いがあった。
「よし、到着だ。全員船に忘れ物しないよう降りろよー」
学年主任が船から降りていく。勇輝も周囲の流れに乗って降りていき、久しぶりの故郷の匂いを嗅いだ。潮の匂い、本土では嗅ぐことのできない独特な肥料の匂い。遠い記憶が揺さぶられる。
「ねえねえ勇輝君、ぱっと見ただけだけど、こっそり2人で離れても人気のない場所なら大丈夫そうだね」
「ん、ああそうだね」
船を降り、勇輝達は潮騒の音を背にして班毎に分かれ、整列する。勇輝は全員のそわそわした空気を感じながら、隣に立った蓮に求められ手を繋ぐ。太陽は勇輝達の真上に位置取り、雲間から時々陽光を届け続けている。
この後は班毎に島の散策をしていき、19時に旅館へと集合する予定だ。
「よし、説明は終わりだ。各自、自由にこの島を観光してきてくれ!」
学年主任の長い説明を左耳から右耳へ流し、勇輝は班員とともに地図を広げた。島の南側一帯は2日目に行く超自然アスレチック、北側には漁業用の港、ホテルは2つあり1つは勇輝達のいる東側、もう1つはその反対、西側に位置している。今日泊まるのは西側のホテル。ルートは3つ、『林を抜けるルート』、『川沿いを歩くルート』、『商店街を抜けるルート』。
「ねえ、勇輝君の班はどのルートで行くの?」
「林道が今通れないみたいだから商店街ルートで行く話になったよ」
「あ、一緒だね。じゃあついでだし一緒に回ろ」
勇輝を起点として蓮は班に溶け込み、2班合同での散策が始まった。
「ねえ勇輝君。何かおそろの物買おうよ!」
「いいよ。何がいい?」
「それは見てみないと決められないかなぁ」
勇輝は久しぶりに見た商店街の姿に圧倒されながら蓮の言葉に返事をする。寂れた商店街はいつの間にか活気で溢れていた。一店一店の間に出来ていた隙間が埋まり、若い声もずいぶんたくさんと聞こえる。
「行こ、勇輝」
華やかな彩りの店を眺めて動かない勇輝を引っ張って蓮は歩く。班員は気を遣ってか少し先の道を歩いており自然と2人だけの時間が出来ていた。蓮は勇輝の手を引きながらあちこちの店を見て回り、良い物を見る度に勇輝に「どう?」と聞いた。
「どう?」
「いいんじゃない」
「どう?」
「いいんじゃない」
「これなんかどう?」
「おーいいじゃん」
何十軒回ったころか、真上にあった太陽は水平線に沈もうとしている。時計は18時を過ぎ、「よい子の皆さんは家に帰りましょう」と放送が流れている。商店街も終わりを迎え、もうすぐホテルという所まで勇輝と蓮は歩いていた。
「勇輝君、どれが一番ペアルックで似合うかな!」
蓮は今までいいな、と選んできた写真を見せながら、勇輝に肩を預けた。ほんのりと甘いシャンプーの匂いが勇輝の鼻をくすぐる。勇輝は蓮の頭の上から腕を伸ばし、写真をスライドさせていく。50を超える写真を見て勇輝は蓮の顔を窺った。蓮はニコニコと楽しそうに写真を何度もスライドさせている。勇輝はちらりと商店街の方を向くと、店仕舞いをしている所が多く見えた。勇輝につられ、蓮もそちらを向いて「あ」と声を上げた。
「お店、閉まっちゃってるね。明後日の自由時間にまたこよっか」
「そ、そうだね」
内心ほっと息をつきながら勇輝はホテルへの道を歩いて行った。
2日目は超自然アスレチック。子島の観光目的の大半を占める疑似遊園地。島南部に広がる森を改造し、自然と触れながら運動のできるビッグレジャー施設として売り出したもの。子供のようにクラスメイト達が遊ぶ中で、勇輝と蓮は明日の3日目のことを話していた。このときも勇輝は曖昧な返事を繰り返す。夕方、閉園の時間には蓮の顔には笑顔が貼り付けられていた。
