家は一般的な家族だった――そう、今朝までは……

中島しのぶ

家は一般的な家族だった――そう、今朝までは……

 家はちょっとだけ裕福な、でも家族構成は一般的な家族だった――そう、今朝までは――。


 わたしのパパ、高岡 純(あつし)はソフトウェア開発会社の取締役。五十五歳。

 ママは和美(かずみ)。内科の開業医で五十二歳。

 六つ離れたお兄ちゃんは和真(かずま)。結婚して独立している。

 そして娘のわたし、愛純(あすみ)は大学生二年生の十九歳。



 パパの会社が新型感染症流行の影響で、一回目の約束手形の不渡りから半年以内に二回目の不渡りを出し、事実上倒産状態。さらに追い討ちをかけるように社長が音信不通になった――。

 社長の代わりに他の取締役と一緒に、従業員の再就職先を探したり役所への諸手続きや、売掛金の回収でバタバタ出かける日が続いた。

 パパ本人も会社の運転資金借り入れの連帯保証人になっているため、自己破産をせざるをえないとパパとママから聞かされたのが一昨日。


 え、自己破産? それって家を売って出て行かなきゃいけないの? わたし、学校辞めなきゃならないのかな。それならアルバイトしなくちゃな……。

 不安で泣きそうになったけど幸いにも自宅所有者の名義はママ。十数年前に亡くなった祖父の跡を継いで勤務医から開業医になり、その時にクリニック兼自宅を相続していた。

 だから家を売る必要はなく収入は大幅に減少してしまうけど、学校を辞めるほどじゃないから安心していい、とパパとママから言われた。

 ただ、パパ名義の銀行口座は凍結されてしまう可能性があるから、水道光熱費の口座引き落とし先をママの口座に切り替えたり、カードも使用不能になるからママの家族会員のカードを作っておかなきゃいけないし、他にもまだやることはたくさんあるんだけどねとパパ。


 会社の倒産と自己破産の大きな心労を抱えているパパは、昨日遅い帰宅後に高熱を出して寝込んでしまった。

 債権者集会は三ヶ月後。自己破産の同時廃止までは約六ヶ月から八ヶ月後と決まり、他の手続きにも目処がついた安心感と、疲れからだろうとママの診断。



 そして今朝――。


「パパ〜、熱下がった〜?」

 わたしはパパの部屋のドアをノックする。起きている気配はするけど、応えがない。

 ま、いっか〜とドアを開けると――見知らぬ女の子と目が合う。

 パジャマの上だけを羽織った黒髪ロングの十五、六歳の子がパパのベッドの上にちょこんと座っている。

「え、ええ〜? あなた誰? マ、ママ〜! なんか知らない子がパパの部屋にいる〜!」

 わたしはリビングにいるママを大声で呼ぶと、その子がこう言ったんだ。

「ば、莫迦、愛純! 大声出すんじゃない! 私だ、パパだ。純だ」

 そんなこと言われたって信じられるわけないじゃん! 部屋を飛び出し、リビングにママを呼びに行った――。



 学校はそろそろ後期試験なんだけど、今日はそれどころじゃないから自主休講だ。

 ママは「かずみクリニック」のドアに「臨時休診」の札を出し、自分は純だと言い張る女の子の診察を始める。

 身長は百四十八センチ、体重四十五・三キロ。お胸は控えめな七十二センチ、ウエストは六十センチでヒップ七十五センチ――ママがわたしの中学の頃の服を引っ張り出してきて着替えさせる。

 血液型はB型。黄みがかった白目に濃い茶色の虹彩、頭髪は黒で黒子の位置も合ってるけど、それ以外の身体的特徴はパパとまったく一致しない。D N Aや指紋を調べれば一致するかもだけど、ママのクリニックでは調べられない。

