迫田茉莉花ー7

「ごちそうさまでした!」

「……お粗末様です」


『俺も食べてぇよ……』

『雪さん料理上手だよな』


 少し遅めのランチを終えた茉莉花と雪さんは、自分の使った食器を持って立ち上がり、キッチンへと向かう。


 今日のランチのメニューは雪さんお手製の牛肉を使ったテールスープ。優しい味ながらも味付けは抜群で、朝食を摂っていなかった茉莉花はあっという間に食べ終えてしまった。

 他のゲームでは軽視されることが多い味覚も現実と同じくらい再現されているのが、茉莉花がこのゲームを気に入っているポイントの1つ。ゲーム内で食事をしても現実の空腹を満たすことはできないが、美味しいという感情や満足感を得ることができるのだ。


「……少し休憩したらいこう」

「はい!」


 初心者支援最終日ではあるものの、当初の予定通り午前中は何をするでもなく、家でまったりと過ごした2人。すでに雪さんが冒険者ギルドの職員であるシルヴィアを通じて練習場の予約を済ませており、あとは予約の時間に辿り着けるように準備を進めるだけだ。


「……前回のことは覚えてる?」

「もちろんです!」


『ゲームの魔法ってこんなに難しかったっけ?』

『今日は何となく行ける予感……!』


 茉莉花は、練習場ですでに3回ほど魔法の習得を試みている。奥が深いと言えばいいのだろうか、もちろん一番難易度の低い初級魔法からスタートしているが、未だに完璧に成功した魔法はなく、思った以上に難しいというのが茉莉花の素直な感想だった。


「……打ち合わせ」

「はい。今日も風属性の初級魔法から試してみたいと思います。」


 食器の片付けを終え定位置のソファーに戻った2人は、魔法の練習前恒例の座学を始める。普段から口数の少ない雪さんだが、意外にも理論派で実践と同じくらい座学を重要視しているようだった。多くを語らない雪さんだがアドバイスは常に適切で、師匠として申し分ない存在だ。


「魔力を上手く変換できていない、でしたよね?」

「……そう」


 茉莉花は前回の練習後に行った反省会の内容を思い出す。体の中にある魔力を感じ取り、それを放出するところまでは師匠である雪さんが驚くほどスムーズに行えた茉莉花。そこで調子に乗った訳ではないが、魔力を体外に放出するときに魔法に変換するという段階で随分の間足踏みをしている。


「……やっぱり詠唱する?」

「いや、詠唱はなしでいきます!あと一歩のところまで来ている気がしますし」


 雪さんの指導は傍から見るとスパルタだ。ほとんどの初心者は呪文を詠唱して魔法を発動し、慣れたころに詠唱破棄での発動を練習し始める。しかし詠唱は無駄という雪さんの考えのもと、初っ端から詠唱なしでの魔法発動を試みているのが今の茉莉花だ。

 詠唱はいわば補助輪。魔法を発動するときに一番大切なのはしっかりと魔法のイメージを固めることだが、曖昧なイメージでも発動できるように助けてくれるのが呪文であり、詠唱だ。


「……イメージは湧いた?」

「はい。前回のアドバイス通りやってみるつもりです!」


 茉莉花が魔法の発動を試みるときに元々想像していたのは、木々を揺らすそよ風のようなもの。あまりにも上手くいかなかったため、前回の反省会の際に雪さんと相談の下、今日はイメージそのものを変えて挑むことに決めていた。

 発動後の魔法の形は同じでも、発動するまでの過程は人それぞれというのが通説だ。魔法の発動には、その人の想像力の豊かさや対応力が試されるといったところだろうか。


「今回は空気に振動を与えて風を起こすイメージをしてみるつもりです」

「……!いいと思う」


 茉莉花の言葉に対して嬉しそうな表情を浮かべる雪さん。どうやら雪さん的に納得のいくイメージであったようだ。


「……よし」

「分かりました。すぐに準備します!」


 小さな掛け声とともに雪さんがソファーから立ち上がる。たった一言の掛け声であるが、これが打ち合わせを終えて出発しようの合図であることを茉莉花は理解することができていた。