その夜のことだった。
「勇輝君、ちょっといい?」
「うん、いいけど・・・・・・」
21時を過ぎた頃、蓮は1人で男子の宿泊棟へとやってきた。後ろで口笛を吹く男子たちを無視し、蓮に連れられベランダに出る。月明かりが雲間から覗き、夜風がゆるく木々を揺らしている。こんなに綺麗に見えるスポットがあったのか、と勇輝はベランダの柵によりかかりながら景色を眺めた。蓮はリラックスし始めた勇輝の背中を軽く叩き、自分の方を向かせる。勇輝は普段とはまた違う空気を纏う蓮に背筋をただす。雲に隠れていた月が顔を出し、月光に蓮の顔が照らされる。
「勇輝君。私、あなたの嫌なことに文句一つ言わないでやり遂げる姿がすっごい好きだったの。掃除代わってあげて、誰もしたがらない委員会に指名されて、それでも文句言わないで全力で取り組んでて、カッコイイって思ってたの。でも、付き合ってみて、一緒にいる時間が増えてちょっとわかった。勇輝君は嫌なことを我慢してたんじゃなくて、嫌だってことが言えなかったんだなって。皆に意見を合わせて自分の意見を隠すの、大事だとは思うの。でも、そればっかりしてるのは、ダサいと思う。今日も、私の意見にただ頷くだけじゃん、一緒にいて、楽しくないよ・・・・・・だから、私から告白しておいてアレなんだけど、お願い別れて」
蓮は目を伏せながらそう言った。もう、直視もしたくないのだろう。勇輝は小さくお辞儀をして既に喉元まで出かかっていた言葉を口にする。
「・・・・・・わかった」
「・・・・・・やっぱり、自分の思ってること言わないのね。じゃあね」
蓮は小さく笑ってベランダを後にした。1人残った勇輝は子鹿森を暗い表情で見つめていた。
修学旅行最終日。勇輝は、ベッドで1人天井を見上げていた。『嫌だってことが言えなかったんだ』蓮に言われたその言葉が心の奥底に引っかかっている。勇輝は、心の中で言い訳する。僕のせいで好きな人を大怪我させたんだ、自分の意見なんて怖くて言えるわけないだろ。もしまた何かあったらなんて俺はもう考えたくもない。
「今日の自由行動。行きたくないな」
そんなことを言ったせいだろうか。勇輝は、ものの見事に班員と別れた。子鹿公園。この島に唯一ある公園だ。公園の中央では噴水があり、その周りで老若男女がくつろいでいる。班員からの電話でスマートフォンが振動する。ゆっくりとした動作で通話を繋ぎスマホを耳に当て――落とした。カシャン!と音を立ててスマホの画面が割れる。
「えっ! 大丈夫!? 磯上君!?」
通話相手のスマホから甲高い音が響き勇輝の班員は慌てた。1人いつの間にかはぐれ、通話を繋げば急に何かが割れるような音が鳴った。誘拐でも起きているのではないか。勇輝の班員は全員で顔を見合わせ、先生に電話をかけた。
「未那、ちゃん・・・・・・?」
勇輝の視線の先、噴水の向こう、見知った顔がいた。車椅子に乗ってはいるが、間違いない。田口未那、その人だった。未那は、見たこともない長身の男性と仲よさそうに話しをしている。勇輝は、しばらく彼女らから目を離せなかった。呆けるように視線を送り続け、一瞬未那と目が合った。
キィと音を立てて車椅子が動いた。押し手と思われる男性は少し遠くのベンチへと歩いて行く。
「・・・・・・勇輝?」
「・・・・・・未那、ちゃん?」
未那の顔が驚いた表情から柔らかい笑みに変わる。
「久しぶり、勇輝」
「あ、うん、久し、ぶり」
