57話 世界を救う。そして彼女は勇者を憎む。 10


 冒険者〝ハレヤ〟が向かったのは、呪縛を受けていた種族の国々だ。


 その各地にある冒険者村を拠点として、誰もが敬遠する依頼をこなして回った。


 自分が殺してしまった人々の残した家族を、一人でも多く救いたいと願って。

 報酬は生活するための最低限しか受け取らず、ほとんど戦災孤児院へ寄付した。


 その度に人々の向けてきてくれる笑顔が、罪の炎の進行をわずかずつでも、押しとどめてくれた。



 こうして彼女は八百年を生き延びた。


 魔物が狩り尽くされた時代がやってきた。



◆◇◆◇◆◇◆



 最後の野生のドラゴンが目撃されたその年。


 彼女は、百五十四万とんで八十二匹目のドラゴン倒した。

 尻尾の第二関節肉ステーキを、最後に食べたのもこの年だった。


 この頃には異種族間の交流はますます進んでいた。

 同じ街にどんな種族が住んでいても珍しくない。


 工業が爆発的に発展し、人口はうなぎ登りになっていた。

 法の支配が地上の隅々にまで浸透していく。

 冒険者たちの仕事らしい仕事が減っていき、ギルドも廃止されていった。


 ゾーニャは急激な社会の発展に取り残された貧しい人々の地域を選んで旅した。


 医療を満足に受けられない彼らを治癒魔術で癒やし、一晩の宿と食事をわけてもらう放浪生活を続けた。




 こうしてさらに二百年弱を生き延びた。


 最終戦争から約千年の時が経った。



◆◇◆◇◆◇◆



 今や街には、かつての皇帝の宮殿より巨大な高層ビルが建ち並んでいる。


 そこで暮らす人々は、集合住宅の隣人が違う種族なのも当たり前だ。


 ゾーニャが好きな時間の過ごし方は、休日の公園にいることだった。


 そこでは、異種族同士の家族が散歩していたり、芝生でピクニックをする様子を見ることができる。


 ああ、本当に私たちの夢見た未来が、やってきてくれた。そう実感できた。

 そんな家族たちの笑顔を見るだけで、痛みがほんの少し和らいでくれる。


 それでも、罪の炎が体を蝕む速度は早くなっていた。

 時代が進むにつれゾーフィア伝説が美化されていったせいだ。


 映画や小説で描かれる彼女は、精錬潔白、完全無欠な救世主としか描かれない。

 その虚像を見かけるたびに、思わずにいられなかった。


 確かに勇者ゾーフィアは世界を変えた。


 だけどその行動に至ることができたのは、それまで奪ってしまった命の上に成り立っていることだ。


 犠牲者たちの、悲しみ、怒り、苦痛、それらの積み重ねが救世主を形作った。

 けして、それを無かったことにしてはいけない。


 自分が奪ってしまった命たちを、この世界の記憶にとどめることが、最後の償いになるだろう。


 だが、それが出来なくなるのは時間の問題だ。

 今や右肩まで罪の炎が迫っている。激痛で昏倒するようにもなった。


 そうして誰もいない路地裏などで意識が途切れる寸前に、死が近づいているのを自覚した。このまま二度と目覚めずに死ぬのかも知れないと。


 その前に、やりとげねばならない。



◆◇◆◇◆◇◆



 しなければならない事の一つ。


 蘇生が完了した僕を異空間から連れだして、保護することだ。


 僕をどのように育てるべきなのかは、彼女はずっと前から決めていた。


 魔王ラスコーリンの生まれ代わりではなく、大量殺人者たるゾーフィアとも無関係の、ただの現代人として生きてもらいたい。


 僕は捨て子として児童養護施設に、連れて行かれ、そこで保護された。



◆◇◆◇◆◇◆



 そして最後の償いを、ゾーニャは実行しはじめた。 


 自叙伝を書いて出版社に持ち込んだんだ。


 でもゾーフィア本人を名乗ったところで信じて貰えるわけがない。

 まるで相手にされなかった。


 それからも、テレビ局へ押しかけたり。あるときは漫画家に自分を書くよう説得しに行った。何人もの歴史作家へ掛け合ったのは、十回や二十回じゃない。


 十年以上も同じことを続けた。だが結果はどれも同じだった。



◆◇◆◇◆◇◆



 そんな、とある夏が始まったばかりの日のことだ。


 ゾーニャが通りかかった大都会の公園で、ホームレスたちが拾ってきた食材でバーベキューしようとしていた。


 彼らは火を付けるための焚きつけを探しているようだった。


 ゾーニャは立ち止まり、自叙伝の原稿を焚きつけにして、火を付けてしまう。

 驚いたのはホームレスのエルフ男性の方だ。


「おい、嬢ちゃん。作文燃やしちまっていいのかい。夏休みの宿題だったんじゃ?」


「ふふ……宿題か」

 

 ゾーニャは力なく苦笑して。


「ええ、私に科された最後の宿題だった」


「だったら、なんだってこんなことを……」


「終わらせられないことが、わかったからだ。ならば焚きつけに使ったほうが有効利用というものです。そんな事より皆、体で悪いところは? 私は治癒魔術が使える」


 ホームレスたちの多くはまともな治療を受けないままの怪我などを抱えていた。

 それら皆を治療してから、ゾーニャは去ろうとする。


「ありがとうな、嬢ちゃん! なんて名前なんだい?」


 ゾーニャは公園の噴水にあるゾーフィア像を見やる。

 昨日までなら、あれを指さして、『私はああいう者だ』と名乗っただろう。


 だが、もう、全ては終わったことだ。


 ホームレスたちへ振り向き、笑顔だけ見せ、名乗らず、立ち去った。



◆◇◆◇◆◇◆



 夜中になってから、ゾーニャは公園に戻ってきた。


 噴水の近くにある時計は深夜二時を指している。

 もう周りには誰もいない。


 ゾーニャの手には入浴剤の試供品がいっぱいだ。

 駅前で配られていたもので、何回もそこを通りかかって十個も貰ってきた。


 今夜は少しだけ贅沢な風呂が楽しめそうだ。

 噴水へ入浴剤を全部ぶちまけてみたら、バラ色ピンクな泡風呂になった。


 ライトアップが照らす中、素っ裸で飛び込む。

 泡が舞い上がり、バラの香りが広がった。


 自分の体を見やる。

 すっかり右半身全てが罪の炎で覆われてしまっている。


「もはや、私にできるのは……死を待つことだけ……か」


 そう、全てを諦めて、肩まで水に沈めたとき──。


 誰かが歩いて来るのが見えた。大学生くらいの青年だ。

 アニメTシャツを着て、コンビニ袋を片手に暢気そうに。


 それは誰かに似ていて──違う。



 そのものだ。



「……ラス」


 ゾーニャは呟いていた。彼を見つめる瞳に涙が貯まるのを感じた。


 そしてゾーニャは気づいた。〝ラス〟の首から提げられているIDカードが、映画会社のものであると。だから閃いてしまった。


〝ラス〟の潜在意識を持つ彼であれば、私を信じくれる可能性があるのではないか?


 彼に自分の映画を作ってもらう未来も、ありえるのではないか?


 でも……決めたはずだ。

 彼には関わるべきではない。


 だけど、これが──最後の希望。

 

 ゾーニャの瞳にはもう、諦めの影すら消えていた。

 強い決意だけが、みなぎっていた。


 そして彼女は立ち上がって、言ったんだ。



「待ちなさい。そこの青年」












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