56話 世界を救う。そして彼女は勇者を憎む。 9


 大同盟の結成、それを知ったとき、僕は異空間で呆然と立ち尽くしていた。


 ゾーニャが成し遂げた事の大きさに、どんな感慨を持って良いのか分からない。


 大同盟という世界の半分を包括した軍事同盟が与える影響を、人々はまだ正確に理解していないかも知れない。


 魔王討伐のために結成されたそれは、僕が死ねば役割を見失い、機能不全を起こすだろう。だが、それゆえに巨大で安定した抑止力として機能するはずだ。


 今は呪縛を受けているオークやオーガといった種族の国々も、徐々にその経済圏に取り込まれ、やがては大同盟の一部になる。


 そんな新たな秩序が百年、五百年、千年続いたら、世界はどうなるだろう?


 僕には見えたんだ。見えた気がした。


 全ての種族が同じ街に住んでいる情景が見えた。

 全ての種族が友人になり、恋人になり、家族になる未来が見えた。 


 だから僕は理解してしまったんだ。

 僕の願いは、悲願は、もう願っていた以上に叶ったのだと。


『今生きる人々を助け、未来に生きる人々も救う』


 それをゾーニャは本当に成し遂げてしまった。


「ならば……あと、僕にできることは一つだけだ。魔王として勇者ゾーフィアに倒される。そうすれば、ゾーニャは世界を救った英雄として、誰からも愛してもらえる。きっと罪の炎も消える。さあ、彼女が来るのを待とう」



◆◇◆◇◆◇◆



 その日は二ヶ月後にやってきた。


 僕が机に向かっているときに、不意に誰かの息づかいを感じたんだ。

 それも、とても懐かしい息づかいを。


「ゾーニャ」

 と、僕は振り向いた。


 彼女は、とても悲しそうな目をして僕を見つめていた。

 言わなければならないことを、躊躇っているように見えた。


 呪縛を止めてくれ、そう言いたいのだろう。

 でも僕が拒否した場合、どうするべきか、迷っているのだと思う。


 だから、僕から声をかけたんだ。


「お茶でも、飲むかい?」


 世界を危機におとしめる魔王と、それを阻止する勇者。

 二人が対峙したときの会話としては、不適切なものなのだった。


 でもゾーニャは、頷いたんだ。

 

 資料で散らかっていた床を片付け、茶を煎れてテーブルへ置いた。

 僕たちはそれを挟んで座った。その間、ずっと無言だ。


「ねえ、ゾーニャ。こうして散らかってる中で、二人でお茶を飲んでると、子どもの頃に秘密基地を作ったのを思い出さないか?」


 なんで僕が今さらそんな事を言い出すのかと、ゾーニャは不思議そうだったけど。


「う、うん……私たちの故郷の村で、物置小屋の……? 覚えてる」


「まだ、僕らが五、六歳だったかな。よくそこでゾーニャにママゴトを付き合わされた。新婚ごっととか。お茶を飲むふりをいっぱいやらされた」


 するとゾーニャの口元が緩んだ。


「そうだった。私たちで玩具の家具や食器を作って集めてた」


「あるときゾーニャが、ごっこ遊びじゃなくて、本当にお茶を煎れてみようって言いだしたんだ。僕達はかまどを作って、藁をあつめて火を起こした。そしたら煙突を作ってなかったせいで、煙が小屋に充満して、慌てて逃げ出したんだ」


 ゾーニャは笑いだした。


「しかも、私たちが逃げたあとで物置小屋が燃えてしまった。二人して大目玉だった。でもあの後、ラスが私をかばうために言いだしたこともよく覚えてる──」


 こうして、僕らの思い出話は途切れることなく続いていった。

 互いに言い出さなければならないことは、分かっていたのに。


 僕はゾーニャへ、『殺してくれ』と言わなければならない。


 ゾーニャは僕に、『呪縛を解いてくれ』と言わなければならない。


 このまま永遠に思い出話だけを続けることができたら、どんなにいいだろう。

 でもこの瞬間にも呪縛による犠牲者は増え続けている。


 僕は一秒でも早く死ななければならない。だから、言ったんだ。


「僕に言わなきゃならない事があるはずだ」


 それまで楽しそうに話をしていた彼女は、俯いた。


「世界から呪縛を解いてほしい」


「実は、僕もそれをゾーニャに頼みたかった」


 僕は説明した。呪縛を自分では解除できないこと。

 自身にも精神操作をかけており、自殺もできないこと。


 つまり、僕がゾーニャに殺される以外に、世界はけして救われない、こと。

 それから、僕に見えた未来についても、話した。


 そうする間に、ゾーニャは俯いて、手で顔を覆ってしまった。

 泣いて……いるのだろう。


「──僕が思うに、千年後には異種族同士の結婚も普通になってる。ドワーフとゴブリンのカップル、みたいにね。いや、さすがにないかな? あはは……。でも、これは断言できる。世界中に君を讃える彫像が建てられてるんだ。救世主としてね。罪の炎はもちろん消えてる。ゾーニャはみんなから愛され、幸せに暮らすんだ」


