迫田茉莉花ー6

 この世界に降り立って8日目。

 つまりは雪さんと共同生活を始めて一週間。予定では今日が冒険者ギルドの依頼による初心者支援の最終日である。


「皆、おはようー」


 ゲームにログインして、まずは視聴者に向けて軽く挨拶をする。


『マリちゃんおはよう!』

『もう普通に自分の家だね』

『頭おかしくなりそうや……』


 スマホで時間を確認すると午前9時を過ぎたばかり。日本の時間は18時過ぎであり、配信開始時間としてはまともな時間に思えるが視聴者が何を気にしているのかというと……


「……おはよう、茉莉花」

「おはようございます、雪さん」


 ベッドに腰掛ける茉莉花の横に座ったのは、家主であり、茉莉花の初心者支援を担当する冒険者でもある雪さん。どうやら起きたばかりらしい彼女は、寝ぼけまなこをこすりながら、ベッドに置かれた茉莉花の右手にそっと左手を重ねてくる。

 茉莉花はあの日からほとんどの時間を雪さんと過ごしており、この短期間ですでに気が置けない関係性になりつつあった。


『もはやてぇてぇが当たり前の世界』

『我々は壁……我々は壁……』


 しばらく無言の時間が続くと、雪さんが軽く目をこすりながら茉莉花の肩に頭を預けるようにしてもたれ掛かってくる。


「雪さん?また眠れなかったんですか?」

「……うん」


 一週間の共同生活を経て、茉莉花は雪さんが普通ではないことを十分に理解していた。雪さんは1日の大半、約20時間ほどをこの世界で暮らしている。

 今現実の茉莉花が着用しているVR機器は、体が食事・水分を欲しているときや生理現象の際にアラートを発して、場合によっては強制的にログアウトさせる機能が付いた優れものだ。ただ唯一この機器が管理していないのが睡眠であり、ゲーム内で眠りについたとしても脳が働き続けてしまうため現実の体の疲れはほとんど取れないのだという。


 雪さんがこの世界に20時間以上いるということは、単純計算で4時間ほどしか睡眠をとっていないことになる。初めて会ったときや今のように雪さんがウトウトしていることが多いのは、そのせいなのだろうと茉莉花は思っていた。


 茉莉花のすぐ隣で小さな寝息を立てはじめた雪さん。相変わらず人間離れしたかのような綺麗な顔立ちに、茉莉花の心臓は少しだけ鼓動を早めている。


『てぇてぇ光景なんだけど……』

『雪さん大丈夫かなぁ……』


 視聴者が雪さんを心配する気持ちは、茉莉花にも痛いほど分かっている。単純な茉莉花視点では雪さんがまるで現実世界からこちらの世界に逃げ込んでいるようにも見えているが、現実の問題が絡んでいるかもしれない以上茉莉花から突っ込んで話を聞くこともできない。

 せめて雪さんが楽しく、そして穏やかに過ごせるようにと、ここ数日の茉莉花は彼女の出来る限りの時間をこの世界で過ごすようにしていた。


「……っごめん」

「大丈夫ですよ。今日はゆっくり過ごしましょうか?」

「……ありがと」


 茉莉花の言葉に少し考えた後、肯定する雪さん。ここで茉莉花の提案を断らないところが、雪さんと茉莉花の信頼関係がしっかりと築かれているという何よりの証だろう。

 今日は初心者支援最終日ではあるが、そもそも大雪のせいでできることは少ないし、何よりも茉莉花は雪さんと共有するこのゆったりと流れる時間が嫌いではない。


 たまに『依頼放棄だ』とか『ずっと同じ光景が続いてつまらない』といったコメントを見かけないこともないが、茉莉花は一切気にしていなかった。この街で初心者支援を受けることを決めたのは他でもない茉莉花自身だし、これで視聴者が減るのならばそれはそれで構わないという強い気概が茉莉花にはある。


