最終話。大晦日。うどんを作る。

「寒くなったなぁ」

 年の瀬。吐く息が白い。大型の寒気が日本上空に停滞中で、例年より冷える。朝晩、台所に立つのがしんどく、料理も洗い物もしたくない。だからカップ麺ばかり食べている。

――着いたよ!

――自分はあと10分ほどです。

――満君? 絶対に遅刻しないって言わなかった?

――すいません。

――言い訳しないんだ?

――した方が良いです?

――質問返し? ダメだよ、そういうの。

――えっと、円先輩に会うので念入りにシャワー浴びてました?

――なにそれ? 言い訳?

――じゃあ家を出る時、飼い猫が離れなくて?

――じゃあって何? 絶対嘘。猫飼ってない!

――寒かったからです。

――うむ、正直で宜しい。

――そろそろ着きます。

――門の前、階段下にいるよ。

 円先輩とは、あの夏以来、仲良くなった。あれから何度も手料理をご馳走になった。近頃はクーキー料理サークル内でも好奇の目で見られる。その最大の理由は、

「満君」

「円先輩」

 と呼び合うようになったからだ。女性ばかりなので、自分に直接何かを聞きに来る人はいない。一方、円先輩はみんなに囲まれ、こっちをチラチラ見ながら話している時がある。つまらない噂話でもしているのだろう。


「満君、こっち!」

 笑顔で手を振る円先輩。別に付き合ってる訳ではない。告白していないし、されてもいない。先日のクリスマスは何もなかったし、誘う勇気もなかった。

「じゃあ付き合いたくないのか?」

 と問われれば、そんな事はない。美人で気立てが良く家庭的。何の不満があろうか。100人に聞けば90人は、

「付き合いたい!」

 と即答するに決まっている。もちろん自分もだ。しかしそれは相手あっての話。円先輩に嫌われているとは思わない。逆に憎からず思われている自負はあるが、今はその程度の間柄でしかない。

「ごめんね、買い物に付き合わせちゃって」

「円先輩の手料理のためなら、例え井の中、蛙の中!」

「何それ? 火の中水の中でしょ」

 くだらないダジャレにも笑顔をくれる。なんて良い先輩だろう。今日も買い出しの後、アパートで料理を作ってくれる手筈になっている。今日のメニューは……


「普通、年越しって蕎麦を食べるんじゃないですか?」

「普通はね」

「なんで、うどん?」

「年越しに細く長い蕎麦を食べるのはね、千切れやすいからなんだよ」

「どういう意味です?」

「一年間、色々と悪い事が起きるでしょ? それを、食べて断ち切るって意味なの」

「へぇ。博識ですねぇ」

「でもね。私は今年、嫌な事なんて何もなかった。満君はどう?」

 今年……今年かぁ。思い返しても、特に悪い事はなかった気がする。大学生活は順調だし、素敵な女性――円先輩と出会えた。良縁に恵まれた一年だった。

「そういえば!」

「何? どうしたの急に」

 ガサゴソ、と持って来た袋を取り出す。

「これ。近所に農家をやっているおばちゃんが住んでるんですけど」

「もしかして、前、話してた人かな? トマトの」

「そうです! 冬場は小松菜やアスパラを作っているみたいで。頂き物、お裾分けです」

 隣のおばちゃんも良い人だ。いつも美味しい野菜を分けてくれる。世間話に捕まると小1時間は解放されず、少し困るが。これも良縁に違いない。

「自分も、今年は良い事ばかりでした」

「そう?」

「はい。円先輩の手料理は、どこのお店より美味しいし」

「褒めても料理はグレードアップしないよ?」

「いやぁ、今以上になったら、お金払わないといけなくなりますよ。既にその領域ですけどね」

「うふ、有難う」


 そんな話をしながら買い出しを済ませた。うどんを作ると言っていたが、出来合いの麺ではなく、小麦粉から手打ちするようだ。1キロ入りの小麦粉の袋は、同じ1キロ入りのもち米袋と共に買い物袋の大部分を占め、

「大丈夫? 重いでしょ?」

 帰りがけに何度か、円先輩に気を遣わせてしまった。その他、ニンジン、シイタケ、サトイモ、ダイコンなど、何に使うのか分からない品々も入っている。それらを冷蔵庫にしまうと、大きなボウルを取り出す。

