運命を変える出会い

 リリス・アンヘルという少女は、一言でいえば箱入り娘だ。少々お転婆で、好奇心旺盛であり、時折何を考えているのか分からない行動に出る。

 今日もそうだ。慣れたとはいえ驚かない訳では無い



「おはようございますお嬢様」

「おはようノース。ちょっとそこの布を取って欲しいのだけれど」

「畏まりました......所でこのような天気の良い日ですが、何をしていらっしゃるのですか?」



 きょとん、と愛らしい顔でノースを見つめてくるリリス。



「何って、洋服を作っているのだけれど」

「そうですか......因みにいつ頃から?」

「三時くらいから。お昼寝しちゃったから早起きしたの」

「そうですか。それでは随分長いことやっていらしたのですね」

「ええ」

「それでは少し休憩といたしましょう。朝食の準備もできておりますので、身支度が出来次第再開してください」



 今まで裁縫など禄にやったことがないはずの少女が青のワンピースを作っているのも、いつもの気まぐれだろう。魔法の力も付与されているのだろうが、ドレッサーが着ている洋服は普通のものとは違いキラキラと輝いている。



「うん。わかった。それじゃあノースお願いがあるの」



 リリスの指示に返事をすれば、満足気に笑うと席を立った。ふんわりと微かに香る紅茶の匂いに呆れてしまいながらも、リリスの後ろについて部屋を出た。




 リリスという少女についてもう一度言うのなら、変人である。

 魔法使いでありながら魔法を使えぬノースを捨て猫同様飼いたいと言う当たりから理解出来る常識外れさがある。当主である、つまりはリリスの父が言うには年に似合わない振る舞いのせいで社交界でも随分と浮いているのだ。

 同年代の子供が話しかけてもつっけんどんな態度で目も合わせようとしない。まるで興味を示さない子供は、一人で果汁を味わっている。


 そんな時ノースを拾ってきたものだから当主も奥様も大歓迎であった。


 人に興味のない少女が初めて興味を持った人間だったノースがそばに居るようになったことで変化が起きたかは知らない。その前の姿はノースは知らないし、知ろうとも思わないからだ。



 一定の距離間を保つ事は大事である。それは人間関係を円滑にする為には忘れてはならない。




「あった」



 朝日の射し込む図書室は眩しい。東側から伸びる影を踏みながら目的を探していれば、早々に発見出来た。



「大人しくしてくださるのなら、別に文句はありませんが後で言い聞かせないと」



 刺繍の本を二冊取り出し、取り残しがないか確認をする。

 羅列表示された背表紙を目で追いかけていれば、日常生活では滅多に見かけない文字が引っかかった。



「オアシスの行方」



 童話か寓話か判断は出来ない。誘われる様に手を伸ばした本は魔法特有の疼く痛みは存在しない。魔導書の類では無い事に胸を撫で下ろす。


 表紙は至ってシンプルなものであった。新緑色に白い文字で題名の書かれた本には、Rと聞いた事のない作者の名前が記載されている。




 オアシスの行方

 そこは神が与えた大地だ。一人の弟へと与えた領土は時が進むこともなく、花が枯れることも無ければ生命が息吹くこともない。凪いだままのオアシスは正しく楽園と称するのに相応しい場所だった。この楽園は魔力により保たれており、領主である神が保護している。神の名は______




「続きがないですね」



 その先は空白であった。その後のページの真っ白で印刷ミスを疑うが、書籍をそのままにしてはおかないだろうと首を傾げる。図書館の管理はミズにより行われている為後で聞いておこうと刺繍本と一緒に持ち出す。


 早足でリリスの部屋へと向かえば、純白のカーテンが揺れている。

 バルコニードアに手をかけようとした瞬間、この時期にしては珍しい突風が入り込んだ。



「おっ......と、散らかってしまいました」



 机の上においてあった紙が先程の風のせいで散らばっている。

 茶色い髪も少しだけ形が崩れ上を向いてしまい、リリスにバレないうちに直すこととした。身嗜みが崩れていれば、従者としてはマイナスであるというミーシャからの教えである。


 床に落ちた服は大概が服のデザインが描かれていた。どれもが蒼色をベースにしたものでデザインは似たり寄ったりであったが細かい所は違う。やはり天才という生き物は他とは違う様で、七歳とは思えない上手さがあった。

