9月。夏休み。そうめんを作る。

 暑い。夏バテで食欲がない。先月から夏休みに入り、生活費のためのバイト以外、何もする気にならない。

――今何してるの?

――寝てました。

 今、と聞かれたのが1時間前。部屋で惰眠を貪り、家松先輩のSNSメッセージに気付くのが遅れ内心焦る。返信はないかと思ったが、即座に届く。

――今日はバイト?

――いえ、休みです。

――良かった。少し出られない?

――大丈夫です。何かありました?

――実家から大量のネギが届いたの。だからお裾分け。

 なんだ。遊びに行こう、というお誘いかと期待してしまった。

――大学の近くに住んでたよね?

――はい、歩いて行ける距離です。家松先輩も?

――そうなの。大学生に安く貸しているアパート、目の前よ。遊びに来る?

――え!? 良いんですか?

――もちろん。歓迎するよ。狭いけどね。

 思いがけない招待。女性1人の部屋に上がり込んで良いものか、なんて冷静に判断する心の余裕はない。高鳴る鼓動を抑える。

――じゃあ今度!

――今度と言わず、今から。

――マジで!?

――うん、マジもマジ。ネギを持って行って貰いたいし。一度大学まで来てくれる?

――了解です。準備して30分で行きます!

 だらしない格好1時間以上自室の畳と愛し合っていた証である寝癖を付けたままで行く訳にはいかない。サッとシャワーを浴びる。一番良い下着とシャツを選び、歯を磨きながら時計を確認する。時間がない! 急いで家を飛び出してから、手ぶらで行くのはマズいだろうと思い直す。そうだ! とカバンに詰め込んで、足早に大学へ。


「少し遅れました?」

「今来たとこだよ。ちょっとだけ買い物、いい?」

「買い物?」

「お客さんに出せる物がなくて」

「あ! そんな、気にしないで下さい」

「うーん、でも、そろそろ夕食の時間になるよね?」

「まだ4時前ですよ」

「ちょっと話してたらすぐ5時6時よ。何か食べて行かない?」

 家松先輩の手料理! 是非ともご相伴に与りたい! サークルで何度もご馳走になっているが、自室で二人きりのシチュエーションは初めてだ。

「何でも作るよ」

「ん? 何でも!? でも今、あまり食欲ないんです。夏バテかなぁ」

「そうなの?」

「はい。水ばかり飲んでます」

「それは体に良くないよ。何か食べないとダメ!」

「ですか……あっそうだ!」

 カバンに入れた物を取り出す。

「これ、そうめんなんてどうです?」

「どうしたの、それ」

 突然現れた乾燥そうめんに目を丸くする。

「引っ越しの時に配った、余りものですけど」

「じゃあ、そうめんにしよっか?」

「それなら食べられそうです」

「ネギもあるし……あ、でも色々足りないかな? やっぱ買い物に付き合って!」


 買って来た品々を、綺麗に整理してある台所に並べる。白胡麻、キュウリ、ニンジン、ジャガイモ、豚バラ、白滝。それと家にあったネギ、生姜、かつお節、煮干し。

「先に煮物作っちゃうから、少し待っててね」

「手伝います」

「じゃあニンジンとジャガイモの下準備、お願いしていい? 皮を剥いたらそれバットに出してね」

「任せて下さい!」

 とは言ったものの、ほぼ未経験。初めて使う皮剥き器ピーラーに四苦八苦する。不器用な手つきを、家松先輩は心配と面白さが半々といった表情で横目に見ながら、かつお節と煮干しで出汁を取る。薄茶色に色付いたスープを、手慣れた様子で幾つかの小袋に移す。その1つに薄くスライスしたキュウリを入れているので、

「何ですか?」

 と尋ねると、

「後で食べる時に分かるよ」

 と悪戯っぽく笑う。それから鍋に残った出汁に砂糖と塩を入れ、お玉で味見をする。家庭的な姿に目を奪われていると、

「ごめん。いつもの癖で、お玉にそのまま口付けちゃった」

 ペロッと舌を出す。

「気にするよね? ごめんね、今洗うから」

「そんなんじゃないです! なんか良いお嫁さんみたいだなぁって思って」

 返答を間違えただろうか。家松先輩は黙って下を向き、お玉を水洗いしてから、無言で野菜を切り始める。怒っている……訳ではなさそうだ。野菜を手早く切って、作ったばかりの出汁の中に入れると、

「煮えるまで時間かかるから」

 部屋の方へ移動する。少し気まずい空気。8畳ひと間の、いかにも1人暮らしの学生向け、といった造り。それほど多くないであろう荷物は、押し入れの中に全部入っていると推測。

「何もないでしょ?」

 家松先輩の言葉通り、座卓とクッション以外に何もない部屋は、あまりにも殺風景だ。

「普段は何をしているんですか?」

「う~ん、何だろう?」

「いや、聞いてるのは自分なんですけど?」

「スマホで料理の動画を探したり?」

「だから、なんで疑問形?」

「さあ?」

 家松先輩の淹れてくれたコーヒーを片手に、そんな他愛もない会話を繰り返す。度々台所に立つので、こっそり様子を見に行くと、鍋に醤油を足してキッチンペーパーで落し蓋をしているようだ。こちらに気付き、

「キャッ」

 と小さく叫んでから、

「今度はちゃんと小皿で味見したから!」

 少し茶色い汁の付いた小皿を振って見せる。お茶目な仕草に、笑って答える。

「チェックに来た訳じゃないですよ」


「そうめん作ろっか」

「はい。何でも手伝いますよ!」

「ん? っと、じゃあ胡麻すり係ね」

「胡麻すりは得意です! 家松先輩は美人ですね!」

「……」

「スタイル抜群で、頭も良い! 料理の腕前は、お店を出せる……」

「口じゃなく、手で胡麻すって?」

「はーい」


 キュウリの味がしっかり出た麺つゆは、食欲がなかったのが嘘のように箸が進む。上品な味付けの煮物は、

「ここが高級料亭かぁ」

 と錯覚するほど。いつの間に作ったのか、野菜の皮の甘辛キンピラ炒めも絶品! 文句なし、100点満点!

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