下
〈グレイ〉にだって〈ビビッド〉に勝るものがある。
引き金を引く。右腕からグレネードが射出され、少し離れた位置の【インベーダー】に接触し、爆破する。
文字通りの爆音。少し顔をしかめる。向こうも同じものを感じたのか、音の鳴った方へと注意を向けた。
〈ビビッド〉には、大きく音が鳴る武装はない。火器を使う〈グレイ〉と違って、赤い光という未知のエネルギーをもとにしているからだ。
囮という役目を果たすのに、見合った効果だ。
もう、囮は自分しかいない。
「うおおおおおお!」
【インベーダー】の攻撃を避ける。〈ビビッド〉みたく華麗に、とはいかない。左肩の装甲が削られ、コックピットが揺れる。それでも、意地汚くても、避けていく。
けれど限界は存在する。
気付けば、囲まれていた。青い空すら、まとめに見えない。逃げ場はなかった。
右腕に触腕を巻き付けられた。装甲は容易くひしゃげていく。
「話せ、このっ!」
引き金を引く。グレネードが触腕にあたり、右腕もろとも弾け飛んだ。
衝撃がコックピットを叩いた。視界が明滅する。
「ぐぅぅっ!」
〈グレイ〉がひっくり返った。【インベーダー】も同様に。包囲網は多少緩んだが、抜け出せない。
僅かに空が見えた。少しだけ心が軽くなる。いつも見ているはずの景色が、心強い。
視線を少しズラせば、鮮烈な赤い光を放つ〈ビビッド〉の姿。翼を目いっぱい広げ、赤い光を脈動させている。最大火力を放つ、予備動作だ。
(良かった……)
どうやら【インベーダー】に捕まらず、【プラント】まで辿り着けたようだ。
どん、という衝撃と共に【インベーダー】たちが、体に覆いかぶさってくる。
「はっ……!」
操縦桿を動かしても、〈グレイ〉では【インベーダー】を押しのけることはできない。
「終わりか……」
ギチギチと頭の中に軋んだ音が鳴り響く。【インベーダー】が出している音だ。甲殻が擦り合わさる不愉快な音。
〈グレイ〉にとって、自分にとって、死の音だ。
死に際になって、色々と気付くことがあるらしい。
例えば、自室に残してきたネオンテトラというペットの魚。自分が死ねば、誰が世話をするのだろうか? もしかすると、放置されて死ぬかもしれない。部屋の整理をする人が水道に流してしまうかもしれない。
例えば、訓練の後の彼女のこと。邪魔だからどいて。そんなことを言われたけど、仮想空間はとても広い。その中で〈グレイ〉一機が立っていても、邪魔になるはずがない。
弱音、みたいなものを、誰かに漏らしたかっただけかもしれない。
例えば、その時の司令部。当然、訓練中の様子を司令部は見ている。それなのに、あの〈ビビッド〉と〈グレイ〉の独り言を咎められはしなかった。
あえて見逃されていたのかもしれない。
操縦桿から手を離し、シートにもたれかかる。盾としてデザインされているせいか、〈グレイ〉は頑丈だ。押しつぶされるまで、猶予がある。
暗く狭い空間に、死の音が反響する。どんどんを大きくなっていき、比例して、ひどく冷えてきた。体が死ぬことを自覚したのかもしれない。
かすれた呼吸が反響する。死ぬのは怖い。でも、人類を救うためではなく、彼女を守るためだと思い込めば、恐怖を鈍らせることができる。
一人の少女を守るために命を捧げる。とてもヒロイックで良い響きだ。きっとこれが自分の使命であり、果たすために〈グレイ〉のパイロットになったんだ。
「ふぅ……」
息を吐いて、目を閉じる。狭く暗く冷たい空間のコックピットが、棺桶になる。後はもう、その時が来るまで待つだけだ。
『──死にたくないって、言ってたくせに』
かすかに聞こえた、彼女の声。
はっと目を覚ます。体が熱くなる。同時に震えだした。荒く細かい呼吸。