 だけど話す内容――ママとの馴れ初めだとか、わたしの幼い頃のこととか――は、すべて家族しか知らないことばかりだった。

 冷静に考えなくてもおかしい話だけど、この子パパなのかな〜と思い始めていると……。

 少しおどおどしながら、その子はちょっとツンデレ声で話し始める。


 明け方頃、身体の痛みで一度目が覚めた。

 高熱のせいかと我慢をしていたがそのうち全身ひどい痛みで気を失い、今朝目が覚めたらこの姿だった。

 ひとつだけ心当たりがある――それは思春期に同じように高熱を出したことがあり、女子化はしなかったが「後天性女子化症候群」の診断を受け、陽性だったと。


 その話を聞いて、「あなた、なんでそんな重要なこと隠してたの!」と怒るママ。

「そんなこと言われても、今の今まで覚えていなかったんだ」とパパ。

 あ〜ママもわたしも、もうこの子はパパと認めちゃってるよねー。

 ちょっと歳の離れた妹みたいで、よく見ると美少女だし、パパとママには悪いけど実は妹って欲しかったんだよな〜。



「後天性女子化症候群」――五十年ほど前にこの地方小都市で、風土病ではないかと言われている原因不明で流行り出した、思春期の男子が女子化してしまう病気。

 初期段階では染色体異常による「クラインフェルター症候群」と疑われたが、末梢血染色体検査による精密検査を行うも染色体異常はみられなかった。

 男性ホルモンである「テストステロン」は正常値以下となり、「黄体化ホルモン」と「卵胞刺激ホルモン」は高値を示し、「インスリン様因子3」は正常値以下、「インヒビンB」は測定感度以下となり、テストステロン補充療法も効果はなかった。

 思春期の男子のみが四十度を超える発熱の後に数万分の一の確率で発症し、その名称のとおり女子――それもかなりの美少女――化する。

 何らかの「トリガー」(女子化因子)により女子化する者はそのトリガーがなくなれば元の男子に戻る「可逆性」で、青年期になればほぼ九十九・九パーセントは女子化することはなかった。

 そのトリガーは千差万別、それこそ一人一人によって異なる。水や湯に濡れる、暑さ、寒さ。痛さや空腹感などが多い。

 一方、何のトリガーもなく女子化する者は、ほぼ五十パーセントの確率で男子に戻れない「不可逆性」で、その発症年齢が高ければ高いほど戻れる確率は低くなる。

 この小都市ではそういった男子たちを「TS(Trans Sexual)娘」とよんでいる――。



 知らせを聞いたお兄ちゃんが半休を取り、家に飛んでくる。

 パパを見るなり「うわ誰これ? この子が父さん?」

「お〜、和真。元気してたか」と聞かれてドン引きするお兄ちゃん。少女の口から出る自分の幼い頃のことや、お嫁さんの背格好やらを次々に言われて混乱している。そりゃそうだよね……。

「お兄ちゃんは納得できないかもだけど、パパがたとえ女の子になっても、わたしにはパパはパパだよ」

「たとえじゃなくって、もう女の子になってるじゃん」そう言ってお兄ちゃんは自分を納得させることにしたみたい。

 家族内ではパパは「後天性女子化症候群」が発症して女の子の姿になっちゃったということで落ち着いたんだけど、問題は山積みだよね。

 元に戻れるか診てもらう。あとパパの会社と本人の破産手続きとか、仕事先を見つけることとか……。

 この時はわたしもママもお兄ちゃんも、もちろんパパも元に戻れると思っていたんだ。


「この年齢でこの姿。破産とかはなんとかなるけど、こればっかりはな……」

「わ、わたしの出身大学の病院で再検査受けて戻れるか診てもらお? それから高齢で発症した症例でも戻れるか聞いてみる。それでも『後天性女子化症候群』って診断されて戻れないってなったら、それは後で考えようよ」とママ。

「そ、そうだな」と気弱そうなパパ。少女姿だと余計にか弱く見える。

「もし『後天性女子化症候群』って診断されれば、たしか年金があったはず……」とお兄ちゃん。

「あ〜それ、わたし知ってる! 学校にもTS娘証明書っていうんだっけ? それ持ってる元男の子がいて、なんか補助金が出るって――」

「それ、正式には『後天性女子化症候群発症者手帳』っていう。オレが今いる福祉課でも、数年に一人か二人交付してる。診断書添付して申請後普通なら二、三ヶ月かかるけど、できる限りすぐ交付してもらえるよう課長に頼んでみる。あと部署違うけど、障害年金と似たような受給資格者になるから聞いてみる」とお兄ちゃん。そういえばTS市の市役所職員だった。頼りになるな〜。

「私は後輩の子に連絡してみるね」とママ。

「すまん、和美。和真も愛純も。私も女子化がやり直すチャンスだと思って頑張るよ。会社も管財人が立ってあとは丸投げだし、自己破産については私は大した資産は持ってないし免責決定まで待っていればいいしな」

