剣と魔法〈二〉 剣のバランスとスケール

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前に書いておきますが、今回の話はありきたりの魔法に基づいて、戦闘における剣と魔法の相互関係を仮定しています。

ご存知の通り、魔法は作品の設定ごと違うため、相互関係は魔法の設定により大きく変わります。

その為、今回の話で言及した魔法と仮定を参考に値しないと思うのであれば、飛ばしてくださって構いません。


ただ、筆者は当たり前に扱われてきたものを分析し、根幹となるものをはっきりしてから再構築することを目標にしているので、思考の過程にも注目していただければ幸いです。



三月二十七日追記:加筆致しました。

やっぱり自分の納得がいく物は中々書けないものですね。

脳内の完成図は極めて邪魔で、書いてもいないことをその完成図のせいで書いた気になってしまいました、申し訳ございませんでした。

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剣、実在する兵器にして、ファンタジーの大事な要素。


「剣と魔法の世界」と言う言葉があるように、魔法と並ぶファンタジー要素の剣。

実のところ、筆者はこの「剣」こそが「剣と魔法の世界」におけるバランス上の大問題だと考えている。


魔法は魔力であれ知識であれ、殆どの設定において扱うには前提が必要とされている。だが「剣」は違う。

武器を手に持ち、それを敵に振り下ろすことができれば、それは剣と魔法の「剣」になり得る。


つまり、「剣」は誰にでも扱い、触れられるものである以上、「剣」の絶対数は魔法より多い事はほぼ確定的である。

故に、魔法を世界観的に必要とされるものにする為に、魔法は強さや性能などで「剣」に比べてアドバンテージがある事は必要である。



では、魔法を隔絶的に強く設定すれば問題がなくなるかというと、それもまた違う。

魔法があまりにも絶対的な優位に立っていると、「剣」の意味が薄くなる。


例えば、主な脅威は魔物で、物理攻撃に長けている者の中でもそれなりに強い騎士などの者でも弱めの魔物には歯が立たない、魔法だけが魔物を駆除できる設定を仮定しよう。


この場合、魔法だけが脅威を対処できる事はつまり、武器を主な攻撃手段とする兵士、冒険者などの価値が低くなる。習っても自分の価値を上げにくい為、武術などの物理攻撃手段も発展しにくい。

国や領主の予算も無限ではないため、常備兵を魔法兵にするか、対人戦の時だけ兵を集めるか、軍隊の規模を小さくするかなど、無駄な出費を抑えようとするだろう。


逆に魔法を扱える者が極端に少ない、魔法が攻撃に使えない、魔法自体の効果が薄いなどの設定だと、史実のような軍は編成されやすく、魔法も表舞台に出にくい。

場合によっては魔法を切り捨てた方がスッキリする事もあるだろう。


要は、剣と魔法の優劣とバランスは世界観、政治情勢にも影響し得る。その本を正せば、「魔法を使うことに前提はあるが、武器を振るうことに前提はない」所にある。


現実世界にも武器が存在し、それを扱う技術も存在する。「剣」に手を入れないで、現実世界のような武術だけの設定も見かける。

人体の構造を利用し、兵器の物理的特性を活かし、剣戟の応酬を描く。

それはそれで魅力的だと筆者は思っているが、魔法を混ぜると、描写の難易度が上がる。


何せ武術だけでは不可能の移動を可能に出来ないため、基本射程で抑えられるだろう。

武術だけでは不可能の威力を可能にできないため、岩の壁を造られれば、回り込むしかないだろう。

これらの物理制限の中で発展し役立つのが武術である故に、魔法があれば武術のみで成立する「剣」が目立ちにくく、ファンタジー要素も薄れる可能性が高い。


武術や奇策の描写に花を持たせるのが狙いならそれでいいだろう。だが、「剣と魔法の世界」に超人的な「剣」を求めるのも別に奇特な需要ではなく、ファンタジーの読者が求めるごく当たり前なものである。




