醒めない夢

ピロン——…


金曜日の夜9時のこと。


週明けに提出の課題をしていたら、充電ケーブルを挿したままにしていたスマホが、誰かからのメッセージを通知した。


「あれ、通知切ってなかったか」


気づいてしまったらなんとなく無視するわけにもいかず、とりあえず内容をチラ見して、今返すべきかを考えようと思った。




*****


母:

ヒロー、元気?

今ね、リクが元気に帰って来てね。


母の誕生日のお祝いメッセージのこと。

お兄ちゃんから教えてもらって、送ったんだと言ってた。


兄の母への気遣いと

弟の正直さに

母はホッコリさせていただきました♡…


*****




「あいつ…わざわざ言わなくていいのに」


弟は県内で五本の指に入る進学校の、理数科に通っている。


ちょうど母の誕生日に被る形で、シンガポールへ行く行事があったらしい。

俺がカナダに留学中で、リクまで海外に行ってしまって。

「今年の誕生日は寂しい思いをさせちゃってるな」と思った。


どうせあいつのことだから、生まれて初めての海外旅行を楽しみすぎて母の誕生日のことは頭から抜けてるだろうと思ったから、少しおせっかいをしたというわけだ。


案の定、昨日弟から「忘れてた!兄ちゃんありがと!」という返信が来ていた。


「続きあるのか。ここまで読んだし、休憩がてら最後まで見るか」




*****


弟の正直さに

母はホッコリさせていただきました♡


息子たちがふたりとも外国に行ったことが、母は誇らしいです。



あのさ。今少し相談というか、経験談を教えて欲しくて。


ミカちゃん、わかるよね。

ハルキくんの妹。

起立性調節障害で、高校行けてないの。

でね。


*****




ハルキは、小学生の頃からの友達だ。

地域のミニバスケットボールクラブに同期で入部して、中学卒業まで一緒に戦った、大事な友達。


懐かしいな。あいつがキャプテンで、俺が副キャプテン。

ウチのクラブでは5年ぶり2度目の県大会に勝ち上がって、ベスト4まで食い込んだっけ。


いや、思い出に浸っている場合じゃない。


ミカちゃんが?

起立性調節障害?




【起立性調節障害とは】

「自律神経失調症」としても知られ、主に思春期前後の小児に発症する傾向がある。朝の起床に支障が出たり、慢性的な頭痛や倦怠感など、様々な症状がある。

(いくつかの実在する医療機関のWebページを参照)

より詳細に知りたい方は、上記の【】の中身をコピペして検索してみてください。




たしかに、俺は中学一年生の冬、同じように朝起きられなくなってしばらく学校に通えなかった。


家の前が学校だったから、なんとなく気まずかったっけ。


親指で画面を下から上へなぞる。




*****

でね。


お母さんが、ヒロも前に経験したってこと覚えてたみたいで、私に相談してくれてね。


病院に行って診断を受けたけど、風邪薬みたいに、これ飲んどけば治る!みたいな、わかりやすい治療法がなかったじゃない?


わからないことばっかりって、心配してるの。


*****




「そっ…かぁ——…」


ハルキの家に遊びに行くと、いつもヒロ兄、ヒロ兄、とくっついて来てくれた、あのミカちゃんが。


中学を卒業してハルキと離れ離れになってからはもう遊びに行ってなかったけど、まだ覚えていてくれているのだろうか。


「俺は…どうだったかな…」


確か、最初異変に気がつき始めたのは、起きられなくなった日の一週間くらい前だった。

前日の夜は、少し遅くまで起きていたけれど、日付は変わっていなかったはずだった。

次の日、「寝覚め悪いな」くらいの気持ちでいつも通りに学校に行ったら、午前中の間、頭の中にもやがかかったようにぼーっとして、ずっと寝ぼけているような感覚だった。

例えるなら、外界と脳を隔てるフィルターが一枚噛んでいるような。

…そんな感じだろうか。


それから、毎日毎日同じように頭がずんと重たくて、思考も制限速度がかかったように酷く鈍かった。


とりあえずここまでを簡潔に文章に書き起こして、送信する。

ノータイムで既読がついた。


ふむ、なるほど。

これはこのまま止まることなく最後まで行くんだな。

ノータイムで既読がついた時ほど、チャットルームを閉じにくいと思う瞬間はない。


スマホの画面をそのままに、一旦課題の進捗を確認する。


「まだ1500語か。あと半分——…」


これは自然とため息も出る。

慌てて吐いた息を吸い込んで、漏れ出した幸せを捕獲した。


そういえば、これはハルキが言い出したんだっけ。

「ため息をつくと幸せが逃げるから、吸い込んでなかったことにすんだよ」


誰かの受け売りなのかは知らないけど、試合前に緊張でため息をつく度に「吸い込め!」と怒鳴られているうちに、日本から遠く離れた今でも癖でついやってしまうようになった。

半ば強迫観念みたいなものだ。




*****


たしかに、そんなこと言っていたよね。

起きれなくなる前から、予兆というか。


質問です。

その当時、悩みやストレスがあったなあとか思う?