「うん、家族みんなでがんばろ〜。あ、わたし、学校でアルバイト先見つけてパパと二人で働こっかな〜。パパって割と美少女だしぃ〜」

「あ、愛純……それだけは勘弁してくれ」

「あははは」



 十五時過ぎ、パパの車じゃ免許証を見られたらいろいろ面倒なので、ママの車でTS市立大学病院に三人で向かう。

 お兄ちゃんは結果だけ知らせて〜とお嫁さんと待ち合わせして遊びに出かけた。ま、昔っからそうだったけどね。

 そういえば車は家に二台あるけど一台は買い物とか学会に行く時に使ってるからママの車で……あ、もう一台パパが使ってるのは会社名義なんだな。だからパパは大した資産は持ってないって言ったんだ。


「先輩お久しぶりです!」

「ごめんね〜やまちゃん。お世話になるわ〜」と久しぶりに合う先輩後輩の会話。

 IDカードをこちらに見せながら、お医者さんが自己紹介。

「私、和美さんの後輩の山下と申します」見ると医局長とある。ママも大学に残ってたら教授とかだったのかな?

「……え〜っと、発症した方は?」とパパとわたしを見比べる。

 あ、そっか。わたしたちも山下さんにお会いするのは初めてだから、どっちがパパかわからないよね。

「私がその……高岡 純です……」と、恥ずかしそうなパパ。

 そりゃ〜女の子になっちゃって着なれないわたしの中学時代のモスグリーンのワンピース姿で、足元は生足に出がけに買ったベージュのサンダルだしな〜。サイズは二十二センチだって。ちっさ。

「わたしは娘の愛純です」

「はい、こんにちは。では、こちらへ」

 山下さんが白衣をひるがえしてスタスタ診察室に先に行く。

 わたしも行っていいのかな? とママを見ると「愛純もおいで」と言われ安心して付いていく。


 パパは採血を済ませ、結果が出るまで三人診察室前の椅子で待つことに。

 どれくらい待ったんだろう――実際には三十分も経ってないんだけど長く感じる時間。やがて結果が出たのか看護師さんに呼ばれる。


 山下さんの前のイスにパパが座り、ママとわたしはその後ろに見守るように立って。

「血液検査の結果ですが、『後天性女子化症候群』陽性と診断します」

「……」三人とも声がでない。

「それで、純さんは若い頃同じように高熱を出したことがあり、女子化はしなかったけれど『後天性女子化症候群』の診断を受け、陽性だったそうですね?」

「はい、もうかれこれ四十年前のことですので、この身体になるまでまったく思い出せませんでした」

「そうですよね。通常は発症……女子化しますが、高岡さんは発症はせずとも陽性だった……。『後天性女子化症候群』は約五十年前に一番最初の発症が確認されました。市大病院に記録されているすべての症例を検索しましたが――思春期以上の年齢での発症はありませんでした……」

「はぁ」三人ともそんなことを聞かされてもそれくらいしか答えようがない。


「先輩もいらっしゃいますので釈迦に説法になってしまいますが、何のトリガーもなく女子化する方は、ほぼ五十パーセントの確率で男子に戻れない『不可逆性』で、その発症年齢が高ければ高いほど戻れる確率は低くなります」