ここで「剣」をファンタジーに寄せるとどうなるのかを考えてみよう。


バランスを取る前に、まずは基準を決めないと始まらない。

設定にもよるが、基本的な攻撃魔法は矢や玉などの形をしたエネルギーの投射体の設定がよく見られる。

それらが攻撃魔法として機能するには、数発以内で一般的な人間を殺す、もしくは戦闘不能に追い込む程度の威力が必要になる。


では、ファンタジー小説、ゲーム、アニメなどで登場する初歩的な攻撃魔法の描写、表現を元に、ここで一応の仮定をしよう。


初歩的な攻撃魔法の有効射程を50メートル前後、飛行速度は時速140kmとして(野球選手の球速ぐらい、これでも弓矢に比べて大分遅い)、魔法の準備や詠唱に2.5秒必要とする。

成年年齢前後の男性の50メートル走成績は約7~8秒、戦いにおける立ち回りなどを考えず、ただ50メートルを走り抜くだけの時間を計算すると、接近されるまでに約3発の魔法を撃てる事になり、装備の重量を考慮に入れるともう少し余裕があるかもしれないが、軽装備だったら多くても4発ぐらいだろう。


つまり命中率を問わず、5発以内に一般人を倒せる、これは近接戦闘ができない魔法使いが一般人相手に、絶対的な優位を取れる最低限の強度、なのだが。

筆者の考えからすれば、弱い、弱すぎる。


無論、連射性能は現実の弓矢に比べて良いのだが、射程は短い。

それに現実の弓矢は頭や胴体に刺されば人は簡単に死ぬし、例え死ななくても、戦うための訓練を受けていない一般人は矢が手に刺さっただけでまともに戦えなくなるだろう。

つまり、前述の想定は殆どの場合において弓矢に比べて遥かに弱い為、魔法が含む魔力やその属性の重要性が極めて高いか、矢の携行量と比べて魔法の継戦能力の方が遥かに高いか、多彩な働きができるかなどのメリットがないと、弓矢を捨てて攻撃魔法を取る意味はほぼない。


更に、弓の訓練を受けた者は他の近接兵器の訓練も受けたことがある者が殆ど、つまり、強さはともかく、弓を持つ者はある程度の白兵戦にも対応できる事を意味する。

だが、程度と割合は設定にもよるが、魔法は白兵戦に対応できるとは限らない。その為、待ち伏せや混戦状態などの緊急事態で弓使いより、魔法使いが足手纏いになる可能性が遥かに高い。


故に、初歩的な攻撃魔法は少なくとも現実の弓矢と同等かそれ以上の殺傷能力があった方が、冒険者や軍隊がそれを戦力として数え、運用しやすいだろう。

でないと戦力において、魔法使いを全員追い出して、同数の弓を揃えた方がマシなのだから。


当然、弓矢以下の威力の魔法も存在していいのだが、筆者からすると、攪乱には使えるだろうが、殺傷能力を持つ攻撃魔法と呼べるかを疑問に思うので、そこは割愛しよう。




さて、一応の基準を決めたところで話を戻そう。

ここからがファンタジーに寄せた「剣」のバランスとスケールの話だ。


前述の仮定で言及した初歩的な攻撃魔法の威力を弓矢レベルに上げて、それを攻撃手段として使える者を初級魔法使いとする。

ならば、その初級魔法使いと渡り合える実力の、近接戦闘をメインに戦う戦士はどんな存在かを考えてみよう。


戦士はフル装備で現実の一般男性と同等の速さで走れるとして、数秒ごとに魔法が飛んでくる。だが戦闘は50メートルで開始するとは限らず、接近まで魔法を使える回数を一回減らすとする。


このレベルの戦士は弓矢レベルかそれ以上の威力を持つ魔法を撃ってくる魔法使いに向かって突進し、約三発の魔法を耐えてないし避けて、接近してからまだ相手に接近戦で打ち勝てるほどの戦力を保持する必要がある。


...実は結構ヤバイ。

野球選手の球速ほどの魔法を避けるのはちょっと想像しづらいかもしれません、野球が顔に向けて飛んでくることは滅多にないからだ。


ならばドッジボールで考えてみよう。

ドッジボールを経験したことがある人ならドッジボールが顔に当たった事はそう珍しくはないでしょう。ではドッジボールが顔に向けて向けて飛んでくるのを想像してみてください。

小学生が投げるドッジボールは時速60㎞でも早い部類だ。これは仮定した魔法の140㎞の半分にも満たない。

この速度で飛んでくる魔法相手に突進することは、距離が近づくにつれ、避けるための反応時間が短くなる事を意味する。


このような脅威を相手に、こんな突進をできるようにするには、身体能力で戦う「剣」の側は動態視力、反射神経、筋力、頑丈さ、忍耐力、これらがどんな形で成長し、どう強くなっていくのかを決めなければならない。


