[指]蛍の指さき

 ピンク先輩が死んだ。25の夏だった。

 その時俺はよくいるだめ会社員をやっていて、大学生のあのどうしようもない日々が本当に終わってしまったことに気づき、カウンターで力なくうなだれた。外は蝉が鳴く声が聴こえる。

 ぼうっと外の景色を見る。たとえ、大切な人が亡くなったとしても世界は正常に回り続ける。木々のむこうに人々の雑踏が見える。ピンク先輩との思い出も、あの雑踏をかきわけてライブハウスに入ったことが始まりだった。俺は嘆息する。夜、ピンク先輩との思い出が走馬灯のように思い出されていった。





 狭い空間のなか、ピンク先輩がギターをかき鳴らすと、空間を切り裂く鈍い轟音が聴こえた。ジャーン……、轟音は波紋のように、身体と鼓膜、骨の奥の骨髄までを揺らしていった。全身が音の余韻でびりびり震える。ライブハウスではよく起きる光景だ。

 大学の軽音サークルに入ってから、俺はピンク先輩のギターがこっそり好きだった。中規模のサークルで、ピンク先輩はベテラン、俺は入学したばかり、接点はそんなにない。なので、こっそり見ているだけだった……けど、ピンク先輩が今度『チェリーピッキング』というユニットのコピーをやりたいということで、そのバンドを知っている俺はキーボードとして参加することになった。俺と先輩は二人で練習をしている。

「よっすよっす新入りキーボードくん。イェーイェ―」

 ピンク先輩が笑いながら俺に柔らかく肩をぶつけた。ステージの上では鋭いギターを弾くのに、降りるとふにゃふにゃ笑いながらダメ人間の本性を見せてくるのも、俺は好きだった。ちなみに、髪色が真っピンクに染められているから『ピンク先輩』とみんなから呼ばれている。

「キーボードどう? 練習やってる??」

「やってますよ。俺、こう見えて弾くの上手いんで」

「あっはっは。こしゃくなやつめ~。このっこのっ」

 先輩がやわらかく肘鉄をしてくる。俺は笑い返しながらも内心どきどきしていた。

 先輩、いいにおいがする……。ダメ人間風おっさん女子を装っていても、やはり女子なのか。そりゃそうか。笑うとこんなにかわいいもんな。あ、笑うと八重歯が見えた……。

 しかし、先輩、なんで俺を誘ってくれたんだろう。たしかにギターやボーカルと比べてキーボードを弾ける人は少ない。それに、ユニット『チェリーピッキング』はマイナーではないけど、有名とも言いにくい。

