太ももとふとももがぶつかる話

とてぬ

太ももとふとももがぶつかる話

 帰宅部のわたしは誰よりも速く帰るのがモットーだ。すでにバスはわたしの通う高校手前の停留所から3つ先に停まったところだった。さらに2つ進めば、最寄りの停留所につく。


 車窓に映るわたしは、黒髪ショートのいかにもロリ好きに狙わせそうな童顔にうっすらと笑みを浮かべていた。家に着いたら、昨日大人買いした漫画を一気読みしてやるのだ。なんだかウキウキしてきて楽しい気持ちになって、にやにやしてきて、隣に誰かが座ってきて。

 隣に誰かが座ってきた。


 ……やってしまったああああああああああああああああああああ!


 うわ、この人にやにやしてるよ。そういうのは家でやれよ気持ち悪い。とか思われてる絶対。注意してたのに、いつも気づいたら自分の世界に入りこんでしまう。こんなんじゃ、資本主義の競争社会で劣等種として地下施設で永遠と働かされる運命にあるんだ。


「げほっげほっ!」


 想像したら、咳が。あ、ああ。ああああ咳……。咳でちゃった。お隣さん怒ってるだろうな。

 これ次の停留所で強制的に降ろされて暑い真夏の道を裸足で帰宅しなきゃいけなくなるパターンだ。いやそんなパターンあるの!? うう、あるかも……。

 とか考えていたら、


「はあはあはあ……はあはあはあ……」


 わたしのじゃない荒い息が隣から確かに聞こえてきた。

 ……狙われてる?

 やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ、ロリコンだ。きっとロリコンの変態野郎だ。

 わたしが停留所で降りたところを後ろからついてきて人気のない場所で捕獲するつもりなんだ。


「げほっげほっ!」


 想像したらまた咳が。だがそんなこと気にしてられない。

 負けてたまるか。

 ロリコン反撃シュミレーションを速攻で組み立てていたら、隣から声をかけられた。それはロリコンのイメージとは真反対の透明感のある綺麗な声をしていた。


「大丈夫、小鳥?」


「え、あっ……あ、頭は正常です」


「違うちがう、そっちじゃなくて。咳、してたから」


「うぇ? あ、そうか……。そうですよね。咳してたから心配してくれて。相手の気持ちをちゃんと読み取れないわたしはバスに乗る権利はないどころか、バスジャック犯の人質として最初に立候補するべきタイプですよね」


 早口でまくしたてると、彼女の笑い声が徐々に大きくなっていき。やがて堪えられなくなったのかバス中を反響するほど笑っていた。ああ、周りの目線が怖い。おそらくわたしたち以外に乗客はいないと思うけど。


「ひひ。うひひひひひひ! タ、タイプって。どんなタイプだよ! うひひひ! 面白すぎるよ小鳥!」


 まあ、でも。笑ってるってことは、怒ってなさそう。

 ていうか、この特徴的な笑い方は楽々浦さん? 

 気になって隣に目線を移すとモデル並みの女子高生と目が合った。


 あ、陽キャ。


 クラスメイトの陽キャグループのひとり、楽々浦さんだった。本当に同じ高校1年なのかってくらい豊満さと引き締まったラインで。男子の目線を追えば、だいたいたどり着く。


 肩先までかかっている茶髪からいい匂いがした。こんなかわいい子と合法的に2人席に並んで帰れるのは女子の特権だろう。羨ましがれ男子ども。とか調子のいいことを思うも、どうせ彼氏いるかという当然の思考にいきついて悶々とする気持ちを振り払って楽々浦さんに挨拶した。


「楽々浦さん、こんにちは」


「うひひっ。こんにちは小鳥。てか、今気づいたの?」


「う、ごめんなさい。完全に頭テンパってて」


「ひぃ! ちょっと思い出させないでぇー」


 口を抑えて笑いを堪えている楽々浦さんは、なんだか学校で見るより生き生きして見えた。


「もう一緒に帰るようになって1週間経つんだから、あたしって気づいてよ」


「う、うん頑張る」


「よし! あ、1週間も仲良くさせてもらってるのに気づかないわたしはどうかしてる、て自分のこと責めないでよ」


「な、なんでわかった……」


「ひひひ。わかるよそれぐらい。1週間も会ってるんだから」


 すごいな。たった1週間で相手のことがそこまでわかるものなのか。

 わたしは楽々浦さんのことまだよくわからないのに。

 

