あとがき

最後まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。


この物語の背景や物語の論点について語りたいので、興味を持っていただけたらもう少しお付き合いください。




私の周りで起立性調節障害にかかったのは、今回このお話を書くきっかけとなった友人の弟くんで三人目でした。


私がこの奇妙な病気と出会ったのは小学六年生のことでしたから、おそらく2016年頃。


最初に、私の幼い頃からの友人の一人、T君が突然学校に来なくなりました。

その時、起立性調節障害という言葉を初めて知りました。


同じミニバス(ミニバスケットボールの略。小学生までのバスケットボールは、基本これになります。ボールが小さく、ゴールも低いのです)のチームに所属していましたが、冬休みからなんの前触れもなくパタリと練習に来なくなり、今更バスケが嫌になったのかな、と思っていたら、冬休みが明けた教室にも、彼の姿はありませんでした。


後から、彼のお母さんが心の病で実家暮らしになり、お父さんと彼と妹の三人暮らしになってしまっていたと聞いて、「辛い思いをしていたのに…」と、友人に対して何もしてあげられなかった無力感を味わったことを覚えています。


T君は約二ヶ月間、毎朝のようにお父さんに寝たまま抱えられて保健室のベッドまで来て、昼過ぎに起きたら給食を食べて帰るという生活をしていたそうです。


私はクラスの給食委員だったということもあり、そんな彼にほぼ毎日、給食を運んで、寝顔を見て、教室に戻るという日々を過ごしていました。


時々、いたずら心でくすぐってみたり、耳に息を吹きかけてみたり。


「もしかしたら、突然ガバッと起き上がって、怒ってくれないかな…」と、淡い期待を持っていたんだと思います。


しかし、つい先日まで元気に笑っていたことの方が夢だったかのように、彼は深い眠りから覚めませんでした。


そして、卒業式が近づいてきたある日、T君が教室に現れました。

約三ヶ月ぶりの出勤でした。


私は、嬉しくてたまらなくて、クラスメイトたちがT君を囲む中、机から動けずこっそり泣いていたことを覚えています。


中学生になり、T君を含む元ミニバスのチームメイト計6人で入部届を書き、心機一転、ルールもボールもゴールも一転、新たなスタートを切りました。


初めての先輩後輩関係の制度や、小学生の頃は県大会でしか相手にしたことがなかったようなゴツい体格の選手がゴロゴロといる環境に揉まれながら、切磋琢磨していました。


そして冬。

私は、例の症状で学校に行けなくなってしまいました。

顧問の先生やキャプテン、5人の同期たちには伝えたのですが、やはり約二ヶ月間の休みは先輩たちからの心象が悪く、このままやめようかと思ったこともありました。


しかし、私たちの世代はミニバスの頃から強く、かなり優秀な戦績を持っていたおかげか、先輩たちからも一目置かれていました。

そんな同期たちが部内に居場所を作っておいてくれたおかげで、また、そのあと新しく入って来た下の代の子たちが慕ってくれていたおかげで、復帰後も中学バスケ部を満了し、無事に卒部することができました。


完全に復帰してからは改めてバスケに打ち込み、小学生時代に引き続き中学生でも地区の選抜選手に選ばれ、貴重な体験ができました。


本当に、周りに救われたおかげで充実した中学生活でした。




「高熱が出る」とか、「発疹が見られる」のような、わかりやすい症状がない起立性調節障害。


自律神経の乱れは、生活習慣の乱れだけでなく、ストレスからも起こるもの。


子どもから、「毎日だるくて…」「ぼーっとするんだ…」「起きられない…」という言葉が出るようなら、「寝不足だから!」「サボりはだめ!」と一蹴しないであげて欲しいです。

たとえそれがその時は本当にただの寝不足だとしても、この状態ではネガティブ思考になりやすくなってしまって、考えすぎでどうでもいい悩みが肥大化してしまうこともあるというのが経験則です。


どうかこの経験談を頭の片隅に入れておいて欲しいのです。


これは令和の病気と言えるかもしれません。

この症状を訴える子どもは令和2年の時点で24人に1人。

約4%の割合でいるそうです。


寝る前に長時間スマホをいじったり恒常的に夜更かしをしてしまったり、ゲームにのめり込んでしまったりというのも、日頃の生活へ深層心理的に不満があったり、ストレスに感じることがあるのかもしれません。

親からの期待でさえ、プレッシャーに感じてしまうこともあるそうです。


大変シビアな塩梅ですね…。

世の親御さんたちは本当に難しいことをしているんだな、と尊敬します。

自分がいい親になるビジョンが全く見えません(笑)


今回、友人の弟がきっかけで、改めて自己分析をして、経験を掘り返してみましたが、振り返って思うことは、やはり人間は一人では生きていけないということです。


自分の力で稼いで、一人暮らしをして、一人で生きていけているように思っても、実はどこかで、間接的にであったとしても、他者に依存していたりするんだと思います。


作中でも展開した持論ですが、起立性調節障害の正体というのは、子ども脳が大人脳に近づく段階で初めて認識できるようになる目に見えない類のもの(例えば、親や自分自身からの過度な期待や人間関係の複雑さ、また、他者と自己の比較など)に対する、過敏な反応の結果なのではないかと思うのです。

いわば、自己中心的な生き物から社会的な生き物に変化するにあたって発生するアレルギー反応のようなものなのではないかと。


細かいアレルギー反応は、反抗期として現れるものだと思います。

したがって作中では、アナフィラキシー反応と表現しました。


そのアレルギー反応が許容量を超過してしまって、まだ大人脳に変わりきれていない中間脳では処理能力が追いつかず、スペックの低いパソコンのようにファンが唸りを上げて回転したり、起動シーケンスに時間がかかったり、ときには失敗したり。


だから、ゆっくりと時間をかけて処理を進めます。

上手に落とし込むことができるようになるまで、時間がかかるのです。


私は、もしも将来子どもができて、その子に起立性調節障害が起きてしまったら。

休むことを当たり前にはせず、だけど、それはむりやり学校に行くよう促すのではなく。

本人の整理がつくまで、ゆっくり気長に待ってあげたいな、と思っています。


最後に、ここまで育ててくれた両親とつらい時に支えてくれた大事な友人たちへ、この場を借りて感謝の意を表しまして、あとがきとさせていただきます。


本作に関してご意見、ご感想ありましたら、ぜひレビューを書いていただけると嬉しいです。


最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。




夜之 呟

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眠り姫 夜之 呟 @yanoken3

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