 そう言っても絵なんて描けない環境にいたせいで年齢での基準は分からないけれど、アンヘル夫妻やミズが話す通りであると他とは違うのだろう。



「......」



 視線に留まった一枚の紙は他とは違って絵がなく文字だけ、おまけに人名であった。その中にはノースの名前は勿論、聞いたことも無い人名も沢山書かれていた。

 全てを見たあと、ノースは紙を一番下にして机の上に戻した。



「さて、元に戻りましょうか」



 ノースがドアノブに手を伸ばすのと同時に一階から硝子の割れる音と甲高い声が聴こえてきた。

なにかがあったのだろうかとドアを開けたまま廊下へと飛び出す。階段を降りるのではなく飛び降りて悲鳴の元まで駆け寄った。



「......は?」



 手に持っていた本が滑り落ちる。


 もし仮に、ミズが好きな劇場の一幕ならばここでノースは駆け寄って抱き締めて長々と台詞を語り出すのだろう。悲劇の開始。主人公はここから犯人に復讐を誓うのだろう。しかしノースは主人公ではなく、ここは現実であり劇場の舞台では無い。



「おじょうさま......?」



 いつか昔、似た匂いを嗅いだ事がある。暗闇であった。そこに居るだけで不快感が及ぼされ逃げ出したくなる恐怖感が身を包む。野犬が唸る様な音が響き、肉を叩くような音が時折聞こえたあの場所。鉄と生臭い匂い、ひゅーひゅーとなる風の音。全身の血が引いていく感覚に襲われた。


 ノースの視界に移るのはナイフが刺さったヒロインではなく、血の海の上で目を閉じているリリスだ。赤い液体の上に広がる白い髪が艶のない夥しいものに見えた。



「ギ、ギギ、ギィ」



 そこで漸く第三者の存在に気が付いた。

 黒塗の身体は、蠍のような形をしているがツルツルとした表面に鋏のような手の部分は赤黒い液体がこびりついている。真っ赤な瞳がリリスを映し出し、尻尾がバンバンと床を叩いた。背筋が凍るような視線がノースに向かっていき、思わず後ろに後退る。



「ぁ」



 足を踏ん張らせノースはモンスターと対峙する。


 あれは十二世紀の実験の産物だ。フォウと呼ばれる彼等は動物の形状をしながらも動物とは違い、核と呼ばれる部分が心臓の役割を持つ。核は鉱石であり、魔力を持った性質の為魔聖石とそう呼ばれている。


 魔聖石は、脳に宿る。もし鋭利な刃物でもあれば、きっと。



 ノースはそう考えた。

 しかし鋭利な刃物と言っても何処から持ってくればいいのだろうかと頭を急いで回す。


 ノースが考えているあいだも、フォウは攻撃を仕掛けてくる。

 キィキィと先程と同様甲高い声を上げてノースへと近付いてくる。そのままノース目掛けて腕を振り下ろした。



「危な、と、とりあえず、おじょうさまをつれていかないと」



 あくまで冷静に。でなければリリスは助からないことを念頭に置いて震える足を叩いた。ノースは視線を彷徨わせ、状況確認に勤しむ。

 ほぼ一本道の廊下で少し離れたフォウ、さらにその後ろには横たわるリリス。ファンの入口になってしまったであろう硝子の歪な割れ目。



「い、ける?いけると思うしかないか、だよな」



 生死の分かれ目の状況のせいかノースの独り言が多くなっている。その姿は冷静さを失ったようで、実の所冷静さを取り戻していた。


 ノースは一歩また一歩と後ろに後退りフォウもまた一歩一歩とノースと距離を縮めてくる。互いに自身の得意な間に持ち込もうとジリジリと睨み合う。



 先に仕掛けたのはノースであった。小柄な体格を活かし走り出すノースに腕を振るうフォウであったが、些かノースの方が早かった。腕と床の間をすり抜けて散らばった硝子の元へ走る。一つ、歪だが尖った破片を見つけて手に取ったノースは身体の向きを変えた。


 しかし物事が予定調和に動くはずもなくノースが振り返った先にはフォウの腕があった。



「ギ、イィ......」



 フォウの様な声が零れた。横腹からの酷い激痛に襲われ手に持っていた硝子を落とし、腹を押える。膝から崩れ落ちたノースの目からは涙が溢れ出し、口からはくぐもった声が零れた。