 茉莉花もすぐにソファーから立ち上がり、部屋着から初期装備へと着替え、その上に雪さんと一緒に買った防寒具を羽織る。


「……似合ってる」

「ありがとうございます!雪さんも素敵ですよ」


 実際に魔法の訓練をする茉莉花と違って、師範役を務める雪さんの格好は動きやすい服装ながら、ところどころにパステルカラーを散りばめたお洒落な装いだ。茉莉花は毎日変わらない服装だが、このような雪さんの細やかな気遣いの一言を嬉しく感じていた。


「……行こう」


 茉莉花が準備を終えたのを見て、雪さんが出発を合図する言葉を発した。2人は玄関を出て外廊下を進み、そのまま建物の外に出る。


「わぁ!今日は一段とすごい雪ですね!」

「……うん」


 冬生まれなこともあってか寒さが苦手ではない茉莉花は、約1日ぶりの一面の銀世界に興奮して思わず声を上げた。昨日ぶりのプムトロコールの街並みは、視界がぼやけるほどの雪で一層白さを増してきている。隣に立っている雪さんも、『雪』の名前の通り雪は嫌いでないようで、心なしか上ずった声をしていた。


「……ん」

「はい!行きましょう!」


 茉莉花は差し出された雪さんの右手を、包み込むように握る。きっと雪を歩き慣れているだろう雪さんに、右手で引っ張ってもらいながら目的地である練習場へと向かうのだ。


「雪さんは北の出身なんですか?」

「……ううん。人が多いとこ」


 リアルに踏み込みかけた恐らくタブーギリギリの質問ではあるが、雪さんは迷うことなくそう答えた。

 人が多いとこ。東京か、大阪か、はたまた名古屋か。確かに雪さんのどこか洗練された感じは、都会で育った雰囲気を漂わせている。


「私も人が多いとこの出身ですよ」

「……うん。そうだと思った」

「どういうことですか!?」

 

 珍しくニヤッとからかうように笑った雪さんに大げさに反応する茉莉花。こうした何でもないような時間に雪さんのことを一つずつでも知っていくことが、ここ最近の茉莉花の密かな楽しみだ。


 そんな雑談をしながらしばらく歩いていると、あっという間に15分ほどで目的地である冒険者ギルドの練習場へと辿り着いた。


「雪さん!茉莉花さん!」

「お、シルヴィアちゃん!」


 練習場に入ってすぐのところで、ギルド職員の制服を着たシルヴィアがいつもの元気な調子で声をかけてくる。


「待ってましたよ!今日も頑張りましょう!」

「うん。よろしくお願いします!」


 受付のときは常におろしている髪を後ろでまとめて、気合の入った様子のシルヴィア。シルヴィアは茉莉花の魔法の訓練を見学して色々とアドバイスをくれる、茉莉花にとって第2の師匠である。

 理論派ながら口数が少ない雪さんに、感覚派ながら細かくアドバイスをくれるシルヴィア。まるでアンバランスな師匠2人だが、魔法の発動に失敗しても楽しく続けられているのは間違いなくこの2人のお陰だ。


「……の前に、雪さん。依頼の話は聞いていますか?」

「……依頼?」


 キョトンとした顔で聞き返した雪さんに、仕事モードで説明するシルヴィア。どうやら雪さんの所属するパーティー《Snowing》に定期的に依頼しているスノウフロッグの討伐をお願いしたいということらしい。


「……他のメンバーは?」

「どうやら雪さん以外は街に居られないようでして……」


 雪さんの質問に対して申し訳なさそうに答えるシルヴィア。茉莉花は、雪さん以外が街に居ないというシルヴィアの言葉に、雪さんが一瞬顔を曇らせたのを見逃さなかった。


「……明日行く」

「ありがとうございます。いつもすみません……」


 しばらくの無言のあと硬い表情で告げた雪さんに、再び申し訳なさそうに応答したシルヴィア。


『うーん……』

『もしかして《Snowing》上手くいってない?』

『何かありそうだね』


 不穏な言葉が流れるコメントを眺めながら、茉莉花はいつもと違う雪さんとシルヴィアの姿に、ぼんやりと頭の中で考えを巡らせていた。


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VR世界で始める新生活《New Life》 諏維 @indigo-999

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