第26話 心理描写の書き方について①
今回は、最近とくに感じるようになっていた心理描写の書き方について、自分なりの考察と反省を踏まえて、書き記そうと思います。
あくまで私一個人の考えなので、全く見当外れかもしれません。
そうじゃないよ、と気付かれた方がおりましたら、是非ご遠慮なく、コメントで教えていただけますと助かります!
今でこそプロッターの私ですが、中高生くらいの頃は、どちらかというと憑依型のパンツァーでした。
キャラクターになりきらなくては、小説が書けない!(※)と本気で思っていました。(※実は、そんなことない。)
そのためか、昔書いた作品のほうが比較的感情表現が今よりも豊かだった気がします。
📖『QUESTORS~宇宙賊と赤いバンダナ~』
⇒https://kakuyomu.jp/works/16818093088918670703
これは私が中学生の時に書いた作品ですが、登場キャラクターたちの立場になって、かなり心理描写を意識して書いています。
**(本文から一部抜粋)**
『お前は、青髭団なんかじゃねぇ』
頬を伝う暖かいものを風が浚っていく。苦しくて苦しくて、息が出来なくて、嗚咽を漏らした。
裏切ってなどいない。自分は出来る限りの事をした。自分は青髭団の一員だ。
そう自分に言い聞かす。しかし、走る速度は上がっていく。
**(本文から一部抜粋)**
(抜粋元「21. 裏切り者の矜持」https://kakuyomu.jp/works/16818093088918670703/episodes/16818622174930267075)
とはいえ、やはり中学時代に書いた代物ですので、いろいろと拙い部分もあります。
以下は大学一年生の時に書いた作品です。
📖『【短編】あの遊歩道へ...』
⇒https://kakuyomu.jp/works/16817330651878050244
**(本文から一部抜粋)**
(今日は、いるかしら)
道の端に目当ての人物を見付けて、弥生は、その白い頬を薄紅色に染めた。そこにいたのは、一人の青年だった。
弥生は、着物の胸元を片手で寄せ合わせながら顔を俯けた。ゆっくりと下駄が音を立てて、青年のすぐ傍を進む。しかし、青年は動かない。
普段よりも少しだけ早く脈打つ弥生の鼓動。鳥の歌声。緑の囁き。下駄の音に混じって、僅かに聞こえる鈴の音。風が運んでくる朝の薫り。
それは、弥生が青年の傍を通り過ぎる瞬間。
そのたった数秒にも満たない瞬間が弥生には、とても長い時間のように感じる。
**(本文から一部抜粋)**
(抜粋元「第1話」https://kakuyomu.jp/works/16817330651878050244/episodes/16817330652184141858)
弥生が青年に恋をしている気持ちが伝わりますでしょうか?
中学時代よりも表現描写が増えていることがわかるかと思います。
特に、この「着物の胸元を片手で寄せ合わせながら顔を俯けた。」という行動は、好きな相手に自分の気持ちを悟られたくない故の無意識の行動として描写しています。
そう、私にも恋愛小説を書いていた時期があったのです(´∀`*)w
ただ、中学時代との違いは、表現の多さだけではなくて。心理描写を内面から描いているか、外面から描いているか、という違いがあります。
(中学)「裏切ってなどいない。自分は出来る限りの事をした。自分は青髭団の一員だ。」
⇒キャラクターの内側で思っていることを書いています。
(大学)「弥生は、その白い頬を薄紅色に染めた。」「弥生は、着物の胸元を片手で寄せ合わせながら顔を俯けた。」「普段よりも少しだけ早く脈打つ弥生の鼓動。」
⇒キャラクターの外側から見える情報を書いています。
これが、いわゆる視点の違いですね。
前者は、一人称に近い。三人称一元視点(この作品は多元視点になっているけど)。
後者は、神視点。登場キャラクターから一歩引いた位置から物語を俯瞰で見ています。
当時の私は、これを理解して書いていたのか? ⇒NOです。
おそらく読んでいた小説のジャンルが変わっていったことによる変化でしょう(少女小説⇒一般文芸)。無意識で書いています。
