人斬り鬼と片魅の人魚

坂本雅

おにのめにみえるもの

人斬り鬼。

ある町において重罪人を処断する立場にある者。処刑人。

鬼は世襲制であり統治者から生活の保証と庇護を受けているが、罪人とはいえ公衆の面前で人を殺す為、世間からは冷たい目で視られていた。

人斬り鬼の一族のとある青年は、己に課せられた仕事がこの世に必要なことであるとは理解しつつも、その責務の重さや罪人たちの嘆き、町衆からの揶揄の声に精神を摩耗させていた。


罪人の遺体は町の墓地ではなく、付近の森の奥にある無縁塚へ埋めるのが習わしだった。

常日頃と同じくそこに遺体を埋め、土をかぶせていたところ、知らぬ男の喜びの声を聞く。

普段聞かない、楽しげな声に興味をひかれて赴くと、蹴られでもしたのか泥と傷まみれの男が白い着物を着た娘を一心に拝んでいた。

「壱与姫、壱与姫、どうかおれを喰ってくれ」

見れば白い着物の娘の耳は魚のヒレであり、頬や指には鱗が生えている。

それが噂に聞く妖怪だと感づいた青年は娘に刃を向けて追い払った。

しかし泥の男は救われたことに感謝するどころか、激しく激昂した。

「おまえに何が分かるんだ。邪魔をするな。あのひとは罪も何もかもをなくしてくれるというのに」

よろよろと去って行く男の背に、青年の心がざわめく。

その日を境に青年の耳は、以前より多く罪人の声を拾うようになっていった。

子に恵まれずに他人の子供をさらい、あまりにも言うことを聞かないからと川に落とした女。

食べ物ほしさに商人を襲い、逃げた先でより飢えた者に襲われた男。

そして——たった一人で自分の村の住民全てを殺したという疑いのかかった少女。

少女は踏まれた足をかばいながら無垢な目で青年を見た。父母とはぐれた、彼らはどこかと尋ねられ、青年は少女が無実と考える。

しかし町衆は罪人を殺せと騒ぎ立て、根も葉もない噂を次々と口にし、処刑できないのなら人斬り鬼も同罪だと罵った。

青年は激情に駆られ、自分を見上げてくる少女の首を撥ねた。

茣蓙の上に転がる小さな首に、町衆はぎくりと正気に返る。

もしかしたら少女は無罪だったのでは、と一人が呟く。すると他の者も一気に同調し、前言などなかったかのように青年を問いただした。

そのあまりの身勝手さに青年は怒り、当たり散らした。

少女の首を抱えたまま幾人かを斬り、幾人かに斬られ、気がつけば森の奥に逃げ込んでいた。

「化け物、壱与姫、いるんだろう! 出てこい!」

叫びながらつまづき、転ぶ。

つまづいたものは人間の頭蓋骨で、着物に見覚えがあった。あの日会った泥の男のなれのはてだ。

感情が揺れるあまりもはや恐怖すら遠くなるなか、青年の求めに応じ、ヒレの耳を持つ娘が現れた。

壱与姫だ。その姿を見た瞬間、青年は何故か安堵を覚えてほんの少し笑った。

「化け物。俺を喰え。おまえはできるんだろう」

「化け物じゃない。壱は、壱。片魅沼の人魚。魂を食べるもの」

人魚は歌うように告げる。

「壱に喰われたものは帰ってこない。壱に喰われたものは生まれ変われない。天国も地獄も来世もない。後には何も残らない。貴方は、それでも食べさせるの」

青年は頷く。

「そうだ。なかったことにしろ。生まれ変わりなんてごめんだ。もう何もかも嫌気がさした。もう何とも関わりたくない。殺せ。殺せ」

壊れたように繰り返す青年に、壱与は一度だけ頷き、青年へ白い手をさしのべる。

「おいで」

頬に指先が触れ、青年がほほえんだ瞬間、その姿は泡と化した。

泡の中から青年の身体のなれの果てである骨身の魚が現れ、壱与姫は其れと共に片魅沼へ戻る。

多くの骨身の魚が泳ぐ沼の底、壱与の実兄のなれの果てである大骨の妖怪が彼女を出迎えた。

「あの男は責務として罪人を処罰していたに過ぎない。壱与を知らずに野垂れ死ねば、極楽へ行ったかもしれないね。あの男が最後に殺した娘は、村の井戸に毒草を撒いた性悪だった。本人がそう言ってるんだ、確かだよ」

肉のないあごを鳴らして笑う兄に壱与は憂いを帯びた表情で首を振る。

「たとえ本当のことを言っても、あの人は信じなかったわ。人は自分の信じる世界しか見ていない。人の心は変えられない。心の底から何もかもなくしたいと思っている人は、もう、止まらないの」

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人斬り鬼と片魅の人魚 坂本雅 @sakamoto-miyabi

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