「……午後は魔法の練習しようか」

「分かりました!今日こそ成功させます!」

「……うん、楽しみにしてる」


 魔物の動きが鈍く、そもそも雪の影響でそのエリアまで辿り着くのが難しいため、初心者支援の内容は専ら魔法やスキルを使う練習である。一応冒険者ギルドの建物の隣に練習場が併設されており、小規模魔法やスキルなら実際に使用して練習することも許されていた。


「……シャワー浴びてくる」

「はい、いってらっしゃいです」


 雪さんが眠気覚ましにシャワーを浴びに行く光景は、ここ数日で何回も見かけている。

 ゲームプレイ中は常に配信され続けるという仕様なため、入浴中などに配信がどうなるのかを心配していた茉莉花だったが、さすがにその辺は配信に載らないようにしっかりと配慮されているようである。(その間配信画面では自動生成されたリプレー映像が流れるらしい)


「今日が初心者支援最終日……」


『あっと言う間だねー』

『明日からは何するの?』


 雪さんが浴室に向かい一人になった部屋で、茉莉花はコメントを見ながら雑談をする。

 この一週間、『The Earth in Magic』以外のゲームを配信していない茉莉花は、プレイ中もほとんどの時間、隣に雪さんが居るためにコメントを返すことができていない。今の茉莉花にとって雪さんとの時間は何よりも大切にしたいものだったが、視聴者とのコメントを通じての会話も茉莉花が大切にしたいものの1つだ。


「明日からはとりあえず未定かなー」


『未定かー』

『そうだね』

『まぁ仕方ないか』


『強くなる』という目的のもとこの街に降り立った茉莉花だが、今のところ強くなることを目指した動きができているかと問われると、全くできていないと答えるのが正しいだろう。それでも茉莉花としては己の道を突き進むよりも、流されてでも納得できる行動をしたいという気持ちが強い。


「雪が溶けるまでは街に居ようかなと思ってるけど」


『いいね!』

『どの道この雪だと身動きとれないもんなぁ』

『ひたすら魔法の練習をするのみ!』


 このすっきりしない気持ちも、冬が明ければ何とかなるのではないかという淡い期待が茉莉花の中にはあった。幸いなことに、当初の予定とは違ってかなりまったりした配信内容ではあるが、じわじわと視聴者数は増えており、そういった面でも焦る必要はないだろう。


 茉莉花は雪さんの部屋を改めて見回す。

 一週間のほとんどの時間を過ごした、この部屋。文字通り寝食を共にして、出会って一週間という短い期間に冒険者の先輩では到底収まらない関係性になっている。


『マリちゃんも無理しないでね』


 ふと茉莉花を心配するコメントが目に入る。雪さんほどではないとはいえ、茉莉花もここ数日の配信時間は平均して18時間を超えている。茉莉花は自分の体力に自信がある方ではあるが、この生活を続けているとどこかでガタが来てしまうだろう。


「……なんとかしなきゃ」


 まるで自分に言い聞かせるような、自然に漏れ出た言葉だった。


 茉莉花はソファーから立ち上がる。きっとコメント欄では茉莉花の呟きに対する反応が書き込まれているだろうが、茉莉花にそれを確認するつもりはなかった。


「……ただいま」


 考え事をするようにソファーの周りをぐるぐると歩き回っていると、浴室のある玄関の方から雪さんの声が聞こえ、茉莉花はそちらを振り向く。


「……また!駄目ですって!」


 相変わらず眠そうな目つきで立っていたのは、髪を濡らしたまま裾の長いTシャツを1枚羽織っただけの雪さん。茉莉花にも、もちろん視聴者にも目に毒な格好。茉莉花は慌ててタンスから雪さんの部屋着を取り出し、そのまま駆け寄ってすぐに着るように促す。


「……ありがと」


 茉莉花から渡された部屋着を嬉しそうに受け取り、ニコッと笑う雪さん。先程のすっきりしない気持ちとは打って変わってじんわりと暖まり始めた謎の気持ちに茉莉花は気付かない振りをして、茉莉花も雪さんと同じようにニコッと笑みを浮かべた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る