 頭では理解していてもノースは立ち上がれなかった。リリスを守らなければいけないのに、フォウには勝てない。逃げ出す事も出来ない、救助も来ない。

 そもそも何故ミズもミーシャも助けに来てくれないのか。ノースは先輩の姿を思い浮かべ叫ぶ。しかし声になることも無く、嫌な汗が頬を伝っていく。



「せ、っかく、もらった、のに」



 ノースはもう立つことすら出来ない喪失感に襲われた。

 ぐるぐると懐かしい過去が脳裏を過ぎる。冷たい床と白い息、鉄格子の向こう側から鳴る音。一変、白雪の中で立つ天使から背景が切り替わる。ミズとミーシャと、アンヘル家の人々。


「のーす」


 柔らかな声で名前を呼ばれる。それだけで冷えた身体が温まり、口角が上を向いた。


「お、じょうさま」

「ほ、ん......ほんを、とって」

「ほん?ほ、ん」



 聞こえた声にはふ、と息を漏らして視線を揺らした。


 まだ濁りきっていない青と目が合う。

 ノースは条件反射と言わんばかりに立ち上がった。まるで命令を今か今かと待っていた忠犬の様に走り出しフォウの腕の間を通り抜ける。痛みなどなかった。リリスの命令を実行する為に全神経を注いでいるせいか痛みなど気にもならない。



「は、は」


 二十メートルも走っていたかどうか分からぬ距離で異常な程息切れを起こし足がふらつく。半ば倒れ込む様に膝をついたノースは、本を手に取った。傷口に触れていた手で持ち上げたせいで表紙に血が染み込む。


 血に呼応するかのように本が動いた。

 ブォンと機械音に近しい音をたてた本がノースの手をすり抜けて宙に浮き、ノースの目の前で本が勢い良く開いていく。やがて頁が半分程開いたかと思えばびっちりと異国語で書かれた文字がずるずると本から抜け出して、ノースの腕に絡みついた。



「気に入った」


 低い声がノースの耳元で囁かれる。それに反応する様にノースの腕の文字が茨へと姿を変え、赤く染った。



「卿のような忠犬は悪くない。卿にならば契約をしてやろう」



 姿の無い声にノースが顔を上げる。本の向こう側に微かにぼやけた、辛うじて人として捉える事が出来るかどうかの輪郭が見えた。陽炎のように揺れるソレと目が合った瞬間ノースは喉を鳴らす。




「だれですか」

「名など聞いている場合か馬鹿か?卿はあの娘を助けたくはなかったか、見込み違いだったな」

「いや、おじょ、おじょうさま、助けたい、たすけさせてくれ」



 口角を上げた様に見えたソレがノースの額に触れる。氷が触れたかと思う程冷たいそれの姿が徐々に明確になった。



「怪我は」

「いたくない」

「だろうな」


 ノースの腕を引き立たさせるソレはあくどい笑みを浮かべた。

 人の姿をしたソレは、腕を離しノースの後ろを指す。まるで獲物がすぐそこにいる事を示唆するような動作であった。



「私の力を与えたのだから、素手で割るくらいは雑作ない。脳天目掛けて勢い良く殴れ。殴るだけでいい」



 ノースはこくりと頷きフォウと向き合った。

 フォウがゆっくりとノースの元へと向き合い、カサカサと向かってくる。つねの通り腕を振り上げノースを攻撃してきた。ノースはいつも通り躱そうと身を転がす。



 鋏を床から抜くまでの間。多少の時間ロスがある。二激目が来る前にノースは立ち上がり蠍の脳天に向かって勢い良く拳を振った。

 フォウの額にヒビが入る。ヒビは拳を中心にパキパキと音を立てながら広がっていき、硝子の様に弾けた。中の核が粉々となる。



「え、あ?なに、死んだ?」

「死んだな」



 フォウは核が壊されたことで姿を形成できなくなったのか黒い粉となり、やがて跡形もなく消えていった。残されたのは粉々の核だけだ。



「よくやったな忠犬」

「え、あ、うん」

「褒美をやろう。その娘を助けてやる」



 ソレが指を鳴らすとリリスの周りに黄金の花々が咲いた。ありえない光景にノースは立ち尽くす。黄金の花から粒子がふつふつと浮かび上がりリリスを覆う。



「......ふ、これで借りは返せたか。忠犬、早く寝床へと運んでやれいつまでもこんな所で寝ていたら身体を痛め、おい忠犬どうした」



 暗転していく景色を呑気に眺めていたノースは、ソレが振り返る前に後ろに倒れた。声も何も聞こえない暗闇の中に突き落とされたノースは意識を投げ出す。とりあえず目的は達成されたのだ。ノースはもう死のうが死なまいがどうでもよかった。

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スカビオサの散る朝に 雪村蓮 @hasunooto

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