青天井のTシャツ屋

奈保坂恵

青天井のTシャツ屋

 鳥の声がした。

 それを機に目を覚ました。普段は鳥の声なんて気にもとめないし煩わしいとさえ思う事も多いのに、今日は何だか穏やかな気持ちだった。

 嗚呼、朝だ。起きて支度をして仕事に行かなければ。と鬱々沈む心も、鳥の声で目覚める素敵さで幾分かマシだ。

「……ん?」

 草の匂いがした。

 それもそうだ。目の前には草原が広がっている。青々とした裾が果てまで伸び夏空との境界線がくっきりとしていた。

「え?草原?」

 私は鬱々とした心も鳥の声で目覚めた素敵さもかなぐり捨て起き上がった。どう考えてもおかしい。私は私の部屋で、私のベッドで眠っていたはずだ。ここはどう見てもそうじゃない。ここは何処だ?少しの訂正を挟むのであればベッドは私のベッドであったが、この広がりに広がりまくっている青空と草原を私の部屋だと宣われるほどの尊大さは無い。

「あ、おはようございます」

 途端、鳥のものでない声がして振り返った。そこにはすらりとしたシルエットの女の人が立っていた。

 否、干していた。

「お、おはようございます…?」

 起き抜けではっきりしないまま応えた。疑問が二つ増えてしまった。──この人、誰。この人、何してるの。

 女の人はTシャツを手にしていた。彼女の周囲には木製の物干し竿が点在して、カラフルな布たちが風にたなびいていた。何で洗濯物?

 Where、What、Who、Why。5W1Hの疑問項目が徐々に埋まりつつある。わけが分からさすぎてとWhenとHowももはや追加していいだろう。私のベッドはあるがサイドボードの目覚まし時計が無いことは今気づいた。

 一体何から聞けばいいのやら。途方に暮れていると女の人がにこやかに喋った。

「アタシはTシャツ屋さんです」

「てぃ………はい?シャツ屋?」

「はい、ただのシャツ屋じゃありません。Tシャツ屋です」

 お姉さんの手元を見ると、確かにTシャツがあった。彼女もTシャツを着ている。そして風にたなびくカラフルな布たちが全てTシャツであることに気づく。

「あの、つかぬことをお尋ねするんですけど」

「どのTシャツにご興味が?」

「あ、すみませんTシャツではなくて」

「Tシャツじゃないんですか……」

「そんな悲しそうにすることか……?じゃなくて、ここ何処ですか?」

「Tシャツ屋の店舗内ですよ」

「内という概念を疑わないといけないのか……」

 青空と草原の二つの海に挟まれたこの広大な土地を店舗内と宣える尊大さには恐れ入った。そろそろ私は深すぎる夢を見ているということを受け入れなければいけないかもしれない。

 しかし夢にしては五感がリアルすぎた。布団の手触りはいつも通りだし、吹き抜ける風も草の匂いも爽やかだ。

 とりあえずほっぺたを抓ってみた。痛い。太ももとふくらはぎを抓ってみた。やはり痛い。最後に肘を抓っておく。痛くない。よし、とりあえず夢ということにしておこう。

「すみません、つかぬことを聞くんですけど」

「どうせTシャツでは無いんですよね……」

「いや、Tシャツのことです」

「Tシャツのことですか!」

「超喜ぶなぁ」

 お姉さんは手元のTシャツを干すと私の手を引っ張った。

「どのTシャツが気になります?」

「強いて言えば全部なんですけど」

「全部ですか!」

「そんなに喜ばないで。単に全部売り物か聞きたかっただけなんで」

「全部売り物ですよ、端から端まで!」

 富豪が買い物をするようなジェスチャーでお姉さんが答えた。

 端から端まで。私は辺りを見渡した。草原の地形はなだらかな丘になっていて、物干し竿が並んでいる様がよく見えた。本当に、見える景色の端から端までTシャツがある。

「何故こんな青天井の店舗かまえてるんですか」

「Tシャツは太陽の下でこそ輝きますもの」

「そうか……」

 よく分からないが頷いておいた。

 試しに手近にあったドット模様Tシャツのタグを見た。背後でお姉さんがTシャツの解説をしているがスルーしておく。タグには『¥1000』と書かれていた。

「……普通にお金払うんだ……」

「あ、バーコード決済とかもいけますよ!」

「思ったよりハイテクだ……。ちなみにコレ税抜きですか税込みですか」

「税なんて無粋なものTシャツにはいりませんよ」

「政府が泣きますよ」

 そのまま、お姉さんに導かれるまま草原を征く。たなびくTシャツはとにかく多い。柄入りもあれば文字だけのシンプルなものもある。モノトーンからカラフルまで。パステルからビビットまで。とにかく多い。

