ユキカキング
鳥辺野九
ユキカキング
草木も眠る丑三つ時。しんしんと雪が降り積もる音が聞こえたら、翌朝は試合だ。
あいつらはいつだって雪を待ち焦がれている。
未だ暗い午前五時。積雪のため遅れている新聞配達人のバイクの音が聞こえたら、それが試合開始の合図だ。
あいつらはその合図を今か今かと待ち侘びている。
時計の針を睨む。午前五時六分。遅い。遅いじゃないか、新聞配達人。天気予報を読み違えたか。それとも予想以上の積雪か。それはいい。手強いな。
たとえ大雪だろうとあいつらはきっと準備万端だ。ワークマン公式オススメの防寒着に身を包み、玄関土間に座り込んで、新聞配達人を待ち受けていることだろう。
こちらも戦う準備はすでに整っている。防水加工のアウトドアジャケットが僕の装備だ。フードを深く被り、スコップ片手に玄関式台に佇む姿はまるで穴掘りキャンパー。それでいい。ユニフォームに求められるのは防寒性よりも機能性だ。とにかく動きやすく、濡れない。それが重要だ。
遠く、鈍い音が響く。積雪に吸い込まれてかすれてはいるが、間違いない、スーパーカブの排気音だ。新聞配達人がやっと来た。待っていた、この時を。
試合開始だ。
僕はなるべく静かに玄関を押し開けた。まだ太陽も顔を出していない時間帯、大きな金属音はご近所迷惑になる。試合開始直後に騒音ペナルティは避けたい。
開いた玄関ドアの隙間から冷たい風が吹き込んでくる。寒い。そして白い。僕の目の前には一面の銀世界が広がっていた。積雪4センチってところか。いい条件じゃないか。
雪かき領域を見定めていると、お向かいさんもスコッピング開始地点を脳内シミュレーションしているのか、スノースコップを肩に担いでニヤニヤしている。
スノースコップか。いいチョイスだ。近所のホームセンターで手に入る最高装備の一つだ。軽くて丈夫な強化プラスチック製で、車にも積める持ち手が伸縮自在に調整できるタイプ。
僕のメイン装備は定番のアルミ合金スコップだ。持ち手はもちろん木製で、アルミ合金製のヘッドは腐食にも強く、農作業にも使えるど定番のスコップ。
お向かいさんとぱちっと視線がぶつかり合った。そうだ。もう試合は始まっている。雪かき開始だ。
僕は、雪かき第一撃、アルミ合金スコップを新雪に突き立てた。相手は積雪4センチ。すぐにアスファルトにがちんとぶつかってしまう。今シーズン初雪かきだ。ちょっと力加減を間違えてしまう。でも、このがちんとくる手の痺れも心地いい。これが雪かきだ。
お向かいさんの初手はどうだ? 直線的に攻めるのか、刹那的に責めるのか。あるいは力任せの雪崩れ式除雪掘りか。
雪かきはスポーツだ。
雪かき、それは自分の領域をより速く、より美しく、より楽しく除雪した者のみが至上の自己満足を得られる紳士のスポーツ。
雪かき、それは己の技術一つ磨き上げて大自然に戦いを挑む無謀なチャレンジ。
雪かき、それは雪が降り続ける限り延々と永遠に続けられる乳酸製造貯蓄式筋肉鍛錬術。
雪かきはスポーツだ。
そして、何故かあいつらは雪かきが大好きなんだ。
僕はきっちり直角、アスファルトに突き立てたスコップを少し斜めに傾けた。仰角66.6度ってところか。あまり角度を付け過ぎると雪で滑って接地面の雪を削り残してしまう。逆に角度がなさ過ぎればアスファルトのでこぼこ負荷に負けてスコップをスライドできない。仰角66.6度、これがちょうどだ。
斜めに構えたアルミ合金スコップで雪面を滑らせるようにしてさくりと削り取る。我ながら見事な一発、黒々と濡れたアスファルトが白い雪の隙間から現れた。
