夜空大兎ー6
傭兵ギルドから10分ほどかけて《讃美歌》のクラブハウスへと帰還し、素材の採集に同行することになっている3人と合流する。
今回のメンバーはエドさん、ムギさん、そしてクラフトの師匠であるノラさんだ。
「すみません、遅くなりました」
大兎の声に対して数名の団員が笑顔で反応する。
午前中ここを訪れたときとは打って変わって、10名近い団員がクラブハウスの中を動き回っていた。そこそこの広さがあるクラブハウスだが、大人10人が動き回るとさすがに手狭に感じるものだ。
まだ集合には早い時間だが、同行するメンバーはすでに揃っている。エドさんは作業部屋の近くを忙しなく動き回り、団長であるムギさんは奥の方で数名と打ち合わせ中で、大兎に気付くとニコッと笑ってから右手をあげて挨拶をしていた。
「大兎、おはよう」
「ノラさん、おはようございます!」
お昼過ぎにも関わらずどこかの業界のように「おはよう」と挨拶してきたのは、《讃美歌》のクラフト担当で大兎の師匠でもあるノラさんだ。声は可愛らしい女性のものだが、可愛くデフォルメされたクマの着ぐるみで全身を覆っており、ボディラインどころか顔さえ窺うことができない。
エドさんによるとこのクマの着ぐるみは、最初期のプレイヤーのみが選択できた初期装備。人前で一度脱いだら二度と着られなくなる仕様上、今でも着続けている渡り人はエドさんの知る限りノラさん以外には居ないらしい。
「午前中練習したんだね」
「はい!エドさんから聞きましたか?」
「ううん。体力回復薬、増えてたから」
ノラさんは随分と起伏の乏しい話し方だが、その話し方とは裏腹にクラフトに対する情熱と初心者に対しても粘り強く教えてくれる優しさがあることを大兎は理解している。緊急時に備えて常にストックを切らさないようにしているポーション類を管理しているのは、他でもないノラさんだ。
「……悪くはないと思う」
ノラさんは数時間前に大兎が作成したばかりの綺麗な緑色の体力回復薬をアイテムボックスから取り出して、そう言った。お世辞を言うタイプではないと分かっているが、ノラさんが手に持つ体力回復薬は間違いなく最低品質のものだ。
「……ありがとうございます」
大兎が明らかに納得のいかない表情で返事をしても、ノラさんは特に反応することなく黙々と素材採集の準備をしている。
大兎はノラさんを冷たい人だと感じる訳でもなく、むしろノラさんらしいと思っていた。口数も少なくクラフトが得意な彼女は、職人肌であり、どちらかといえば背中で語るタイプだ。
「俺の方で何か準備するものはありますか?」
「ううん。大丈夫」
「おォ、そうよ。大兎はほとんど見学だろうし今回行くところは危ないところでもネェからな」
そう言いながら少し離れた場所で出発の準備をしていたエドさんが合流する。エドさんの装備は話した内容とは真逆のフル装備。ノラさんが無言でエドさんを指差す。
「こ、これは。仕方ネェだろ!?」
昨日ムギさんから聞いた限り、今から行く場所はほとんど魔物が現れない安全度の高い森。エドさんの装備は素人目で見ても、明らかに大袈裟すぎるものだ。
「エドは案外ビビりだからなぁ」
同行する最後の一人であるムギさんがそう言って登場すると、エドさんがこちらの方をチラチラと見ながらタジタジになる。
「だ、団長……。勘弁してくだせェ……」
エドさんの本気装備や他二人の反応を見る限り、エドさんが魔物との戦いに過剰なほど警戒しているのは事実なのだろう。エドさんがチラチラと大兎を覗き見ているのは、きっと大兎の前では格好良くいたいという気持ちがあるからに違いない。
「た、大兎。警戒はするに越したことはネェからな」
「は、はい!」
「情けないなぁ。これでも最初は傭兵団の戦闘員として勧誘したんだが……」
ムギさんは何とか大兎を味方につけようとするエドさんに呆れた表情だ。とても言い出せる雰囲気ではないが、戦闘系のゲームをほとんどプレイしておらず戦うことにあまり自信がない大兎は、エドさんの気持ちが分からないこともないのだが。
「まぁエドをからかうのもこれくらいにしておこう。一応2時間くらいで帰ってくる予定だけど早く行くことに関しては何の問題もないからね」
「分かりました!」
団長であるムギさんの号令にエドさん、ノラさん、大兎の3人が元気よく返事をする。出発予定時刻は14時だったが、時計の針はまだ13時半頃を指していた。
