こんな長い時間子どもの思想のままだったのだろうか? 三千年も経たなければ解らなかったのだろうか。 自分たちが受けた苦しみを何倍にもして返して、訪れるであろう平和の形も解らずに、それ模索しながら殺し続ける不毛な人生。 足元には自分たちの殺した人たちの魂で血塗られている。 そこに人の平和を築けるなんて本気で考えていたのだろうか?
人間は愚かで解っていても罪を犯すもの、争いを行うものだ。
何故なら人の心には標準装備として備わっているからに他ならない。 罪の意識も争いの種も、誰もが持っている。 働き蜂の法則が成り立つのは、そう言った性質を持ち合わせているからだ。 人のカーストを無くしたとしても人は必ず優劣をつけてマウントをとろうとするもの。そうでなければ人間社会は成り立たない、非常に面倒くさいものだ。
まあ、子供のまま最強だった為に彼らに教えられる様な人間は存在しなかったのでしょう。 彼らは自らの思うままに生きて、その中で学び、答えを出し、間違え、それを繰り返してきたのでしょう。
そんなゾーニャとラス。英雄と魔王とは立場が違えば逆も然り。ハレヤさんの罪の意識の深さにも頷けます。
そして今、初めてそのアンタッチャブルに触れるロジオンこそ、彼らの新しい風となり、ゾーニャが次のステージへ踏み出す切っ掛けとなるのでしょう。
また、自分の罪は自分では裁けず、許しを請うこともままならない。 ロジオンがこの映画を完成させて、その反響こそがその裁きとなるのでしょう。
なんて壮絶な背景をお作りになられるのでしょう。 この映画を観て、人がどう感じて、どう思うのか。 人間の醜さを憂うのか、はたまた彼女らの様な異端を怪物として排除する事で自分たちを正当化するのか、不謹慎ですが、面白いですね。
作者からの返信
彼らが三千年も迷走したのは、一重に自分達がしていることが成功か失敗かを判別できるような比較できる事例が存在しないからでしょうね。
今は上手くいっていないように見えるけど、大きすぎる世界を変えるのは一朝一夕で出来るわけがないと考えるでしょうから。
じゃあ500年後、1000年後、2000年後3000年後まで続ければどうなるか、成功するかもしれない、あるいはその逆かも、というのが、比較できる事例がないので判別できないですからね。
今まで他の誰もやらなかったことなので、結局のところ自分達でとことんまでやってみるしか、その結果が分からないやつですね。
この辺りは現実の世界史における各種の革命なんかにも同じことが言えますね。
現代人たる我々はその結果を知ってるから後知恵でいろいろ評論することはできても、じゃあ当時に生きてた人たちはどうかといえば、少なくとも実行した本人たちは本気で成功すると信じてやってるわけですからね。
そうか、血の繋がらない姉弟だったんですね。なまじ魔術に長けていたおかげで、子供心に抱いた復讐心と、戦争を憎む気持ちに手段を与えてしまったんですね……。
何もかも引き受けた魔王ことラスの気持ちを考えると、切ない気にもなりますね。彼はきっと姉のことを大切に思っていたと思うので。
作者からの返信
世界は悲劇にみちており、自分にはその世界を変えるかも知れない、という状況におかれてしまったわけですね。
彼らには選択肢として、悲劇をほおっておいて自分達だけ平穏に暮らすこともできたでしょうが、それを良しとできなかった。
そうして善意の責任感から出発した旅も、行き着いた先は新たな悲劇だったということですね。