そして前述のように、魔法は攻撃以外の働きにも期待できる為、冒険者や軍の中で同じ地位で組む場合、恐らくこのような真っ向勝負は「剣」が勝つぐらいがちょうどいいだろう。


これはまだ投射体だけの初歩的な魔法との相互関係だ。

魔法が強くなるにつれ、その魔法に釣り合う「剣」のハードルも高くなる。


魔法は使用者以外を起点に発動できれば、魔法は何らかの手段で事前に設置できれば、魔法は数十平方メートルの範囲攻撃が出来れば、魔法は移動を阻害出来れば、魔法は飛行が出来れば。

魔法ができる事が多いほど、強いほど、釣り合うほどの「剣」は現実世界の枠から離れていく。


ここまでくると、一つ大きな問題点がある。

現実世界の範疇だと身体能力と物理には限界がある。

刀で岩を切れないし、二段ジャンプもできない、水面で走れないし、陸上競技の世界記録保持者でも空飛ぶ鳥に追いつけはしない。

その為、現実世界の範疇での筋力、頑丈さなどの強化では、「剣」が強力な魔法と釣り合うのは無理がある。

故に、「剣はなぜ、どう強くなるのか」が重要なことになる。


前述した動態視力、反射神経、筋力、頑丈さ、忍耐力などの身体能力を超人的なまでに高められるのはよくある話だが、戦闘における実際の影響も考えた方がいいだろう。


動態視力と反射神経が現実のそれを上回ることは、攻撃を見切りやすくなり、攻撃されてから反応しても対処できるようになりやすい。

それは同時に攻撃が決めにくくなり、動きの読み合いが普通に行われ、戦闘が長引く事を意味する。

そして恐らく攻撃の強さと速さが動態視力と反射神経の向上に追いつけないと、繰り返す練習による無意識下の反応の必要性が低くなり、動態視力と反射神経に天賦の才を持つ者と持たぬ者の差が開くだろう。

故に、動態視力と反射神経が強くなりやすすぎると、戦闘は無駄に長くなりやすく、技も生まれにくい事も考えた方がいいだろう。


筋力、頑丈さが現実のそれを上回ることは、移動速度、攻撃能力そして防御力が向上することを意味するのだが、武器防具の素材は現実と同じものであれば、武器防具は相対的に脆くなり、武器で筋力と頑丈さが超人的域に達した者を傷つきにくくなるだろう。

そして、筋力とそれに伴う速さの向上に動態視力と反射神経が追いつけていないと、敵の攻撃にリアクションを取りにくくなり、戦闘は先手必勝、一撃必殺に偏るだろう。

故に、筋力と頑丈さが強くなりやすすぎると、武具の意味が薄くなりやすく、戦闘時間も短くなりやすい事に気に留めた方がいいだろう。

おまけに、筋力と頑丈さの向上は肉体労働の効率の向上をも意味する。肉体労働の効率が高ければ、役に立つ機械のハードルも相応に高くなり、技術の進歩に何らかの影響を与えることもあるかもしれない。


忍耐力が現実のそれを上回ることは、戦士は負傷しても戦い続けられるようになる。魔法を受けて正面突破する戦士、ファンタジー世界ではそう珍しい描写でもないだろう。

負傷してなお戦う者は現実にもあった、そう考える方は間違っていない。手足が切り落とされても戦い続ける者はいただろう、銃弾を十数発受けても戦い続ける者もいただろう。

だが、もしこれが普遍的になればどうなる?

忍耐力が上げやすくすれば、影響が最も顕著であろう軍隊を見てみよう。

制度、士気、戦場の環境にもよるが、軍隊は二割の損耗率を出せば組織的な戦闘を行えなくなり、機能しなくなる事もある。

では隊列を組んだ歩兵は誰もが負傷しても戦い続ける、矢を受けようが手足が落とされようが戦い続けられるほどの歩兵は、果たして二、三割の損耗率で崩れるだろうか?

