第2話 働かないと食べていけないなんて!


 次の日から僕は仕事を探し始めた。

 ローラには元気な子を産んでもらいたい。だから、彼女を働かせるわけにはいかない。

 ゆっくり休んでねと伝えると、ローラは「こんな汚い部屋じゃ、ゆっくりもできないわよ!!」とまた怒っていた。


 仕事を探すのはとても大変なことだった。

 僕は街中を駆けずり回って、ようやく食堂の皿洗いの仕事を見つけた。

 次の日から働くことが決まって、家へと帰る。


 そして、仰天した。

 粗末な家、狭い室内――それに不釣り合いなベッドが置いてあったのだ。


「ローラ!? これはどうしたんだ!!」

「あ、アベル♪ どう、素敵でしょう? あなたが持っていたお金で買ってきたのよ♪」


 僕は脱力して、その場にへたりこんだ。

 大事なお金が……。

 あのお金でしばらく過ごさなくてはいけなかったのに……。


 僕は彼女に文句を言おうと思った。

 でも、言えなかった。


 ローラは満足そうな様子でベッドに横たわっている。

 彼女のお腹にいる子供のことを考えた。


 ……妊婦には、体を休める場所が必要だ。その方が赤ちゃんにとっても、いいにちがいない。


 ローラは1人でベッドを占領していた。

 だから、僕は固い床の上で、上着にくるまって眠った。




 次の日、僕は寝坊した。

 伯爵家にいた時は、いつも侍女が僕のことを起こしてくれた。

 だから、自分で早起きする習慣がなかったのだ。


 そのせいで、僕は仕事に大遅刻した。


「この、馬鹿野郎ッ!!」


 食堂の主人は僕の顔を見るなり、殴りかかってきた。僕は地面へと倒れて、目を白黒させる。

 今起きたことが信じられなかった。

 食堂の主人はたくましい体付きの、野暮ったらしい男だった。


 ――何をする!!

 僕は伯爵家の人間だぞ! 平民の男が、この僕に手を上げるなど!


「初日から遅刻するような無能はいらん! お前はクビだ!」


 男はそう言って、食堂へと入っていった。

 何を偉そうに! こんな奴がいるところで働いていられるか! こっちの方から願い下げだ!!


 僕が倒れていると、1人の女が寄ってきた。

 うわ……何て見るに堪えない女なんだ。

 その顔を見て、僕は吐き気がした。美しいローラとは大違いだ。

 髪はぼさぼさで、三つ編みにしている。目鼻立ちはパッとしない。その上、とろそうな面持ちをしている。


「あの…………大丈夫、ですか……?」


 女が伸ばしてきた手を、僕は振り払った。

 汚い女が、僕に触るんじゃない!




 その後、僕は一日中、仕事を探し回った。

 でも、他の仕事は見つからなかった。


 家に帰ると、ローラがケーキを食べていた。今の僕らが買うには高級すぎるお菓子だ。


「甘いものが食べたくなっちゃったの♪」


 僕は何も言えなかった。

 彼女が食べ残したわずかなクリームを腹に収めて、僕は床の上で眠った。




 それから数日が経った。

 仕事は見つからなかった。

 手持ち資金が底をついた。僕は2日、何も食べていなかった。僕の食べるものはすべてローラに与えた。妊婦が食べるものは、赤ちゃんの栄養になる。だから、ローラのことだけは飢えさせるわけにはいかなかった。


 気が付けば、僕はまたあの食堂の前へとやって来ていた。

 店じまいの時間だ。食堂の主人が外へと出て、看板を下げている。僕に気付くと、険しい顔になった。


「そこに突っ立っていられると、迷惑だ。さっさと帰れ」


 不愛想に告げて、店の中へと戻ろうとする。


「…………せて、ください……」

「ああ?」

「ここで……働かせてください……」


 僕は地面に頭をこすりつける。


 くそ、どうして伯爵家の僕が、平民相手にこんなことを……!


 でも、お金が欲しかった。ローラのお腹にいる赤ちゃんを死なせたくはなかった。

 だから、僕は必死で頼みこんだ。


「お願いします……! ここで働かせてください!」

「はあ? テメーはクビだって言っただろうが」

「お願いします……。妻のお腹には……赤ちゃんがいるんです……」

「………………」


 その時、店の中から女が飛び出してきた。

 先日、僕に声をかけてきた、地味な女だ。


「お父さん! ここで働いてもらおうよ。いいじゃない。ね?」


 彼女は……ここの娘さんだったのか。

 男は顔をしかめて、黙りこむ。

 そして、ぶっきらぼうに言い放った。


「明日は朝5時に来い。……今度は遅刻するなよ」

「っ! ありがとうございます!!」


 僕は嬉しくて、地面に頭をこすりつけた。


「おい。お前、こっちに来い」

「え……?」


 男に呼ばれて、店の中に入る。

 すると、男はスープを持ってきた。それを僕の前に置く。


「食いな。店の残りもんだがな」


 肉もウインナーも入っていない。

 野菜の切れはしが浮かんだ、薄い色のスープだ。

 以前の僕なら、こんな粗末な物は口にしなかっただろう。だが、お腹をすかせている今、それは何よりもご馳走に見えた。


 一口食べると、じんわりとした優しさが舌に染みる。

 今まで食べたどんな料理よりも美味しかった。


 僕は泣きながらそれを食べた。

 顔を上げると、娘さんと目が合った。娘さんは優しく僕に笑いかけてくれた。



 食堂の主人はラーゴさん。娘さんはエマさんといった。

 ラーゴさんは「奥さんに食わせてやりな」と残り物のパンを僕に持たせてくれた。

 ローラはそれを一口も食べなかった。「えー。やだあ。まずそう!」と馬鹿にしたように笑うだけだった。


 次の日から、僕は食堂で働いた。

 僕は本当に役立たずだった。そのことを嫌というほどに痛感した。

 お皿を何枚も割ったし、掃除だってまともにできない。

 それでもラーゴさんは厳しく、エマさんは優しく僕に仕事を教えてくれた。




 生活は苦しかった。僕が必死に稼いだお金を、ローラは考えなしに使った。そして、いつも「足りない!!」と文句を言っていた。

「これじゃあ、生まれてくる子のための育児用品が買えないわ」と言われて、僕は悩んだ。

 そのことをエマさんに相談すると、彼女は薬草について教えてくれた。野生に生えている薬草をつめば、わずかながらお金になるらしい。

 エマさんが見分け方を教えてくれた。

 昼間は食堂で働き、夜になると薬草を探しに行った。


 食べる物だけは、どうにか困らなかった。ラーゴさんが毎日のようにお店の残り物をわけてくれるからだ。

 でも、ローラは食堂の残り物を嫌って、既製品しか口にしなかった。「残り物なんてまずそうなもの、食べられないわ」と言っていた。




 数カ月が経ち――ようやく僕が仕事に慣れた頃。


 ローラが赤ちゃんを産んだ。

 小さな小さな命。元気な産声。


 その姿を見て、僕は泣きそうになった。というか、少し泣いた。

 ローラは「えー。赤ちゃんって、しわくちゃなのね!!」と不満そうに言った。


 赤ちゃんは女の子だった。

 名前はヘーゼルナッツになった。ローラが勝手に名付けていた。

 赤ちゃんの名前を聞くと、周りの人たちは苦笑いした。


 僕はその子のことをヘーゼルと呼ぶことにした。

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