スコップひとかきで雪をヘッドに山盛り削り取る刹那的除雪方式。それが僕のスタイルだ。濡れた路面が露わになるスピードは遅く、瞬発力を必要とする連続運動が要求される。スコップヘッドの雪を投棄するタイミングも多く、雪かきとしては疲労度も高い。しかしリズムに乗れば腕への負荷も少なく疲労度がマックスに達する前に雪かき領域を美しく整地することができる。
雪かき領域は自宅前の敷地幅いっぱいの歩道。ご近所さんのためにも通勤通学時間前に雪を滅しておきたいものだ。
雪かきに試合終了のホイッスルは、鳴らない。
時間制限もない。雪が降り続けている限り雪かき継続しても構わない。加点もされなけえば減点もない。そもそも雪かきに得点はない。終わりたい時に終わっていい。それが雪かきである。雪かきしながら雪が積もるのを待ちRe:雪かきするのもいい。それが雪かきなのである。
ただ一つ気を付けなければならない点は、やはりあいつらだ。あいつらの雪かきにかける情熱はエグい。下手に隙を見せれば、雪かき済みの雪山を削り取られて歩道にばら撒かれ、再び雪かきを始めてしまうレベルで常軌を逸している。
僕はかき溜めて山となった雪の成れの果てを見た。ついさっきまで混じり気のない純白だった空からの素敵な贈り物も、今では薄く灰色に滲んだ汚れ雪の塊だ。
ふと、お向かいさんはどうだろう、と道路向かいへ視線を向けた。
なんと、お向かいさんはワークマンを脱ぎ捨ててTシャツ姿で、筋肉質な身体からもうもうと蒸気を噴き出していた。
前髪をかきあげて満足気にかき集められた雪山を眺めて、僕の視線に気が付くと礼儀正しく頭を下げる。僕の雪かき成果を見つけて、控えめに親指を立ててくれた。
「おはようございます。精が出ますね」
僕も軽く頭を下げて、お向かいさんが築き上げた雪山を正直に褒めた。僕の雪山よりも一回り標高が高そうだ。
「お互いいい雪かきでしたね」
歳の頃三十中盤くらい、家事も余裕でこなすいいお父さんって笑顔だ。自宅フェンスに引っ掛けたワークマンを片手に玄関に帰っていく。
うん。どちらに軍配が上がるか、なんてどうだっていい。お互いの領域の雪はきれいに取り除かれた。今シーズン初チャレンジだが、たしかにいい雪かきだった。
なかなかの雪かきスキルを披露してくれたお向かいさんがあいつらかどうかは、未だわからない。
そんな僕にも恋人がいる。同僚の
「蘭太くん」
一つ歳上の繭雪さんがキーボードを軽やかにタッチしながら僕の名を呼んだ。
「はい、何ですか?」
僕たちは交際を始めてまだ日も浅い。事務所に二人きりだからといって甘い言葉をかけてくれるまで仲が進展しているわけではない。単に仕事上の連絡事項なのだろう、と配送先の伝票を作りながら、僕は繭雪さんの続報を待った。
「今夜、蘭太くんのお宅に泊まりに行っても構いませんか?」
明日は第二土曜日。仕事は休み。僕の家は両親が遺してくれた一軒家で、僕一人で暮らすには広すぎて部屋も余っている。そしてそれを繭雪さんも承知している。
「今夜?」
伝票の控えをちぎり取る作業の手を止めて、僕は繭雪さんに聞き直した。今夜って本日の夜って意味なのだろうか。
「はい。もし、蘭太くんの都合がよろしければ、ですが」
繭雪さんはPCモニターの真正面に座っている。僕の方をちらりとも覗き見ない。フレームレスの丸メガネに経理ソフトが映り込んでいるくらいにモニターと対峙している。
「はい。まあ、特に用事もないんで、いいですけど」
「それはよかったです。晩御飯、私が用意しましょうか?」
「いいですね。繭雪さんのごはん、食べたいです」
少し、繭雪さんの口角が上がった、ような気がした。お仕事中の繭雪さんはいつも無表情で、日本人形のような白い肌にモニターの光を反射させている。
