白い手の棲む家 4

 最近では美輪さんもすっかり信用してくれているのか、主様のお膳を私一人で用意することも少なくない。今日がちょうどそういう日で、こっそり湯たんぽを用意するのは容易だった。


(主様、喜んでくれるかな?)


 懐に、何重にも手拭いで包んだ陶器製の湯たんぽを隠しながら、お膳を運ぶ。

 気のせいか、いつもは暗く不気味にしか思えない奥座敷への廊下が、今日は不思議な温かみに包まれているように感じた。


「主様、お膳をお持ちいたしました。それと……例の物も」


 音を立てぬように、湯たんぽをそっと廊下に置き平伏する。

 すると、「シュルシュル」といつものように音を立てて襖が開いた。

 次いで、お膳を運ぶ「カシャカシャ」という音と、湯たんぽが運ばれる「チャプチャプ」という音が廊下にうっすらと響く。

 けれども――。


「……主様?」


 待てども待てども、襖の閉まる音が聞こえない。

 平伏した頭のてっぺんに、奥座敷から漏れ出る冷気がこれでもかと押し寄せる。

 一体どうしたのだろうか? そんな疑問が自然に体を動かし、私は気付けば、ほんの少しだけ視線を上げてしまっていた。


「――あっ」


 床と自分の額に挟まれた狭い視界の向こう側で、奥座敷の戸がぽっかりと黒い口を開けていた。

 その中に――いた。

 あの白い手が、今は細い腕まで見せて、私に向かって「おいでおいで」していた。


(いいのかな?)


 少し腰を浮かせながら考える。

 しきたりもあるけれども、そう言えば私は主様が何歳くらいなのかも、男なのか女なのかも知らないのだ。

 もし、まだ若い男の人だったなら――。


(ま、その時はその時か)


 きっと、この時の私は好奇心に負けていたのだろう。深く考えもせず立ち上がり、招く白い手に導かれるままに奥座敷へと踏み込み――突如、床が消失した。


「へっ?」


 そのまま、前のめりに倒れるようにして奥座敷へと呑み込まれる。

 奥座敷の床は廊下よりも低かったのだと気付いた時には、もう遅かった。


 ――ベシャリ、という鈍い音と共に視界に火花が散る。

 鼻っ面に沁みるような痛みが走る。

 顔からまともに倒れてしまった……けれども、それよりも気になることがあった。


「えっ……畳じゃ、ない? 床でもないし……これ、なに?」


 奥座敷の畳があるべき場所に広がっているのは、冷たくザラザラした、何か硬いものだった。手の平でそっと撫でると、その正体に気付いた。

 ――土だ。


「これ、土間? なんで、主様のお部屋なのに……」


 そう。奥座敷の中は一面の土間だった。畳も、床板すらもなく、地面が剥き出しなのだ。


「こんなの、主様はどこに――」


 奥座敷の中を見回し、私は言葉を失った。

 部屋の隅に、何かがのだ。


 廊下から漏れる薄明かりに照らし出されたそれは、葉っぱのない小さな木のように見えた。

 全体が白く細く、先端が人間の手の平のようにささやかに枝分かれしている。


「家の中に……木?」


 よせばいいのに、物珍しさからソレに近付き――私はすぐに後悔した。

 生えていたのは木ではない。あれは……あれは……!


 ――シュルシュル。


「えっ!?」


 背後で襖が閉まる音がし、奥座敷が闇に包まれる。

 文字通り真っ暗で、何も見えない。

 だというのに――だというのに、私の目には確かに視えていた。


 ゆっくりと蠢き、こちらへと伸びてくる地面から生えた「白い手」が――。


   ***


 奥座敷の襖の向こうから、霧のくぐもった悲鳴が聞こえてきたのを確認し、美輪は一人ほくそ笑んだ。


「どうやら、霧さんは主のお気に召したようですね。よきかなよきかな。これでまた数年は、永手の家も安泰です」


 襖の向こうから響く「タスケテ」だとか「ヤメテ」だとかいう、すすり泣く声に背を向け、美輪は奥座敷をあとにする。


「霧さん、しっかりと主の花嫁の大役を務めてくださいね? 簡単に死なれては、元が取れませんから」


 美輪も、奥座敷の中で何が行われているのかは知らない。

 主が飽きるまで、「花嫁」が奥座敷から出ることはないということ以外は。

 それが数日になるのか、それとも数年になるのか。生きて出られるのか、それとも――。全ては主の気分次第なのだ。



 ――「座敷わらし」の伝承は数多あるが、その中にこんなものがある。

 「家の土間の片隅から白い細い腕だけが伸び、手招きをする。それは、大きな災害を知らせる為」なのだと。


 その白く細い腕は、「長手ナガテ」だとか「細手ホソデ」だとか呼ばれる、とも。

 彼らは、間引きされ土間に埋められた幼子の成れの果てなのだ、とも。


 永手屋敷の奥座敷に現れる「手」がそれと同じものなのか、それとも全く別のものなのか。その答えは、永手家の人々すら知らない。

 知っているのは、『毎朝毎夕のお膳を欠かさぬこと。主が手ずから招いた生娘は「花嫁」として捧げること――ただし、しきたりは自ら破らせるべし。さすれば永手の家は繁栄し続けるだろう』という先祖からの言い伝えだけである――。



(了)


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白い手の棲む家~異聞・座敷わらし様の花嫁 澤田慎梧 @sumigoro

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