勇輝は右手をぷらぷらと振る未那から目を逸らした。長かった髪はいつの間にか短く肩辺りで切り揃えられている。昔とは違う未那の姿を見て、勇輝は心の奥底で泣きそうな思いを噛み砕いた。
「帰ってきたの?」
「いや、高校の宿泊学習で」
「あー北海道に引っ越したんだもんね」
「うん」
「お見舞い、一回しか来てくれなかったもんね」
「そ、それは・・・・・・引っ越しのタイミングと・・・・・・」
昔と何も変わらない明るさで、未那は怪我の話を持ち出した。勇輝は口をどもらせ、明後日の方角へと顔を向けた。未那はそんな勇輝を柔らかい眼差しで見守る。
「洋一から聞いてたけど、変わったね、勇輝」
勇輝は、目を逸らしたまま動かない。どう答えればいいのか、彼の中で答えが出ない。
「洋一から、中学校から高校までの話は聞いてる。イエスマンみたいだって洋一は言ってた。
昔のみんなの意見なんてガンガン無視していくような勇輝はどこ行ったの?」
勇輝は動かない。口を開く気配もない。それでも未那は言葉を続ける。
「私が原因? 私が、勇輝を臆病にさせちゃった?」
勇輝は動かない。未那は黙り続ける勇輝の背を、右手で押した。背筋がわずかに伸び、勇輝が手を払いのけるように振り返る。
「・・・・・・何?」
「昔の友達が話しかけてあげてるでしょー。返事くらいしなさーい」
「・・・・・・どんな顔してお前と話せばいいんだよ・・・・・・」
振り向いた顔をまた明後日の方へ向けようとする勇輝の頬を未那はつねった。
「なにふんはよ」
「勇輝、私が今もまだあの日の怪我のこと引きずってると思う? まだあの日のことで勇輝に対して怒りをぶつけたいと思ってるように見える?」
「・・・・・・・ひや」
「でしょ。怒ってないもん。怪我して得た経験も出会いもあるから。だから、あのことは気にしないで」
「でも・・・・・・僕が誘ったから」
「・・・・・・あーのーさ-、勇輝! 私は落ちこんでいるか! 落ちこんでないだろ! それなのに周囲でうじうじされたり気を遣われたりするのすっごい嫌! 私は大丈夫! だから下手に気を遣おうとしないで!」
未那の強い眼差しに射貫かれ、勇輝は何を言葉にすればいいのかわからなくなった。謝ればいいのか、素直に受け入れればいいのか、強がるなと言えばいいのか。言葉を探して記憶を漁るも、出てくるのは同調する自分だけ。何も、発すべき言葉は浮かばない。逃げ続けた代償が、ここに来て酷く後悔をさせる。
「わかった。努力するよ」
勇輝は思いつく限りの言葉を振り絞った。未那はその言葉に嬉しそうに頷き一つのお願いをした。
「うん。・・・・・・ね、勇輝。目瞑ってくれない?」
「え、何で?」
「いいから! ・・・・・・目開けたら昔の勇輝に戻ってね」
言われた通り、勇輝は目を瞑った。目を閉じ、動かない勇輝を見ながら未那は車椅子を動かす。
可能な限り近づこうとする未那の目は我が子の成長を見守る母親のように優しい。勇輝の首筋に未那の手が触れ、そしてかすかに重なった。夕暮れが造る2人の伸びた影は恋人同士の絵を地面に映す。
「い、今の!」
勇輝は赤面しながら頬を覆った。しっとりとした感触が今、確かに彼の頬に触れたのだ。
「ん?」
顔から火がでそうな勇輝とは対照的に、未那は目を細めて微笑んでいた。綺麗で、寂しげな未那の笑みに勇輝は拳を握った。何を言うべきか、勇輝の中で答えが出る。
「ありがとう。元気出た! また会お!」
車椅子の腕置きに乗せられた左手にそっと触れて勇輝は船着き場に向かって走り出した。長く伸びた影がどんどんと遠ざかっていくのを、未那は小さく手を振って見続けた。
