無常迅速

三鹿ショート

無常迅速

 彼女という人間を一言で表現するのならば、自由といったところだろう。

 自分の欲望を躊躇することなく伝え、その行為がたとえ多くの人間の反感を買うことになろうとも、己が満足すればそれで良いといった様子だった。

 だが、その我儘ゆえに、人々は彼女から離れていった。

 それは、彼女の我儘に巻き込まれてしまうことを恐れているためなのか、または、彼女の自由な振る舞いを見ていると、我慢して生きている自分が惨めだと思ってしまうからなのか。

 私は、どちらの思考も抱いていない。

 どちらかといえば後者の思考に近いのだが、私は己を惨めだと思っているわけではなく、自由に生きる彼女の姿を見ていると、清々しさのようなものを覚えるからである。

 己を殺し、束縛されることばかりの毎日を過ごしていることに対する反動のようなものなのだろう。

 ゆえに、私が彼女から離れるようなことはない。

 彼女にしてみれば、私のような人間は珍しかったのだろう、何時しか友人のように接してくれるようになった。

 勿論、彼女の我儘に振り回されることは多かったが、私が不満を抱くようなことはなかった。


***


 雨合羽を着用した彼女が一人の人間を解体する姿を眺めながら、私は途中で購入した弁当を食べていた。

 当初は、彼女の残虐な行為に胃の中身をぶちまけていたものだが、今ではすっかり慣れてしまった。

 彼女は切り離された男性の首を持つと、その唇に己のそれを重ねた。

 呼吸を荒くし始めた彼女が私に目を向けたために、これから彼女が何をするのかが分かった。

 私は彼女に首肯を返すと、弁当を手にその場から離れていった。

 最初はその行為を見せてくれたものだが、今では私に見られることに対して恥を覚えるようになってしまったらしい。

 何故かと問うたところ、私が友人であるためだと答えた。

 確かに、幾ら友人とはいえ、見せることに抵抗を覚える行為も存在するだろう。

 それ以来、彼女から声をかけられるまで、私は席を外すようになった。

 一時間ほどが経過した頃、彼女は満足そうな笑みを浮かべながら、私に声をかけてきた。

 私は読み始めたばかりの文庫本を鞄の中に仕舞うと、彼女と共に後始末を開始することにした。


***


 自動車を運転しながら、助手席に座っている彼女に訊ねた。

「きみを責めるつもりはないのだが、何故其処まで、好きなように振る舞うことができるのか。他者に嫌われ、生きる場所を失うことに対する恐怖などを抱くことはないのか」

 私の問いに、彼女は外の景色を眺めながら、

「自分の人生は、自分のものでしょう。他者に気を遣って生きることが人生の目的ならば、それを否定するつもりはありませんが、その行為によって息苦しさを覚えてしまうのならば、自分のために、そのような行為は止めるべきなのです。私を嫌っている人間は、私の我儘な振る舞いばかりを責めますが、心の中では、好き勝手に生きることができていることを、羨ましがっていることでしょう」

 彼女は其処で私に目を向けると、口元を緩めた。

「ですが、最初からこのような思考を抱いていたわけではありません。かつての私は、他の多くの人間たちのように、周囲の目を気にしながら生きていましたから」

 その言葉は、意外なものだった。

 彼女は最初から自由な人間だと思っていたのである。

「何か、切っ掛けのようなものが存在したのか」

 私の疑問に、彼女は首肯を返した。

「眼前で、私の父親の生命が一瞬にして散ったことです」


***


 彼女の父親は、絵に描いたような真面目な人間だったが、実際のところは、常に自分を押し殺して生きていたらしい。

 自分が独り身ならば気にすることもなかったのだが、妻や娘といった守るべき存在が出来たために、彼女の父親は我慢をすることに決めたということだった。

 彼女は父親の態度が立派なものだと思っていたが、その父親が工事現場から落下してきた鋼材に巻き込まれて死亡したことで、考えを改めることになった。

 これだけ家族のためを思って生きてきたにも関わらず、報われることがないまま、この世を去ることとなった。

 それならば、これまで我慢してきたことには、どのような意味が存在しているというのだろうか。

 周囲が騒然と化す中、彼女は父親の死体を見下ろしながら、己の今後の生き方を決めた。

 それは、何時この世を去るのかが分からないのならば、何時この世を去ったとしても後悔することがないように、己の欲望に従って生きるべきだということである。

 それによって、今の彼女が誕生したというわけだった。

 その話を聞いて納得したが、それでも私は、彼女のように生きることは出来ないと考えてしまう。

 何故なら、私は平和に生きたかったからである。

 彼女の生き方は、確かに理想的だった。

 しかし、誰もがそのように生きてしまえば、この世界は無法地帯と化すではないか。

 そして、そのような世界と化せば、弱い立場である自分が搾取され続けることは明白である。

 誰もがそのことを理解しているからこそ、この世界は彼女のような人間ばかりではないのだろう。

 太く短く生きるのではなく、細く長く生きる中で得られる小さな幸福を尊重してこそ、人間らしい生き方と言うことができるのではないか。

 だが、その人生が楽しいものかと問われれば、私は首肯を返すことはできないだろう。

 結局のところ、この世界においては、その人間が選んだ人生に口を出したとしても、何の解決にもならないということである。

 集団から逸脱した人間は、放っておけば、気が付いたときにはその生命活動を終えているものなのだ。

 ゆえに、彼女もまた、私の知らない場所で何時の間にか呼吸を停止させることだろう。

 しかし、寂しさを感ずることはない。

 人間は遅かれ早かれ、この世を去るのだから。

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無常迅速 三鹿ショート @mijikashort

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