好きになった人
私とアツシの胸キュンエピソードはこれで終わりを告げる。
私は進学組。アツシは就職だったが、急な進路変更があったりとすれ違ったまま卒業した。
青春時代の恥は掛け捨てだと思い切り、メールアドレスすら聞けなかった。
でも、そのおかげでいい思い出だけ残ったのは逆にラッキーと思っている・
中途半端に手を出すより、いっそ切り離して輝かせた恋愛も人生には必要なのだ。
ついでに思い出したが、卒業アルバムにクラス毎のフリーページがあって、私のクラスは生徒一人一人の顔写真で周りを囲み、その中に体育祭や学祭のクラス写真をコラージュしていた。
選出された男女1名づつのアルバム委員にアツシがいたが、残念ながら撮影は女子の委員の子が回ってくれていて、ここでも私はアツシチャンスを逃している。
「なみちゃん、笑って!」
私は自分の顔に自信がなかったので、写真の時は全力で変顔をしている。
一生の思い出なのに!と周りに笑われたが、一生の思い出だからこそ、真面目に撮って見返す度に自分の顔に心をウッ・・・とさせたくないので、初めから変顔を貫かせてもらった。
仕上がったアルバムを見ても、皆んながライトや髪の毛を駆使して綺麗に写っている中で私の変顔は際立っていた。
「あ、この会長見て」
一緒にアルバムを見ていた友達が笑いながら指をさした。
そこには、変顔の私の隣に同じく変顔で写ったアツシの写真が、寄り添う様に貼られていた。
もう、嬉しすぎて駄目かもしれない。
胸を押さえて私はアルバムに突っ伏してしまった。
自分の髪の毛で覆った薄暗い中で私とアツシの変顔が笑っている。
たまたまなのか、なんなのか。二人だけだったからバランスを考えたのか。
今となっては分からないが、人生で一番キラキラした時間をアツシは私にくれた人だった。
この後から今に至るまで、私は歳の数だけ恋をした。でも、その全てが初めての恋人と一緒の「私を好きになってくれた人」で、どの方ともうまくいっていない。
どちらかと言うと、私の心が追いつかないのだ。
友人に話すと「自分が好きになった人と一緒になっても疲れるだけ、好きになってくれる人と上手くやりなさい!」と怒られる。
唇を尖らせてアツシの話をすると、今度は「実らなかった恋は美化されるから」とさらりと窘められ、その流れでそんなのだから結婚できないんだお前は!とツッコまれる。
手厳しい。
それはそれで、彼女たちの心配と言う名の優しさと受け止めてはいるが、納得は一生しないでいる所存だ。
私はアツシのような「自分の楽しいことで、人を楽しませたい」人に強く惹かれ、自分もそうありたい事が根本にあるのだ。
そして、そうゆう強い信念や想いは空気感になって共鳴する。言葉ではなく、空気で語る人に私は惹かれるのだ。
些か気がつくのに時間がかかり過ぎたな?と、思うが、高校時代から何も変わってない自分も可愛く思う。
コーヒーの美味さに目覚め、甘いものは炭酸くらいしか飲まなくなっていたが、久しぶりにいちご牛乳を買ってみた。
「体に悪いぜ」と正面切った思い切りの良さと、見た目の可愛さは健在だ。
富樫勇樹選手を目で追う理由は、在りし日の思い出のおかげだったのか。
彼の好きな事への執念と、楽しむことを忘れない精神、そして体のフォルムが私は懐かしいのだ。
因みに富樫選手がたまにシュート練習のせいだと思うが、薬指にテーピングやサポーターをつけている時がある。
それを見ると最近は、アツシのギターを弾き込んだ逆剥けの指を思い出している。
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