そして、怪我しても戦い続ける事は、死ぬか戦えなくなるほどの機能を奪われるまで戦いは続けられる。戦場における戦傷、戦死者は現実に比べて遥かに高くなるだろう。

もし医療技術に相応な発展がなければ、戦死者と戦傷による障害者が増え、戦争はより破壊的なものになるだろう。


このように、身体能力のような普遍的で影響範囲が広いものを帰るとは余計な影響をもたらす事もあるため、こういうところに手を加える際はバランスを気にしつつ、慎重に調整した方がいいだろう。



純粋な身体能力の他に、よく扱われる設定としては、魔法とは異なり、魔力を扱えなくても身体強化に使える生命エネルギーが挙げられる。ここでは一応生命エネルギーを「気」と呼ぼう。

確かに、「剣」の側にも扱えるファンタジー要素があれば魔法との差を気にしなくていいだろう。

そして身体能力だけでなく、気のようなエネルギーを使って初めて超人的な能力を発揮できるのであれば、使える者を限定し、能力を制限しやすくなり、隙を作れるだろう。


だが、ここに来ると、「誰でも武器を振るえるのに、誰が、なぜ、気を扱えるのか」という取得条件と「気は身体強化以外で放出や物に纏えるか、その他に効果を持つのか」の効果が問題になって、魔法同様の検証と調整が必要になってくる。

ただ、前述の通り、武器を振るう事に前提はない為、気の取得条件によっては普遍的なものになってしまう可能性もある。その点にも気を配った方がいいだろう。


そして「剣」を扱えるのに気のような力という前提を作れば、もう一つの問題が発生する。

それは世界観全体での力の格差が広がることになる。


ファンタジーの設定において、力の差が大きいことは別に悪いことではないが、注意すべき点はいくつかある。


一、


徴兵した農民兵など一般人同然の動員兵は雑魚になりやすく、強者が戦場で無双しやすい。

それもその筈、現実中世の完全武装した騎士は戦場でまともな革鎧もない農民兵を十人以上斬り殺せるのに、ファンタジー要素を上乗せした戦士にそれが出来ない理由はない。


故に、そういう世界の軍隊はおそらく現実に比べて常備兵が多く、動員兵を使う場合は少ないだろう。

何せ、敵の強者に勝てない者が死んで、徒に労働力を失うだけだから。



二、


剣であれ魔法であれ、それらを扱える者は権力者が囲い込みたくなる。

現実世界の権力と金の関係のように、そこに剣と魔法のような力を加えたようなものになるだろう。


更に、そのような力を扱う才能がもし子に受け継いでいくのであれば、それを自分の血脈に組み込もうとする権力者も現れるだろう。

もしどちらかがより希少であるならば、それを取り入れた者の方が格が高くなる考えも生まれるかもしれない。


要するに、このようなものは社会や権力者の在り方にも影響し得るので、こういうところでリアリティーを出したいのであれば気にした方がいいだろう。



三、


魔法と比べて、剣の方が一般的に広く使われている設定が多く見られる。

それは魔法の方が希少である事を意味する。それ自体は問題ではない。


ただ、剣が一般的であるって事は同時に比べられる対象が多い事を意味する。

更に、剣は特性上どう足搔いても物理空間と共に描写することになる。

それはつまり、剣はどのようなスケールで動いていくのかが分かりやすく、そしてそのスケールのブレがバレやすいことを意味する。


筆者が実際に見た具体的な例を挙げれば、「強大な力を駆使し、一瞬で十メートル以上を駆ける事が出来、戦陣で数百人以上の兵を数分も掛からずに斬り殺した」ほどの強さを持った主人公は後に同じ能力を使い「五十メートルを数秒で駆け抜けて敵に斬りかかった」

いやさ、化物を常人に落とすなよ。


要は、比べる基準がないものはどうにでもなるが、その基準が出来てしまうとスケールのブレは目立ってしまい、描写の不一致が問題になる。







結論を言うと、剣と魔法の世界で、殆どの設定において、「剣」には人間を辞めさせるべきであり、そのスケールを大きくブレさせないように意識すべきである。

ただ、その力の形とバランス、そしてそれらが世界観に与える影響を十分に考慮すべきである。


当たり前なことだって言われそうだが、当たり前だからこそ重要なことだと筆者は思っている。




後に書きますが、気のような要素以外に、ステータスを導入する事でバランス問題を解決する考えもあるようだ。

ただ、実は筆者は小説のステータスの扱い方には疑問に思うところがあるのだが、ステータスの話はまたの機会にしよう。

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