「ところでさ、あたしの息うるさくなかった?」


 突然の予期せぬ質問に、思考が切り替わる。

 隣に座った楽々浦さんがはあはあ言ってたやつか。あれはちょっとうるさかったどころか、変な勘違いをしてしまった。

 こういうとき何を返せばいいんだ。素直にうるさかったと言っていいのか? 一言でうるさかったと言えば、冷たいやつだと思われるだろうし……

 よし、これで行こう。


「ろ、ロリコンの変態おじさんかと思った」


 わたしの声と重なって、天井のスピーカーがわたしの降りる停留所を告げた。


「ごめん、なんて言った?」


「あぁえっとなんでもない! わたし次降りる」


「おっけー」


 それ以上、楽々浦さんは追及してこなかった。なんか若干笑っているように見えたのは気のせいだろう。


 楽々浦さんは、わたしの方に徐々に近づきながら息が荒かった原因を教えてくれた。


「あたし、学校から3つ先のバス停まで走ってたんだよね。だから息荒くなっちゃってさ」


 だからかー………………いやいや。


「え、なんで走ってた? こんな暑い中」


「ひひっ。それがさあ、学校出たらちょうどバス停からバス出発しちゃってね。そこに小鳥が乗ってたから追いかけ……じゃなくてじゃなくて。次のバスが15分は待たないといけなかったからだるいなぁーって!」


 途中小声で聴き取りにくい部分があったけど、楽々浦さんが走っていた理由はなんとなく理解できたようなできないような。


「次のバスを待つのがだるいから走ったっていうのは楽々浦さんらしい気もするけど。急いでたとかではなく?」


「そうそう! 別に急いでたわけではないよ!」


 わたしはスマホで天気アプリを開いた瞬間、愕然とした。「今……33℃はあるよ」


 隣の陽キャが真実の陽キャなんじゃないかと思った。太陽崇拝。神の擬人化。それらは陽キャが原因だったのではないか。楽々浦さんは前世で太陽神と崇められていたのではないか。


 なんかよくわからない考えに至っていたら、楽々浦さんがゼロ距離まで迫っていた。

 

 ぴとっ。


 わずかに湿り気のある太ももが乾燥した太ももに当たった。

 これは始まりの合図だ。


 いつもの時間がやってきた。

 わたしと楽々浦さんの。とても短い。特別な時間。

 普段、楽々浦さんのようにミニスカではなく、膝丈まで伸ばしているわたしが唯一スカートを折っている時間だ。

 

 健康的でハリのある太ももが、わたしの細い太ももとぶつかり、はずむように伸縮して。楽々浦さんの熱が直に伝わってくる。


 車窓から差し込む黄金色の日差しに照らされて、太ももは輪郭をあらわにする。すらっとしていて。丸みがあって。

 傷ひとつない、努力の結晶。


 わたしみたいにだらだらと怠惰な生活をしていたら手に入らない太ももに敬意と嫉妬をはらんだ感情がわきあがる。

 本当に同じ年齢の女子なのか。年齢詐称でもしてるんじゃないか。

 

 ああ、楽々浦さんの太ももが欲しい。


「小鳥、太もも見過ぎ」


「うぇっ! あ、ご、ごめん」


「いいよ。もっと見なよ。バス停つくまで」



 太ももから意識が離れたときには、ドアが閉まる直前だった。楽々浦さんが運転手に「まだ降りる人いまーす!」と言ってくれた。恥ずかしかったけど、ありがとう楽々浦さん。

 

「またね小鳥」


「う、うん。また会おう楽々浦さん」


 変な笑い方に見送られて、わたしはバスから降りる。帰り道をゆっくり歩きながら、わたしは深く息を吐く。


 ちょうどいい会話量だった。もう5分とか話していたら頭がショートを起こしかねなかった。それを察したのか楽々浦さんは太ももタイムに移行してくれた。


 幼い頃から人と話すのが苦手なわたしは人との距離の詰め方が遅い。

 それなのに楽々浦さんとは、一緒に下校するようになって1週間しか経っていないのに太ももがぶつかり会う距離まで近づいている。

 意外だったのは、それが嫌じゃなかった。いやむしろ、わたしは求めていた。


 話すのは苦手だが、太ももは得意かもしれない。


 ということに気づいた七月初旬の昼だった。

 青空に燦々と煌めく太陽が、時刻はまだ正午過ぎだということを教えてくれた。ほとんどの生徒は昼休みが終わり、午後の授業を受け始めている頃だ。

 この時間帯に早退したのはわたしと楽々浦さんくらいだろう。

 よく早退しているわたしに合わせて楽々浦さんは早退してくれているのではないか……なんてあるわけのない独りよがりな妄想をしては顔が熱くなった。

 

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