「……死にたくない」
恐怖に怯える自分が息を吹き返し、使命感に酔った自分を叩きだす。死の恐怖から逃れたい一心で、〈ビビッド〉の姿を探す。しかし、【インベーダー】の体が視界を遮る。
「邪魔だ……」
操縦桿を握る。
俺が死ねば、彼女は一人になる。彼女を守る〈グレイ〉は、もう自分しか残っていない。
彼女を救いたいと願う自分が、体を突き動かす。
「ぐぅぅ!」
奥歯を噛み締めて、がむしゃらに腕を動かした。伝わるはずのない力が伝わったのか、今になって抵抗されるとは【インベーダー】も思っていなかったのか、少しだが自由を得る。
未だ生きている左腕を振り回し、装備されている機関銃で弾丸をばらまく。この程度の火力では【インベーダー】の体表を貫けないが、仰け反らせることはできた。
視界が晴れ、青い空が映る。すぐに〈ビビッド〉の姿を確認できた。
──そのすぐ後ろから、【インベーダー】が迫る。
『後ろだ!』
『──ッ!』
すぐさま彼女へ叫ぶ。息を呑んだ気配だけが返ってきた。
〈ビビッド〉は振り返りざまに剣で切り捨てる。しかし、別【インベーダー】の触腕が赤い光の翼に巻き付いた。
『そんなっ!?』
〈ビビッド〉がバランスを崩す。振り払おうとするも上手くいかず、高度が下がっていく。
そこに【インベーダー】たちが吸い寄せられ、〈ビビッド〉を核とした球体となる。赤い光はもう見えない。
最悪の未来が、頭をよぎった。
『俺が! 守るんだ!』
左腕の機関銃から弾丸を放つが、一体の【インベーダー】も引き剥がすことはできない。
『クソッ!』
せめて近くへ行かないと!
脚を踏み出す〈グレイ〉の前に【インベーダー】が立ちはだかる。
『邪魔だ!』
機関銃を構える前に、触腕が左腕に巻き付いた。もう動かせない。
なら、脚だ。
『どけええええええ!』
右脚を跳ね上げ、【インベーダー】の頭に向かって膝を叩きつける。【インベーダー】の節足動物めいた目が、片方だけ砕かれた。
それでも、壁は崩せなかった。
背後から【インベーダー】に押し倒され、地面に叩きつけられる。衝撃で自分の体が大きく揺れて、コックピット内の装置に額をぶつけた。視界の半分が赤く滲む。
『立てよ!』
いっそ折る気持ちで操縦桿を動かすも、〈グレイ〉は立ち上がることはない。
『まだ! 顔も知らないんだ! 名前も聞いてない!』
〈グレイ〉の装甲が軋む音が響く。
『ひとりに、させたくない……!』
その時、かっ、と光が爆発する。
赤い光ではない──
──紫の光だ。
『えっ……?』
ちぎれた【インベーダー】の触腕が、紫色の光とともに宙を舞う。
〈ビビッド〉に似た姿ながら、放つ光の色は紫。身の丈程もある大きな剣を振り回されずに、振り回している。紫の光を滾らせる一対の翼の間には、巨大なライフルらしき武装があった。
『助けに来たよ。……未来からね』
〈ビビッド〉に乗る彼女とは違う、より幼い少女の声だった。
理解して、すぐに叫んだ。
『違う! 俺じゃなくて、彼女の方へ!』
『大丈夫。あっちにもいるから』
『え?』
【インベーダー】の球体のそばに、もう一機の紫色の光を放つ機体がいた。
自分のそばにいる機体と同じ見た目だが、武装が二振りの細い剣を両手に持っている。
紫色の剣閃が【インベーダー】を切り裂き、引き剥がしていく。赤い光が檻から逃げ出すように輝いていく。
『よいしょ、っと』
いつの間にかそばにいる紫色の機体が、どこからか大きな箱を取り出していた。
『な、なにを』
『ここに右腕を突っ込んで?』
箱にはちょうど腕が入る大きさの穴がある。言われるがまま、肘の先がない右腕を差し込んだ。
《四番回路に接続されました》
すると、謎のメッセージが流れ、鮮烈な青い光が漏れ出し、そのまま飲み込まれた。
