虹の欠片をひろったから

季都英司

虹の欠片をひろった人のお話

 ある日のこと、雨上がりの空に虹が架かっていた。珍しいものを見たな、くらいで特に感慨も無く眺めていたら、虹のちょうどアーチの天辺のところに、亀裂のようなものが見えた。

「虹が、ひび割れるとかそんな馬鹿な」

 見間違いに違いないと目をゴシゴシこすってみたが、やはりどう見ても虹がひび割れている。

 さすがに気になって、しばらく見ていると、その亀裂はどんどんと大きくなり、最後にはその亀裂から真っ二つに割れた。

「嘘だろ!?」

 思わず大きな声が出た。

 二つに割れた虹は、そこを中心に全体に亀裂が広がって、そのまま音も立てず砕けてしまった。

 呆然としていた俺の足下に、なにかがコロリと転がってきた。なんだろうと拾い上げてみると、手のひらくらいの大きさの石のようだった。

 ただし、虹色にきらめく不思議な石。

 虹色の石は、石のくせに赤や青や緑に色が揺らめき不思議に色が変化していた。

 七色なんてもんじゃない。世界中のあらゆる色がここに詰まっている、そんな感じだった。

「これ、さっきの虹の欠片か……?」

 頭が混乱して、へえ、虹って実体あったんっだなあとか思ってしまったが、即座に

「いや、そんなわけないだろ。なんだよこれ!」

 とセルフツッコミを入れてしまった。人間混乱すると訳のわからないことをするものだ。

 まさかなあ、とはおもったものの、そもそも虹が砕けるなんて非常識が起こっているので、虹の欠片があっても不思議はない。ということにしておく。

 それにしてもこの虹の欠片どうしたものだろうか。と思案する。落とし物というわけでもないだろうし、そもそも虹に所有権もあるまい。

 あまりに綺麗な欠片だったので、せっかくだしもらっておこうかということにした。

 しばらく手でもてあそびながら、歩いていると日辺りのいい道に出たところので、何気なく虹の欠片をすかして見てみた。そして言葉を失った。


――世界が輝いて見えた。

 なぜだろう、ここはいつもの帰り道で、特に変哲も無いただの住宅街だ。とくに目新しいものも感動するものもあるはずがない。

 なのに、不思議とこの世界全体が、とても素敵で代えがたい大切なもののように見えていた。

 すべてのものがそれぞれの色を主張し、自分がこの世界に必要な大切なものであると訴えているようだ。

 驚いて、虹の欠片を目から離すと、そこにはいつもの代わり映えのない光景があった。

 困惑したままの状態で再び虹の欠片越しに世界を見ると、やはりそこには素敵な世界があった。

 よく原理はわからないが、これを通してみるとみたものが輝いて見えるのだと理解した。

 帰り道の途中にある、河川敷でも同じように虹の欠片をかざしてみた。

――ああ、なんて素敵な

 思わず声が漏れた。

 川はキラキラと輝き、海まで続く美しい水の流れが神秘的に揺らめいている。土手の植物たちは鮮やかに命を主張していた。雑草などこの世になくすべて強く個性を持った生き物であると伝えていた。

 俺はなんて素敵なものをひろったのだろうと、誰にか自分でもわからないが感謝した。神にか、虹にか。


 それからの生活はこれまでにあり得ないほど順調だった。どんなに嫌なことがあっても、虹の欠片を通して世界を見れば素敵なものに見えて、気持ちが励まされ前向きな気持ちが生まれてきた。

 景色も人も、この虹の欠片を通すと、すべて素敵なものに見えて、それだけのことなのに、あらゆることがうまく流れるようになっていた。

 虹の欠片をひろってからというもの、これまでにないくらいの順風満帆な人生を送っっていた。あの日の出来事が天からの恩恵なのだと、そう思えてならなかった。もう絶対にこの欠片を手放すまいと思った。

 だが、一つ気になっていることがあった。あの日以来虹を見たことがなかった。あのとき虹が壊れたことが関係しているのかわからなかったが、本当に一度も虹は出ていない。なんとなく調べてみて、世界中で虹がでていないことが一部でニュースになっていることを知った。

 俺は虹の欠片をみながら、少しだけ不安を覚えていた。


 その後、虹が世界に出なくなったことはみんなが知るところとなっていた。俺はなんとなく虹の欠片を持っていることが後ろめたくなり、人の目を気にして生きるようになりはじめていた。だがそれでも虹の欠片を使うことはやめなかったし、手放す気にもならなかった。これのおかげで今の生活が楽しいものになっているのだから。


 しばらくたった頃、虹が出ないことに人がなれはじめ、大きなニュースにはならなくなった。だが、たまに虹の話が聞こえるたび、虹の絵を見るたびに、責められているような気になっていた。俺はただ現場に居合わせてひろっただけのはずだし、虹の欠片の力は相変わらずありがたかったが、周囲を気にする負荷の方が大きくなったように感じていた。


 さらにたった頃、完全に俺は虹が出ないことの責任に押しつぶされそうになっていた。俺のせいで世界から虹が消えてしまった。そう思えてならなかった。もう世界は虹の欠片を通してみても素敵に輝きはしていなかった。虹を見て綺麗と感じた気持ちを、これからの子供たちが虹を見て感動する機会を奪ったような気になって、誰にも会えなくなった。


 そしてある雨の日、虹の欠片のおかげで得た素敵なものをすべて失った頃、俺は虹の欠片を返そうと思った。

 ただ、どうすればいいのかはわからなかった。

 そもそもがひろったものだし、虹を壊したのも俺ではない。それでもずぶ濡れの体と足は、あの日の虹を見た場所に動いていた。

 虹はもちろんそこにはなかった。あの日虹は壊れてしまったし、世界のどこにも出ていない。あるわけがないのだ。

 あの日俺が見たものは何だったのだろう。不思議なものを見たし、そのあとは不思議な体験をした。きっとだれもこの答えを教えてくれることはないのだろうと思う。

 握りしめた虹の欠片と空を交互に見返した。

 虹の欠片は俺に素敵な世界をくれた。それは疑う余地がない。それでもこれは俺が持っていていいものではない、それだけはわかった。

 そして、俺は大きく振りかぶると、虹の欠片を全力で空に向かって投げた。それが正しいのかどうかわからない。だけど空に虹を返そう、そう思った。

 虹の欠片は暗い空の中でも、様々な色にゆらめき光り輝きながら、天高く飛んでいく。

 そして次の瞬間虹の欠片は、空に溶けるように消えた。もともとそんなものはこの世になかった、そんな感じだった。

 何も起きなかったし、達成感もない。来た道に振り返り俺はとぼとぼと歩き出す。

 そのとき、ふと地面が明るくなったような気がした。見上げると、雲の切れ間から光が差すのが見えた。いつの間にか雨はやんでいた。

 予感があった。

 俺はもう一度振り返り、あの空を見上げた。

 そこには虹が架かっていた。

 流麗なアーチを描き、この世のすべての色彩を閉じ込めたような、それはそれは綺麗な虹が。

 訳もなく俺は泣いた。

 ああ、世界に虹が返ってきた、そう思った。


 それは、俺が虹の欠片をひろってから見た、この世界で一番素敵な景色だった。

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虹の欠片をひろったから 季都英司 @kitoeiji

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