*****




悩みやストレスか。

もう七年も前の話だ。

正直、何に悩んでいたかなんてはっきりとは覚えていない。

もしかしたら、悩みなんてなかったのかもしれない。


でも、心当たりはある。


一つは、人間関係。

小学生の頃までは、男女の壁なんてほとんどなくて、放課後なんかは毎日のように近所の友達と集まって一緒に遊んでいた。


だけど、中学生になってからは男女で遊んでいることが恥ずかしいことのような風潮が現れ始めた。


もちろん理解できないわけではなかったけれど、それって寂しいことだなって思ってたっけ。


それだけじゃなくて、友達に彼女ができてあまり遊ばなくなったり、俺自身も告白されて困惑したり。

そういう、人間関係の難しさとか、面倒さというものに気がついた頃だった。


そしてもう一つ。

俺は、めんどくさがりのくせに完璧主義者という、自分の首を絞め続けるような性格をしていることを自負している。


小学生のころまでは、大して勉強もせずにテストはすべて100点満点だった。

正直、自分で自分を過大評価していた。

だから、中学生に上がって『定期考査』とかいういかつい名前に変わり果てたテストと対峙した時、度肝を抜かれた。


最初のテストは、悲惨だった。


それからなんとか努力しようと努力して、2回目、3回目と回を重ねてようやく420点オーバーまで這い上がった。


「勉強は…まあ、悩みだったかな」


メッセージを送信して、相変わらずの即既読に微笑む。


今となっては、当時の自分の愚かさがわかる。

父親からずっと言われていたことを思い出した。


『勉強って、ヒロが好きなRPGと一緒なんだよ』


RPGのキャラクターには、ステータスっていうのがある。

HPとかMPとか、素早さとか攻撃力とか。

それが教科。

それから、レベルが上がるとそのステータスが上昇する。

スキルポイントを割り振って、どのステータスを上げるかを選ぶんだ。


スキルポイントというのは、時間。

地球が回転する限り、全員が平等に持っていて、平等に失っていくもの。


要は、時間という名のスキルポイントを教科という名のステータスにどうやって割り振るかで、キャラクターを成長させていくゲームというわけだ。


もちろん全ての時間スキルポイント教科ステータスに割り振る必要はない。

上手に割り振ることで、一緒に成長できる仲間を増やしたり、特技や魔法を覚えたりと、時間スキルポイントの使い道は人それぞれだ。


だから、人には個性が生まれる。


「父さんは元気にしているかな…?」


最近、自営業に切り替えたと言っていた。

創業から関わっていたWebデザインの企業が株式上場するまで在籍して、惜しまれながらも退職したらしい。


かっこいい父を持って、俺は誇らしいぜ、父さん。




*****


そっか、人間関係と勉強…


大人でも、人間関係っていうものは難しいよ。

やっぱり、ストレスに感じることもあるもん。


勉強に関しては、親からのプレッシャーもあったんだと思ってる。

頑張らせすぎたもん。

よく頑張って乗り越えてくれたよ。

ごめんね。


あとは、起きられなくなってからはどうだった?


*****




母さんが謝ることはない。

当時は必死に勉強して辛かった時もあったけど、今思えば本当に必要なことだったし、期待していてくれたことには感謝しかない。

期待されなくなる方が寂しいだろ。


実際、悩みがあったかを聞かれて、すぐに思いつかなかったのが証拠だ。


「んー、起きられなくなってからか——…」


そういえば、無駄に考えすぎてすごくネガティブになっていた。

それはきっと、学校に行かなくなって一人で考える時間が増えたからというのもあったと思う。

だいたい昼過ぎごろに目が覚めた後、起き上がっても頭が重くてしんどくて、ベッドから出ることなくゴロゴロとしていた。


そのままなんやかんやと考えて、考えて——…。


だんだん知恵熱みたいに頭が熱くなってきて、余計しんどくなって。


ずっと寝ていられれば、こんな風に考えなくていいから楽なのにな、なんて思う日もしばしばあった。


死にたいとまでは思わなかったけど、多分、鬱になっていた。


今思うと本当にくだらないことで、当時は真剣に悩んだりしてたんだよな。


ミカちゃんも、普段は明るいしぽやーっとしている印象だったけど、ハルキの家で一緒に対戦ゲームをした時には、意外にも負けず嫌いというか、粘り強いというか、少し見方が変わった。


負けず嫌いって一種の完璧主義者だと思うんだけど、そういう点では共通点がある気がする。

だから、彼女も何かに悩んでいる可能性は十分あると思う。




*****


そっかあ…

今だからこうやって言葉になるんだね。


当時は説明できなかったよね…


なんかしんどい。頭がだる重いって、いつも言ってたっけ。


つらかったね…


*****




そう。

今だから言葉になるんだ。

悩んでいる最中である本人に「あなたの悩みはちっぽけですよ」なんて、通じるわけがない。


悩んで悩んで、悩み抜いて、ふと気がついたら、憑き物が取れたように軽くなっているものだ。

アドバイスというのは、あくまで本人が考えるための補助。

自分がどこにいるかもわからない暗闇の中を歩くとき、足元をちょっと照らしてあげるものだ。


自分の答えが誰かにとっても正解とは限らない。

本当にその通りだと思う。


これは医学的な根拠のない持論だけど、起立性調節障害って、思春期のアナフィラキシー反応なんだと思う。




【アナフィラキシー反応とは】

アレルギー反応でも特に重篤な状態であり、「アレルゲンなどの侵入により複数の臓器に全身性にアレルギー症状があらわれて生命に危機を与え得る過敏反応」と定義されています。

