弛緩のアイデア

詩人

The grandslam

 握りしめた拳。そこには血と汗と涙とがいくつも深く染み込んでいる。


 愚者の敗走はいつだってモノトーンだ。味もなく、音もない。ただそこに立っているだけで負けている気がして、奥歯を食いしばって逃げた。情けない背中を無表情が茫然ぼうぜんと見つめていたのだ。


 苦節十余年、紆余曲折うよきょくせつ山あり谷あり、そんな言葉では表せない。俺たちの惨めな人生は、俺たち以外の人間すべてにわらわれるためにあったんじゃないかとさえ思う。ただ現実はあまりに切ない。密着カメラがついてくれるわけでもあるまいし、嗤ってくれる人間すらもいないのだ。


 ナゲットソースから女のタイプまで、何一つ趣味が合わない二人。そんな二人を惹き合わせたのは──漫才だった。幼き日からテレビに齧り付くように漫才師を見ていた。腹を抱えて爆笑していた。

 毎年相も変わらず、年末は誰が優勝するかの予想ばかりしていた。青春時代を漫才に浪費することなど、二人にとってほまれであった。


 いつの日か、画面の向こうに嫉妬した。


 俺たちはこんなところで何してる? 漫才しようぜ、悔しくないのか?

 始まりはとても小さな劇場だ。客に先輩、皆が苛める。おもろない、嗤われてるだけ。辞めてまえ。誰に言ってる、百も承知だ。東京に進出してゆく後輩の背には、鋭い眼光を刺す。

 誰かが言う。「劇場を守るアニキ」だと。上京する金、自信がないから。後輩に理由をダラダラ述べながら、ただ劇場に居るしかなかった。

 かかってこい、初の「M1グランプリ」。準決勝の希望の舞台。挑むのは出会ったことないテレビマン。その向こうにはレジェンドもいる。俺たちは笑われになど行くんじゃない。腹千切れるほど笑わせてやる。

 難波ゆえ、まだ荒波には乗れないが板は今しがたこさえて待ってる。

「今年は決勝上がるぞ」

「上がれんかったら二人で死のな」

「負けて劇場帰るんはもう懲り懲りや~」

「ちょ、ソース取ってくれん?」

「バーベキュー?」

「マスタード」

「お前とはホンマ合わん」

「優勝したらこのエピソードつーかお。俺たちが──世界で一番──面白い」


 交わす握手は渇きを欲す。

 視界良好、東へ進め。

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弛緩のアイデア 詩人 @oro37

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