B-side


「俺たち、これで終わりなのか」


 どんな表情で君の言葉を受け止めればよかったのか、今も俺は分からないまま、ただ息をして、生きている。


——

 こんなこと誰にもいったことないが、俺は自分の弾くベースが世界で一番好きだ。

 世の中には神か悪魔かみたいなベーシストがいて、その人たちの音楽は上手いとか凄いとかそんなレベルじゃなくて、もちろん大好きというか崇拝しているくらいだけど、それ以上に自分の音が好きだ。誰も理解できなくても俺だけが理解していればいい。そう思って弾いてきた。

 ところがそんな俺のベースを俺以上に好きになってくれるやつが現れた。それが君だった。

 最前列に君の姿があると、いつも以上の音が出せるような気がした。普通の客は少しでもセンターに近いところで聴こうとするのに、君は率先して下手側に来て、俺の前を陣取っていたから笑える。

 でも、そんなことを今さら思い出している自分が一番笑える。女々しすぎて、笑えない。


「明日もレコーディングなんだから、気合い入れろよ」

「お前こそ、また気まぐれ起こして歌えないとかいいだすなよ」

「魂入ってない歌なんてクソでしょ。そんなの遺してどうすんの?」


 俺たちは事務所の用意した、ロンドンの安アパートで共同生活をしている。男女を同じ部屋に住まわせるなんて、と俺は事務所に抗議したが、そもそもこいつが了承したらしい。本当はバンド全員で住みたいと希望を出したのに、無能だからそれだけの部屋は準備できなかったみたい、とぼやいていた。


「どうせあたしのことなんて、女と思ってないでしょ?」

「まあな」

「それとも別れた彼女の代わりに抱いてみる?」


 黙ってにらみつける。


「冗談だよ、バーカ。……そんな怒るくらいなら、ホントのこと言って、あの子のこと、連れてくればよかったじゃん」

「連れてこれるわけないだろ」


 視線を落とすと汚い床が見えた。


「あいつは、耳が聞こえなくなったんだぞ。俺たちの音楽を聴いて。これ以上あいつを苦しめることなんて、できるわけ……ないだろ」


 俺たちのライブに頻繁に来るようになり、いつしか君の耳は聞こえなくなった。毎回、下手側最前列に来ていた君の左側には、日常生活ではありえないほどの轟音を放つ巨大スピーカーが鎮座していた。耳栓をした方がいいというアドバイスは、生の音が聞きたいからと聞き入れてもらえず。結果、君の左耳は幾重にも増幅された俺たちのかき鳴らす音に何度もさらされ続けた。もし、あの時、もっと強くいっていれば。

 俺と並んで歩くとき、俺の左腕に寄りそうように頭を傾けて右耳を近づけるようになった。イヤフォンを分け合うときも、君は右耳、俺は左耳で聞く体勢がふたりの定番になった。それらも全部、左耳が聞こえなくなっていたからだった。

 それなのに俺は、君のそんな変化にも気づかず、右肩にベースケースをかけ、左手で君と手をつないで歩くことが、俺にとって最適なバランスなのだと思いあがっていた。このままずっとふたりで歩いていけると思っていた。君込みで保たれていた俺の平衡感覚は喪われ、まっすぐ立つことなんてできやしない。


「だいたい、あたしを巻き込むなよ。あの子はあたしの数少ない友達だったのに」

「それは本当に申し訳ないと思ってる。ただ、あの時は他にどうしようもなかったんだ。あいつ、お前の歌も大好きだったし」


 プロデューサーの目に偶然留まり、世界デビューのオーディションを受けることが決まった日の帰り道。浮かれていた俺は、人混みの中に君の後ろ姿を見つけ、驚かせようと背後から近づき、君が左耳につけていたワイヤレスイヤフォンをさっと抜き取った。驚いた顔の君に笑いかけながら、「俺たちの歌、聴いてたの?」と君から奪ったイヤフォンを耳に近づけようとして、違和感に気がついた。


「これ、イヤフォンじゃない?」

「うん。補聴器」


 歩道橋を渡りながら、君の話を聞いた。

 ライブの後、耳鳴りが続いていたこと。気がついたら左耳がほとんど聞こえなくなっていたこと。補聴器をしていれば、日常生活にそれほどは支障がないこと。それでもストレスが多いと進行する可能性があること。