(実在する医療機関のWebページより抜粋)

より詳細に知りたい方は、上記の【】の中身をコピペして検索してみてください。




子ども脳から大人脳に変わっていく段階で初めて認知することができるようになるアレルゲンに対応しきれなくて、過敏反応を起こしているんだ。


この場合のアレルゲンっていうのは、例えば親や自分自身からの過度な期待や人間関係の複雑さ、もしくは、他者と自己の比較とかのこと。


それまで知らなかった感覚に脳が驚いて、処理が追いつかなくなって、負荷がオーバーワーク状態になるんだ。


実家の古いパソコンを使ってた時、起動するだけにもものすごく時間がかかったり、時々失敗することがあった。


動き出したとしても、何もしてないのにファンが唸るように大きな音を出して回って、明らかに様子がおかしかった。


起きられなくなるって、間接的にはたぶん、それと同じことなんだ。


だから、ゆーっくり時間をかけて処理を進めてる。

子ども脳から大人脳にアップデートしている。


それが完了したら、自然と起きられるようになる。


外的理由とか内的理由とか、人それぞれ違うかもしれないけど、根本にはそういう、“自己中心的な子ども”から“社会の一員である大人”へと成長する段階で起こる、成長痛みたいなものなんだと思う。




*****


うんうん。なるほどだよ。


なった人にしかわからないね、それは。


すご〜く理解できた気がする!


親としては、学校に行けない期間が長いとね。

授業についていけなくなるかもとか、心配しちゃったけど。


ゆっくり待ってあげることも、大切だね。


*****





でも、俺が発症していた当時は、今ほどこの病気が知られていなかった。


そんな中、母さんはなかなか起きてこない息子を心配して、毎日仕事に行く前に起こそうと必死になってくれていたということを、後で父さんから聞いた。


それは、本当に嬉しかったんだ。

決して、余計なお節介なんかじゃなかった。


「あとは——…」


起きられるようになってからのことだけど、俺がそうしていたみたいに保健室登校から始めるのも場合によってはいいかもしれない。


もちろん、一番はクラスに居場所があって、クラスメイトたちから温かく迎え入れてもらえることだけど、長く休んでいると、学校に行こうとするだけでものすごく緊張するんだよね。


それでも、学校に所属している、とか。

コミュニティに所属しているっていう意識?

そういう自覚は大切というか。


本人が「行けるかもしれない」と思った時に、親が力強く後押ししてあげることも大切なんじゃないかな。




*****


そうだね。

無理矢理ではないってことには気をつけなくちゃいけないね。


保健室に登校するのも、起きれない時から連行するのはきっとストレスになっちゃうだろうし。

タイミングが重要だね。


*****




最後にもう一つ。

個人的に、父さんとあの大きな池のある公園に行って、決起集会をしたのがすごく思い出深い。


二人でドライブして、公園の周りをスケボーで走ったんだ。


寝ていない時間を延ばしていくリハビリのためにも、外に出て太陽の光を浴びながら運動したのは、すごく良かったと思う。


それにね。

あの日は確か、平日だったんじゃなかったかな。

父さんが有給を取って、わざわざ俺のために時間を作ってくれたんだ。

二人で出掛けて遊ぶなんて久しぶりだったし、特別感があったし。

めちゃめちゃ嬉しかった思い出なんだよね。




*****


あ、その話、聞いたことあった。

そうそう、小さい頃よく通ってたあの池の公園ね。


ヒロと久しぶりに遊んだって、お父さんも喜んでたっけ。


あの人も当時は会社の方がすごく大変だったみたいでね。

表には出さないけど、本当はかなり疲れてたと思うの。


お互いに、いい刺激になったのね。

すてき♡


*****




『たぶん、俺から言えるのはこんなもん。少しでも、ミカちゃんとミカちゃんのお母さんの助けになればいいな』…っと。


最後に送ったメッセージに、ハートマークがピコっと現れた。

母さん、なかなかアプリを使いこなしてるじゃないか。




*****


ヒロの言葉、納得だよ。

本当にそうだね、ありがとう!!


母も、当時は聞けなかったヒロの本音が聞けて、すごく良かった!


課題やってたんだってね。

そっちは今何時なのかな?


今週もお疲れさま

ゆっくり休んでね♡


おやすみ!


*****




時計を見たら、いつの間にか0時を回っていた。


課題は全然進まなかったけど、まあいいか。

明日は土曜日。

時間はまだある。


愛用しているMacのノートパソコンを閉じて、デスクランプを消す。

スマホのアラームを朝7時にセットして、ベッドに沈み込んだ。


今日のところは、おやすみなさい。

明日も朝から頑張ろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る