「あ、でも、今夜って大雪警報が出ていますよ」
事務所の窓から外の空模様を観察する。灰色の雲が町に蓋をしているようで、雲の色をした重たい雪が今にも落ちてきそうだ。
「はい。ですから、なおのこと蘭太くんのお宅に行きたいと思います」
「何かありました?」
「いえ。特に何も。私が蘭太くんと一緒に過ごすのに不都合がありますか?」
「ああ、いや、そういう意味じゃなくて。急な話なんで何も準備できないですよ」
繭雪さんの手料理を戴ける貴重な機会を失うのはもったいない。僕は首を横に振って見せた。繭雪さんはここでようやく僕に向き直ってくれた。
「業務終了後、一緒に帰りましょう。スーパーに寄って食材を買い込んで、大雪に備えないと」
たしかにそうだ。今夜から警報級の大雪になる。女性の一人暮らしで、雪に閉ざされた週末だなんて不安過ぎる夜になるだろう。
「そうですね。じゃあ、なるだけ早く外回りから戻るようにします」
「はい。待ってます」
繭雪さんは再びPCモニターに無表情で向き直った。
繭雪さんは自動車通勤だ。僕も車で通勤している。一緒に帰るとなると、どちらかの車を会社に置いていくか、せっかく一緒に帰るというのに車二台で別々に運転することになる。それは何か惜しい気がする。
「私の車は軽なので、雪の路面にはいささか頼りないです」
「じゃあ僕の車で帰りますか?」
「乗せてもらってもいいですか? 月曜日の朝、私の車が置きっぱなしで、蘭太くんの車で出勤したら、みんなに何か言われるかもしれませんね」
「パートのおばちゃんたち、いかにも噂好きそうですもんね」
ついに雪がはらはらと降り出した業務終わり時刻。発達した前線のせいでこれから十数時間は湿った雪が降り続けることになるだろう。積もる前に買い物を済ませて帰りたいところだ。
繭雪さんは「ちょっと荷物を」と言って自分の軽自動車のトランクを開けた。小さなボストンバッグを一つ、抱えるように取り出す。着替え、だろうか。準備周到だ。僕の家に宿泊計画はすでに始まっていたようだ。
「蘭太くんの車に積んでもらっていいですか?」
そして、現れたのはポリカーボネート製スノーダンプだ。
「なに、それ」
「スノーダンプ」
「スノーダンプ」
「スノーダンプ」
スノーダンプ。ポリカーボネート製スノーダンプ。要するに、両手式大型雪かきスコップ。両手で持ち手をホールドして、ソリ状の大型ヘッドで積雪を一気にラッセルする雪かき道具だ。腕力に自信のない女性でも大量除雪可能な夢の除雪ガジェットである。
「……」
「……」
「……」
「スノーダンプ」
「はい。トランクに入れときましょう」
あいつらは雪かきが大好きだ。脈々と受け継がれた時空を超えた種族の血なのか。地球にやって来た際に新たに覚醒された特殊な能力なのか。とにかく、好きなんだ。
雪をかき集めるのがいいのか、逆に雪を取り払って地面を露出するのがいいのか。よくわからない。どちらにしろ、天気予報で雪マークを見つけたらもう居ても立っても居られない。そんな具合だ。
草木も眠る丑三つ時。しんしんと雪が降り積もる音が聞こえる。翌朝は試合だ。
繭雪さんは目を輝かせて試合開始を待っている。まだ深夜帯だぞ。
僕との親密度を高める宿泊イベントもさらっと済ませてしまい、さっさと防寒着に着替えて雪かき準備完了。スマホで撮影していた積雪前の路面状況図を展開させ、作戦指揮官よろしく雪かき行動を最適化させるべく僕に指示を出してきたのだ。
何度も窓から外の積雪具合を確認し、細かく雪かきの軌道を立案する繭雪さん。もはや僕の知っている無表情な事務仕事姿は面影もない。
