従者たちの朝

 早朝四時半。目覚ましがわりの猫が訪れる事でノースの一日は始まる。


「おはよう」

「んー、おは、よーございます、みーしゃさん」


 胸元に乗る赤いリボンを巻いた黒猫が人と同じ言語で喋る。

 黒い瞳がジッとノースを見つめ、ノースもまた見つめ返す。寝ぼけ眼の目を咎めるように頬に肉球を押し付けてくる猫は、未だ夢現のノースに腹が立ったのか猫パンチをかました。


「いったい......わかったわかりましたから!起きますから猫パンチをやめてください」

「ふん!わかればいいのじゃ」



 黒猫のミーシャは胸から飛び降り、ナイトテーブルの上でお行儀よく座った。すっと背筋を伸ばしノースを見下ろしている。

 ノースはベッドから起き上がり、パタパタと素足で部屋の洗面所まで向かった。



「今日は旦那様と奥様がお帰りになる日だから、しっかりとやるんじゃぞノース」

「わかってますって」




 二年前の冬、まだ十一のノースが逃げ出した先で出会った天使。又の名をリリス・アンヘル。

 貴族とまではいかないものの、社交界では名を馳せるアンヘル家の娘である彼女は孤児でありノースを、事情を知りながらも邸宅に召使として招き入れた。


 覚えることは沢山あるし、忙しい毎日だけれど嫌にならず生き生きと働けているのは、偏に彼女への忠誠心だ。齢十三の少年が抱えるにしては少し重い忠義をノースは当たり前の如くリリスに誓っているし、リリスもまたノースを受け入れている。



「ミーシャさん、右と左どちらですか」

「右」

「ありがとうございます」



 シャツだけを身に着けたノースが洗面所の前に立つ。そのまま化粧を始めた姿を見て、ミーシャは満足気に鳴いた。

 化粧をすることで見栄えが良くなるから、と何時か先輩に教わった化粧は最早朝のルーティンと化している。化粧するのに時間かかるし面倒臭いと思っていた時期がノースにもあったが、ある日リリスが褒めたことによって考えは百八十度変化した。



「アイラインが上手く引けない......っく」

「いつまで経ってもペンを引くのが苦手じゃの」

「仕方ないじゃないですか!」



 猫にはわかるまい。いるだけで愛らしいと持て囃される猫に、化粧の苦労がわかってたまるかと思うけれど。


 クロネコミーシャ。人外登録のされている魔獣であり、ランクはAと見た目からは判別出来ない程有能だ。老衰したかのような口調で喋るミーシャは、実年齢も実は口調と同じくらいなのだろう。全くノースは興味がなかったが、話の流れ的にそうだろうと判断した。



 メイクを終えたノースは燕尾服に身を包む。着るだけで不思議と背が伸びて、視界が明るくなる気がする。勝負着と言えばいいのか、ノースにとって燕尾服はリリスから与えられた王冠のようなものであった。



「さぁ行きますよミーシャさん」

「うむ、ミズも既に御勝手にいるであろう。儂もはよう飯が食いたいぞ」

「わかってますよ。食いしん坊ですね」

「なにを!食いしん坊ではなく空腹は自然現象であるぞ、仕方がないであろう」



 肩に乗ったミーシャの顎を撫れる。ゴロゴロと御満悦になったようで、先程の発言を忘れたようだ。扱い易い先輩である。


 キッチンへと向かえば、既に身支度を済ませた先輩の姿が目に入る。キッチンはミーシャは出禁となっているのでお別れだ。


「にゃー」

「おはようミーシャ、ノースも。もう少しで出来上がるからまっててくれ」


 


 ふわふわのフリルが歩く度に揺れるのを視線で追いながら頷く。

 先輩のメイドであるミズ。姓はノースと同じくなく、東の国とは反対に位置する西の国出身の人であり、アンヘル夫妻に拾われた人だ。因みに魔法は使える。

 それがミズとノースの決定的な差であろう。



「ノース、味見」



 ちょいちょいと手招きをされ、大人しくミズから渡された小皿の中身を食す。卵を解きほぐしたスープは温かく、じんわりと体内が暖かくなった。



「美味しいです。味もちょうどいい」

「わかった。それじゃあお皿の用意を頼んだ」

「了解です」



 ミズの指示に従いテキパキと動く。何時からかキッチンの何処に何が置いてあるかは自然に覚えたし、家のものも何処に置いてあるか無意識にわかるようになっていた。

 あっちこっち探し回ってしまった昔が懐かしい。あの頃よりも背が幾分か伸びたし肉付きもだいぶマシになったせいか稀な帰宅をする夫妻には一瞬驚かれてしまう。



「今日の晩御飯は何にしましょうか」

「うーん、奥様が好きなポトフは絶対。お酒は何がいいかは直接聞いた方がいいな」

「スープはどうしましょう。クリームスープ?」

「いや、フリカッセがいいかもしれん。首都では食えるけれど新鮮味は無いしな」

「へぇ。パンはいつものところでいいですかね」

「そうだな。あそこのは美味い」

「私クロワッサン好きです」

「僕はメロンパン、サクサク食感がいい」



 朝食を食べる前からご飯の話をしているとミズのお腹が音を立てる。

 眉を寄せ険しい顔をした彼女が、咳払いをし仕切り直す。



「早くご飯食べて仕事に取り掛かるぞ。今日は忙しいからな」

「はい」








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