「そう、それでいいの。そういう素直でまっすぐなところが、あなたの一番良いとこなんだから」
小さく小さく、未那はつぶやいた。
「終わったのか?」
「うん」
未那の背後から、大柄な男が姿を見せた。男は未那の車椅子の押し手を持ってロックを外す。小さくその場で旋回し、勇輝と逆の方向へと2人は歩き始めた。
「未那ちゃん、あんなつまらなさそうな男がタイプだったっけ?」
「あら酷い。彼はあなたよりめちゃくちゃな人だったのよ? 私のせいであんな感じになっちゃったけど。
・・・・・・でも、もう大丈夫。昔の勇輝の性格に、今の勇輝の思考が加わったら気づくと思うの。『みんな』の中に自分自身もいれていいんだって」
そうか! と男は豪快に笑い、2人は暗くなっていく夜の森に溶けていった。
2泊3日の宿泊学習が終わり、8月。学校祭の準備が始まった。
「ということで、私達のクラスはお化け屋敷をやります!」
この高校はクラスの出し物が毎年くじで決められる。勇輝達のクラスはお化け屋敷。クラス委員が教壇に立ち、面白いアイデアを募集している。しかし、お化け屋敷を面白くするとは・・・・・・? と誰もが頭を抱えてフリーズしていた。
「あ、いいですか?」
「おお、珍しい磯上君! 最近積極的に話し合いに参加してくれて嬉しいよ~」
「ありがとう。それでまあ、提案なんですけど、選ぶコースによって怖さが変わるような怪談レストラン風のやつはどうですか?」
おー、ちょっとした感嘆の声が勇輝の周囲から上がった。書記担当が黒板に怪談レストラン風と記入する。それに柔道部の森田が賛同した。
「いいじゃんそれ! やろうぜ」
「はーいじゃあこの案いいと思う人手あげてー」
クラス委員の声かけに応じてクラスの半数近い人数が手を挙げた。これには勇輝も驚いた。自身の変革の一歩だと思ってだした案が意外にも多くの人の賛成を得ている。
「はい、じゃあお化け屋敷引きずり込みバージョンで決定~」
が、勇輝の案は予算と時間の都合上不可ということで棄却され、別の女子が提案した案に決まった。案が決まったと同時、授業終了の鐘がなり会議は終了した。
「残念だったなあ! 磯上ぃ!」
授業が終わった途端、勇輝の周りに人混みができる。入学して以降あまり勇輝と絡むことのなかった者も、その人混みに混ざっている。
「来年もお化け屋敷引いて、次こそあの怪談レストラン風のお化け屋敷やってみようぜ」
「改良して予算と時間を短縮できるように計算してみるよ」
「まあ来年も一緒のクラスかはわからないけどな!」
肩を組み、頬が擦れ合うような距離で話が進む。
「ちょ、ちょっと、なんでみんな僕の案にそんな乗り気なのさ!」
「だって、磯上、ずっと自分の意見を出すことなかったじゃんかあ。ようやく最近出し始めたんだし、割と見たことない案だったしやってあげてえなあって」
ああ、本心で言っている。勇輝は肩をゆすり続ける森田を含む同じクラスの男たちを見て思わず笑みをこぼした。
「じゃあ、来年もお化け屋敷、引こうね!」
「おう!」
学校でそんな男達の熱い約束が交わされる中、勇輝の家の花瓶には、新たに白色のバラが挿されていた。
『勇輝が大学生になる頃には、虹色になってるだろうなあ』誰もいない部屋にそんな音が響く。窓にかけられたレースが揺れ、隙間から陽が差した。
みんなに染まる 狐条 茜 @kojouakane
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます