妻が元婚約者の下に赤ちゃんを置き去りにした

村沢黒音

第1話 婚約破棄したら、大変なことになった


「すまない、カトリーヌ。君との婚約を破棄したい」


 僕の発言に、婚約者――カトリーヌは目を見張った。


「……なぜですか」


 何て察しの悪い女なんだ。


 僕はきちんと、冒頭に「すまない」と付けたんだ。

 理由なんて聞かなくてもわかるだろう。ここはすべてを察して、大人しく身を引くべきじゃないのか!


 カトリーヌは才女だと評判だった。詳しくは知らないが、何かすごい物を作るのだそうだ。……その話に僕は興味がなかったので、よく知らないが。


 しかし、こんな風に察しが悪い様子を見るに、本当は頭が悪いのではないかと思えてくる。


 見た目も地味な上に、馬鹿とは……。

 ……救いようがないな。


 それなら、僕が彼女より美しい女性に心を惹かれたとしても、僕は何も悪くない。悪いのは僕の心をつなぎとめることができなかった、彼女の方だ。


 そんなことを考えていると、カトリーヌは呆れたようにため息をついた。何だ、その態度は……! 彼女の言動のすべてが気に食わず、僕は眉をひそめる。


「そうですか。わかりました。それでは、このことは両家に報告させていただきます」


 ――なぜそこで家のことを持ち出す!?

 この女は本当に、性根が悪いと僕は思った。


「これは君と僕の問題だ! 家は関係ないだろう!!」

「いいえ。アベル様。この婚約は、両家の親同士が結んだものです。両家に黙ったまま婚約を解消することなんて、できるわけがありません」


 カトリーヌは感情のこもっていない目で、淡々と告げる。

 僕はイラついていた。

 彼女が今回のことで冷静な態度を見せていることも、理屈っぽい言葉も、憎たらしくて仕方なかった。


 その時、


「やめてよ、おねえさま! アベルをいじめないで!」


 僕らの間に1人の女性が割りこんできた。

 亜麻色の髪をふわふわとなびかせて、おっとりとした顔付きの女性だ。彼女はカトリーヌの妹……ローラだった。


 僕は彼女の姿に硬直した。


 なっ……! あれほど今回の話し合いには関わらないでほしいと言っておいたのに! ローラもその時は、「はぁい、アベル様♪」と可愛らしく頷いていたのに!

 なぜこのタイミングで話に入って来るのか!?


 カトリーヌは冷然とした口調で、彼女を突き放す。


「ローラ。あなたには関係のないことよ」

「あるもん! だって、私のお腹には……!」

「ろ、ローラ、やめろ!」


 止めようとしたけれど、間に合わなかった。


「私のお腹には、赤ちゃんがいるのよ! アベルの子よ!」


 ――僕は頭を抱えた。





 カトリーヌとの婚約は1年前に決まった。


 僕は初めから、彼女のことが気に入らなかった。見た目が地味で好みではないし、彼女の趣味も気に食わなかった。部屋にこもって、わけのわからない物を作るのが好きらしい。そんなキナ臭い趣味、令嬢としていかがなものか? とても許容できたものではない。


 ローラに出会ったのは、カトリーヌの家でお茶会をしていた時だった。

 姉のカトリーヌとは異なり、天真爛漫で、表情がころころと変わって、愛らしいローラ。

 僕はすぐに彼女に惹かれた。

 そして、カトリーヌの目を盗んで、2人きりで逢瀬を楽しむようになった。


 それにしても、カトリーヌとの婚約破棄の場で妊娠を暴露するとは……。ローラには困ったものだ。


 彼女はおっとりとしていて、天然なところがある。だから、今回のこともわざとではないのだろう。僕がカトリーヌに責められて困っている様子を見て、助けに入ろうとしてくれたにちがいない。

 いじらしくて、可愛い子だ。


 予定とは少し変わってしまったけれど、仕方ない。


 僕は父の書斎に向かっていた。

 ローラは愛らしい女性だし、すでに僕の子を身ごもっているのだ。父もきっと彼女を気に入って、婚約者の変更を許してくれるにちがいない。


 そう思っていたのに。


「お前は何ということをしたのだ!!」


 書斎に入るなり、父の罵声が飛んできて、僕は目を白黒させた。


 ……は?

 ……なぜ僕が怒られなければならないんだ?


 この場合、責められるべきはカトリーヌの方ではないか!!


「カトリーヌとの婚約を勝手に破棄するなど……! お前は今回の婚約にどれだけの利益があるのか、わかっていなかったようだな!!」


 利益だと?

 そんなもの、あるものか。

 むしろ利益があったのはカトリーヌの方ではないか。僕の家より、彼女の家の方が身分が低いのだから。


 僕の家は伯爵家、そして、カトリーヌの家は子爵家だ。

 今回の婚約はカトリーヌ側から懇願されて結ばれたものであると、僕は思っていた。


「何を言うのです、父上! カトリーヌではなく、僕は妹のローラと婚姻します。彼女の家と縁を結ぶ必要があるというのなら、ローラの方でも問題ないはずでしょう!」

「お前は本当に、何も理解していなかったようだな!」


 父は怒りのあまり、顔を赤黒く染めている。


「真に価値があったのは、カトリーヌの方だったのだぞ! 彼女が魔導具製作において、いくつも特許をとっていたことを知らないのか!?」


 魔導具制作……?

 特許?


 何の話だ、それは。

 彼女が部屋にこもって何かを熱心に作っていたことは知っていた。だが、それが魔導具だったというのか……?


「その特許があれば、うちの商売も広く展開ができると見込んでの婚約であったというのに……! お前のせいで台無しになった!」

「……は?」

「それも不貞による婚約破棄だと!? そのせいで子爵家より慰謝料を請求されている。家の評判だってがた落ちだ。お前の軽率な行いのせいで、どれほどの損害が出たと思っている! 今日をもって、お前は勘当する! すぐに荷物をまとめて、家から出て行け!」

「そんな!!」


 あまりの展開に、僕は泡を食った。


「あんまりです、父上! ローラのお腹には僕の子供がいるんですよ! 生まれてくる子供はどうするんですか!」

「そんな薄汚い腹から生まれてくる子など、家には不要だ」

「父上!!」


 父は無情だった。


 その後、母にもすがってみたが、汚いものを見るような目で睨まれるだけだった。


 その日のうちに僕は勘当されて、家を追い出された。

 手元にあるのは手切れ金で持たされた、わずかな金だけ……。




 両親があんなにわからず屋だったなんて、知らなかった。

 たかがカトリーヌとの婚約を破棄しただけで、この仕打ち……。

 そうだ、やっぱりすべてはあの女が悪いのだ。


 カトリーヌが魔導具製作のプロだなんて僕は知らなかった。あの女め、わざと僕に秘密にしていたにちがいない! カトリーヌがきちんと僕に話を通していれば、こんなことにはならなかったかもしれないのに……。


 もういい。家のことだって知るものか。あんな家とは、こちらから縁を切ってやる。

 僕にはローラと生まれてくる子供がいるのだ。3人で幸せになろう。


 ローラは心優しい子だ。だから、きっとわかってくれる。僕のことを励ましてくれるにちがいない。あのおっとりとした笑顔で、「頑張りましょうね、アベル様♪」と言ってくれるかもしれない。


 僕はそう思っていた。




「勘当ってどういうこと!?」


 家を追い出されたことを聞くなり、ローラは激昂した。

 見たことのない険しい顔で、僕を責めた。


「それじゃあ、私は伯爵家で暮らせないの!? お金はどうするのよ!!」


 あまりの剣幕に僕は唖然とする。

 しかし、すぐに我に返った。彼女は妊娠しているのだ。興奮させては、お腹にいる子供に悪い影響が出るかもしれない。


「ごめん……ごめん。ローラ。落ち着いて」

「私、あなたの子を身ごもっているのよ!? お金がなければ、この子を育てることだってできないわ!」

「お金は……どうにかするよ」

「あなたがどうにかするのは、当たり前のことよ! 早く何とかしてちょうだい!!」


 ローラも子爵家を勘当されていた。

 そして、彼女は一文無しだった。


 まずは住むところを確保しなくてはならない。ローラのお腹には子供がいるのだから。その子のためにも、野宿だけは避けたかった。

 僕は街に行って、家を借りた。手持ちの金で借りられたのは、古くて汚くて狭い部屋だけだった。

 そのことにもローラは文句をつけた。


「何よ、この部屋! まるで奴隷が住むような家じゃない! こんなのいやよ、いや! 汚い!!」

「ごめん。……ごめんね。ローラ。ほら、僕の上着を使って。お腹を温めるんだ」

「いらないわよ、あんたの服なんて! 私が欲しいのは清潔なベッドと、あったかい毛布なの!!」


 ローラは怒る。

 子供のことが心配で、僕はハラハラしていた。


 その日の晩、僕はずっとローラのことを宥めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る