 俯いたゾーニャのすすり泣きが、聞こえる。


「もう僕の願いは叶おうとしてる。最後にしなきゃいけないのは、君の罪の炎を消すことだ。そのために君がこの世界にできる償いは一つ。理想世界を実現する事。それは呪縛を消すことで達成できる。世界を救うんだ。僕を──殺すんだ」


 でも、すすり泣きが大きくなるだけだった。


「ゾーニャ。最後に謝りたい。君に誓ったことを、守ることができなかった。覚えているかな、『僕の魔術は、みんなを助けるためだけに使う。自分のためだけにも、悪いことにも、絶対に一度だって使わない』そう約束したのにね」


「それは違う……ラスは、一度たりとも、自分のためだけに、力を使った事はない」


「なら、僕も半分は約束を守れたのかな。でも、ごめんね。ゾーニャ。こんなことをやらせる事になってしまった」


 僕は椅子に座ったままの彼女を抱きしめた。

 僕の胸に顔を預ける彼女の涙が、服をとおしてしみてくる暖かさを感じた。


 大丈夫。君ならば、やるべきことをけして違わない。


 すると、ようやくだ。

 僕の胸に短剣の切っ先があてがわれた。


「僕は、いつでもいい。ゾーニャを抱きしめたまま死にたい」


 でも、刃は動こうとしなかった。

 あと二十センチ、僕の胸に突き刺せば、それで世界は救われるというのに。


 だから僕は、彼女を勇気づけるために、こう言いたかったんだ。


「僕の人生は間違いと後悔しかなかった。

 もしやり直せたら、ああするのに、こうするのにという事しかない。

 でもね、一つだけそうじゃない事がある。

 それは──君と出会えたことだ。共に生きられたことだ。

 もし、二度目の人生があったとしても、もう一度、ゾーニャに会いたい。

 ゾーニャが世界のどこに居たって、必ず探し出して、会いに行く。

 会って、その時はきっと──だから、お願いだ」




 こうして僕は、勇者ゾーフィアに討伐された。


 


 僕が動かなくなってからも、ゾーニャは僕の体を支えたままだった。


 世界は救われた。これで良かった。これが正しかった。


 そう考えても、彼女の右手に伝わる僕の血の暖かさが、失ったものを教えていた。

 誰より愛してくれた相手を失った。この広い世界で独りぼっちになった。


 だから思い知るしかなかった。これまで奪ってきた命の数だけ、自分が味わっているこの苦しみを、地上にまき散らしてきたのだと。


 そう理解した瞬間だ──激痛が襲ってきた。


 その場に倒れ込み、右手へ目をやる。

 消えて……いない。罪の炎は消えていない。どころか、大きく燃え上がっている。


 (ああ、当然だ。これで当然だ。私がこれで赦されて良いわけがない)


 ゾーニャはそう思ったに違いない。


(罪の炎に焼き尽くされて息絶えるのが相応しい。それまで何年? 何十年? どれほど時が残されているのか分からないが──せめて。その時間、全てを償いに使おう。もう一度、人助けをする冒険者として生きよう)


 これから先で戦乱はほとんどなくなるだろうけれど、ドラゴンのような魔物の脅威はいくらでも残っている。


 助けを必要としながら、誰からも手を差し伸べられない人々がいる。

 ならば、罪の炎に焼き尽くされるその日まで、彼らを救うために戦い続けよう。


「くっ……」

 ゾーニャは苦痛に顔を歪めながらも立ち上がった。


 そして僕の遺体をベッドに寝かせ、彼女の戦場たる地上へ戻るために転移装置へ向かおうとした。


 そこで机に置いてある資料に気づいた。蘇生魔術のだ。

 不完全な物だったが、一度だけ使用可能な魔導装置も併せて完成はさせていた。


 ゾーニャはそれで僕を蘇生させることを決めたんだ。もし彼女がすべき正しい行動があったとしたなら、他の犠牲者を蘇らせるべきだったのかも知れない。


 でも、これから先で救いが一つもない彼女が見いだせる、唯一の希望だったのだと思う。彼女は蘇生装置を起動させた。ただし、完了は977年後、だった。


 それまで生き延びられるだろうか?


 償いを続け、罪の炎の進行を遅らせることができれば、あるいは──。

 

(彼が思い描いた未来を、この目で見ることができるかも知れない。そして、その新たな世界で、彼の顔をもう一度、見る事が、できるかも知れない)






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挿絵ファンアート

画:かごのぼっち様

https://kakuyomu.jp/users/Diha/news/16818093077745113109

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