蟹蟹合戦

仲井陽

蟹蟹合戦

 一匹の蟹が、その尖ったハサミの間に絶妙な力加減でもっておむすびを挟み、砂浜を横切っている。

 そこへ柿の種を拾ったばかりの、もう一匹の蟹が現れる。

 最初の蟹を蟹Aとして、柿の種の方は蟹Bとする。

 蟹Bは蟹Aを見て酷く羨ましがる。こっちはこんなカスみたいな物しか持っていないのに、あいつは旨そうな銀シャリなんか持ってやがる。俺の方が体も大きくて、知恵も働くっていうのに、なんであいつの方がいい物を。蟹Bのハサミに力がこもり、硬い種の表面にギザギザの文様が刻まれる。

 そこで蟹Bは一計を講じる。横歩きで蟹Aに忍び寄り、背後から、しかし警戒されないよう柔らかい物腰で話しかける。

「蟹Aさん蟹Aさん、それ美味しそうだね。よかったら、この柿の種と交換しないかい?」

 もちろん蟹Aは嫌がるが、蟹Bの巧みな話術と恐喝まがいの圧力に押され、半分詐欺だと分かりつつも、窮地を逃れるため承諾してしまう。

 かくして取引は成立し、蟹Bは得意満面、おむすびを頬張ることとなる。

 ただ蟹の口は小さいので、おむすびを食べきるまでに5日を要し、最後の方はカビだらけになってしまうが。

 かたや蟹Aは、落ち込んでばかりいても仕方がないと、柿の種を地面に埋める。単なる方便でも、あのとき囁かれた「種は木になり実をつけるから、後々を考えるとおむすびよりもお得だよ。柿食べ放題だよ」という言葉に一縷の望みを託す。

 はたしてお伽話の常により、種は芽を吹く。蟹Aは喜び、歌いながら毎朝水をやる。

「早く木になれ柿の苗、ならなきゃハサミでちょん切るぞ」

 このように、虐げられた弱い者はより弱い者をまた虐げる。概して本人も気づかないうちに。

 しかし柿は逆境をバネに、驚くべき速度で成長する。種のうちに付けられたギザギザの傷がクセになったか、ストレスは柿にとって甘露となっている。

 枝は力強く天を突き、やがて青々と茂らせた葉の間に蜜溢れる黄金の実をつける。

 いざ収穫と喜び勇む蟹Aの前に、再び蟹Bが現れる。

「おむすびが悪くなったのは、説明を怠った蟹Aにも責任がある」と蟹Bはまた難癖をつけ、お詫びのしるしとして柿の実を要求する。

 蟹Aは渋々ではあるが、再びそれを呑まざるを得ない。断ればあの大きなハサミで何をされるか分からないからだ。ただ、柿の実は大量にあり、蟹B一匹では到底食べきれないため、蟹Aも2割の取り分でおこぼれにあずかれることとなる。

 そうしていよいよ柿の実を収穫しようとするが、蟹の体は木を登るように出来ておらず、

 二匹の蟹は困惑したままぐるぐると柿の根元を回る。

 そこへ一匹の猿が現れ、ひょいひょいと枝から枝へ飛び移りながら、次々に柿の実を口へ入れていく。

 蟹たちは驚き、憤慨し、泡を飛ばして抗議する。蟹Bは大きなハサミを振り回して恫喝するも猿には届かない。(仮に届いたとしても、猿のひと踏みでハサミごとたやすく砕かれてしまうだろうが)

 蟹たちは猿より先に実を取ろうと協力し、お互いの体をよじ登ったり、ハサミで木の皮をつかもうとするが、すべて徒労に終わる。

 そうこうしている間に、熟れた赤い実はどんどん猿の胃袋へ吸い込まれていく。蟹Aがいよいよ涙を流して訴える。

「お願いです。この柿は私が丹精込めて育て上げたのです。どうかそれ以上取らないでください」

 その声を聞いて猿の動きが止まる。空洞のような黒い瞳をじっと蟹Aに向けて、今度は猿が言う。

「私はここに柿があるから食べているだけだ。これが自分の物だというなら、どうして収穫しないのかね」

「私たちには手が届かないのです。蟹ですから」

「そんなものをどうして育てたのかね? それにこのまま放っておいても腐るだけだ。ほら、これなんかもう」と熟れすぎて赤茶けた一つを猿はちらつかせる。

「じゃあ相談なんだが、いくつか柿の実を下へ投げてくれないかい? なんならその腐りかけの実や、青い実だけでもいい。悔しいが、それで手を打とうじゃないか」

 今度は蟹Bが持ち掛けるが、猿はにべもなく断る。

「どうしてそんなことをしなきゃいけないんだ? 私と君の間には何の取決めもないだろう? 誰も手をつけていない柿がある。見つけたから私は食べる。それだけだ。変ないちゃもん付けないでくれ」

 そうして猿は、まだ青々とした実まで仲間のためにと丸裸に刈り尽くし、軽やかに身を翻して山へ帰って行く。


この話の教訓は、

① とりあえず死人は出ていないので、異種間で泥沼に争うよりはマシである。

② 共通の敵が現れると、いがみ合っていても結託する。

③ 約束事がこじれるよりは、何の取決めもない方が禍根は残りにくい。

④ 先読みの能力が無いのは致命的である。

⑤ その他。(別にない、を含む)

の中から、好きなものを。

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蟹蟹合戦 仲井陽 @Quesh

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