乳青色へ過ぎゆく、貴方の白砂

鳥兎子

―― 懐古した、儚い夢の中へ ――


 早朝を吸い込んだ目覚めは、ミルクのような幻味がします。私を囲うのは、凍て晴れへ抜ける白亜の砂壁でした。ここは雪の大谷を白砂青松はくしゃせいしょうに夢想するような、密かなイングリッシュガーデン。水けむるのに、私の肌は凍えません。眼下の水溜まりに映るのは、鍾乳石の揺り椅子にて微睡む妖精に見えました。白金のふんわりボブには、小顔フェイスをも覆うマリアベール。南の海の陽炎を内包するオパールのように、幽玄なるオーガンジーの踊り子衣装ベラを纏ってました。確かに……乳青色ミルキーブルーの瞳にて目覚めた私の中には、流動的な疼きがあります。

 

 なだらかに降り立った私は、雪融け水に成りたいのです。その仄かな香りは、吐息によって変わってしまいます。それでも、空から舞い降りた時点では同じ天使。無言劇を踊りましょう。

 

 スリットに左脚を引き、目覚めに伸びをするように右脚の前重心へ。手首を交差し、両腕を上げる最中、閉じた拳を小指から順に広げ、ぱっと咲く指先スノーフラワー鮮やかな青シアンの空と見た。左手の薬指に、金剛石ダイヤモンドの天の川。ミル打ちと透かし彫りが流れる金緑の指輪に微笑み、両手の甲で肩に触れて己を抱く。 墜ちるように左脚の後ろ重心へ。軽やかに右脚を振り上げ、右・左・右・左脚とステップを踏む旋回は飛翔するよう……しなやかに絡めた両腕を螺旋から、広げた!


―― 私は、再会の約束を忘れていませんか? 迎えに来ると、彼に告げたはずなのに ――

 

 左肘で外弧を描きながら、手首のまぁるい尺骨頭で顎から上へなぞり、小首を傾げて耳から下へ切り返す瞬間。ベール透ける向こうに、ビスクドールのように洗練された青年を見ました――見開かれた灰色尖晶石グレースピネルの瞳は、私を明るい灰味の青紫ベイビーブルーの輝きで離しません。柔らかな癖のある深い黄茶ローアンバーの髪が、ふわり。懐かしい気もしますが……どなたでしょう? 私は、貴方の名前を呼びたくなるのに。左手は鎖骨間から下に通り、回す手首を見つめ、裏腿へ。左手と足首を後方に跳ね上げ、雪鳥シマエナガの尾。


―― ルシアン。私は貴方を名付けました ――

 

 脈動に融けたい。胸を張り、かくりと一瞬天を見る。肩を回し、手の爪を後方で合わせ、膝を曲げ伸ばす。お行儀よく礼に腰を引き、足首から脛を爪と視線で上へとなぞりゆき……胸を通り両肩から弧を描いて両手を離す。胸を張り、かくりと再び天を見る! 光は鮮烈に脳裏を刺激した!

 

―― 揺籃に跪いた私は、天使の前で涙を流していました。桃色の壁紙に、花の絵画。牧歌的な家の中、彼が私の肩を抱いてくれます。喜びと悲しみが重なる泣き声は、私の物ではありません ――


 鍾乳石の揺り椅子へ、私はうたた寝するように両腕を組んでしなだりかかる。重心をかけて椅子の前脚側を浮かばせ、身体を起こし、左手で笠木かさぎを掴む。右足先で弧を後ろへ描き、右手脚を跳ねるように後方へ高く反り浮かばせる! 空を襲ねる薄い裾が、眩惑を翻す。

 

―― 無邪気に微笑んだ天使は、揺り椅子に座る私の膝に縋りつきます。私の錆び付いた咳に、深い黄茶ローアンバーの睫毛を陰らせた彼は祈り続けていました。貴方は修道騎士の道を捨ててまで、踊り子わたしを選んでくれたのに、私は奪うばかりです ――


 手放した揺り椅子が前倒に揺らぎ、手首を交差した私は肩を抱いて廻る。座り込んだ私は、四葉形に広がるスカートへ俯く。それでも、脈動に顔を上げるのを止められない。手首の交差を解くと同時に両手の指先で揺り椅子の背をなぞり、ゆるりと立ち上がった私は腰を落とし、息を吐く。揺り椅子を越える、前宙!

 着地後に、上半身の前倒にて重心をかけ、両腕を水平に広げ、後方に右脚を上げる。右脚を右に振り上げ、風車のように、四肢と身体を天へ旋回! 広げたまま、交互に上げ回す両腕と共に天を煽り見ながら、右脚・左・右・左脚と、同位置で高く振り上げ回す!

 

―― 私の身体は軽くなるばかり。私の天使は、『死』を理解出来ません。乳青色ミルキーブルーの瞳の天使を諭す彼を想えば、胸は張り裂けそうになります ――


 ベール翻す振り向き様に、私の涙が散る。風化硝子の鈴が祝音を謡い、私を呼んでいます。左手を差し向ける灰色尖晶石グレースピネルの瞳の貴方は、『彼』なのでしょうか? 今にも消えてしまいそうな儚い貴方の微笑みに敵わない私は……手を取ってしまいました。驚くべきことに、重ねた私の手は透けていました。


「幽玄なる貴方は、俺を連れて行ってくれますか? 」

 

 貴方の左手に違和感を覚え、私は小首を傾げます。揃いの指輪が無いのです。それだけじゃない……貴方の和らいだ瞳は、天使と同じ乳青色ミルキーブルーに見えました。私と揃いだったのは、瞳の色だったのです。

 

「貴方は……ルシアンね。私の可愛い天使」


 染まる頬を撫でてあげても、ルシアンは幼気に微笑めませんでした。泣くのを我慢しているのね。

 

「母さんが思い出さなければ、俺は写し身で居られたのに。行ってください……本当に迎えが必要なのは、俺じゃない」


 静かに微笑んだ私は、約束を果たす為に頷きます。白薔薇のアーチを潜れば、開け放たれた白木の出窓に風化硝子の鈴が鳴りました。高鳴る期待に作法も忘れ、私は軽やかに飛び込みました!ベッドで横たわる『彼』は、老いた左手に揃いの指輪を嵌めています。柔らかな皺に埋もれても、金緑の瞳で優しく微笑むのは『彼』だけです。その左手に触れれば、私の胸は締め付けられていきました。


「待っていたよ、私のヘレーネ」


「ごめんなさい、帰って来るのが遅くなってしまって」


 手を取り合った私達が振り向けば、庭に立つルシアンは膝から崩れ落ちました。その胸のシャツごと、拳が私の慈愛を鷲掴みにするのです。ルシアンは漣漣れんれんと涙し、天へと慟哭しました! 永遠に生きれぬ私達は、それでも去らねばなりません。憂う私の肩を抱いた貴方も、声が震えていました。

 

「僕らの天使はいつか、二度目の恋に救われる」

 

 透明に割れた双星は、凍て晴れに微睡む天の川ミルキーウェイへ還りゆく。どうか私達の祈りが、あの娘の髪を結わえたリボンを解きますように。白砂わたし達は、決して同じ流動ではないけれど……いつもルシアンの傍に居ます。


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乳青色へ過ぎゆく、貴方の白砂 鳥兎子 @totoko3927

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