「Tシャツの花畑や……」

「Tシャツの花言葉は『自由』ですよ!」

「ツッコんでほしかった……。何故こんなにTシャツだけを売っているんですか」

「Tシャツを愛しているからです!生涯Tシャツ以外を着ないと誓いました」

「今ジーパン履いてますよね」

「ジーパンは引き立て役です」

「世界中のジーニストに謝るべき発言」

 話しつつゆめかわいいTシャツのゾーンを抜けると、文字のみのTシャツのゾーンに入った。『諸行無常』やら『阪急電車』やら筆文字で物々しいバリエーションが並んでいる。

「わー……何も知らない外国人が着てそう」

「最近は思いの丈をTシャツに綴る方が多いんですよ。ほら」

 お姉さんが見せたTシャツには『肉を食え』と書いてあった。どういう心情だ。

「お客様はふだんどういうことをなさってます?」

「人には言えない仕事を」

「まぁ。では上司との折り合いは良いですか?悪いですか?」

「表面上は良いです」

「なるほど〜!」

 何がなるほどなんだろう。

 お姉さんがどこからかメモを取り出して何やら書きはじめた。

「お客様はクレジットカード派ですか?」

「アシがつきそうなので持ってません」

「そうですか、では現金払いということで」

「なんで会計の流れ?ちょっと待ってください財布ないんで勘弁して」

「大丈夫ですよ〜」

「何が……?」

「しめて2000円ですね」

「何が?何がなるほどで何が大丈夫で何が2000円なんですか」

 お姉さんの腕を掴もうとしたがひょいと避けられた。素早い。

「安心してくださいお客様。Tシャツは世界を救うのです」

「なんの話です」

「病めるときも健やかなるときも、Tシャツがあれば上手くいくのです」

「妄信しすぎている……!」

「あれをご覧ください」

 お姉さんが指先を空へ向けた。しかし特筆するようなことはなにも無かった。私の目には青い空が広がっているようにしか見えない。

 すると突然地面が揺れた。慌てていると、青い空にぽっかりと半円が浮かんでいた。青々とした空と草原の果てが黒く切り取られ、ヒビが入る。

 この形状。見覚えがある。

「ま、まさか……」

 Tシャツだ。

 見える世界がTシャツの形になっていた。半円は襟ぐりで、ヒビは袖の脇だ。間違いない。私は驚きで声も出なかった。

 なんてことだ。ここは、Tシャツという名のキャンバス上に存在する世界だったのだ────。







「ってそんなオチかい!!」

 自分の声で目を覚ました。

 思い切りよく起き上がった。慌てて周囲を見渡す。

 フローリング。白い天井。クローゼットとテーブルと椅子。いつも通りの私のベッドと、私の部屋だ。ベランダの外からは電車の通る音がしていた。

「……はぁ」

 嗚呼、朝だ。起きて支度をして仕事に行かなければ。先程まで随分おかしな、そして妙に生々しい夢を見てしまったが、鬱々と沈む心で正気を何とかとりもどす。

 ベッドを降りてクローゼットに近づいた。とりあえず先に着替えることにしよう。

「……え?」

 つい素っ頓狂な声が出てしまった。

 Tシャツがある。

 さきほど夢の中で飽きるほど見たTシャツがクローゼットにかかっていた。

 私のクローゼットの中はスーツ一式と替えのシャツくらいで、Tシャツというのが一枚も存在しない。だのに何故そのTシャツが2枚もかかっているのだろう。

 思考停止して、私は嫌な予感がしてかばんを開いた。財布を掴み、札の枚数を確認する。野口英世が2名消えていた。

「…………2000円……Tシャツ2枚……」

 固まった。正夢なのか。正夢と言って良いのかこれは。おかしい、私は確かに肘を抓ったはずなのに。あと買うなんて一言も言っていないのに。

 とんだ悪夢だ。押し売りだ。そして普通に怖い。いつの間に札を抜いてクローゼットにかけていったって言うんだ。あのお姉さん怖すぎやしないか。一介のTシャツ屋ではとても通らない。

「……」

 しばらく悶々懇々と考えたが、考えがまとまらない。

「……」

 恐る恐るTシャツに触れる。対人戦闘は怖くないが怪奇現象は苦手だ。一枚目はドット模様のTシャツだった。実はちょっと気になっていた。何故バレているのだろう。怖い。

 2枚目は白いTシャツだった。

 グレーの筆文字で『上司殺す』と書いてある。

「悪くねーじゃん……」

 悪くなかった。というかかなり良い。上司が死ぬと仕事が無くなるので困るが殺意はたまに抱いている。

「……」

 しばらくTシャツを持ったまま固まった。このTシャツどうするべきだ、とやはり考えて、考えても意味が無いことに気がつく。あのお姉さん相手にクーリングオフが効くとは到底思えない。

 Tシャツを着た。襟付きのシャツをさらに上に着て、ジャケット、パンツ、とスーツを纏う。

 洗面台の鏡で適当に確認した。Tシャツの文字は見えない。

「……よし」

 服を買うなんて久々だ。もっと言えば買わされるなんて初めてだ。押し売りは勘弁だが、悪くない買い物と言えよう。最近は常に落ち込みやすかったので、良い気分転換になった。

 Tシャツは世界を救わないが、少なくとも私のネガティブをマシにしてくれた。私は愛用のフォールディングナイフと拳銃を携え、意気揚々と仕事へ出かけることにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

青天井のTシャツ屋 奈保坂恵 @Na0zaka_K10

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