無数に伸びた橋の手が

高黄森哉

橋の手


 俺は、橋の下、水底から水面を見上げていた。なにを見上げているかというと、橋の上、その先にいる俺だ。すると、隣に少女が来て、俺に言った。


「ここの橋は、出るのよ」

「なにが」


 眼下の少女は真っ白な顔をしていた。まるで、水でふやけてしまったかのようだ。また、目が厚ぼったく、顔が少しむくんでいて、顔面の仮面をかぶっているかに見える。そして、存在が絶えず、水面と同期して、揺れ動いている。


「なにがって、それは手よ。手が、あなたを水面の向こう側へ、引き留めてしまうの」

「それは、怖くないな」

「無数の手よ。無数の手なの。おじさんを、そこへ引き留める手よ」


 そこ、というのは彼方側なのだろうか。それとも、水底、ということなのだろうか。


「ううん、どちらでもないわ。そこよ」


 彼女は、橋の下を指さす。というよりかは、橋の下にいる自分の姿を示している。そして、水面を見続ける俺には、真下、水面の彼女が、真上、俺へ人差し指を向けたように見えた。


「そう、あなたのいる場所。ねえ、おじさん死にたいんでしょう」


 ずっと川の流れと、それに反射する自分の姿を眺めている。水の移動は日常で、俺だけが変わらずに、同じ橋の暗がりに固定されつづけている。隣には、少女がいて、俺に話しかけている。その様子は、水面越しなので、離れた場所から客観視しているみたいな感覚だ。


「死にたくはないよ」

「またそうやって。そんな境遇で、死にたくない人間なんているはずないじゃない。死にたくないんじゃなくて、死ねないんでしょ。勇気がないから、それとも、周りの人間に死ぬなと言われてるから。同調圧力?」

「いいや死にたくないさ」

「死んだ方がましだわ。おじさんの人生だなんて。もう手遅れじゃない」

「でも、」

「いいえ」


 彼女は、俺の言葉を遮った。そもそも、言いたいことは沢山あるが、言い返したことになる言葉は、そう多くは持ち合わせていない。


「私には、おじさんにまとわりつく、無数の手が見える。そいつらは、生の亡者よ。そいつらだって本当は死にたいの。でも勇気が出ない。他人に一抜けされるのは嫌。だから、他人の死に厳しく当たることで、弱い自分を正当化する。自殺は良くないとか、自殺は弱さだとか。だから、ある種のルサンチマンよ。みじめな境遇から飛翔できる存在をねたんでる、、、、、の」

「それはしかし、正しいことだ。彼らの言うことは真っ当じゃないかい」

「正しいことを盾にしてるんじゃないかしら。おじさん。ここには出るらしいわよ。早くいかないと。ねえほら、早く。死になさい」


 その時、少女は俺の肩に手を触れる。感触がした方に振り返った。


「おっさん。あぶねえよ」


 それは、いかにも粗暴そうな少年だった。唖然としていると、彼はつづけた。


「自殺しようたって、そんな、よくねえぜ。ほら、おっさん、これ、お金やるから」


 千円札を握らされる。声も出せず、まごまごしていると、彼は自転車を漕いで、退散した。去り際になんども、死ぬなよ、と叫びながら。少しだけ明るい気分になった。もっと、この地獄のように平たんな現実に居てもいいかなと。

 もう一度、川の中を見ると、少女はどこにもいなかった。しかし、次は無数の手が見えた。その手は、川の底へ、彼を固定しようと躍起になっていた。全て、水面に映る景色なのは言うまでもない。



 一刻も早く、この橋から離れなくては。

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無数に伸びた橋の手が 高黄森哉 @kamikawa2001

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