未だ暗い午前五時。積雪のため遅れている新聞配達人のバイクの音が聞こえたら、それが試合開始の合図だ。今朝は特に降雪が酷い。積雪は15センチを越えているだろう。しかも湿った重い雪だ。相当手強い雪かきになりそうだ。
「繭雪さん。あなたは何者なんですか」
あいつらなのか。雪かきが好きで好きでたまらない雪かき星人だとでも言うのか。
「私はこのスノーダンプの性能を試したいのです。私のアパートでは領域が狭過ぎます」
フレームレスの丸メガネの向こうから純粋にキラキラとした瞳を僕に向けて繭雪さんは言った。
「そうですか」
スノーダンプの除雪性能を試すために僕の家に泊まりにきた繭雪さん。大雪警報が出された週末に、それはそれで非常に寂しいものがある。
雪に閉ざされた自宅で一人、ただ雪が溶けるまで、春がやって来るまで、待っていればそれでいい。そう思えてくる。
「繭雪さんは」
雪が溶けるまで待つのは嫌だ。雪は力尽くで取り除くものだ。
「雪かきが好きなんですか。僕が好きなんですか。どちらですか」
繭雪さんは一秒も迷わず答えてくれた。
「あなたの雪かきが好きで、雪かきをするあなたが好きです」
仕事場で雪かきをしたことがある。あまりの大雪で、外回り営業にも行けなくなり仕事場駐車場の雪かきをしたのだ。繭雪さんと交際を始めたのはそれからだ。
「そういうことならそれでいいです」
なら決まりだ。僕は雪かきを続ければいい。そうすれば繭雪さんは僕を見つめ続けてくれる。それで十分じゃないか。
遠く、鈍い音が響く。積雪に吸い込まれてかすれてはいるが、間違いない、スーパーカブの排気音だ。新聞配達人がやっと来た。この豪雪の中、彼らも仕事にすごい誇りを持っているんだろう。
雪かき開始だ。
繭雪さんと二人で雪の世界に飛び出す。僕はアルミ合金スコップを、繭雪さんはスノーダンプを。
外は積雪およそ15センチ。くわえて絶賛降雪中だ。雪かき中にまだまだ降り積もるだろう。
お向かいさんも登場だ。前回と同じくプラスチック製スノースコップを装備している。辺り一面を覆い尽くす大雪に、今まで以上にやる気を漲らせている様子だ。
ふと、僕が一人じゃないことに気が付いたようだ。小柄な防寒着に身を包んだもう一人の姿。今回は雪かきダブルスで参戦というわけだ。
試合開始はいつも突然に。
雪かきスタート。
繭雪さんは小柄で腕も細い。それでも軽量ポリカーボネート製スノーダンプを大上段に構えて、ざぶん、一気に雪面に叩きつける。
スノーダンプは大量の雪を一気に除雪できる大量破壊兵器の一面も持ち合わせている。しかし雪が大量になればそれだけ重くなりダンプ操作も困難になる。今朝のように湿った雪ならなおのことだ。
繭雪さんは降り積もった新雪の水分が少ない上層を削り取ってくれ。僕は下層の水分を含んだ重い雪をアルミ合金のヘッドで大まかに取り除いていく。
仕上げは再び繭雪さんのスノーダンプの出番だ。荒削りに取り除いた雪の残りに、新たに白く新雪が降り積もる。それを根こそぎダンプしてくれ。
二人の共同作業なら、積雪15センチの強敵だってなんてことはない。それこそお隣の積雪領域だって丸ごと雪かきしてやろう。
僕は雪かきが好きなわけじゃない。あいつらを見るのが好きなんだ。
あいつらを見分けるのは簡単だ。雪かきさせてみればいい。想像通りの雪かきを見せつけてくれるだろう。
繭雪さんのスノーダンプの使いっぷりは、それはそれは美しいものだった。
彼女こそユキカキングだ。
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