『なんだこれは!』
数秒すると光は収まったが、青い光が体に纏わりついている。
『あなたも、必要なの』
右腕に、新たな手がついていた。
元の腕よりも一回り大きい腕。青い光を滾らせる爪を持った五本の指。そこから伸びる青い光のラインは、腕を伝って背中まで続いている。
『これって、〈ビビッド〉と同じ光!?』
『行こう?』
紫色の機体が、左手を掴んで飛び上がる。
ふわりと自分も浮き上がった。
右手から発せられる青い光が、ぼろぼろになった装甲の傷を埋めていく。機体の背中には、青い翼が生えていた。ひらひらとはためく外套にも、水の中を泳ぐ魚のヒレにも見えた。〈ビビッド〉とはまた違った意匠をしている。
『わたしは〈ムラサキ〉! そのまんまだね? あっちは〈シデン〉であなたが〈ネオン〉』
『〈ネオン〉……』
不思議と、空を飛ぶ挙動に違和感を感じなかった。ずっと飛翔する〈ビビッド〉を見ていたおかげかもしれない。
【インベーダー】の球体は半分の大きさになっていたが、未だ赤い光が逃げ出すばかりで〈ビビッド〉の機体は見えない。
〈ネオン〉の右手を強く握りしめ、ひと際大きく光った瞬間、手を開く。鋭い鷲爪が青い光を強く滾らせる。
『離れろ!』
右手を力の限り突き出した。〈グレイ〉の時では考えられないほどに、容易く【インベーダー】の体表を切り裂いていく。
『後ろは俺たちに任せろ』
『任せて!』
〈シデン〉のパイロットらしい、少年の声が届く。〈シデン〉は腰に下げた二丁の拳銃で、〈ムラサキ〉は背負っていた大きなライフルで、迫る【インベーダー】を打ち落としていく。
自分は彼女を助けるため、ひたすらに青い光をぶつけていった。
赤い光の奥に、銀色の装甲。
『見つけた!』
そこに左手を滑り込ませ、〈ビビッド〉を引き寄せて抱きかかえる。
『生きてるか!?』
〈ビビッド〉の頭部がこちらを向く。コックピット内の彼女と目が合った、気がした。
『──どういうこと、なの』
驚きを隠せない彼女の声。
生きている。
心の底から安堵した。助けられたんだ。
『俺も、よくわからないよ。ただ、空を飛べるようになったんだ……』
〈ネオン〉の翼が優しい青い光を放つ。
彼女は数秒、黙り込んだ。
『…………ありがとう』
その言葉をかき消すように、彼女は未だまとわりつく触腕を剣で斬る。
まるで照れ隠しみたいだ。笑いそうになって、自分の顔にべったりとついた血を拭って誤魔化した。
【プラント】は目の前にある。防衛する【インベーダー】の数は少なくなっている。
『【プラント】を壊すためには、〈ビビッド〉だけでは不十分だ』
〈シデン〉が言った。未来人の言葉通りなら、今回の作戦はうまくいったところで、成功しなかったらしい。少し、いやかなり複雑だが、別の未来へ行けそうでよかった。
『わたしたちが守るから、〈ビビッド〉と〈ネオン〉の最っ大火力! あれにぶつけて!』
〈ムラサキ〉が続けた。二人はそのまま背を向け、銃を構えた。
〈ビビッド〉が翼を目いっぱいに広げた。赤い光が徐々に濃さを増していく。
それに倣い、〈ネオン〉の翼を広げた。こちらも同様に青い光が強くなっていく。
『風を感じる、って意味がわかった』
コックピットの中にも青い光が入り込む。けれど、決して邪魔ではない。むしろ、そばにいるのが頼もしい。
『俺と〈ネオン〉は、感覚というか、心というか、そういうものが繋がっているんだ』
翼を広げる操作、新たにつけられた右手の操作、それらは本来〈グレイ〉にはない挙動だ。当然、操作する手段もないはずだった。なのに、自分は動かせている。それこそ、マニュアルでもオートでもない、感覚での操作だ。
『自分の体の延長なんだ』
