第6話 透明な花びら

 期待していた王子と上の娘の婚姻話がパーになり、私は娘たちの嫁入り先探しに必死になった。

 その甲斐あってわりとすぐに、娘は二人ともまあまあな家柄に嫁ぐことが決まる。


 ……ああ、本当に良かった……

 私のように、ひとりにならなくて。


 がらんとした広い屋敷には、私一人が残った。

 召使は、必要最低限の人数がいればいい。

 まあ、シンディがいなくなってすぐに、依願退職する者たちもいたけれど。

 私は、彼らを引き止めたりはしなかった。


「鏡よ……私は、幸せなんだろうか?」


 静まり返った部屋の中、ぶぅんと低い音が響く。

 鏡にかけられた、古い魔法が発動する音だ。


『はい、幸せに


 ……鏡よ、お前は嘘つきだ。私は知っている。

 だって、上の娘は王子に選ばれなかったじゃないか。


(取り急ぎシンディさんと婚約しましたことを、ご報告致します)


 なくしたと思い込んでいたリングに添えられた、短い文言の手紙。

 

 そうか。あの娘……婚約したのか。


 市場の野菜と変わらぬ値段で買われていったシンディ。

 きっと売られた先で、ボロ雑巾のようになるまで働かされるんだろう。いい気味だ。

 あの化粧いらずの小娘め。


 だがそれは、私の願望が見せていた幻だったようだ。


 戻ってきたのは、亡き夫が私にプレゼントしてくれたリングだった。

 シルバーの台座に透明な石。

 

 それを、ぎゅっと胸に抱きしめる。


 私にとって、そのリングは他のどの宝飾品より価値がある……大事なものだった。


 私が女として、愛された証拠だったから。

 

「お、奥様! 急いで来てください、あ、あの!」

 突然、私室の外が騒がしくなる。

 いったい何事だというのだろう。


「あ、あなたは……」

 私は玄関ホールまで行き、慌てた。

 そこに立っていたのは、あの日初めて城で見かけたパーティの主役……王子だったからだ。


 金色の波打つ艷やかな髪。知的なブルーの瞳。


 あの小娘……シンディと同じ色だ。


 恭しく身を屈める私の脳裏に浮かぶのは、愛しい二人の娘たちではなく、憎き小娘の姿だった。


「実は、お見かけした時から、あなたのことが気になって……忘れようとしましたが……無理でした」


 ……は?


「あなたが未亡人でいらっしゃることは、存じています! ですが」


 え……まさか、私のこと⁉


「どうか、私の妻に……」

 私は顔を上げ、呆然と王子を見た。

 そこには微塵もジョークの色がない。

 本気なのだ。


「でも……年の差がありすぎでは……」

「ご安心ください、私には兄がいます。王位も兄が継ぎますし、兄には既に子もいます」

 はにかんだように微笑む王子に、頭がくらくらしてきた。


 遠くに捨ててきた感情を、もう一度取り戻したい。

 できるだろうか……この、黒く染まりきった私に。


 素直な願望がじわりと顔をのぞかせる。


『はい、幸せに


 不意に蘇った鏡の声が、体中を駆け抜けた。


 ああ、今度こそ。

 私は、幸せを掴むんだ。


 うつむいた先の黒い床に、透明な雫がぽたりぽたりと落ちた。


 まるで、透明な花びらのように。

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透明な花びら 鹿嶋 雲丹 @uni888

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