 君はなんでもないような顔で説明すると、最後に小さく「ごめんね」と笑った。

 突然の話にどうしようもなくなって、動揺したまま、オーディションのことを話すと、君は悲鳴のような声を上げて喜んでくれた。


「あなたの音楽は絶対世界で通用する。私が保証する」


 君が嬉しそうな顔をすればするほど、左耳にある小さな機械が俺を責めているように感じてしまい、俺は目をそらした。


 オーディションの結果、俺たちのバンドはロンドンを拠点にデビューすることが決まった。ただし、ヴォーカルとベースだけ。ギターとドラムはそれぞれ別のバンドから引き抜かれてきた。どっちのバンドもその後すぐ、解散した。

 デビューが決まったことを伝えると、君はしたり顔で頷いた。


「私のいったとおりでしょ? あなたのベースが世界で一番格好いいんだから」


 ベースとギターの区別もつかなかった人がよくいうよ、そういって君の頭を小突こうとしたけど、喉が詰まって言葉が出てこなかった。


「だから」君はまっすぐ俺を見たまま続ける。「だから、私たち、もう別れた方がいいね」

「俺は……、君のそばにいたい。君のためなら日本に残っても」

「嘘だよ、そんなの」君は俺の言葉を遮って、「そんなヘタレたこと言ってないで、あの子としっかり世界を獲ってきてよ」

「あいつは天才だからひとりでも大丈夫だよ」

「違う。あなたとあの子が天才なんだよ。あなたたちふたりで作るから、最高の音楽になるんだよ。かけがえのないパートナーでしょ? あなたのベースであの子の歌を支えてあげて」


 そういって君は俺の背中を押した。俺のポケットに収まっていたはずのその小さな手は、いつの間に出ていってしまったのだろう。


「散歩でも行こっかな」


 君が、俺とこいつの関係を勘違いしているのは何となく感じていた。俺はこいつのことを戦友みたいなものだと感じていて、こいつの作る曲と声に惚れてはいるけど、それはもちろん男女のものとは全然違っていて。

 それでも、君にロンドンまで着いてきてほしいともいえず、かといって日本に残ることもできず、だったらいっそ俺のことなんて嫌いになって、吹っ切って新しい道に進んでほしいと、勘違いをそのまま利用させてもらった。


「こっちの人って、ホント傘ささないよね?」


 小雨の降る中、近場の公園まで歩く。傘をさしているのは少数派だ。俺の歩く一歩先で、赤い傘がクルクルと回る。天才ヴォーカルは後ろなんて振り向かない。

 公園の中央には噴水がある。噴水周りのベンチでは、親子連れやカップルが、夕飯前の中途半端な時間を持て余している。


「いっちょやってみっか!」

「おい、何するんだよ」


 突然、噴水の縁に仁王立ちすると、傘を下ろす。その途端、鈍色の雨雲が切れ、そこから黄金色の夕陽がピンスポットのように指した。未練がましい小雨が残る中、日本から来た無名の歌手は昔からの友達に語りかけるように歌い出した。

 それは、唯一俺の作った曲。君に贈った、ラブソング。

 突然アカペラで歌い出した東洋人に、善良なロンドン市民はしばらく呆気にとられていたけれど、すぐに身体を揺すり、手拍子でリズムを取り始めた。本当の音楽を知っている街なのだ。本物は受け入れてもらえる。

 光の中からヴォーカルが、手の平を上にして、来いよ来いよと挑発してくる。明日レコーディングだから体調を整えようとか、そんなことは一切考えていないだろう。これだから天才様はイヤなんだ。噴水の縁に上がり、戦友の隣に立つと、手拍子と口笛がもっとやれと煽ってくる。これはもうライブだ。煽ったんならお前らちゃんとついてこいよ。


 君が愛してくれた音楽は、どうやらこっちの人にも愛してもらえそうだ。俺は、これからも弾き続ける。壊れないラブソングを歌い続ける。もう一度、君のもとへ届いてほしいと、身勝手かもしれないけれど、そう願う。

 どこからか飛んできた鳥が、俺の左肩に止まり、まるで静かに歌を楽しむように目を閉じた。最前列に君がいるような気がした。

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いまは遠く聴こえる歌 阿下潮 @a_tongue_shio

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