ムギさんを先頭にして大兎たちは玄関の方、ではなく大兎がまだ行ったことのない裏口の方に向かっていく。
「な、なるほど。魔導車で向かうんですね」
「もちろん!」
裏口の先には車が3台ほど駐められるスペースのあるガレージがあった。ムギさんは得意気にアイテムボックスから鍵を取り出すと、初日に乗せてもらったのと同じ車の運転席に意気揚々と乗り込む。すぐにエドさんとノラさんが後部座席に座り、大兎は残った助手席へと乗り込んだ。
徒歩や馬での移動をイメージしていた大兎は一瞬梯子を外されたような気持ちになったが、よくよく考えてみれば魔導車で移動できるなら魔導車を使うことが最善であるのは明らかだ。
「エドをからかいたくなる気持ちも分かるだろ?」
「いやいや。大兎を困らせないでくだせェ、団長……」
楽しそうに運転するムギさんの話では、森の入口まで魔導車で向かい、そこから入口付近で見つけた回復草の群生地で採集を行うということだ。そもそも魔物をほとんど見かけない森であるうえに、今回は入口付近から動かないのだから、魔物と遭遇する可能性は限りなくゼロに近いと言っていい。
改めて話を聞くとムギさんに同意したくなるのだが、ここは無言を貫き通すことにした。
「いつもこんな感じで採集してるんですか?」
「そうだねー。回復草は比較的安全な場所にあるから自分で採集してもらうことが多いかな」
大兎は話題を変え、今日の採集についての話をする。ノラさんに少しだけ聞いていたことだが、意外にもクラフトに使う基本的な素材は自分で集める人が多いらしい。
「素材は入手しやすさの割に高ぇものが多いからナ」
「なるほど。ノラさんも普段は自分で取りに行ってるんですね」
「そう。ちょっと面倒だけど……」
要するに役割分担というやつだろう。素材の中には入手難易度が高いものもあるが、そういった類のものは買ったりムギさんたち戦闘員が集めたりし、その他はノラさん等のクラフト担当が自身で集める。ノラさんも渡り人であり、最低限の魔法や魔道具による護身術は身につけているらしい。
そもそも素材を買ってクラフトだけに集中しようとしても、クラフトに使用する魔力の関係ですき間時間が生まれてしまう。言うなればこれは一種の時間の有効活用であるということだ。
そんな話をしていると、ムギさんが車のスピードを緩め動力を停止する。車から降りると、すぐ目の前には大小さまざまな木々が生い茂っている。どうやら目的地に着いたようだ。
「群生地は入ってすぐのところだよ!」
変わらずムギさんを先頭にして森の中に入って行く。ムギさんは初日に出会ったときのような銀色の鎧を着ているわけでもなく、ハイキングのときのような動きやすい服装といった装いだ。
「……普通の森、ですね」
「まァな……」
この世界に来て初めての探索といえる時間だが、一番に出てきた感想がこれだった。特に珍しい生き物や植物も見当たらず、日本の森といわれても全く違和感がない。強いて違いを挙げるとすれば、日本よりも空気が美味しく感じることぐらいだろうか。
初めは大兎の中にも魔物に遭遇するかもしれない緊張感があったが、あまりにも平和な森の中に大兎は平常心を取り戻しつつあった。
「ほら、ここだよ!ここ!」
「団長……子どもじゃねェんだからよ」
5分程歩いた後、少しずつ見えてきた群生地に向かって走り出したムギさんを見て、エドさんが苦笑いで言う。大兎たち3人も歩いてムギさんの後を追うと、確かに午前中体力回復薬を作るときに使った緑色の細長い草が直径5メートルほどの円の中に群生している。
「さぁ集めようか!」
大兎もムギさんからナイフを受け取り、ノラさんに教わりながら回復草を刈る。引っこ抜くのではなく刈るのは、しばらくすると再び今のように生えてくるかららしい。
エドさんもノラさんも無言で回復草を刈る中、ムギさんだけは鼻歌を歌いながら機嫌良さそうに手際よく回復草を刈っている。
初回の探索で魔物にも遭遇せず、見た目は普通の草を刈り続ける姿はとてもファンタジージャンルのゲームとは思えない地味なものだったが、どことなく感じる心地よい空気が大兎の心の中をゆっくりゆっくりと満たしていった。
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