「満君、手伝って」

「ヘイ! 何をしやしょう?」

「小麦粉を練るの。力仕事だから、頼りにしてるよ」

「ヘイ!」

「……何それ?」

「いやぁ、麺打ち職人って、こんな感じかなぁって」

「満君ってさ、形から入るタイプだよね」

 円先輩の笑顔が見たいからです! とは言わず、円先輩の指示通りボウルに小麦粉を出し、塩水でこねる。塩加減は円先輩任せ。自分はひたすらに体重をかけて粉を練り、練り、練る。外の気温は寒いが、室内は暖かくしてあり、少し運動しただけで汗がじんわりと浮かぶ。粉まみれの自分に代わって、円先輩がタオルで額の辺りを拭ってくれる。

「このくらいかな?」

「もう……はぁはぁ、大丈夫ですか……」

「お疲れ様っ」

 最初はボロボロ、ボソボソの粉状だったものが、今はつるつるの丸い塊になっている。この塊をひとまず寝かせるそうだ。うどんってこうやって作るのかぁ、と汗をかいて乾いた体に冷水を補給しながら考える。

「後でまた練るからね」

 悪戯っぽく笑う円先輩に、明日は筋肉痛だなぁ、なんて思いつつも、

「ヘイよっ!」

 空元気で答える。


「踏む?」

「そう! 今度は踏むだけだよ」

「えっと? 裸足で?」

「靴下のままで平気だよ? 袋の上からだし」

「足、大丈夫かな? 臭くないかな?」

「どれどれ~」

「ちょ、円先輩!?」

 犬のような恰好になって、つま先の方に顔を近付け、スンンスンと匂いを嗅ぐ。いや、ちょっと、それはどうなの? なんて思うのは自分だけ? 足の匂いを嗅がれるって、何だかちょっと気恥ずかしい。円先輩は特に気にする様子もなく、

「うん、何も匂わないよ」

 あっけらかんと言う。

「じゃあ失礼して」

「思いっ切り踏むと、袋が破れちゃうかも知れないから、最初はゆっくりね?」

「ヘイ! 親方ァ!」

「またそれなの?」

 円先輩の笑顔のためです! その笑顔が見たかったんです! と心の中だけで答え、小一時間踏んで休むを繰り返す。疲労困憊になり、

「まだですか?」

 と尋ねても、

「絶対に途切れないように。噛んだ歯を押し返すくらいコシを強くしたいの!」

 と言って解放してくれない。だけど生地を休ませる間、

「ご苦労様!」

 とパンパンの太腿を労わる優しいマッサージは、天にも昇る気持ちである。


「今度は私の番だね」

 寝かせた真ん丸の塊に打ち粉をし、麺棒で薄く延ばす。これを繰り返して均等の厚さにする。打ち粉をしながら何度か折り畳んだ後、四角い木蓋を定規代わりに、端から刻んでいく。こうして出来た手打ちうどんを茹でる、円先輩の横顔をボーっと眺めている間に、年越しうどんが完成! いざ実食!


 今まで食べたどのうどんより弾力があり、シンプルながら至高の一品。100点満点!




「初詣に行こっか?」

「どこまでも、お供しますよ!」

 深夜0時を前に、連れ立って近所の神社へ。ゴーン、ゴーンという鐘の音が次第に大きくなる。それなりに有名で立派な社。境内では甘酒が振舞われ、お焚き上げの炎が赤々と周囲を照らす。除夜の鐘をき、御神籤おみくじを引き、賑わう露店を回る。小腹が空いたので甘い物を少しつまむ。ふと、円先輩が露店の前で足を止める。ミニ門松。様々な色形に、家内安全やら健康祈願やら全て異なる文言が並んでいる。

「2千円……」

 小さく呟き悩んでいる様子。

「プレゼントします」

 横から口を出す。

「私のだから」

 と固辞するので、

「おやっさん、1つ!」

 先にお会計を済ませると、

「満君、有難う!」

 そう言って、どれにしようか、じっくり選ぶ。

「お礼に、お正月の御節おせちと、餅つきしてお雑煮作るよ。後で一緒に食べようね!」


「……今夜は泊まってく?」

 初詣の列に並ぶ間、微かに聞こえた声。エッ、と隣を見ると、ミニ門松を手にホクホク顔の円先輩。特に変わった様子はない。それはきっと、欲望が聞かせた幻聴か、他のカップルの声だろう。お賽銭を投じ手を合わせる。


 この縁が、細く長く、切れやすい蕎麦ではなく、あのコシの強いうどんのように、太く長く、永遠に途切れず続きますように――って、そういえば円先輩も似た事を言っていたような?




 さて。その後どうなったか。それは皆さんの想像にお任せしよう。ただ1点。殺風景な円先輩の部屋に唯一飾られている、円先輩が厳選した『門松』には、『一家円満』の四文字が今も躍っている、とだけ言っておこう。


   終

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細く長く 武藤勇城 @k-d-k-w-yoro

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