「つ、つまり私はこの少女の姿のままで……」

「はい、おそらく……。ですので、心苦しいですが『後天性女子化症候群』の診断書と『後天性女子化症候群発症者手帳』申請書類を作成いたしましょうか」

「よ、よろしくお願いします」

「やまちゃん、よろしくね。ありがと」

「いえいえ。こちらこそこれくらいしかできなくて……」



 ママがお兄ちゃんに診断書と手帳の申請書類を書いてもらったことを伝えると、今晩受け取りにくるとのこと。

 パパがおそらくこのままずっと女の子の姿であることが確定し、帰りの車の中は重い空気だった。

「あ、あのさ。やっぱりわたしパパと一緒に、ア、アルバイトしたいな〜」

「アルバイトなぁ……TS娘証明書がなければできないんじゃないかなぁ」とパパ。

「だからさ、証明書ができてからでいいからさ〜」

「愛純は優しいな……ありがと」

 ママは黙ってハンドルを握っているだけだった。


 十八時過ぎに帰宅。

 お兄ちゃんもお嫁さんの梓紗(あずさ)さんを連れてくる。高校の同級生で、その頃から付き合い出してちょくちょく家にも来ていたのでパパのこともよく知ってる。

「お、お義父さん、なんか可愛らしくなっちゃって……」

「……そうだろ? これ、愛純の中学の頃の服を借りてるんだが似合うだろ?」

 なんかパパ、吹っ切れたのか無理してるのか……。

 お兄ちゃんは、「こら梓紗、言い方! ま、たしかに父さん、めちゃ美少女になったけどな」

「和真、あなたもその言い方!」とママに嗜められる。


 ちょっと悲しそうな顔をするパパ……そういえば、会社が倒産しても自己破産になることになっても笑い飛ばしてたパパ。今日は笑わなかったな。



 翌日、臨時休診してしまったので患者さんと看護師さんに謝るママ。

 わたしはわたしで後期試験に備えて学校へ。


 わたしが夜帰宅するとパパの姿はリビングにはなかった。

「パパ、どうかしたの?」とママに聞くと丸一日自室に閉じこもってるらしい。

 普段の休みならリビングで好きなアニメを大音響で見たりしてるんだけど、患者さんが来てるから遠慮してるのかなと思っていたそうだ。

「そういえば、お昼も食べてなかったかも……」

「え〜」

「だって平日にパパがいるなんてこの十何年か、それこそ愛純が生まれた時ぐらいしかないのよね〜」

「ひっどぉ〜」

 お互い休日は日曜日くらいしか一緒に過ごすことがなく、ましてやこの半年くらいはその日曜日も会社関連で家にいることが少なかったからママはあまり気にしていなかったんだって。