『……そう。〈ビビッド〉が傷つけば、私も痛いし苦しい』
彼女は苦々しい。
『ずっとひとりで戦ってきたんだ。すごいな、きみは……』
感嘆の声。本当に、彼女はすごい人だ。
赤い光と青い光が限界まで強まったのが感覚で分かった。
〈ビビッド〉が銃を構えると、赤い翼が機体の前、銃口の周りに突き出す。
〈ネオン〉の右手を開き、手のひらを向ける。青い翼がその周りに浮かび上がる。
息を合わせる必要もなく、同時に、赤い光と青い光が放たれた。
二色の光が混じり合い、世界を紫色に染め上げる。
コックピット内にも光が届く。とても暖かく、優しい光だ。
光が収まると、景色は一変していた。
空を遮るほど大きな【プラント】が破壊されていた。残骸の内部には、成形過程の【インベーダー】たちが覗く。動く様子はなかった。
『成功、したんだ……』
『ああ……』
呆然と呟く彼女の声に、呻くような声でしか返すことができなかった。
喜びが押し寄せてくるが、これは人類が救るための第一歩にすぎない。
【インベーダー】が新たに製造されることはなくなったが、当然奴らも新しい【プラント】を作ろうとするだろう。それを阻止つつ、残党を掃討しないといけない。むしろそちらが本番だ。追い込まれた人類が戦っていた【インベーダー】よりも、世界に散らばった個体の方が数が多いからだ。
ああ、でも、今は喜びだけを噛み締めよう。
『はあ……』
深呼吸をして、操縦桿から手を離し、シートにもたれかかる。いまさら額の傷が痛みだす。
少し離れていた〈シデン〉と〈ムラサキ〉が近づいてくる。
すると、青い空に、時空の裂け目が開いた。〈ビビッド〉がこの世界に現れた時と、同様のものだった。
〈シデン〉と〈ムラサキ〉が裂け目に近づいた。未来へ帰ろうとしているのがわかった。
このまま一緒に戦ってくれたら、どんなに心強いか。けれど、帰らないといけない理由があるんだろう。
『助けてくれてありがとう』
『感謝します』
彼女の声が妙に硬い。もしかして、人見知りだったりするんだろうか?
くすりと、笑い声が聞こえた。〈ムラサキ〉の声だ。
『どういたしまして!』
『それが俺たちの役目だ』
〈シデン〉が言う。
『俺たちの未来に続く可能性は、か細いものだ』
『手強いよ? 〈ネオン〉、頑張ってね!』
『だけど、あなたたちなら辿り着ける。そう遠くない未来に、俺たちは再会できる』
『その未来のわたしたちは、初めましてで、とても、とても幼いけど』
〈ムラサキ〉がばいばい、と手を小さく振った。
『その時は、よろしくね?』
〈シデン〉が頭を振る。
『〈ムラサキ〉! 余計なこと言うな!』
『ごめーん!』
そのやり取りが、妙に親しく感じられ、まるで兄と妹みたいだと思った。
〈シデン〉と〈ムラサキ〉を飲み込んだ次元の裂け目が閉じる。
後に残るのは、〈ビビッド〉と〈ネオン〉、そして【インベーダー】の残党。
『……すごい数だ』
思わず声が漏れてしまうほどの【インベーダー】の大群。【プラント】を防衛していた群れよりも、さらに多い。【プラント】を破壊するほどの脅威だと、【インベーダー】に認識され、全力で排除しようと動き出したようだった。
『でも……私はひとりじゃない。私たちなら……』
彼女の言葉に、ぶるりと体を震わせる。これ以上にないってほどの、嬉しい言葉だった。
『俺たちなら、勝てるよ』
『うん……!』
彼女の顔は知らなくていい。
彼女の名前も聞かなくていい。
今はただ、隣に並んで、空を飛んでいたい。
命よりも鮮烈な 高町テル @TakamachiTeru
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