視点を意識して書く、なんて、公募を意識するまで全く知りませんでした。
どちらがよくて、どちらが悪いという話ではないです。
どちらの手法も、心理描写の書き方として合っています(たぶん)。
前者の場合、キャラクターの内面をそのまま書いているため、読者はキャラクターの気持ちに寄り添って物語に入り込むことができます。その代わり、対象年齢が少し低めになります。特に、一般文芸に慣れ親しんでいる方には、幼稚とも受け取れてしまう(児童文学に近い)。
後者の場合、キャラクターを俯瞰で見ているため、物語そのものを楽しむことが出来ます。キャラクターに寄り添うというよりは、読者がキャラクターの心情を想像して楽しむ系。一般文芸よりになっています。その代わり、こういう小説を読み慣れていない方には、キャラクターに入り込めないとか、感情移入できない、といった感想をもらうことが多くなります。
大雑把にいうと、前者がWeb小説向け。後者は一般文芸向け。なんだと私は考えています。
しつこいようですが、決してWeb小説を卑下しているわけではありませんので、誤解なきよう。読者層、読み手の求めているものが違うだけです。
さて、本題です。くだんの『ザベルの杏』の話にうつります。
📖『ザベルの杏~アルメニア悲劇の女王~』(短編)
⇒https://kakuyomu.jp/works/822139840393758467
こちらの作品、歴史上に実在する人物ザベル女王の生涯について書いた歴史ファンタジーです。(※フィクションを含むので「ファンタジー」がつきます。魔法は一切出てきません。歴史小説では、結構こういう言い方をします。)
この第3話めでは、主人公ザベルが、夫を殺した男の息子に凌辱されるシーンが含まれます。とはいえ、カクヨムは15禁まで。露骨な描写していない……つもりでいます(それが可能なのは18禁)。
個人的には、自分で書いていて涙ぐんでしまうほど感情移入してしまったのですが、どうやら私は、その大事な心理描写を省略して書いていたようなのです。
文字数は1万字以下、15歳が読んでも問題ない性描写、という制約つきです。
あまり生々しい描写を書けば、おそらくブラバされる可能性も高くなるでしょう。
感受性豊かな人だと、軽くトラウマを与えてしまい兼ねません。特に思春期の女の子とかね。
そのため、露骨な表現はしていないものの、念には念を入れて、話タイトルに「第3話 凌辱と再婚(※閲覧注意。)」とつけて、あらすじにも、そういう描写がある旨を記載しております。どんな人が読むか分からない故の配慮です。
だからこれを見て、よほどひどい凌辱シーンと胸をえぐる描写があるに違いない、と過度な期待をされて読まれたら……たぶん、あっけなく感じるかもしれませんね。
まず私の中で、性暴力は、身体を傷つける暴力よりもひどい、という価値基準があります。身体は、外側の身体の意味です。殴る蹴るの暴力はもちろんひどいけれど、傷はいつか癒えます(身体障害や心的障害は省く)。
性暴力は、女性の内側を傷つける暴力です。心を傷つけると同義です。だから、これが心的障害にも発展します。見えない傷というのが一番やっかいで、一番治りにくい。
だから私の中では、心の傷 >> 身体の傷 という明確な価値基準があります。
これがまず読者と合っていなければ、私の感じているものを読者に感じてもらうのは難しいだろうな、と思いました。
次に、読者の性別の違いです。私は、一応生物学的には女に分類されますので、性被害を受ける女性の痛みと苦しみを想像することができます。
でも、男性には、無理じゃね?ということに、つい昨日になって気付きました。
逆に、男性が急所を蹴られた痛みについて、たぶん女性は想像できませんw
陣痛を味わったことのない人に、陣痛の痛みを想像しろ、と言っても無理ですよね。
そこが今回の盲点だったかなーと、反省しております。
それでは、私自身がどのように感じながらこれを書いたかを振り返ってみようと思います。
⇒長くなるので、次話へつづく!
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