 看護師さんが帰宅したあと部屋を覗くと、パパは寝ていたそうだ。

「じゃパパ、まだ寝てるのかな? ちょっと見てくるね〜」



「パパ、入るよ〜」とノックをすると「ああ〜、いいぞ〜」と応えがあった。

 あ〜よかった〜、なんか心配しちゃったよ〜。

 部屋に入ると、やっぱり女の子の姿のパパ。

 そして珍しくVRゲームをやっていたらしく、ちょうどベッドから起きて頭からギアを外したところだった。あ〜だからママ、寝てると勘違いしたんだ。

 わたしはパパの隣に腰掛ける。

「へ〜、パパがゲームなんて珍しいじゃん?」

「あ〜これか。これ、潰れちゃった会社が開発途中だったゲームなんだよ。完成したら売れそうだったのにな……」

「え、そんなの持ってきちゃっていいの?」

「まだ製品化してないからな。秘密だぞ。サーバーのデータも消去してあるから今はここにしかないんだ」

「でもさ、自己破産だとパソコンって……それにテレビとか差し押さえられちゃうんじゃ?」

「ああ、それは大丈夫だ。テレビやパソコンとかでも二十万円以下なら差押禁止動産に該当するからね」

「え、でもリビングのテレビだって大きくて高そうだし、このパソコンだってゲーミング用で高そうだから……」

「二十万円ってのは、売却した際の価格だから、売ってもで中古で数万円だよ」

「な〜んだ、よかった〜」


 その後、パパがいろいろ話してくれた。

 パパの会社は銀行系システムを主に開発している会社だった。

 ゲーム開発は初めてなのに、社長がオーナーの同族会社だったから取締役会で強引に決め、直属のプロジェクトチームを立ち上げてしまった。

 慣れないゲームの開発はノウハウがないため外注に頼りっきりにしていた。

 そして、新型感染症の影響で人件費が高くなった外部の人間を次々と投入し、膨大な費用がかかったのが直接の倒産原因だった。

 社長と連絡が取れなくなり経理データを調べてみると、使途不明金が数千万円単位で見つかった。

 社長の使い込みの疑いで警察へ被害届を出した。

 後日、社長は音信不通だった時に会社の法人破産手続きと、自己破産の手続きをちゃっかりしていたと債権者から聞いた。


「ひどい社長だね……。いろいろショックだったんだね……ぜんぜん知らなくて……」

「いいや、これは私の問題だからね……愛純はいい子だな、優しい子に育った」

 パパはわたしより背が低いのに無理して手を伸ばして頭を撫でてくれる――。

「うん……ありがと。それよりご飯、ぜんぜん食べてないでしょ?」

「あ……そうだな。食べに行く」

 その日は晩御飯を一緒に食べて、パパはすぐ部屋に戻ってゲームの続きを始めた。



 ママは診察、わたしは試験に備え学校。二人ともパパを気にする暇もない、そんな日が何日か続いた土曜の午後。

 明日の日曜、クリニックの休診日に合わせて三人でパパの服、買いに出かけない? とママに話す。

「そうよね〜。お家の中ならシャツでもいいけど、外に出る時にいつまでも愛純のお古を着てもらうわけにもいかないし。第一サイズだって合ってないからねぇ」

 サイズ――特にお胸が控えめなんだよねぇ――中学の頃の私よりも明らかに小さいからちょっとかわいそうなことになってる。

「愛純はパパっ子だから、ちょっと聞いてきてみなよ〜」

「うん。いいけど〜」


 パパの部屋のドアをノックし「パパ、入るよ〜」と返事も聞かずに入ると――んん〜? 頭からギアを外して起き出したパパからなんか洗ってない犬の臭いがする。

「ね、パパ。ご飯は食べてるみたいだけど、もしかしてお風呂入って……ない?」

「え、あ、うん」

「なんでよ〜」

「この身体、女の子だしなんかいけないことするみたいでだな……風呂に入るのが恥ずかしいんだ」

「な、何言ってるのよ〜もうその身体はパパの身体なんだから! も〜仕方がないから、女の子同士わたしがお風呂で洗ってあげる!」思わず勢いで言ってしまう。

「ば、莫迦言え〜! いくら女の子同士でも父娘なわけで……」

「いくら父娘でも、こんな洗ってない犬の臭いがするパパと一緒にいたくないの!」

「わ、わかったから……入るよ」パパも臭くて痒かったんだろうな。

「その代わり、わたしの裸あんまりジロジロ見ないでよね!」


 パパは脱衣所で裸になり、どぎまぎしながら自分の身体を見てる。

 そんな様子のパパをみるとちょっとニヤニヤしたくなる。

「な、なに見てるんだよ」

「パパってほんと小柄というかいろいろ小さいなぁ〜って」

「う、うるさい」


 ざっ、とかけ湯をして湯船に入ろうとするパパを、「あ〜だめ〜。先に髪の毛と身体を洗ってから入らなくちゃ。わたしが教えたげる〜」

 女の子の入浴の仕方を教えてあげなきゃ〜って、恥ずかしさなんて吹っ飛んでた。

 シャワーの下にある椅子に「じゃ、座って〜」と座ってもらい、後ろからブラシで長い髪をブラッシング。

 女子化してから洗ってないんで、ちょっと油っぽくて絡まってる。

「こうやって毛先からブラシを入れて、絡まりを取ってから流れに沿ってブラッシングするんだよ〜」

「ほ〜」

 シャワーで予洗、水切りしてからシャンプー、トリートメント――それから背中を流してあげる。

「ま、前は自分で洗ってよね!」

「ああ。それでな、愛純……」

「ん?」

「『あそこ』はどうやって……」

「『あそこ』? あ〜、本当は専用のソープを使うんだけど、ボディソープでもオッケーだから、しっかりと泡立ててからその泡でなでるようにして洗うんだよ。『中』まで洗っちゃうのはダメだよ」――自分でも言ってて顔から火が出るくらい恥ずかしかったし、これはとても父娘の会話じゃない。

「あ、ああ……」

「とにかく女の子の身体はあくまでも『優しく、泡でなでるように』が原則だよ」


「じゃ、洗い終わったら交代! パパ洗ってたら身体冷えちゃったよ〜」

「あ〜ごめん!」

「あ、髪は湯船に漬けないようにね。せっかく洗ったんだから」

 わたしも洗髪、トリートメントと体を洗い始める。短い時間でも手際よく。

 そりゃ「本職の女の子」だからね〜。


 そして湯船に浸かる。

「わわわ、お湯が溢れる」

「あはは〜。そういえば、小さい頃はパパとお風呂一緒に入ってたな〜。でも大人になってから入る日が来るなんて思ってなかったよ〜。それも女の子同士で」

「それは私もおなじだよ」

 嬉しさ半分、恥ずかしさ半分――今度からたまには一緒にお風呂、入ろうかな……。


 お風呂から上がると、ママがバスタオルの上に新しい下着を用意してくれていた。

 ママは寝る時はブラを付けない主義でパンツだけが置いてある。

 身体を拭いて、さっき脱いだスウェットを着る。

 パパの分はパンツと相変わらずパジャマの上だけ。


 突然父娘でお風呂に入った二人を見ても、平然としてるママはやっぱりすごい……と妙に感心してしまう。

「あら〜愛純、長湯だったわね〜パパと何話してたの?」

「いろいろとねっ!」


 それからドライヤーとタオルで乾かしてあげる。これでサラツヤストレートヘアが完成!

