エピローグⅢ

エピローグⅢ side楓

 何処かポッカリと心に穴が開いたような毎日。私は高校三年生のある日から急にそう感じるようになった。


 だが、いくら考えてみても、何も分かりそうにはなかった。考えても考えても、何も変わっていないように思われた。


 あぁ、でも一つだけある。それはラスト・シガレットの曲に物足りなさを感じるようになってしまったことだ。それはそのバンドに物足りなくなったのではなく、何か大切な物が抜け落ちているような。そんな物足りなさだった。


 高三の時、ある朝起きると何故かラスト・シガレットのライブチケットと、見覚えのない無骨なデザインの髑髏のリングを握りしめていた。そして、頬に違和感を覚えて触れてみると、その頬が濡れていた。


 最初は何故そんなことをしているのか分からなかった。でも、私の趣味とはかけ離れたリングを見続けていると、不思議と胸の奥があたたかくなるような心地がして、知らずしらずのうちに涙をぽろぽろとこぼしていた。それから今までずっと、私は毎日そのリングを身に着けている。


 友人の柚子には似合わないと笑われたが余計なお世話だ。それからつらく、苦しいときなどに、身に着けたそれにそっと触れると不思議と心が落ち着いた。まるで大切な人が側にそっと寄り添ってくれるような、そんな安心感を私に与えてくれた。


 そして、あっという間に時が過ぎ、気が付けば私は大学の三年生になっていた。一年浪人してしまったせいで、現役で大学に行った柚子とは一年違いになってしまった。柚子は今年から就活をするとのことで顔を合わせる度に「就活がーエントリーシートがー」と疲れた顔で唸っている。


 彼女とは今でも月一のペースで食事や買い物に出かけている。これは私たちが高校を卒業してからずっと続けていることだ。その日も私と柚子は夕食を食べに最近できたばかりのイタリアンレストランを訪れていた。


「楓は最近どーよ?」


 柚子が今し方届いたばかりの大盛りのラザニアを口いっぱいに頬張りながら尋ねる。そんな彼女に「はしたない」と注意すると、「楓の前だけだもん」と可愛らしく言うものだから困ってしまう。


 就活の面接後、直接来たと言った彼女は、黒のリクルートスーツに身を包んでいた。それとは反対に、私はカーディガンにジグソーカットソー。それに、チュールスカートと言った、よくいる大学生の格好だ。


「どうって言われても……」


 私は少し困った顔で彼女を見つめる。


「彼氏とかー? 学校のこととか?」


 柚子が口をもぐもぐさせながらそう言うので、私は「行儀が悪い」とたしなめる。私はリゾットを食べる手を止めると、少し思案する。


「学校のことは別にどうってことないかな。彼氏のほうはサッパリだけど」


「うっそだー! 楓の顔でそれはないでしょー」


「茶化さないでよ。それに、嘘じゃなくて本当の話。私は年齢=彼氏いない歴の、俗に言う喪女よ」


これでその話は終わりと、リゾットの残りを口に含む。そのとき、店内に流れるBGMが変わり、ジャズ調な曲からクラシック調の曲へと変わる。


「それより柚子こそどうなのよ? 今の彼氏と上手くいってるって聞いたけど」


 私がそう訊ねるやいなや、柚子は急に憤慨した顔になり、彼氏と最近あった喧嘩について愚痴り始めた。やれあいつは乙女心が分かっていないだの、やれあいつは私を大切にしていないだの。


 どの話も私にとっては別世界のような話に聞こえて、私は「ふーん」と生返事を続けた。それでも柚子は構わないらしく、延々と愚痴をこぼし続けた。やがて、文句も出し切ってしまったのか、満足そうに、ふうと息を吐いた。


「ごめんね。こんな話に付き合わせて」


 柚子がしょんぼりとした表情で謝るので、「気にしないで」と笑う。


 その後、これから彼氏の家に行くと言う柚子と分かれて一人で帰路に着くことになった。仲が良いのか悪いのか。私は少々呆れつつも、元気よく走っていく柚子を見送る。


 昔と変わらない活発な彼女を見ていると、不思議と高校時代を思い出すことがある。いつも一緒にいた私たち。友達になったきっかけなどは不思議と忘れてしまったが、それでも大切な友人であるという現実は変わらない。そのことに少し安堵して、息を小さく吐く。やがて、完全に柚子の姿が見えなくなると、私は一人で帰路を急いだ。


 風が私の頬をゆっくりと撫でて走り去っていく。四月も終盤にさしかかり、気温は少し暑くなって来たが、それでもまだ、どこか春らしい陽気を残していた。それは夜にもいえることで、そろそろ夏物を引っ張り出して来ても良い頃合いなのかもしれない。