 まさか、先輩、俺のことが……。

「どうしたの後輩くん。気難しそうな顔して。わかば吸う~?」

「俺、吸わないんで」あくまでも俺は取り繕った。

「堅物後輩くんだねえ」ピンク先輩はわかばの箱をからから鳴らしながら笑った。「さてと、お互いの進捗も確認できたし、帰ろっか。後輩くん、駅どっち?」

「白山のほうです」

「おーけーおーけー。じゃ、頑張った後輩くんに、先輩が一杯おごっちゃる!」





 ピンク先輩と二人で鳥貴族に来た。

「後輩くん何飲むー?」

 先輩は慣れた手つきでタッチパネルを操作していた。俺は、二十になったばかりなので少し戸惑ってしまう。

「わかんないか。じゃー飲みやすいものにすんね。君はレモンサワー。あたしはビールにするよん。あと適当に頼んで、注文終わりっと」

 先輩がてきぱきと注文を終えると、やがてお通しとレモンサワーとビールが運ばれてきた。

「乾杯しよ。はい、カンパ〜イ。お疲れ様」

 俺はぎこちなくジョッキを持って、ピンク先輩と乾杯した。そしてレモンサワーをぐいっと飲む。おいしいかどうかわからない。お酒の味ってわからないな……。

 ピンク先輩はビールをおっさんみたいに勢いよく飲んだ。

「あー、うまいねえ。後輩くん飲まないの?」

「二十歳になったばっかなんで……」

「おー、そっかあ。まあ君もそのうちわかるようになるよ。ま、今日は飲んで飲んで」

 ピンク先輩はがっはっはと笑いながら、またビールをぐびぐび飲んだ。慣れないお酒を飲んで酔ってきた俺は、少し勇気を出して訊いてみた。

「あの……、先輩。コピバンに誘ってくれてありがとうございます。でも、なんで俺なんかと……?」

「なんか?」

 ピンク先輩は顔を赤くしながら聞き返した。

「なんか、って……。君、自分のことを見くびってないかい?」

「え?」

「君ねー。けっこー希少価値あるよ。『チェリーピッキング』みたいなマイナーな音楽にも詳しいし、キーボード上手いし、何よりね、真面目!!」

 先輩が俺の肩をバシバシ叩いた。

「真面目ですか……。俺、よく言われるんですけど、俺の真面目なところ、あまり好きじゃないんですよね」

「そなの?」

 サークルのみんなはいい奴で楽しいけど、その中でも俺はいまひとつ垢ぬけなかった。なんとなく自分の頭が固いような気がして、そのバンドマンっぽくなさが嫌いだった。

「真面目なの嫌いなの? いいことなのに。大学生ってチャラチャラしたのが多いから君はコンプレックスに感じるかもだけど、きっと卒業した後で効いてくるよ。じわじわ~っと」

「せ、先輩もまだ大学生じゃないですか……」

「あっはっは。君の社会人になった姿、見てみたいねえ。きっと、真面目な社会人になってるんだろうね」

 ということは、俺が社会人になったあとも、会ってくれるってことだろうか……? 俺は、社会人になった俺とピンク先輩で、仕事帰りにデートするのを瞬時に妄想した。でも、ピンク先輩が社会人になった姿を想像しにくいな。

「おーいおーい。後輩くん? 酔っぱらってる?? えい。チョップ」

「わっ」

 ぼんやり上の空で妄想していたらピンク先輩がチョップをかましてきた。

「ま、先の話だけどね。それまで我々は大学生活を楽しもうではないか! たくさん練習して、たくさん楽器が上手くなって、たくさんライブやって、たくさんお客さん呼ぼうね。ね! そしてたくさんお酒を飲も。あ、焼き鳥来たね。食べて食べて飲んで~~」

 先輩は焼き鳥の串を満足そうに掲げて、たらふく食べた。若干もちっとした体形とはいえ、本当によく食べるなあ……。俺も負けじとレバーにかぶりついた。お酒と焼き鳥でぐいぐい食べて、調子に乗って二人で食べまくったあとの会計は、鳥貴族とはいえなかなかヤバかった。それも笑い話になって、二人でゲラゲラ笑って帰った。友達以上恋人未満、下心がないわけではないけど、こういうのも楽しいな。このまま一生この時間が続いてくれないだろうか。

 その数日経過しないうちに、先輩はいきなり消息不明になった。LINEやSNSのアカウントも削除されて、なんの痕跡も残らなくなった。知ってそうなサークルのメンバーに訊ねてみたけど、誰も先輩について知らなかった。そのまま先輩は中退の扱いになった。あんなにサークルに溶け込んでいたのに、あまりにも軽くて、本当にあっけなかった。




 それから五年が経過して、俺はふつうの社会人になった。サークルのメンバーとはほとんど会わなくなったが、ごく数人とたまに連絡を取り合っていたところで、ふと、ピンク先輩との話になった。

「お前、ピンク先輩のこと好きだったろ」

 鳥貴族じゃない、もう少し高めの居酒屋にいた。サークルのメンバー数人で飲んでいたとき、ふと話をふられた。俺は瞬時にピンク先輩の顔を思い浮かぶことが出来た。忘れるはずがない。

「そうだけど」

「あの先輩、亡くなったらしい」

「……え?」

 俺は砂肝を口に含んだまま、瞬時に顔の筋肉が凍り付いた。

「本当に?」

「らしいよ。ほら、ピンク先輩が大学に来なくなったじゃん。あの時、ちょっといろいろあったらしくて。その……」

 話し出した側が急に黙りだした。

「なんだよ。あの人に何かあったのか……?」

「そ、そんなに取り乱さないでくれよ。本当に知りたいか……? わかった。今から言うから、落ち着いて聞けよ」

 その語り出した内容はこうだ。

(サンプルここまで)


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解剖 階田発春 @mathzuku

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