 あ、明日、ママの休診に合わせて三人でたまには出かけて、パパの洋服買いに行かない? って言うの忘れてた。

「パパ、明日たまには三人でお出かけしない? ママ休診だし、わたしも試験勉強もひと段落したから」

「え? あ、ああ。そうだな。それもいいかもな」とあまり乗り気ではなさそうだけど、「じゃ、決まり! 明日はパパのお洋服を買います。そしてパーラーに行って女子会をします!」

「あははは、それいいわね〜。愛純もたまには気が利いたこと考えるわね〜」



 翌日曜、ママの車で近くのショッピングセンターに。

 パパは今日もモスグリーンのワンピース。わたしのお古でちょうど良いサイズはそれしかなかったんだ。足元はサンダル履き。靴も買わなきゃね。ここならレディースフロアでいっぺんに揃うから便利だよね。


「まずは洋服の前に〜パンツとブラね。いつまでもわたしのお古じゃイヤでしょ?」

「そうよね〜。あすみのブラだとパパ合わないからね〜」

「悪かったな、胸小さくて」

「この子、ちゃんとサイズ測ってないんで見ていただけますか〜?」とランジェリーコーナーの店員さんにママ。

 うわ、いくらなんでも「この子」はないだろ〜! と思ってると、パパもそう思ったらしくちょっとむくれてる。なんか可愛い。

「では、上から測りますね〜」と店員さんがスルスルとメジャーで測っていく。ワンピース脱がなくても大丈夫なんだ〜。

 サイズ測ってもらうのって恥かしいし、こそばゆいだろうなぁ……。

 バストは七十二センチでトップとアンダーの差約十センチ……Aカップ。やっぱりチッパイだ。

 ウェストは六十センチ、ヒップ七十五センチ。ママのクリニックで測ったのと変わらない。

「あ、あんまり可愛いのじゃなくていいからな」とパパがこそっとわたしに言う。

「りょ〜かい!」

 パパはイエベっぽい肌の色だから、ベージュとコーラルピンク、ブラウンの「あまり可愛くない」ブラとパンツを選んであげる。

「あ。愛純ったら、パーソナルカラーで下着の色選んだのね。なかなかやるじゃない。私も何か選んじゃおっかな」

「和美さん? その下着でどうするのかな〜?」とパパ。

「まぁいいじゃない。開業医なんて、これくらいしか楽しみないんだから」

「それもそうだな〜」


「じゃ、次! お洋服〜」と婦人服コーナーへ。

 マスタードカラーのワンピース、社会復帰用にダークネイビーのセットアップスーツとブラウスかな。

 あとは何かないかな〜と、スカート丈三十九センチのベージュチェックのスカートを見てると、「愛純、それJKの制服にしか見えないぞ……」とパパが言う。

「あははは〜パパで着せ替えしたいな〜と思って〜」

「却下!」一言で断られる。

 あとは部屋着用のトレーナー、Tシャツとパジャマ。

 スニーカーと明るめベージュのパンプスも購入。


 お洋服を買った後、パーラーでケーキバイキング。意外にもスイーツ好きなことがわかったパパ。

「これ、男のままでしかもおっさんだったら経験できないことだな。ある意味女子化して良かったのかもな……」

「あ〜なんで『男子化症候群』がないのかしらね〜」と冗談なのか本気なのか、そんなことを言うママ。

「和美さん、現役の医師が『後天性女子化症候群』に発症した男の前でそんなこと言ったらだめだろう?」

「冗談よ、冗談。まったくパパったら〜」


 夕方、お兄ちゃん夫婦を家によんで家族団欒。

 お兄ちゃんが一言ぼそっと「父さんの会社が倒産してからいろいろ大変だったけど、なんか結果オーライでよかったな〜」

「こりゃいいな〜! 父さんの会社が倒産か〜! あっはっはっは〜〜〜〜!」

 パパはあの日以来、泪を目元に滲ませ久しぶりに心の底から笑っていた――それは初めて聞く、女の子の笑い声だった。


Fin.

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家は一般的な家族だった――そう、今朝までは…… 中島しのぶ @Shinobu_Nakajima

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