走る

ゆんすけ

第1話 愛され

「人間誰だって心配事の一つや二つはあるもんだよ」


そう言うのは酒で顔を真っ赤にした5個上の先輩。この居酒屋に入ってまだ1時間も経っていないが彼はもう顔を真っ赤にし、さらに饒舌になり始めている。


「会社から出たらすぐに他人だよ。家に帰ってしまったらなおさら何も分からない」


先輩が話しているのは僕らとは別の事務所に所属しているある男性の話。彼は酷い鬱を患っており現在は休職中となっている。僕の身近には今までそういった人間はいなかった。だから鬱という症状もそうなった経緯にも少しばかり興味があった。これは少々不謹慎な物言いだが好奇心は自然と湧き出てくるものなのだ。だから先輩とこうして飲みに出る機会があると分かった時、しっかりと聞いてみようと思ったのだ。


「僕と彼は親しかった、でも今となっては僕が一方的にそう思っていただけなのかもしれない。だってそうなっていたことも、そうなる原因も何も知らないんだから」


うーん、と考え込みながら先輩はテーブルのメニュー表に手を伸ばす。

次の注文を考えているのか、はたまた男性の事を考えているのか、どちらともつかない顔でメニューを見ている先輩。そんな先輩にも僕はひどく興味をそそられているようである。


結局その後30分ほどでその場はお開きとなった。先輩は帰り際に「また行こうな」と真っ赤な笑顔を見せてくれたが、僕が覚えている限り先輩はビールを二杯しか飲んでいない。すぐ顔に出てしまうのが先輩の可愛いところなのだ。もちろんそれ以外にも可愛い、いや慕っている理由はたくさんある。そしてそれは僕だけではない。先輩は周りからこれ以上ないほどに愛されている人間なのだ。

僕の人生でこれほどまでに愛された人間は見たことがない。まだ26年と偉そうなことも言えない僕ではあるが、やっぱり先輩のこの愛され具合に僕は非常に興味をそそられている。


家に帰ってからも僕の頭の中は先輩と例の男性のことでいっぱいだった。帰る途中の電車でもずっと鬱に関してをスマホで調べていたが、分かったような分からないような釈然としない感覚が残っている。

鬱で悩む男性の姿と真っ赤な顔で笑う先輩。相反する二つの表情が僕の頭にこびりついている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

走る ゆんすけ @yusuke22333

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る