 このあたりもここ数年で大分変わってしまった。つい最近できたショッピングモールのおかげか、はたまた時を同じくして建てられたマンションのおかげかは分からない。けれど、そのどちらかのおかげでこの町も発展し、今みたいにネオンがきらめく町並みへと姿を変えてしまった。


 そんなすっかり変わってしまった町並みと過去の町並みとを比較しながら歩いていると、私の足はある場所の前で自然と立ち止まった。ここは確か、高三の時にラスト・シガレットを見に訪れたライブハウスだ。ここに来る途中に、柚子が道に迷ったせいで、入場したのはラスト・シガレットが始まる少し前だったっけ。


 昔を思い出して、少し懐かしく感じながらライブハウスを眺める。結局、ラスト・シガレットのライブを見たのはあれが最後になる。あれからあのバンドはどうなったのだろうか。


「ねえ、おねーさん」


 そんなことを考えていると後ろから声を掛けられた。驚いて振り返ると、そこには高校生ぐらいの少女が気怠そうに立っていた。フードを目深に被っており、表情をうかがい知ることはできないでいた。


「え、えーっと……今私に声をかけた?」


 少し上ずった声で尋ねると、少女はこくりと頷く。


「これからそこでライブなんだよね」


 そう言って少女は、どこか気怠そうにライブハウスの入り口を指さした。フードから少しだけはみ出した金色の髪の毛がひょこっと楽しそうに揺れる。


「あっご、ごめんなさい!」


 道を譲ろうとしたそのとき、少女が「あっ」と声を上げた。


「どうしたの?」


 怖ず怖ずと声をかけると、少女は私の左手の中指に着けられたリングを指さした。


「それ。サイコーにかっこいいね」


 驚いて髑髏のリングを見る。彼女の言葉に、不思議と身体に流れる血がカッと熱くなるような感覚が私を襲った。


「おねーさんの大切なものなの?」


 少女が無邪気そうに尋ねると、私は無意識のうちに頷いていた。


「ふーん。なんかおねーさんにあんまり似合わなそうだから、不思議に思っちゃったんだ。ごめんね」


 そう言いながら少女は被っていたフードを脱いだ。あらわになった少女の顔を見て、私は息が止まるような心地がした。


 少女の顔は、誰かに似ていた。私はその人物を必死に思い出そうとするが、もう少しの所まで出掛かっているのに出てこない。私にとって、他には代え難いほど大切な人に似ている。でも、それが誰なのか私には分からなかった。


 私が難しい顔をして悩んでいるのを不思議に思ったのか、少女はのんびりとした歩みで私に近づいてきた。彼女が一歩ずつ近づくたび、私の身体に流れる血がさらに熱くなる心地がする。


 私がつらかったとき、いつも側にいてくれた人。そうだ。とても綺麗な白色をした花の名前だった。確か名前は――。


「…………ユ……リ?」


 私がその名前を口にすると、少女はとても不思議そうな表情を浮かべた。


「おねーさん、どうして私の名前を知ってるの?」


 私は少女の発したその一言で何かを確信した。それが何なのかは私には分からない。でも、これからこの少女と関わっていけばきっと、その分からなくなっている何かを思い出せるに違いない。


「ねえ」


 私はまだ不思議そうにしている少女に呼びかける。


「貴女のライブを見てみたいんだけど、まだ、チケットってあるかな?」


 その言葉に、少女は満面の笑みで頷いた。そして、私の腕を掴むと、「来て」とだけ言ってそのままライブハウスの入り口まで案内する。


 少女に連れられてライブハウスの入り口をくぐると、受付でチケットを買う。そして、手を繋がれたまま、私は会場に続く防音扉の前に案内された。


 彼女が防音扉を開こうとしたところで、私は思わず足を止めてしまう。少女は急に止まった私を、不思議そうに見つめてくる。


「おねーさん? どうかした?」


 何でもないと答えようとしたとき、ふと、頭に浮かんだある質問を彼女に問いかけてみることにした。


 どうしてこの問いを彼女にしようとしたのかは、分からないのだけれど。それでも、しないといけないって、思ったから。


「ねえ、貴女は自分の誕生日と音楽。どっちが大事?」


 少女は笑いながら私の質問に答えようと口を開くが、同時に開いた扉から漏れ出た音が彼女の声をかき消してしまう。


 それでも、私は彼女がなんと言ったか分かった。


 彼女が選んだ答えはきっと――。


                   〈了〉

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銀色の残響 @Tiat726

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